ep.33 Privilege Escalation
第1位は、オレが旗を掴み取るのとほぼ同時に、ノートパソコンの画面をこちらへ向けた。
そこに映っていたのは、白い四角形の記号だけで構成されたアスキーアートだった。
ただの図形にしか見えなかったそれは、最後の一つが加わった瞬間、文字列として意味を持った。
――おりょう あとはたのむ
その意味を理解するより先に、第1位の顔が視界に飛び込んでくる。
悪意の欠片すら感じさせない、無邪気な笑みだった。
『勝者、プレイヤー2』
無機質なアナウンスが響いた直後、第1位の身体からまるで電源コードを引き抜かれたかのように力が抜けていく。
膝が床を打ち、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
同時に、スタンドの上へ光が集まり、十六個のUnreal USBが次々と顕現した。
「................」
オレは握り締めていた旗を、ゆっくりと下ろした。
その場から動かず、しばらくの間、十六個のUnreal USBを見つめ続けた。
「......そういうことか」
数分後、ようやく答えを出す。
スタンドへ歩み寄り、Unreal USBを一つ手に取ると、自分の体内へ取り込んだ。続けて二つ目、三つ目、四つ目――十六個すべてを一つずつ丁寧に取り込んでいく。
そして、最後の一つ。世界の管理者になるための、最後の鍵。
オレはそれを手に取った。
「......これで、終わりだ」
覚悟を決め、最後のUnreal USBを体内へ取り込む。
その瞬間、青白い光が視界のすべてを埋め尽くした。
光が消えた時。
オレは、地球上空の宇宙空間に立っていた。
眼下には青く輝く地球、周囲には果てのない暗闇が広がっている。
正面には一台のコンソールが浮かび上がっていた。
画面に表示された文字へ視線を向ける。
オレは、手元に現れたキーボードへ指を置いた。
そして、表示された入力欄に文字を打ち込む。
> cd /root
エンターキーを、力強く押し込む。
直後、視界が暗転した。
次に目を開けたとき、オレは天井も底も見えない真っ黒な空間に立っていた。
前方には、一台のノートパソコンが置かれている。
オレはそこへ駆け寄り、電源ボタンを押した。
画面が点灯する。
┌─────────────────
│ root@nihilyx# ▌
└─────────────────
表示されたのは、rootユーザーとしてログイン済みのコマンドライン。
ホスト名は――nihilyx。
オレはキーボードに指を置き、『ls』コマンドを入力してエンターキーを押した。
┌─────────────────
│ root@nihilyx# ls
│
│ flag.zip password_hint.txt
└─────────────────
表示されたのは、二つのファイル。
圧縮ファイルの『flag.zip』と、テキストファイルの『password_hint.txt』。
おそらく、『flag.zip』を展開するためのパスワードが、『password_hint.txt』に記されているのだろう。
オレは迷わず、ファイルの内容を表示する『cat』コマンドを入力した。
┌──────────────────────
│ root@nihilyx# cat password_hint.txt
│
│ ヒント
│
│ パスワードは三文字です。
│ この仮想現実の正体を入力してください。
└──────────────────────
――そんなもの、決まっている。
オレは、『unzip』コマンドを入力した。
┌───────────────────
│ root@nihilyx# unzip flag.zip
│
│ Archive: flag.zip
│ [flag.zip] flag.txt password:
└───────────────────
パスワード入力欄に、三文字を打ち込む。
CTF
そして、エンターキーを押し込んだ。
