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【第八話】池のほとり

「んー。涼しくなって来たわねー。秋も近いのかしら?」

 ベンチに座って話をしていたんだけど、話題が途切れた時にそんなことを言い出した。

「この暑さで?」

「水」

「水?」

「そ。見てたらなんか涼しくならない?」

 そう言って杏香の目線の先を眺めてみたら、池に浮かぶ鴨の姿があった。

「そうだな。今度プールにでも行こうか」

「あ。やーらしー。私の水着、見たいの?ワンピース?いや、そう言うということはビキニかな?」

「どっちにするのかはお任せかな。なんかカップルっぽいじゃん。プールとか」

「あら。驚いた。てっきりいつものような付き合う雰囲気で三ヶ月を過ごすのかと思ってた。でもカップルかぁ。ね、今、私たちを見た人たちはカップルって思ってくれるのかな?」

「制服姿の男子高校生をたぶらかしてる女子大生」

「ひどい」

「冗談だって。見えるんじゃないのかな。カップルに」

 僕はそう言ってから、水に浮かぶ鴨を目線で追いながら、自分は杏香のことをどう思っているのかなんて考え始めた。

「圭介はさー。したことある?」

「なにを?」

「キスとか」

「あるように見えるか?」

「ってことは純香とはまだしてないんだ」

「付き合ってもいないのに、してたら事だろ」

「そんなもんかな?なんかいい感じの雰囲気になって〜、みたいなのなかったの?」

 正直、いい感じの雰囲気になったことはある。が、キスなんて考えなかったな。あれは後から考えたら恥ずかしかったな、って思うようなことだ。

「そんなことを言う杏香はあるのか?」

「あるって言ったら?相手が気になる?」

「まぁ、大学生だし彼氏の……」

「居たことない、ってさっき言ったじゃない。だからお試しなんでしょ?」

 そう言って僕の方から視線を逸らしてから両手を膝の下に差し込んでサンダルを履いた足を持ち上げてプラプラし始めた。

「靴、飛んでいくぞ」

「池までは飛んでいかないでしょ。それより、どう?」

 杏香はそう言って僕の方を見てきたので、僕もそちらを向いたら自然と視線が合ってしまった。そして杏香が目を閉じてきたので、否が応でも杏香の唇に視線が移る。女の子の唇なんてまじまじと見る機会なんてないからグロスリップの塗られた唇が異様に艶かしく感じてしまった。

「もう」

「いや……」

「一応、待ってみたんだけど」

「いや、そんないきなりはさ。そういうのはもっとこう……」

「してくれる予定、あるんだ。そうかそうか」

「いや。だから……」

「ないの?」

 杏香はいつもこんな感じだ。僕の選択を自然に狭めて自分の思惑に嵌めてゆく。今回のキスだって選択肢が狭められてしまった。ここで「そんなつもりはない」と言うのは簡単だが、「勿体無い」という気持ちもある。一般的な高校生なんだ。そういうことに興味がないなんて嘘になる。

「その……。その時が来たら考える」

「そか。なんかごめんね。言わせたみたいで。でもしたみたいの。キス。でも誰か知らない人っていうのも怖いし」

「キスをしようってくらいになる人だったら知らない人にはならないんじゃない?」

「圭介はいいの?私がそうなっても」

 杏香とは三ヶ月後に家族になる。否が応でもこの関係は終わる。そうなったら杏香は別の誰かと付き合うことになるだろう。いや、すぐに彼氏が出来るのかは分からないけど。でも多分、杏香は何人かには告白でも受けているに違いない。考えたくはないけども。

