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姫君は幾度も死ぬ  作者: 雨咲まどか
3.黒
14/18

ユバルと魔女


 リコリスは魔女と呼ばれていた。

 彼女が生まれ育ったユバルという国は、古くさい慣習が色濃く残る小さな国だった。老人達はユバルの国民として生まれたことに誇りを持てと繰り返し子どもに教え込み、他国の文化がユバルへ入ってくることを酷く嫌った。


 そんなユバルでは、魔術が使える者は皆不気味だと忌み嫌われていた。リコリスも例外でなく、周囲から迫害されて育った。魔術の使えるリコリスに面と向かって嫌がらせをする者こそいなかったが、誰も彼女に寄りつかず陰で囁くのだ。魔女だ。魔女に近付くと呪われるぞ。と。

 人々のその態度は家族にも向けられ、リコリスが十五になる頃には一家は息を潜めるように暮らすようになっていた。父の仕事は行商だったが、国内で上手くやりとりが出来なくなった。母と祖母が作った刺繍や布を他国へ売りにゆきその少ない稼ぎで生活をしていた。


「サンザシ。貴方は絶対に誰にも明かしたらいけないよ」


 リコリスは三つ歳の離れた弟に、何度もそう言い聞かせていた。

 弟のサンザシにも、魔術の才能がある。それに気が付いたのは幼いリコリスだった。弟には、自分と同じ目にあってほしくない。幸い、サンザシの扱える魔術はリコリスとは違い無意識に発動してしまうようなものではなかった。リコリスにも詳しくは分からなかったが、おそらく瞬間移動のような魔術だと思われた。

 リコリスに近付くと呪われる。ただの噂ではない。現実に、リコリスが使える魔術は呪いであったから。

 初めて魔術を使ったのは年の頃五つの時だった。近所の友達と喧嘩をして、思わず睨み付けると相手は急に転んで頭をぶつけた。命こそ落とさなかったが大怪我になり、リコリスは自身の能力を自覚して震えが止らなかった。


 魔術を上手くコントロール出来るようになっても、周囲の目の色は一向に変わらなかった。しかし、もういっそ国外へ逃亡しようかと家族内で話合いがされるようになった頃に事態は急変した。


 リコリスが十八になったばかりの日だった。

 力を付け始めた隣国のクローチアが、ユバルへの侵略を開始したのだ。クローチアはユバルの国力で太刀打ちできるような相手ではない。それなのにユバルの国王も国民達も、皆一向に屈しなかった。あっという間に窮地に立たされたユバルの王族たちが目を付けたのがリコリスだった。


 城へ招待されたリコリスと家族たちは、手厚いもてなしを受けた。受けたことのない扱いに目を白黒させていると大臣にリコリスだけが呼び出され、一つの命を告げられた。それはユバルのためにクローチアを呪えという、単純明快なものだった。


「やれば家族の生活は保障してやる。よく考えるんだな、どうするのが一番いいのか」


 にやけた大臣の顔を見て、ようやくリコリスは家族を人質に取られたことに思い至った。


「……呪うって、具体的にどうしろと言うのですか」


「そうだな。王と王子を暗殺するというのはどうだ」


 リコリスは言葉を失った。クローチアの王と王子を殺す。そんなことが、出来る訳はないではないか。


「人を呪うしか能の無いらしい魔女にうってつけの仕事だろう」


 大臣は呆然とするリコリスをあざ笑った。頭に血が上る。リコリスが詰め寄ると大臣は怯えたが、顎を上げて鼻を鳴らした。


「私を呪う気か。やってみればいい。この国の全ての人間を敵に回す覚悟があるならな」


 大臣はリコリスを置いて部屋を出た。はっとして扉を確認すると外側から鍵が掛けられていた。

 魔術師は万能ではない。狭い部屋へ閉じ込められたリコリスは何も出来ずに床にへたり込んだ。

 どうしてこんな力を持って生まれてきてしまったのだろう。リコリスが人を呪う魔術なんて使えなければ、家族もこんな事に巻き込まれずに済んでいたのに。全て自分のせいだ。自分さえいなければ、きっと今頃みんな、平凡な日々を過ごしていた筈なのに。


