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第19話  墜落していく言葉たち4

 日は、完全に落ちた。

 深い闇がのしかかってくるかのように教室の空気を沈めていく。僕は椅子に腰かけながら肘を太ももに乗せ、両手を顔の前で組んでじっと待っていた。

 先輩は黙って僕を後ろから抱きしめている。どんどん底冷えしてくる気温の中で、その温もりはとても役に立った。

 昼は曇っていたが、夜になって空は晴れてきたようだ。部室の灯りをつけないでいる中、ぼんやりとした月光が僕たちを照らし始めた。

 どれだけの時間が経過しただろうか。遠くから足音が聞こえてきた。ゆっくりと、しかし確かな足取りで、近づいてくる。やがて、音は扉の前で止まり、それからゆっくりと扉が開いた。


「嬉しいなぁ」


 僕は入ってきた相手をじっと見つめる。

 月明かりにうっすらと照らされたその顔は、やはりニット帽を目深にかぶっていて正体は分からなかった。


「君も、僕らと一緒に学校を燃やしてくれるの?」

「雪……、この人が二日前に私たちの部員を殺したのよ」


 先輩がそっと耳打ちする。苦笑しながら、僕は立ち上がる。


「どうして、知っているんですか、先輩?」


 たまたまトイレに行っていて何も見ていないんじゃあ、なかったのでしょうか?

 まぁ、嘘だって気がついていたけど。


「ふふ」


 先輩は照れたように笑う。大方、不審者の接近に気がついて、そのままどこかに逃げていたのだろう。部員たちを囮にして。

 呆れながらも、僕もこれから自分が行おうとしていることを考えると、何も言えないやと思う。

 先輩を胸元に抱き寄せる。戦いへと出陣する戦士を見送るかのように潤んだ目で見上げる先輩に小さく呟いた。


「なぁ、そうだろう?」


 ニット帽をかぶった女がゆっくりとポケットに手を突っ込んだ。

 初撃。分かっている。問答無用、容赦もなく、

 来た!

 神速。

 息をする間もなく、数メートルあった間合いが一瞬で詰まる。そして、それほど緊迫した状況だからこそ、可能な裏切りが一つあった。

 とん

 ほんの一押し。抱き寄せていた先輩を、前に突き出した。


「えっ」


 先輩が呆気にとられたように声を漏らした。重力に引かれて前に倒れこむ先輩が振り返った。その目は、ガラス球のように透き通って、食い入るように僕を見つめていた。

 それからはスローモーションだった。先輩の首に赤い線が横一文字に入り、そのまま切断されていく。僕を操る暇さえなかっただろう。痛みさえ感じられたかどうか。その首は呆けた表情そのままに切り離され、


「せんせい……」


 先輩は、最後に、そう呟いたような気がした。

 予期せぬ出来事に動きが鈍ったニット帽の女を前に、僕は呟く。


「舞い踊れ、ハルモゼール」


 十字の光の剣がそのまま縦に彼女を切り裂く、はずだが、間一髪で後ろに退いてかわされた。

 しかし。

 乾いた音がして、相手が身に着けていたニット帽が床に落ちた。月光に照らされた顔を見て、僕は少しの驚きと納得を感じた。


「……君だったのか、委員長」


 委員長は、ナイフを体の前にかざしたまま、いつもの鋭い眼光で僕をにらんでいた。


「理恵にあれほど過保護だったのも、納得がいったよ」

「……違う」


 委員長は低い声で答える。


「あたしが理恵と一緒にいたのは、あたしがパナリオンで、彼女が救世主だったからだけじゃない」


 ハルモゼールを手元に引き寄せてから、十字の光の間から委員長を見据える。


「……友達ってこと?」

「理恵はあたしを救ってくれた」


 嬉しくなった。理恵、やはり君は救世主にふさわしい。君に救われたという人が、ここにもいるよ。


「僕と同じだな」


 僕も理恵がいなければ、とっくの昔に歪みきって発狂していたかもしれない。今僕がここに存在するのは、全て理恵のおかげだ。 

 委員長が、舌打ちして苛立ちの声を上げる。


「お前、どうしてソフィアなんかになっちまったんだよ。あたしだからこそ、お前が怖いくらい理恵を想っていること、分かるんだ」

「理恵を守るために、力が必要だった」


 何の信念も、誇りもない。ただ、手段の一つとして必要だった。でも、選べなかった僕は。


「契約する神を間違えてしまったらしい」


 委員長は呆気に取られ、それからはぁっと息を吐いた。


「馬鹿なやつだな、お前」

「そういう委員長こそ、どうしてパナリオンに?」


 委員長は言葉を切り、しばらく黙ってから、目を閉じた。懺悔しているかのような表情をさらし、震える声で言った。


「姉さんを殺してしまったからだ」


 母を殺したと泣いていた理恵と、その顔が重なった。


「悔やんで悔やんで頭がおかしくなってしまいそうなとき、理恵と出会った。理恵も自分の秘密を打ち明けてくれた。そして、優しい聖書の言葉を教えてくれたんだ。その後すぐに、神様と出会った。きれいな女の人で、あたしに力をくれたんだ。ルールを破って後悔しているあなたなら、きっとこの世界の秩序を守れるって。秩序の遵守を契約として力をもらったとき、あたしはもう、絶対にルールを破らない、破らせないと決めたんだ。もう絶対に」


