15.星に願いを
オフィスの壁にかかっている時計にちらりと視線を向けるとちょうど定時を過ぎたところだった。いつもよりも仕事が少なかったのと、調子が良くて今日の分の仕事は少し前に終わってしまっていた。だから明日以降にやろうと思っていた分も少しだけ手をつけていたのだ。
ヴーヴーとスマホが通知を知らせた。確認すると悠真くんからメッセージが来ていた。
『お仕事お疲れ様!今日は定時で上がれそうって言ってたけどどうなったかな?
もしまだ頑張るんだったら俺のことは気にしないでね!』
昼過ぎの休憩の時間に今日は定時で終わると思うと連絡していた。そう、今日は平日デートに行こうと思っているのです!
『予定通り終わったよ!今から会社出て駅に向かいます』
返信をした後、パソコンの電源を落とすとサッと荷物を鞄に詰めて化粧しに向かう。
デートという仁義なき戦いの前にはやはり武装しないとね!
会社を出て、さあ駅に行くぞ!と一歩踏み出したその時
「舞さーん!」
駅で待ち合わせするはずだった悠真くんがいた。
「ふふ、驚いた?実は用事が早く終わったからここで待ってたんだ」
「うん。びっくりしたよ。その、スーツすごく似合ってるね」
そう。いつもの私服じゃなくスーツを着た悠真くんがいた。しかもすごく似合ってる。似合い過ぎてる。どうしよう、私の心臓がバックバクになってるんですけど!
「ああ、これ着替える時間なくてね。舞さんに似合ってるって言ってもらえるならこのまま来て良かったかも、なんてね」
にっこり笑う悠真くんが眩し過ぎてそろそろ限界です。
しかし、私のか弱い心臓に全く配慮のない展開が待っていたのです。
「それじゃあ行こうか」
と言うと私の手をサッと握って歩き出したのです。
私の脳は活動を停止した。
気がつくと駅の改札が見えてくるところまで来ていた。完全にタイムスリップ。
あまりの展開に手汗が時差で出てきたよね。
そう、実は私達まだ手を繋いだこともなかったのです。デートはしたよ?したけど、こういったことはまったくしていなかったの。今まで彼氏もいたことない私が男子と手を繋ぐとかそれこそ中学の自然教室のフォークダンス以来ではないだろうか。
「ゆ、悠真くん。ちょっと恥ずかしい、かも…」
あまりにも恥ずかし過ぎて語尾とかめっちゃちっちゃな声になってしまった。
「ん?何が?」
キョトンとする悠真くん。顔がいいですね。
「だから、その、手が」
手が、手がぁぁぁあ!!!って感じなんです!と内心叫ぶ。が、当然現実ではカスッカスにかすれた声が絞りでただけだった。だってほら緊張で喉がカラカラに乾いてしまっているから。免疫なくてごめんなさい!
「あ!ごめん。嫌だった?俺調子に乗っちゃったかも」
申し訳なさそうにシュンとしてしまった。悠真くんのこの表情に私は非常に弱い。
「いや、その、嫌とかじゃないんだけど…」
しどろもどろになんとかそう絞りだす。だってほら、あまりにも不慣れなものでごめんなさい。
「ふふ、ごめんね。舞さんが可愛くてちょっと意地悪しちゃった。もう駅だから一旦解放してあげるよ」
ようやく手は解放されたものの、いたずらっ子みたいに笑うものだから余計にドキドキしてしまうことになった。完敗です。
前にスマホで見ていて美味しそうだねって話していたお店に到着した。人気のお店らしいけど、その時に予約もバッチリしていたのでスムーズに席に着くことができた。そう、本日のデートの目的はずばりここのおすすめ料理を食べること。
だけど正直さっきの『初めての手繋ぎ』で割とお腹いっぱいになってしまった。いや、しょうがないでしょ…あれは!あれはずるい!
世のカップルはあんな心臓がもげそうになりながらも楽しそうに手を繋いでいるのかと思ったらなんかもう、カップルすごいよ!尊敬するよ!!
などと思っていたけれど、注文した料理が来るのを待っている間にお店の中に漂う美味しそうな香りが鼻をくすぐり気がついたらすごくお腹が空いてきた。ええ、よく食い意地が張っているねって言われますとも。
悠真くんと他愛のない話をしていると、
「舞さん、可愛い」
突然のびっくり発言が前から降ってきた。驚いたせいか変なところに空気が入ってゴホッと咽せてしまう。
ん、ンンと息を整えて前を向くと何故か顔を赤くしたイケメンがいる。
「いや、えと、違う。うそ、違うわけじゃないんだけど、その、ついぽろっと思ってたことが口から出ちゃったみたい」
さらに耳まで真っ赤になった悠真くんが俯いてしまった。
「えっと、うん。そっか…ありがとう?」
何故か疑問形でお礼を言ってしまった。非常にポンコツである。
いや、仕方ない。きっと私も真っ赤になってしまったに違いない。だって頬から火が出てるんじゃないかってくらい熱い。恥ずかしくなって私も下を向いてしまった。
その後、お互い妙にソワソワしてしまって変な空気になってしまった。
料理が到着し、この店1番の人気メニュー・チーズデミグラスハンバーグを食べているうちにそんな空気もどこかに散っていった。私達の共通点として、美味しいものが大好きってことが挙げられますからね。美食は世界を救うからね!