 リコリスはネックレスごと胸を押さえた。大きなルビーのネックレスは十八歳の誕生日に母から譲り受けたものだった。生活が困窮しても、売らなかった宝物。曾祖母の代から受け継いできたのだと言っていた。どんなに周りから邪険にされても、家族だけはリコリスを受け入れてくれていたのだ。

 呪いの力なんていらない。そう思うのに、頭の中で憎悪が膨らんでゆく。全て呪ってやりたい。ユバルもクローチアも、自分自身も。


 外の様子がまるでわからない部屋の中で時だけが流れてゆく。リコリスは固い床に横たわりただぼんやりと閉じた扉を見つめていた。

 気が狂いそうなほど長い時間が過ぎた。半日はたっただろうか。空腹は麻痺してしまったのかまるで感じない。


 不意に扉が軋む音がして、リコリスは上体を起こした。隙間から入り込んだ灯りが目を焼く。


「――姉さん」


 顔を出したのはサンザシだった。彼は少し言いよどんで柔和に微笑んだ。


「サンザシ!」


「姉さん、もう大丈夫だよ。解放して貰えることになったんだ。城を出て、どこか遠くの国で暮らそう」


「……本当?」


 掠れた声で問いかけるとサンザシはころころと笑った。


「本当だよ。明日の朝には出れるから、今晩だけ我慢してて。じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」


 言うだけ言って、サンザシは扉を閉めた。慌てて扉に駆け寄るとまた鍵がされていた。

 明日には解放される? 遠い国でみんなで暮らせる? 何故急に大臣は考えを変えたのだ。それにどうしてそれを、サンザシが伝えにきたのだろう。

 思考を巡らせて、リコリスは一つの答えに辿り着いた。


「――サンザシ! 待って! サンザシ!」


 喉から叫び声を絞り出す。何度も扉を叩いた。

 サンザシから答えはなく、代わりに忌々しいしゃがれ声が聞こえてくる。

「あいつなら、もう行ったぞ。いい弟を持ったなあ」


「どうして……」


「自分の方が暗殺に向いていると自分から言い出したんだ。瞬間移動だったか。あれならクローチア国王の寝首を取るのもたやすいだろう」


 リコリスは乾いた唇を噛んだ。血が滲んで口の中に生臭い味が広がる。

 サンザシのことだ。暗殺をする代わりに家族を解放するよう持ちかけたのだろう。あの子がすることでは、ないのに。


「ここから出して下さい。私がやります」


 四肢が震える。呼吸が不規則になって、立ちくらみがする。

 鍵穴が回される音がした。扉を開くと年老いた大臣と兵士が立っていた。


「ようやくその気になったか。愛国心の欠片もない魔女め」


「貴方たちは誇り高くなんかない。ただ臆病で、愚かなだけ」


 リコリスは声色に侮蔑を混ぜ込んで、吐き捨てた。子どもに暗殺を命じるなんてこの国はとっくに腐りきっていたのだ。

 怒号を背に受けながら廊下を駆ける。

 外に出ると、まだ日は高く明るい空から雪が降っていた。


 リコリスは長いローブを羽織り、馬に乗ってサンザシの後を追った。







 クローチアの城下町へ着いたときにはすっかり日が落ちていた。城にほど近い民家の陰で馬から下り、リコリスは付いてきていた兵士に先にユバルへ帰るよう告げた。


「ここからは私一人で行きます。戻ったらすぐに両親と祖母を解放して下さい。そうしないと貴方の身に不幸が訪れるよう呪いを掛けました。大臣にも同じようにしたので伝えて下さい」


 兵士はリコリスの言葉に畏怖し、小刻みに頷き馬にまたがると駆けていった。それを見届けてから、リコリスもフードを目深に被って歩き出す。

 雪は降り続けていた。ブーツの中まで濡れて、足先が冷たい。


 結局ここまでの間にサンザシに追いつくことは出来なかった。もう城に入り込んでいるのだろうか。どこかで思い直して引き返したのなら、それが一番いいのだが。

 城門へ辿り着き耳を澄ませると、兵士達が騒いでいるのが聞こえてきた。城内は混乱しているようだ。

 胃が冷たくなる感覚がして血の気が引く。サンザシがもう暗殺を決行してしまったのか。震えの止らない指先をぎゅっと握り込んだ。

 城内の混乱のお陰で、門番が一人になっている。リコリスは門番へ魔術を僅かに放った。城壁の端から振ってきた巨大な雪の塊が門番の頭に直撃する。門番が倒れた隙に城門を抜けた。