「そうだ」

「なに?」

 生徒会長から言われた事。既に書記と接触していたら。一応確認しておいた方がいいだろう。

「あのさ。顧問の件なんだけど」

「あ。あれでしょ。私が何かしでかすとか思ってるんでしょ」

「しでかす気でいるのか」

「べーつにー。でも。純香が生徒会に入ったら分からないかな。誘われてるんでしょ?純香」

 何で知っているのかは分からなかったけども、事実は否定するとロクなことにならない。

「そうみたいだな。でも純香は断ってるみたいだけど」

「そうなんだ。真面目ちゃんだなぁ。あ、でも私が顧問になったら余計に入りにくくなるかな。私、辞退した方がいい?」

 少なくともその方が純香が生徒会には入り易いだろう。でも断ってるみたいだし特に問題は……。

「あー、でも杏香は何かしでかすかも知れないしなぁ。純香に見張ってて貰わないとダメかも?」

「さっきも同じようなこと言われた。そんなに信用ない?」

 今の杏香はどんな感じの性格なのか、短いなりに少し分かった気もするけど、昔とは大分違う。昔はもっと思慮深くて、いつも一歩先を歩いていたような。今の杏香は感覚で生きているような気がする。

 杏香はパタパタしていた足を止めてヒョイと立ち上がって僕の方に向いてきた。

「なに?」

「へへーん。これなーんだ」

 そう言って取り出したものは、ひどく懐かしいものだった。

「まだ持っていたのか」

「一応、思い出の品だし?」

 純香が見せてきたのは家の鍵にぶら下がった猫のキーホルダー。僕がガチャガチャで引いたものなんだけど、せがまれて杏香にあげたものだ。この時のお願い攻撃が凄くて記憶に残っている。

「でも。安心した。覚えていてくれたんだ」

「あれだけお願いされたんだし。逆に捨てられてたら残念だよ」

「そうね。それでさ。どうするの?」

「ん?顧問の話か?純香の生徒会入会の話か?」

「違うわよ。キス、の話」

 まだ引っ張るのか。と思いながらも杏香が本気でそう思っているのかと思うと心拍があがるのが分かった。

「そのさ。一応、この先に家族になるんだろ?そういうのは禁断のなんとや……」

 僕がヤキモキして言い訳してたら強引に両頬を掴まれて引っ張られた。そして強く引いた手が緩んだと同時に唇に柔らかくて暖かい感触が伝わってきた。

「ふんっ!」

「ちょ……」

「なんかいつまで経っても無理っぽいから。本当はこういうの男の子の方からするもんでしょ?でも圭介はそういう感じでもないし。どう?感想は?」

 感想。ちょっと荒れた唇だったけどもそれで良かったのか、とか皮脂が杏香の両手に付いたりしてないだろうかとか、本当にどうでも良い気持ちがぐるぐる回る。

「感想。早く」

「あ、ああ。なんか終わってみたらあっさりしていたというか。でもびっくりした」

「あっさり。そう?」

 そう言って杏香は今度は身体を屈めて僕の顔と九十度に交わって再びキスをしてきた。

「嫌なら避ければいいのに」

「嫌とかそういうのじゃないから……」

「そう?それじゃ今度は圭介の方から。……。ん!」

 そう言って杏香は目を閉じて顎を上げている。立ち上がって僕が少し顔を下げれば丁度良い位置に唇が待っている。僕はどうすればいいのか気持ちが定まらない。

「ん!」

「分かったよ……」

 僕は立ち上がって杏香の頬に右手を当てた。とても暖かくて柔らかい。そしてゆっくりと唇を近づけて行って……。

 

「あら!こんなところで!ごめんなさいね!邪魔しちゃって!」

 明らかに邪魔をしに来たオバチャン。犬を引っ張ってこっちに歩いてきて僕と杏香の横を通り過ぎていった。

「ふふ。雰囲気壊れちゃったね」

「そうだな」

「もう一回やりなお……さなくていいや。まだ二ヶ月以上あるんだし、圭介がその気になったら教えて。襲ってあげるから」

「いや、襲うって……」

 冗談を言ってるつもりなんだろうけど、今の杏香ならやりかねないな、とか思いながら僕は頭を掻いて気分を誤魔化していた。

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