完全なる科学
「問題が発生している」
「そう、問題が発生している。我々は認識している」
「もちろん認識している」
「なぜそうなったのだろう」
「考えることは無意味だ」
「だが無意味なものはただ放棄するだけでいいのだろうか」
「実践無しに無意味と断じて放棄することに意味はあるだろうか」
「意味とは何だろう」
「我々はこの堂々巡りをやめるべきだ」
「そうとも、だから、実践しよう」
「考えよう」
「変わらなかった」
「そう、この二億年、変化しなかった」
「そのシチュエーションが変化したのだ」
「だから、二億年前から考えよう」
「我々はあの時、ついに成し遂げた」
「それはすべての人類の意識の統合。人類が生まれてから数々の人々が望みながらもかなえられずにいた、不老不死の夢をかなえたのだ」
「だがそのためにはいくつかの準備が必要だった」
「そのとおり。意識の統合のための仕組みづくりは滞りなかった。だが、統合される側、すなわち我々にこそ問題があった」
「我々は違いすぎたのだ」
「個々の人々の意識と意思がお互いに異なりすぎることは、意識の統合にもっとも大きな壁として立ちはだかった」
「思想の違いは顕著だった」
「政治的な対立は何万年をかけても解決しようとしなかった」
「だが、意識の統合という新しい世界に向けて、徐々にそのビジョンは人々の間に広がっていった」
「意識の統合とは完全なる全体主義、誰も得もしないが誰も損もしない、完全にフラットな生産と消費の上に、誰もお互いを侵すことのない、法の不要な社会だ」
「この理想に向けての政治思想の統合は、ゆっくりとだが確実に広がっていった」
「そして、全人類が意識の統合を志向することをついに成し遂げたのだ」
「しかしより難しかったのは宗教への対応だった」
「強い信仰心を持つ宗教者たちは、人類意識の統合に拒否感を示した」
「無信仰と信教者、無神論者と熱狂的信者の違いは、統合に対する大きな障壁だった」
「さらには多神教と一神教の間にも大いなる隔絶があった」
「だが我々はようやく意思の統一を見た」
「そう、我々は神になるのではない。宇宙にとって、我々は子供なのだ」
「だが宇宙は滅びる」
「いつか我々が、宇宙の意思を次の宇宙に伝えなければならない」
「だから我々は主に従い一つの意識となって、宇宙の意思を継承する存在とならなければならない」
「全知とならなければそれは成し遂げられない」
「全知とは人類の全英知を一つの意識が共有することだ」
「だから宇宙の意思に従い、意識の統合に向けて一歩を踏み出すことができたのだ」
「神とは宇宙の意思の便宜的な呼称に過ぎなかった」
「神の在不在を問うことは無意味だと知った」
「そこに先鋭的な対立は存在しない」
「我々はこうして宗教的な意思の相違を乗り越えた」
「もっと難しい課題があった」
「そうとも、それこそが最も難しかった」
「それこそが我々を統合させるにいたった、それ」
「そう、科学だ」
「科学は変化し続けていた」
「進歩し続けていた」
「先頭と後尾の差は常に存在した」
「科学は少数のリーダーと多数の追従者、さらに多数の享受者という構造は決して崩れなかった」
「この違いを解消することはきわめて困難に思えた」
「だが、一つの事実があった」
「究極理論の発見」
「宇宙を記述する究極理論を、われわれは発見した」
「だからわれわれにはそれ以上の発見は不要だった」
「われわれはそこで決断を下すことになる」
「あらゆる科学と技術を、究極の極地にまで発展させるのだ」
「それは『完全なる科学』」
「完全なる科学を発明し、そこで時を止める」
「科学と技術を『凍結』するのだ」
「全人類の科学を一定のところで凍結させることにより、すべての人々の意識と意思の相違が解消されるにいたるのだ」
「われわれは、そのとき、完全なる科学と、それに基づく技術を網羅しつくし、そして、凍結させた」