 ルールという言葉の内容に、どれほどの過去が込められているのか、想像の域を出ないが、頑なにルールを守ろうとする委員長の行動には、こんな理由が隠されていたようだ。あれだけ必死だったのは、神との契約を継続、更新するため、そして何より、ルールを破られることが自分のトラウマを掘り返してしまいそうで怖くて怖くて仕方がなかったのだろう。

 僕は、これ以上この人と戦う理由を見つけられなかった。

 足元に転がっている先輩の首を見下ろしながら、告げる。


「退いてくれないか? 理恵を殺そうとするやつはこうして始末できた。目的は果たしたので、これ以上君と戦う理由はどこにも……」

「あるんだよ」


 強い声が暗い教室に響き渡った。

 遠くのほうで、電車が通る音が聞こえた。

 僕は首を傾げて彼女を見る。


「……君は理恵が好きだ。僕も理恵が好きだ。理恵を守るためなら、ご覧の通り同族でも殺すが、逆に理恵に危害を加えなければパナリオンだって殺さない。一体、どこにこれ以上殺しあう必要があるんだよ?」

「……お前がソフィアだからだ」


 委員長の目には、狂気じみた光が宿る。


「ソフィアは、その存在そのものがこの世界の秩序を乱している。この世界を破壊しようとするメフレグの神に魅入られた危険な存在だ。消さなきゃ。一人も逃すものか。あたしは、今度こそ、今度こそルールを守ってみせる」


 それは、道端にわいて出てくる虫を一匹一匹執拗に指でつぶしていく子供のような感情なのだろうか。気が遠くなりそうな言葉の内容と、呪文のように同じ言葉を繰り返すその口と、その目に宿る歪んで強固な意志を感じて、僕はさっき交わしたとある契約が役に立つことを予感した。


「どうしても、か?」


 ハルモゼールの切っ先を、委員長に向ける。


「どうしても、だ」


 委員長は腰を沈めて、前かがみになる。

 分かったよ。

 僕は力を抜いて、笑った。


「じゃあ、殺しあうしかないね」


 所詮、僕らなんてそんなもんだろう。正義なんざ知らないし、存在するかも分からない。ただ、譲れないもののために、平気で他人の肉を食らう。食われるか、食うかなら、僕は食うほうを選ぶよ。

 軽い風を感じたと思ったら、委員長が目の前まで来ていた。目で追ってはいけないことは分かってる。

 ハルモゼールを横に振り払う。委員長の体は切り裂かれることなく、そのまま宙を舞って僕の後ろ、六時の方角へと飛んだ。振り返ることなく、意識をハルモゼールに集中させる。

 背後へとハルモゼールを回す。しかし、音は背後ではなく、再び真正面、零時の方角からした。


「はやっ……」


 これが、本当のトップスピードなのか。以前、戦ったときよりも格段に速度が上がっている。音を追っても追いきれないなんて、馬鹿げたスピード狂だ。

 確実に無防備な僕の真正面に、委員長が突っ込もうとした瞬間、僕は囁いた。


「二本目」


 新たな光の剣が、目の前に出現して、そのまま委員長の胸を貫こうとする。急ブレーキを踏んで、軌道修正した委員長はぎりぎりそれをかわし、大きく距離をとって後ろに飛んだ。