 植え込みの陰に身を隠す。走りながら兵士が交わしている会話が耳に届いた。


「捕まえたらしいぞ。地下へ閉じ込めるんだと。念のため士官様が魔術封じも掛けてくれたそうだ」


「しかし子ども一人にえらい騒ぎだな」


「あの子どもはただのおとりという可能性が高いからな」


 リコリスは慎重に地を這って進んだ。サンザシが捕まった。あの子の魔術ならいくらでも逃げられた筈なのに、どうして。

 沢山の足音と鎧がぶつかる金属音が近付いてくる。リコリスは息を潜めた。

 植え込みの陰から目を凝らすと、腕を縛られて大男の兵士に担がれたサンザシの姿が見えた。周りは大勢の兵士に囲まれている。


 サンザシが運ばれて行ったのは、背の低い塔の中だった。身を小さくしてリコリスは機会を窺う。今すぐでは多勢に無勢だ。全員に上手く呪いを掛けきれるのかわからない。リコリスの呪いは何かしらの不運に巻き込むものであって、直接的に人の命を奪いきれるようなものではなかった。

 やがて塔からぞろぞろと兵士が出てきた。人気が無くなってからリコリスは大きく深呼吸をする。ローブの上からルビーに触れた。

 塔の扉を少し開けて隙間から中を覗く。どうやらこの塔は牢になっているようだった。見張りの兵士がすぐそこに一人立っている。

 リコリスは見張りに呪いを掛けた。ほどなくして、見張りは突然足を滑らせた階段を転がり落ちる。急いで扉を開けて中へ入った。見張りが転がっていった石の階段を駆け下りた。

 長い階段の一番下に、気を失った見張りの兵士が倒れている。


「ごめんなさい」


 呟き、暗く冷たい廊下を走り抜ける。

 地下牢には多くの囚人が捕らえられていた。サンザシの入れられた牢を探しして寒い廊下を走った。


「サンザシ、サンザシ!」


 時間がない。リコリスは叫んだ。見つかったらお終いだ。


「……姉さん?」


「サンザシ!」


 小さな灯りが牢の中にいるサンザシの顔をぼんやりと照らしている。よかった、間に合った。


「助けに来たよ、急いで逃げよう」


「――あれ?」


 不意に、高い少女の声がした。顧みるとサンザシと同じくらいの年であろう少女が見事な栗毛を揺らして首を傾げていた。


「貴女、誰?」


 少女は丸い目を瞬かせて微笑んだ。まるで純粋な、疑うことをしらないような眼差しに息が詰まる。

 一瞬にしてリコリスはこの少女と自分の生まれもったものの差を理解した。これまで無理に押さえ込んできた絶望がなだれ込んでくる。


「ええっと、その子のお仲間さん? かな?」


 少女が近付いてくる。手にしたランプが血色の良い頬と唇を照らしだして、とても美しかった。みすぼらしい自分と、対照的に。


「私はデイジーというの。よかったら、牢から出られるようお父様に掛け合ってみるね。少しお城に入ったくらい、きっと許してくれると思うから」


 彼女の言葉は、リコリスの脳までほとんど届いてこなかった。ただこの少女が大切に育てられた王女なのだということだけ、わかった。ユバルを追い込んだ、クローチアの王女様。

 このままでは二人とも捕まってしまう。せめて暗殺の容疑がサンザシにはかからないようにするには、どうすればいい?


 心がぐちゃぐちゃに歪んでゆく。

 何故リコリスだけが、こんな目に遭わなくてはならないのだ。周囲の愛を一身に受けていたであろう姫君と、嫌われ続けた挙げ句に捨て駒にされる自分。生まれた場所が、少し違っただけなのに。

 憎しみで魔術が暴走する。自分でも止められなかった。


「――大丈夫?」


 心配そうに、緑色の瞳がリコリスを覗き込む。その刹那、渦巻いていた魔力が爆発した。

「姉さん!」


 薄れてゆく意識の中でサンザシが自分を呼んでいるのだけが鼓膜へ届いた。サンザシ、どうか貴方は生きてね。サンザシ。




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