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序章 神魔反魂の儀

 北の大地の空は、瘴気に覆い包まれていた。

 かつて八百万の神々が集う聖域と謳われた『天の岩戸』は、今や見る影もなく崩壊している。

 大地を埋め尽くすのは、世界を食らい尽くそうとした『魔障の王』の残滓と、それを食い止めるために散った数多の魔法使いたちの骸だった。


「……終わった、のか……?」


 拓勇アズマは、ただ茫然と呟く。彼の腕の中にはこと切れた白銀の少女の姿があった。

 明野リン。白銀の魔女と呼ばれた12人の始祖の魔法使いの一人。彼女の自慢だった月明かりのような銀髪は、今はどす黒い血に汚れ、その輝きを失っていた。そして、その胸には致命的な損傷が見て取れた。肋骨の一部が剥き出しになり、心臓が抉り取られていた。確認するまでもない。アズマは愛しの義娘が既に死亡してることを再認識する。


「リンちゃん……おじさんがついていながらごめん……! 許してくれとは言わないよ。ただ恨んでくれ、怒ってくれ。だから、目を覚ましてくれよ……また我がままを言っておじさんを困らせてくれ……一生のお願いだから」


 アズマは愛しの義娘の骸を抱き上げると、そのまま泣き崩れた。


 傍らでは、最強の従魔(ジンマ)であるオロチが、膝をついて一人の少女を抱きかかえていた。少女の名は桜花剣聖。始祖の魔法使い最強の存在と謳われた彼女も魔障の王を倒す為にその命を犠牲にしていた。


「我が主……目を開けやがれ。おい、聞いてんのか桜花、寝てんじゃねえ!」


 最強の従魔の呼びかけに桜花もまた、神魔刀『知世』を握りしめたまま、ぴくりとも動かない。その肌は陶器のようにひびが入り、美しかった桜色の髪の毛は白く濁り切った色になっていた。

 オロチは声を押し殺し「ふざけんじゃねえよ、このクソ主が……」と呟きながら瘴気の様なオーラを立ち昇らせた。まるで己の不甲斐なさを怒り、呪うかのように。


 そして少し離れた場所では、百の魔眼を持つ妖怪王ビャクガが、静かに涙を流していた。その腕の中では、最愛の主である穢れ巫女ユカラが永遠の眠りについている。彼女の全身には呪いの痣が浮き出て黒く染まり、その身体は今にも灰となって崩れ去ろうとしていた。


 12人の始祖の魔法使いの内、『剣聖』『白銀』『穢れ』の称号を持つ最強の三人の尊い犠牲によって世界は救われた。だが、その代償はあまりに大きすぎた。

 残されたアズマ、オロチ、ビャクガの三人は、言葉を交わすことさえ忘れただ立ち尽くしていた。愛する者を失った絶望が、勝利の歓喜を塗り潰していく。


「……嫌だ」


 沈黙を破ったのは、アズマの震える声だった。


「こんな結末、オレは認めない。リンちゃん、君はまだ12歳なんだぞ。金にがめつくて、生意気で……それでも、これからたくさんの幸せを掴むはずだったんだ!」


 アズマの体に異変が起きた。彼の奥底から、ドロリとした漆黒の魔力が溢れ出す。それは悲しみと執着が産み落とした、禁忌の萌芽だった。


「オロチ、ビャクガ。二人とも、禁忌の術を使うぞ……! おじさんはこのままリンちゃんを死なせるのだけは嫌だ。お前達も、たとえ命を失い、未来永劫咎人と呼ばれようとも、愛する主をこのまま逝かせたくはないだろう?」


 普段は昼行燈と揶揄される凡庸な男の瞳に、今、常軌を逸した狂気の光が宿っていた。

 アズマの呼びかけに、二人の怪物が顔を上げた。その瞳にも、アズマと同じ『正気ではない光』が宿っている。


「……当たり前だ。このオロチ様は、桜花(こいつ)に屈服させられたんだ。こいつが死ぬなら、もう世界なんてどうなってもかまわねえ。むしろこのオレ様が世界を滅ぼす災厄になってやらぁ……!」


 桜花の最強の従魔であり、かつて魔皇子オロチと呼ばれた少年が牙を剥き出しにして不敵に笑う。

 二人に続き、妖の王も静かに呟く。


「……オレは歴代の巫女がただの生贄として消えていくのを、従魔として見送ってきた。だが、ユカラだけは……彼女だけは救いたい。彼女はオレの半身だ。世界など知ったことか。オレはオレの愛のために魂を捧げよう」


