第22話 新約2
バルベーロ。
メフレグ側の神が創り出した、意識だけで接続できるソフィア専用の特殊空間。
意識をそこに飛ばした僕は、すぐさまにバルベーロの神殿の前に立っていた。
少し深呼吸してから、僕はゆっくりと大きな門をくぐり、神殿の奥へと歩いていく。
神殿の奥へと続く空間の両脇には、アイオーンが並んでいた。老若男女様々な顔ぶれを横目で見ながら歩く。いつも冷静な彼らの表情が、今日は強張っているように見えた。
この異様な雰囲気、きっと、ただではすまない。
僕は覚悟して、その先の祭壇がある広場に出て、その中央にいるある人物の前にたった。
カイン。仮面を装着した、ソフィアのトップ。中世的な声で、男か女かさえも分からない。
その傍らにいるネブロが手を挙げた。
「よぉ、ブラザー。遅かったじゃねぇか」
ネブロ=マルクス。カイン、僕と同じくバルベーロ四聖人の一人、つまりソフィアのトップ4に入る男だ。その青い長髪が揺れる。
「今日は、かなりエキサイティングな議論になりそうだぜ、裏切りの」
ネブロが口笛を吹いて、僕の背後を見る。
さきほどまで壁際に並んでいたアイオーンたちが静かにこちらに向かってきて、僕、カイン、ネブロを取り囲むように円陣を組んだ。
「すでに報告を受けています。よくやってくれました、裏切りの子、河水雪」
カインの中世的な声が広場に響いた。隣でネブロが自分のことを指さしている。
お前か、報告したのは。
一抹の不安を感じながら、カインの次の言葉を待つ。
「パナリオン側の切り札であった救世主は、これで沈黙するでしょう」
「お褒めに預かり光栄です、カイン」
僕はゆっくりと頭を下げた。
「しかし」
その平坦な声に、僕は息を飲んだ。
「なぜ、殺さなかったのですか?」
やはり、そうきた。
ソフィアが旧首都やその周辺地域に襲来する可能性が高まった理由。
それは、僕が理恵を裏切ってひどいことを言っただけにとどまり救世主殺しを遂行しなかったために、僕が任務を放り出したと判断して他のソフィアがそれを実行に移すという可能性が高まったからだ。救世主殺しと、これまで守られてきた旧首都とその周辺地域の破壊。
それだけは、何とか阻止せねばならない。
僕は頭を下げながら言った。
「精神状態を崩壊させたのです。それが、十分であり、ベストな状態だと思われます」
「赤井凛という優秀なソフィアを盾にしたのです。彼女の死に、報いなければなりません」
ネブロからの報告には、やはりそれが入っていた。盾にした、という表現になっているのは、ネブロの配慮なのか、それとも全てを見透かしての皮肉なのか。
僕の思考は、どこまで読まれているのか。
「救世主に死を」
カインが告げる。平坦に、冷たく。
それに続いて、周囲を取り囲むアイオーンたちも声を上げ始めた。
「死を、救世主に死を」
「この世に偽りの救世主による偽りの救いは要らない」
「真の救いを」
「死を、生きとし生ける者たち全てに、安らかな死を」
「世界に死を」
「それを見届けたのち、我らにも死があらんことを」
彼らは理恵の死を、そして理恵が愛した世界の死を願い、それを実現させようとしている。
いつか、全員殺さなければならないのかもしれない。
殺気を体内に充満させる。だが、その一方で。
その声は、狂っているのではなく、冷静な響きを持っていて、彼らがよく考え、そして出した結論だということがよく分かった。
絶望的な気分になる。
それぞれ事情は異なるが、本当に世界は地獄で、この世界は間違って創られた、と彼らは信じている。確かな経験も持っている。そう思える経験を。世界を想うからこそ、世界を破壊しようとしている。
生きていることは、苦痛でしかない。それから死を以て命を解き放つことが、優しさであり、救いなのだと。
彼らは、よくある暴れたい欲求を満たすためにメフレグにかぶれた者たちではない、本物のメフレグ主義者だ。
確かに、と思う。
虐待、戦争、病、残虐な事件など、特に2030年頃になって、生きたくない要因が、世界にあふれ始めていた。
「誰も生きたがっていない」
赤井先輩の言葉。人生の本質が、あの頃、変わり始めていたのかもしれない。
「お前たちは、望まれて生まれてきた」
神の涙を思い出す。
メフレグが正しいのか、反メフレグが正しいのか。
僕には分からない。
だが、僕は自分が望んでいることだけは、分かる。
この世界で生きることを肯定する理恵は、彼らにとっては敵以外何者でもない。
それと同様にして、この世界で理恵を傷つけるメフレグ主義者は、僕にとって敵以外何者でもなかった。
総勢数百名を超えるこの能力者たち全てが、理恵の命を狙っている。それら全てを、そして神さえも欺き、パナリオンである理恵を守るために、ソフィアである僕は。
この裏切り、果たしてどこまでうまくいくのか。
「殺さなかったのは、現場の判断です」
僕は冷静な表情を張り付けてカインに、僕らを取り囲むアイオーンたちに言った。
「腐っても、救世主です。たった一言で、世界を改変することさえ可能かもしれない。命の危険が迫ったとき、咄嗟に力を解放するかもしれない。当初は殺すつもりでしたが、これまでの救世主の力を分析した結果、殺さないほうがリスクが小さいと判断しました」
カインは黙っている。周囲のソフィアたちも同様だ。
続けろという意味だろう。
ネブロの顔を一瞥する。
お前、疑われてるんだよ。
その顔は、そう言っていた。
分かってる。
「僕が放った裏切りは、時間が経てば経つほど、精神を蝕む。無力化し続けることは、確実だと思われます。わざわざそこにリスクを背負って攻撃しに行く必要がありますか? 最悪の場合、彼女のゴスペルによって全滅することだって起こりうる。世界の終わりを目にしてから、自己破壊するのが、我らの悲願でしょう」
「その通りです、河水雪」
カインの声が再び響いた。
「未知の能力であるゴスペルだからこそ、潜伏し、確実にして損害なく消す必要があった。ゴスペルの本領を発揮させずに無力化したあなたは、やはり適任でした。そして」
カインは、ゆっくりと人差し指を僕へと向けた。
「先を見通す力も持っている」
ぞわっと、嫌な予感が背中をはしる。
「つまりは、こういうことでしょう」
カインは、僕の心をなお試すかのように、声を大きくして告げた。
「無力化に成功した救世主は現段階で放置して、戦力を他に回せということでしょう。つまり、裏切りの子である、あなたを」
汗が噴き出た。僕は、自分がその場凌ぎの対応をしてしまったことに気がついた。いや、違う。
僕は、多分、そうなることをどこかで予想していた。
それを、僕は。
「次の任務についてもらいます、河水雪」
自分で、言いたくなかったのだ。