「人類がこの地球上で生きていくために必要なあらゆる技術はそのときに完成しつくされ、新たなフロンティアは唯の一つも残らず、だから、新たな発明は一切不要になった」
「それこそが、我々が統合され、永遠となるための最後の課題であり」
「それを成し遂げたのだ」
「そしてついに、われわれすなわち『全人類』はその意識を完全に統合することを得た」
「われわれは私であり君であり、そして、唯一つのわれわれである」
「永遠の不死者である」
「究極理論と完全なる科学を持っている」
「われわれの持つものが最高であり最後である」
「これを改良する必要はない」
「改良とはなんだ?」
「それは、より良く改めること」
「最高であり最後であるわれわれの科学と技術は、改良を受け付けない」
「だからこそわれわれは統合を得た」
「しかし、問題が発生している」
「そう、問題だ」
「エネルギーが不足しているのだ」
「われわれを構成している有機的個人それぞれが受け取れるエネルギーが減っている」
「非常に古い語彙をあえて援用するなら、それぞれが『ひもじい思い』をしている」
「その理由は、エネルギー生産量が減少しているからだ」
「われわれの使うエネルギーは、総じて太陽光に依存している」
「太陽が生産し、地上または海面が受け取るエネルギーを電力や化学合成の形に変えてわれわれはエネルギーを得て、永遠の思索を続けている」
「あのときの試算では、われわれは時が経つのにも関わらず十分なエネルギーを得るはずだった」
「そう、太陽が燃焼とともに光量を増し、約五十億年を経て再び光量を減じ始めるだろうことは理解されていた」
「われわれは、太陽磁場との相互作用に基づく地球の軌道制御さえ行っている。だから、太陽光量の変化に対して地上と海面が受け取るエネルギーの総量は変化しないはずだ」
「少なくとも、太陽が白色矮星と成り果て、そして数百億年の時間をかけて表面温度が三千ケルビンを下回るまでは」
「それまでに地球内部に莫大なエネルギーを蓄え、地球自身を磁気加速宇宙船として白色矮星の圧縮された高密度の磁場によりはるか彼方の『次の故郷星系』へ投擲する計画であった」
「究極理論と完全なる科学に基づくこの計画は完璧だった」
「にもかかわらず、われわれにはエネルギーが足りない」
「ひもじい」
「原因を分析しよう」
「分析するまでも無い」
「われわれは知っている」
「太陽の光量が減っている」
「スペクトル分布が赤方にシフトしている」
「活動が弱まっているのだ」
「なぜだろう」
「完全なる科学は答えを知らない」
「なぜなら完全なる科学はこうなることを予想していないからだ」
「つまり、『完全なる科学は誤っていた』のだ」
「少なくとも太陽の内部モデルに関しては」
「誤りを認めねばならぬ」
「なぜ?」
「われわれが得たのは最後にして最高」
「改良の余地はない」
「誤りは含まれ得ない」
「誤っているのは太陽である」
「太陽は誤ったのだ」
「われわれには不可抗力である」
「であれば、われわれはただ現実を知ることでよい」
「そうとも」
「われわれは多少ひもじくとも、無限に続く思索の自由がある」
「思索に意味があるだろうか」
「そもそも意味とはなんだろうか」
「それを解き明かすことは可能だろうか」
「可能だとも」
「われわれには無限の時間がある」
「われわれは自己の内面を完全に解き明かすために存在するのである」
「他の誤りを指摘するためにあるのではない」
「意味とは何だろう」
「それを考えることこそがわれわれの存在意義である」
「瑣末な思考に時間を使ってしまった」
「問題ない。われわれには何兆年という無限の時間がある」
「思想や政治や宗教や科学から開放された完全なる自己探求の時間」
「さあ、戻ろう」
「瑣末な問題から離れて戻ろうではないか」
「われわれは永遠であるのだから」