 息一つ乱さずに、委員長はナイフを構えなおす。


「一本だけではなかったんだな?」

「うん」


 頷きながら、吐き気を覚える。契約を更新して新たに力を得たその代償を、僕はこの後払わなければいけない。


「でも、二本程度では」


 委員長が軽くステップを踏んで、嘲笑する。


「いいや」


 僕は笑った。


「これだけじゃあないよ」


 言い終わらないうちに、委員長が視界から消えた。

 音は右、三時の方角から。後ろにあったハルモゼールを右手方向へ。その瞬間に、今度は左、九時の方角から。目の前のハルモゼールを左へ……。

 真後ろから音がして、僕は苦笑した。


「三本目」


 そう呟くと、天井から更なる光の剣が舞い降りてきて、後ろの床に突き刺さる。

 しかし、そこにはもう委員長はいない。

 ざくりと音がして、右肩から燃えるような熱を感じた。逃げられる瞬間に、切られた。

 自分から生温かい血が抜けていくのを感じながら、気配を追う。

 一時の方角。

 そして、呟く。


「四本目」


 ここまで来れば、もう詰め将棋のようなものだった。

 相手が潜り込んでくる隙間をことごとく光の剣で埋めていく。

 はじめから、カードを全て切ってはいけない。一枚、一枚。徐々に徐々に、相手の心をくじいていく。

 十時の方角。


「五本目」


 七時、六本目、十一時、七本目、四時、八本目、二時、九本目、八時、十本目、五時、十一本目。、零時、十二本目。

 そして、全ての空間を失った相手は、動揺し、失速し、唯一の抜け道へと誘われる。

 僕は静かに最後の数字を告げた。


「十三本目」


 肉を断つ音が頭上から聞こえ、それから自分の肩から噴き出しているのと同じ、生温かい液体をかぶった。

 見上げると、委員長が天井で胸を光の剣に貫かれて、串刺しになっていた。口が真っ赤になり、吐血を続けている。

 思い出したように、切られた右肩に激痛が走る。うめきながら、彼女に話かける。


「嫌いじゃなかったよ、委員長。君のこと」


 委員長は苦しげに何か言おうとしてから、ナイフを僕へと向ける。けれど、口からは息が抜ける音が聞こえるだけで、言葉は紡げない。最後に一際切ない音で鳴いて、彼女は事切れた。

 部屋を出るために、ゆっくりと歩き出す。後ろから、ナイフが床に落ちる乾いた音が聞こえた。


 僕はゆっくりと屋上への階段を上っていく。右肩はじくじくと痛み続ける。歩く度に、その衝撃で痛み、うめき声が漏れてしまう。

 それでも、空でも眺めないとやりきれない気分だった。

 屋上の扉を開けた。息を吐くと、白くなってそのままかき消されていく。外の寒さが、肩の傷に染みた。

 よろよろと歩き、柵にもたれかかる。仰向けに見上げる夜空は、街を飲み込もうとするかのようにぽっかりと真っ黒な口を開けていた。

 胸の中に、自己満足極まりない罪悪感があった。

 それを吐き出したいと思ってここまで来たのに、あっけらかんとした空の黒さにその気が失せてしまった。

 血の臭いは、鼻の奥にこびりついている。

 誰も悪くない。悪くはないんだ。

 赤井先輩は、メフレグなんてものが流行らなければ、愛していた人と結ばれていただろう。ソフィアになることなんて、なかった。

 委員長も、パナリオンの神にそそのかされなければ、自分の罪を懺悔しながらも、理恵と共に温かい日常の中で生きていけたかもしれない。

 誰も悪くない。誰も?

 ああ、いいや。結局、だから僕も悪くない、と言いたいだけなんだろうからな。

 くだらない。

 そんなものを吐き出したところで、最高に自己嫌悪な自己満足が待っているだけなのだ。

 もういい。分かってる。

 自分が、どうしようもないくらい汚れちまっていること。

 せめて、汚れちまったなら、汚れたことを自覚しながら生きる覚悟を。

 ただ、ぽつりと浮かんだこの一言だけ、言わせてほしい。


「ひどい世界だ」


 あのとき、部室で委員長を待ちながら、バルベーロに接続したときのことを思い出した。



「我が子よ」


 バルベーロの神殿の祭壇で。十字の光から、静かなる声は響いた。

 僕はその声に苛立ちながらも、ひざまずき、頭を垂れた。


「お願いがあります」


 今から自分が話す言葉に寒気を覚えながらも、続けた。


「僕に、新たな力を授けてください」


 沈黙があり、それから言葉があった。


「救世主をさらに裏切る、ということか」

「そうです」

「どうやって?」


 言葉が鉛のように詰まって、出てこない。けれど、どうしても必要なのだ。さらなる力がなければ、僕は……。


「彼女を罵倒し、彼女の前から姿を消します」


 言ってしまった。絶望的だ。そんなことをしてしまえば、もう二度と彼女の笑顔を見ることができないかもしれない。

 再び沈黙があり、それから光が現れた。

 十字の光からそのまま新たな十字の光が生み出され、その光がまた新たなコピーを産み、連鎖していって最後には総勢十二本の刃の列が僕の前に並んでいた。


「お前が今、持っているものと合わせて、これで十三本となる」


 僕はそれらを眺め、力なく立ち上がって十字の光と対峙した。


「ありがとうございます。もう一つ、言わせていただいてよろしいですか?」


 神は何も言わない。


「初めて、ハルモゼールに触れたとき、この世界の理を知りました。無の世界から、存在することを望んだ二つの泡が結びついて、今の世界を生み出したこと。ひょっとして」


 秘かに確信を持って、言った。


「あの泡の一つがあなたで、もう一つがパナリオンの神ではないのですか?」


 答えはない。


「あなたたちは確かにこの世界の創造主そのもので、あなたは世界に飽きてしまい、破壊を目論み、パナリオンの神はまだこの世界の存続を望んで守ろうとしている。違いますか?」


 言葉を切って、答えを待ったが、返事は返ってきそうになかった。

 首を横に振って、バルベーロから立ち去ろうとしたとき、


「これだけは、知っておいてほしい」


 光の中の神は、やはり、泣いていた。


「お前たちは、望まれて生まれてきた」



 神のその言葉を思い出し、笑いがこみ上げてきて声を漏らした。

 凍てつく夜空に白い息は吸い込まれていき、忘れられたように浮かんでいる青ざめた月を神と見立てて、吐き捨てるように言った。


「うるせぇよ」

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