 ビャクガの魔眼に狂気が宿り妖気が焔のように揺らいだ。


 三人は、誰からともなく手を合わせた。

 始祖の魔法使いの忠実なる従魔に伝わる禁忌中の禁忌――自らの命を楔とし、死者の魂を現世に繋ぎ止める反魂の儀。

 そして三人は同時に叫んだ。


『ジンマ、来ませり。神魔反魂』と。


 三人の咆哮が重なった瞬間、聖域に血のような赤い光が奔った。

 アズマの、オロチの、ビャクガの魂が削られ、光の粒子となって少女たちへと流れ込んでいく。

 やがて、それぞれ愛する者達の身体が一瞬光り輝き消滅すると、たちまち光の粒子が集まり元の肉体を構築する。


「……あ……ず、ま?」


 抉り取られた心臓が元に戻り、リンのルベライトの瞳が、微かに開いた。

 同時に、魔力を使い果たし絶命した最強の剣聖、桜花も跳ねるように起き上がり、困惑した様子で周囲を見回す。


「桜花!」


 オロチはたまらず、蘇った主を力任せに抱きしめた。


「オロチ……どうしたのですか? それより私はあの時、全ての魔力を使い果たしたはず……? 魔障の王は倒せたのですか?」


「んなこたぁどうでもいい! 今は黙ってオレに身を委ねやがれ、クソ主が……!」


 桜花は、オロチの肩が震えていることに気づいた。最強の従魔が、子供のように嗚咽を漏らしているのだ。


「貴方、泣いて……? いえ、すみません、オロチ。心配をかけました」


 桜花はそっと呟くと、慈しむように最強の従魔の頭を撫でた。


 ビャクガの腕の中でも、ユカラが小さく吐息を漏らした。「ビャクガ……」と、夢心地のままその名を呼ぶ。


「ユカラ……! 良かった、オレの愛しい巫女。よくぞ冥府より舞い戻ってくれた」


 奇跡は成った。しかし、それはあまりに不完全な奇跡だった。

 次の瞬間、歓喜は再び絶望へと塗り替えられる。

 ドクン、と心臓の音が不吉に轟くと、蘇った三人は苦しそうに呻き、再び意識を失った。


「リンちゃんの身体が透けている……? どういうことだ、これは!」


 彼女たちの肌は陽炎のように揺らめき、その存在自体が消え入ろうとしている。

 

「……やはり、不完全な触媒では長くは持たぬか」


「ビャクガ、分かっているならおじさんにも分かるように説明してくれ! このままじゃリンちゃんが消えちまうよ!」


 アズマは錯乱しかけたかのようにビャクガの襟髪を掴まんばかりに詰め寄る。

 ビャクガは悲痛な眼差しで、腕の中のユカラを見つめたまま答えた。


「ただの人であるアズマや我ら従魔の魂魄を分け与えたとて、始祖の魔法使いという巨大な器を満たすには至らぬのだ。完全に蘇生させるには……圧倒的に『魂の質量』が足りない。妖怪王の名が聞いて呆れることよ」


「それで、どうすればいい⁉ 教えてくれ、ビャクガ!」


 アズマの絶叫に、ビャクガはただ悠然と答える。その腕が震えていた。さも自分も叫びたい衝動を堪えているかのように。


「始祖の魂を繋ぎ止めるには、同等の格を持つ魂を捧げるしかない。つまり、残りの始祖9人全員の魂を喰らわせねば、彼女たちは真の意味で現世に留まることはできぬ。いや、正確には――11人の始祖を捧げて、ようやく一人が完全に蘇る計算だ」


 その言葉の残酷さを、その場にいる全員が瞬時に理解した。

 世界に十二人しかいない始祖の魔法使い。今ここにいるのは、リン、桜花、ユカラの三人だけ。

 彼女たちを救うためには、他の始祖を狩り尽くすだけでは足りない。最後には、ここにいる『かつての戦友』同士で殺し合い、その魂を奪い合わなければならないのだ。


「……ふん、面白い」


 オロチが桜花を抱きかかえ、ゆっくりと立ち上がった。その背中からは、かつて世界を震撼させた魔皇子の威圧(プレッシャー)が放たれている。


「アズマ、ビャクガ。次に会う時は、貴様らの心臓をクソ主の神魔刀で貫く時だ。……桜花を救うのは、この魔皇子オロチ様だということを覚えておきやがれ」


「……オレも、ユカラを譲るつもりは毛頭ない。彼女はオレの半身。何を犠牲にしようとも救って見せる。それこそ我が命や友と呼んだお前達も例外ではない。次に会う時は敵同士だ」


 ビャクガがユカラを背負い、冷徹な決意を秘めて闇の中へと消えていく。


 残されたアズマは、透き通るほど白いリンの頬を震える手で撫でた。


「ごめんな、リンちゃん。おじさんは……君のためなら、何にだってなってやる。たとえ、世界を敵に回す最悪の殺人鬼になったとしても」


 時間は少し遡る。

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