いや〜チーズとデミグラスソースの相性が良すぎる!
「すっごく美味しかったね!」
「うん。今度2人で一緒に作ってみたいな」
「いいね〜悠真くん料理上手だからいろいろ教えてもらいたいな」
すっかりお腹いっぱい大満足で店を後にした私達は夜の街をゆったりと歩いていた。
「舞さん、この後もう一箇所行きたいところがあるんだけどいいかな?」
時刻は20時半を少しすぎたあたりだ。
「うんいいよ〜どこに行きたいの?」
「やった!それはね、着いてからのお楽しみだよ」
嬉しそうな悠真くんが、それじゃ付いてきてねって言ってまたしても私の手をするりと握った。
「…プラネタリウム?」
着いたのは『ようこそ星の館へ』という文字と何やらデフォルメされた星の妖精らしきキャラクターが描かれた看板のある建物だった。
「うん。俺のお気に入りの場所なんだよ。舞さんにも見て欲しいなって思ったから連れてきちゃった」
「そっか…ありがとう」
お気に入りの場所ってすごく大事なものだと思う。そんなところを教えて貰えたのってすごく、嬉しい。胸のところがじんわりと温かくなっていくのを感じる。
またこの場所に悠真くんと一緒に来れますように。スクリーンの空をきらりと掠める流れ星に思わずそう願ってしまった。
チケットを2枚買ってフカフカのシートに座るとすぐに上映が始まった。
頭上にいつもは雲や街の明かりに阻まれて見ることができない多くの星々が映し出される。飛び込んでくる美しい光景、それに合わせて解説ガイド音声とBGMがさらにこの空間を特別なものにしている。
目を凝らして無数に浮かぶ星々を眺めて、ふと隣を見ると悠真くんと目があった。視線が合うとフッと優しく微笑まれ、肘掛に置いていた手が温かいものに包まれる。それは本日3回目となる私と彼の手が重なった瞬間であった。
私は日常生活では味わえない夢のような空間に心が躍り、それでいてとてもリラックスしてしまったようで夢と現実の境界線も溶けて無くなりそうと自覚する前に眠りの国へと意識を飛ばしてしまった。
遠くで私を呼ぶポカポカと温かい声が聞こえた気がしたけど多分これも夢の一小節に違いない。
______________________________
隣からすぅすぅと聞こえてきたから多分そうだろうと思っていたけど、やっぱり舞さんは眠ってしまったようだ。今日は定時で上がれたみたいだけど、最近忙しそうにしていたし疲れが溜まっていたのではないだろうか。それなのにご飯だけじゃなくてここにも連れてきてしまって申し訳なく感じる。
「舞さん、舞さん」
そっと声をかけて肩を揺さぶってみるもののむにゃむにゃと起きる気配がまるでない。それどころか肩に置いた俺の手に頬をすり寄せてきたのだ。なんだこの可愛い生物は!!!思わず今はもうただの暗闇が広がっている天を仰いでしまった。
俺の思い出の場所であるこのプラネタリウムを彼女も気に入ってくれたようで嬉しかった。キラキラと映し出される星々よりも輝く瞳で上を見上げていた彼女がふとこちらを見て目があった時、思わず抱きしめたくなってしまったけれど手を重ねるだけになんとかとどめた。俺もまだまだだよなぁ。
舞さんは本当に無防備すぎる。今日も手を繋ぐとすごく可愛い反応をしていたし、何気ない仕草がとても可愛くて思わず口に出てしまった時は俺もだけど舞さんもすごく照れていてそれもすごく可愛かった。よく今まで無事だったものだ。とここまで考えてああそうか、あの幼なじみたちがなんやかんやとガードしていたに違いないと思い当たる。彼女の幼なじみである3人の顔が脳裏を過ぎる。自覚してるのかしてないのかはともかくあの3人は舞さんにかなり執着しているのだろう。舞さんは気がついてないだろうけど。日野さんのマンションではかなりキツイ視線に晒されたものだ。
舞さんを抱き抱えるとタクシーを呼んでそのまま彼女の家に連れて帰った。腕の中で気持ちよさそうに眠っている彼女を必死に理性をかき集めて手離しベッドに寝かせると彼女の家を後にした。
後でメールで事情を送っておけば大丈夫だろう。きっと朝起きて、そのメッセージを読んであたふたするだろう彼女を思い浮かべるだけでなんだかとても幸せな気持ちになった。