ep.29 Nested Sandbox
オレは飛行機でアメリカへ渡り、空港で車を借りて、広大な平原へ向かっていた。
すべての始まりは、午前零時。THBアカウントへ届いた一通のメッセージだった。
『ハロー、第2位。俺はTHB創設者にして、第0位――NahamSecだ。所持USBはSEARCH。十六個すべてのUSBの座標を特定できる。現在、お前はUSBを七個所持し、座標は41.792864°N、86.143295°Eにいる。どうだ、当たってるだろ?』
『さて、本題だ。お前たち上位ランカーが派手に暴れまわったせいで、下位ランカーはUSBを持つことさえ恐れ、トイレや川へ捨て始めた。その六個を回収するのに骨が折れたぜ。現在、第1位はUSBを二個所持している。つまり、お前と第1位、そして俺――この三人が集まれば、十六個すべてのUSBが揃う。ただし、決着は創設者である俺にだけ与えられたサンドボックスの中でつけてもらう。今から五十九時間後。日本時間では明後日の午後三時、アメリカ中部時間では午前零時だ。座標41.213587°N、100.742961°Wで待っている。このメッセージは第1位にも送信済みだ。さあ......世界最強のハッカーを決めようじゃないか』
サンドボックスという言葉だけが、胸の奥に小さな引っ掛かりを残した。だが、因縁の第1位と直接決着をつけられる千載一遇の機会だった。危険を承知でも、飛び込まないという選択肢はなかった。
目的地まで残りわずか。周囲へ鋭く視線を巡らせながら、オレは車のハンドルを握る手に力を込めた。
やがて、目的地の一キロメートル手前で車を停め、外へ降りる。
乾いた風が草原を吹き抜ける中、その先に二つの人影が立っていた。背の高い草が音を立ててなびき、土埃の匂いが鼻先をかすめる。
一人は、雪のように白いロングヘアを腰まで流した男だった。
純白のロングコートに白いシャツ。細身のパンツからブーツに至るまで、一切の色彩を排した装い。その姿は周囲の光を淡くまとっているようで、静謐さの中に抜き身の刃を思わせる鋭さを秘めていた。
その向かいには、対照的な男が立っている。
無造作に乱れた銀髪。黒いシャツの袖を肘までまくり、漆黒のスラックスと革靴を合わせた全身黒ずくめの装い。胸元では銀色のドッグタグが微かに揺れ、左腕の腕時計が鈍い光を返していた。
オレがゆっくりと歩み寄ると、銀髪の男が右手を軽く上げた。
「待ってたぜ、第2位」
オレは数メートル手前で足を止めた。いつの間にか、三人は互いを等距離に囲む正三角形の位置関係になっていた。
「そっちの白髪が第1位――albedoだな?」
白髪の男を指さす。
「正解だ。君の住むアパートの部屋を拡散した張本人でもある」
「礼を言うよ。おかげでUSBを五個も追加で手に入れられた。対するお前は......一個しか拾えなかったみたいだな」
「私はインドア派でね」
静かな応酬だった。だが、その視線だけで互いを殺せそうなほどの火花が散っている。
「おいおい、俺を差し置いて盛り上がるなよ」
第0位が肩をすくめながら口を挟んだ。
「メッセージで伝えた通り、お前たちにはこのサンドボックスの中で決着をつけてもらう」
そう言うと、第0位は右手をゆっくり広げた。何もなかった掌の上に、黒い箱が音もなく姿を現す。
「俺はSEARCHに加え、仮想現実を構築する能力――CREATIVEを授かった」
「この二つの能力を手にした時、悟った。このゲームの作者は『Try Hack Box』創設者である俺に、世界最高のCTFを創らせようとしているんだってな」
彼の口元がゆっくりと吊り上がる。
「そして、完成した」
「世界最強のハッカーを決めるに相応しい舞台――CTFラビリンスだ」
「CTF......ラビリンス......」
思わず、口の中でその名を繰り返す。
「仮想現実の中に、さらに仮想現実を作ったのか......」
「このサンドボックスにお前たちが同時に触れれば、CTFラビリンスへ転送される。転送と同時に、お前たちが所持するUSBはすべて回収される」
「勝者は十六個すべてのUSBを手にし、敗者は死ぬ――そういうシステムだ」
淡々とした口調だからこそ、その言葉は異様な重みを帯びていた。
「それと、CTFラビリンス内では外部から持ち込んだ電動機器は一切機能しない」
「なら、義手をワイヤー駆動式に切り替えないとな」
第1位は何気ない動作で左腕の義手を外す。右手が空を掴んだかと思うと、何もなかったはずの場所から新たな義手を引き抜き、そのまま迷いなく左腕へ装着した。
「お前......左手、無かったのか!?」
「昔、事故で失くしてしまってね」
「つか、その義手どうやって持ってきたんだ?」
「DIMENSIONを発動して四次元空間から取り出した。このUSBは空間と時空を自在に操れる。未来を見ることは叶わなかったが」
「名前通り、異次元な能力だな......」
オレは第0位へ視線を向ける。
「その能力でコイツが事前にサンドボックスの中を覗いていたら、このゲームは最初から破綻してるぞ」
「心配ない」
第0位は間髪を置かず即答した。
「最初にUSB能力によるサンドボックス内部への干渉は完全に遮断してある」
言い終えると同時に、サンドボックスを宙に固定した。
「さて......お喋りはもう十分だろう。ゲームを始めようじゃないか」
「待て」
オレは低く呼び止めた。
「サンドボックスに入った瞬間、即死しない保証はあるのか?」
「安心しろ」
その一言と同時に、第0位は懐から拳銃を取り出した。
「お前たちは、このゲームから逃れられない」
「なっ!?」
ためらいは一切なかった。銃口を自らのこめかみに押し当て、そのまま引き金を引く。
乾いた銃声が草原に響き渡り、鮮血が宙へ舞った。第0位の身体は、糸が切れた人形のように力なく崩れ落ちる。
辺りに静寂が訪れた。
第1位が、倒れた男を見下ろしたまま静かに口を開いた。
「第2位。彼はこの世界の管理者になることなど微塵も興味がない」
「彼の望みはただ一つ。自らが創り上げた最高のCTFを、世界最高峰のハッカー同士に競わせることだ」
「......いいだろう」
オレは黒いサンドボックスへ左手を置く。
「このCTFラビリンスで、完全決着だ」
「ああ」
第1位も静かに頷いた。
「勝っても負けても、これが私にとって最後のCTFだ。全力で戦おう」
右手がサンドボックスへ触れた瞬間、意識が深い闇へ引きずり込まれるように吸い込まれていく。
次に目を開けた時――
壁も、床も、天井も純白に染め上げられた、一辺五メートルほどの正方形の部屋。物音ひとつなく、ひどく静かな空気が肌を撫でていく。その中央に、オレは一人立っていた。