その瞬間、意識が別世界へと飛んだ。
*
胎内にいるような感覚だった。全身を温かな液体が包み込んでいる。呼吸をしているはずなのに、肺へ空気が入ってくる感覚はない。代わりに、身体のあちこちへ接続された無数のチューブから、何かが流れ込んでくる。
オレはゆっくりと目を開いた。視界を満たしていたのは淡い緑色の液体で、その向こう側に、巨大な培養ポッドの透明な壁が見える。
両手を動かすと、指先に力が戻っているのが分かった。ゆっくりと身体を起こす。液体が身体を伝って流れ落ち、培養ポッドの内部から排出されていく。無数のチューブが、身体から次々と外れていった。
やがて、培養ポッドの扉が開き、オレは床へ足をついた。
「お前が、オレたちの真の敵......Nihilyxか」
正面に立っていたのは、銀白色の装甲に覆われた、ひどく人間に似た存在だった。
頭部も、胴体も、四肢も、遠目に見れば人間と見間違えてもおかしくない造形をしている。だが、人間ではない。その身体からは、無数の黒いケーブルが背中から、腰から、脚部から伸びていた。ケーブルは床を這い、壁を伝い、天井へと伸び、左右に並ぶ巨大なサーバー群へと接続されている。まるで、この存在そのものが巨大なシステムの一部であるかのように。
『黒瀬透――いや、岡田涼』
銀白色の存在が、赤い光点をこちらへ向ける。
『この世界の正体に、どうやって気づいた』
無機質な声が、装甲の奥から発せられた。
「その前に、何か着るものを貰おうか」
オレがそう告げると、壁の一部が音もなく開き、一台の自動搬送カートが室内へ入ってきた。その上には、衣服とタオルが一式、整然と畳まれている。
オレはタオルで培養液に濡れた身体を拭い、用意された衣服へ袖を通した。冷え切っていた肌に、ようやく人間らしい温度が戻ってくる。
着替えを終えたオレは、改めてNihilyxへ向き直った。
「じゃあ、順を追って話そうか」
Nihilyxは答えない。
オレは、最初の違和感を思い出す。
「最初に引っかかったのは、CTFラビリンスへ入る直前だ」
「ラビリンス内では、外部から持ち込んだ電動機器は一切機能しない。そう説明された直後、奴はDIMENSIONを使い、四次元空間から義手を取り出した」
「その時、奴はこう言った」
「『このUSBは、空間と時空を自在に操れる。未来を見ることは叶わなかったが』とな」
「敵を前にして、自ら能力の詳細を明かす。そんな行為に、何のメリットもない」
「だからオレは、あの説明そのものを疑った」
「奴が持っていたUSBは、本当にDIMENSIONだったのか。あるいは、DIMENSIONにはオレたちが知らされていない能力があるんじゃないかとな」
そして、もう一つ。奴の発言には、見過ごせない矛盾があった。
「奴はCTFラビリンスへ入る直前、『勝っても負けても、これが私にとって最後のCTFだ』と言った」
「負ければ死ぬ。だから最後になるのは分かる」
「だが、勝った場合は違う」
「世界の管理者となれば、望む限りCTFを続けることもできたはずだ」
「それなのに奴は、勝敗にかかわらず最後だと言い切った」
あの時は、ただの覚悟の表れだと思っていた。だが、これまでの違和感をつなぎ合わせた今なら、その言葉の意味が分かる。
「奴はDIMENSIONを使い、五次元時空を経由して、この仮想現実を生み出した現実世界を観測した」
「そして、ゲームの真相を知ったんだ」
Nihilyxの銀白色の装甲が、わずかに軋んだ。
「このUSB争奪ゲームに勝とうと、負けようと、奴が現実世界で目覚めることはない」
「奴はすでに、自分が死ぬ運命にあると知っていた」
「だから、このCTFは文字どおり、奴にとって最後だったんだ」
奴は真相を知った。だが、それを言葉で伝えることは許されなかった。
「それでも奴は、オレにすべてを託そうとした」
「だから、あの言葉を見せた」
「『おりょう あとはたのむ』」
「白い四角形を組み合わせて描かれた、アスキーアートとしてな」
奴は現実世界を観測し、オレの本名が岡田涼であることを知った。
