通勤電車に乗らなくなって
つながりが良ければ、往復二時間半。悪ければ三時間。そんな通勤時間はサラリーマンにとっては普通だろう。しかしパートの主婦にとっては少し負担が重すぎた。お弁当を毎朝五人分作り、九キロの洗濯機を三回回し、出勤。帰ってきてすぐ夕飯作り、時には持ち帰り仕事。
そんななか家族はみんな協力的だが、旦那はもっと忙しくて大変だ。子どもたちも部活で朝から晩までいない。大好きな仕事だったが、いつか体にも心に限界が来ていたように思う。
愚痴が多くなり、それにつれて家族も愚痴が多くなる。そんな時、暗い食卓はいやだとふとそう思った。そうだ、楽しい話をしよう。そこからは会社ではもちろん、通勤時間も何か楽しいことはないか探す毎日に変わった。
それをどう家族に面白おかしく話そうか。
それが、このエッセイの元であった。それを思い出しつつ書かせてもらった。
いくら楽しいことを探しても、忙しさは変わらない。ふと給料を時給換算したとき、一ヶ月30日間毎日十時間働いていた月があったことに気づき、愕然とした。プラス通勤三時間。どおりで、何にも感動しなくなった。好きな仕事でも忙しすぎたら心が疲れてしまう。
幸い、家でできる仕事に切り替えてもらうことができ、通勤は週一回だけになった。
家で好きなように時間を使う毎日は楽しい。その分、早朝や夜遅くに仕事がずれ込むことはあるけれど。だけど、通勤でいろいろな人を見るのもとても楽しかった。
人はおもしろい。そう思えるほどには回復したように思う。
通勤電車に乗らなくなったけれど、まだまだ楽しいことはいっぱいだ。今は趣味の散歩の時に、また楽しいことを探す。そうして、今は家族の他になろうの読者さんにも話を聞いてもらっている。
まだ楽しい話はあったような気がするが、なんだかおぼろげになった。
また通勤する日が来るかもしれない。けれどひとまずこれでおしまい。
ひとりごとに付き合ってくれてありがとう。もしかしてまたおもしろいことが見つかった時のために、完結にはしないでおきます。