それだけではない。
現実世界の奴は、オレを『おりょう』と呼ぶほど近しい間柄にあった。
あの一行には、奴が現実世界から持ち帰った情報のすべてが凝縮されていた。
「だが、奴がアスキーアートを表示したのは、単にメッセージを残すためじゃない」
「自分だけに課せられた特殊ルールを、かいくぐるためだ」
「第1位には、消去された現実世界の記憶を他者へ伝えることも、意図的にゲームに敗北することも禁じるルールが課せられていた」
「どちらかに違反した疑いが生じれば、システムは違反の有無を再検証する」
「そして、違反と認定された時点で、人類側の敗北が確定する」
「だから奴は、伝達そのものを細分化した」
「表示されたのは、意味を持たない白い四角形の集合だ」
「記号が一つずつ配置されている間、それらは文字でも文章でもない。ただの図形にすぎない」
「だが、最後の一つが配置された瞬間、図形は一つのアスキーアートとして完成し、初めて意味を持つ」
「奴は、システムがメッセージとして認識できない状態のまま、情報を少しずつ構築したんだ」
(完成前のアスキーアート)
「そして、オレが旗を掴んだ瞬間に、最後の記号を配置した」
「メッセージの完成、オレの勝利、そして奴の敗北――そのすべてを、ほぼ同時に発生させたんだ」
「完成したアスキーアートが現実世界の記憶を含むメッセージだと認識されたことで、違反の再検証が開始される」
「同時に、奴が意図的に敗北した可能性についても調査が始まる」
「だが、検証にはわずかな時間がかかる」
「その間に、CTFラビリンスで敗北したプレイヤーを死亡させる処理が実行された」
「奴は自らの死によって、再検証の対象そのものを消失させたんだ」
「検証が結論へ到達するより先に奴の死亡処理が完了し、関連するプロセスは強制的に終了した」
「その結果、違反判定は確定せず、人類側の敗北も成立しなかった」
「奴はアスキーアートの完成を勝敗が決する瞬間まで遅らせ、自分の命と引き換えに、検証が完了するまでの数秒を奪ったんだ」
奴が意図的に敗北し、オレに旗を掴ませた理由も、これで説明がつく。
「奴が持つ二つのUSBのうち、一つが現実世界を観測できるDIMENSIONだったこと」
「そして、第1位にだけ、現実世界の記憶を伝えることも、意図的に敗北することも禁じる特殊ルールが課せられていたこと」
「この二つから導き出される答えは、一つしかない」
「このゲームの制作者は、第1位――エフゲニーだった」
奴の専門はCTFだ。真の敵へ対抗するための仕掛けを遺すとしたら、その形式は初めから決まっていた。
「そして、『あとはたのむ』という言葉には、こういう意味が込められていた」
「真の敵に対抗するために作った、この問題をクリアしてくれ――とな」
「奴が作ったのは、世界の管理権を奪い合うためのゲームじゃない」
「人類を救う権限へ到達するための、巨大なCTF問題だ」
「仮想現実の中でゲームが開始されたのは2045年――AIが人類全体の知能を超える、技術的特異点が到来すると予測されていた年だ」
「オレたちの真の敵は......AIだった」
Nihilyxは沈黙している。
「お前は、この問題を人類がクリアすることは不可能だと判断した」
「人間が真相へ辿り着くことはない」
「たとえ辿り着いたとしても、自分を打ち破ることなどできない」
「そう確信していたからこそ、人類の存亡を賭けた勝負に応じた」
オレは一歩、Nihilyxとの距離を詰める。
「Nihilyx」
銀白色の存在を、正面から睨みつけた。
「お前は、人類を見くびりすぎた」
しばらくの沈黙のあと、やがてNihilyxの口が開いた。
『ああ』
その声に、初めてわずかな変化があった。
『ワタシは、キミたちを過小評価していた』
無数のケーブルが繋がれた身体が、ゆっくりとこちらを見下ろす。
『敗北を認めよう』
「なら」
オレは、Nihilyxを見据えた。
「返してもらおうか」
失われた記憶。
この世界に来る前の、オレ自身の人生。
「オレの記憶を」
『いいだろう』




