魔術師の国ダムバリー
ダムバリーへ行く前に、ハリィと荷物のために宿へ戻らなくてはならない。三人並んで歩き出してしばらくすると、デイジーが果物を売っている店を見つけて立ち止まった。店先で唸り声を上げて考え込む。ハリィへのお土産を選んでいるようだ。
「サンザシだっけ。君、ユバル出身だろ。髪の色と顔つきでわかるよ」
デイジーを待っていると、暇になったのかアランがサンザシに話しかけてきた。
「そうなら、どうだというのですか」
「どうもないさ」
無骨な物言いをするサンザシにアランは肩を竦めた。通りがかった若い女性に手を振られると愛想よく振り返している。随分と他国の町に顔の浸透している王子がいたものだ。
「ダムバリーにもユバル出身の者が数人いるよ。非常に優秀な魔術師ばかりだ。少し生真面目で融通が利かないけどね。……ユバルは頑固で愚かな国だ。守りたい何かの為に、他の大切なものを犠牲にする」
サンザシは苛立ちを面に出さないよう努めて唇を引き結んだ。こんな軽薄な王子に、ユバルの何がわかるというのだ。
ユバルは小さな小さな国だった。古くからの風習を重んじ、国民は皆ユバルの民であることに強い誇りを持っていた。隣国のクローチアによる侵略を受けるようになってからも、それは変わらなかった。どんなに窮地に立たされても一向に降伏せず抗い続けていた。
支払いを済ませたデイジーが紙袋を抱えてサンザシたちの所へ戻ってくる。二人の間に流れる空気が僅かに重たくなった事を感じたのか怪訝そうに首を傾げた。
アランはデイジーに笑いかけて、サンザシの耳朶に耳打ちする。鼓膜を低い声がくすぐり、サンザシは耐えきれずに顔を顰めた。
「君は一体、何を犠牲にしているのかな」
辺りにはすっかりと夜が訪れていて、空に浮かぶ半分の月が町を照らしていた。月明かりをアランの銀髪が映し込んで金色に輝いている。
「内緒話?」
「そうそう。僕たちすごく仲良しだから」
ぷっくりした唇をへの字に歪めてデイジーが問いかけると、アランは彼女の背を押して歩き出した。サンザシは二人の少し後ろでゆっくりと足を進める。一歩一歩地面を踏みしめる自分の靴は、いつの間にかずいぶんと汚れていた。
彼女のためなら、なんだって出来ると思っていた。たとえそれが彼女の意に反することでも。
顔を上げると、こちらを振り返ったデイジーと目が合った。年上の姫君は口元に笑みをのせてみせて、また前を向く。胸が苦しくなって、呼吸が上手く出来ない。何を犠牲にしてもいい。これは呪いだ。
「君たち、またとんでもないものを連れてるね」
アランを連れて宿へ戻ると、彼はハリィを見て肝を潰したようだった。じろじろと、果物を平らげてゆく幼い白龍を熟視している。ハリィの方はアランを気にも留めていないらしく果実に夢中だ。
「ハリィっていうの。ティリトルフで仲良くなった、私の友達」
「白龍が友達とは、妹君には恐れ入ったよ。本物の龍を見るのは初めてだ。実に美しいね」
感嘆するアランにハリィは口の周りを舐めて鳴き声を上げた。
「ごめんね。少しの間だけだからまた鞄の中に入っててくれる?」
ハリィに鞄へ入って貰い部屋を出る。一階へ下りると女主人がいて、アランに気が付くと彼の肩を叩いた。
「王子様じゃない。またこんなところで遊び歩いてるの?」
「人聞きが悪いなあ。市場調査だよ。この二人連れてくね」
ひらひらと手を振って宿を後にするアランを、デイジーは女主人に礼をしてから慌てて追いかけた。
宿の前には先ほどまでなかった筈の馬車が止っていた。変わった丸い形をしていて、白に金で模様が施されている。
「どうぞ姫君」
アランはデイジーの手を引いて馬車の中に座らせた。その横にサンザシも座らせ、自分は御者台で手綱を持つ。
馬が鳴いて走り出す。人混みの中を縫って加速した。大きく揺れたと思うと、次の瞬間に馬車は宙に浮いた。まるで空に道があるように、闇の中をぐんぐんと進んで行く。
デイジーは小窓に張り付いて、みるみる遠くなる町の灯りを眺めた。
「すごい! 本当に飛んでる! ね、サンザシ! 飛んでるよ私たち!」
興奮するデイジーの鞄からハリィを出してやり、サンザシは彼女の腕を引いてきちんと腰を下ろさせた。その腕にハリィを抱かせる。
「ちゃんと座って、ハリィを抱いていて下さい。姫様が魔法で空を飛ぶなんて、何が起こるかわかったものでは」
「……はあい」
注意を受けて、デイジーは口を膨らませた。サンザシの言っていることはもっともなんだけど。
「速度を上げるから、しっかりつかまっててね」
御者台からアランが叫んだ。風を切る音が大きくなる。
信じられない早さでデイジー達を乗せた馬車は空を駆け抜けた。あっという間にマーカスは見えなくなり、代わりにダムバリーが近付いてくる。大きな円を描く城壁の中央にそびえ立つ城が月光に照らされていた。
ダムバリーの上空へ入ると馬車は速度を落とした。
「このままお城に行くよー」
鼻歌交じりにのんびりとアランは言って、城の上階にあるバルコニーの横で馬車を止めた。カーテンで中の様子は窺えない。
「え、ここから入るの?」
てっきり庭にでも下りると思っていたデイジーは目をぱちぱちさせた。
「正面から入ると従者とか大臣とかが五月蠅いからねー。よっと」
アランは御者台からバルコニーに飛び降りて荷台の扉を開いた。先に下りたサンザシが、デイジーを持ち上げて下ろしてくれた。
「カトレア―」
バルコニーの扉をノックしてアランが部屋の中に声を掛ける。するとすぐにカーテンが開いて、寝間着に身を包んだカトレアが姿を現した。
「もう。どうして貴方は普通に来られないのですか」
扉を開けながらカトレアは呆れた声を出して、それからデイジーに気が付き目を丸くした。瞬きを忘れた瞳に涙が滲んでゆく。
デイジーは見たことのないカトレアの表情に困惑して眉尻を下げた。スカートの裾を摘まみ、おずおずと彼女を上目遣いに見る。
「ええっと、あの、その。……ごきげんようカトレア姉様」
言葉が見つけられずに笑ったデイジーをカトレアは抱きしめた。デイジーはそっとその背中に手を回す。
「心配したわ」
「ごめんなさい。お姉様」
カトレアからは懐かしい匂いと体温がした。
クローチアに使いを出し今すぐにでも両親へ連絡しようとするカトレアを、必死に引き留めてソファへ座らせた。デイジーと同じ深い緑色をした目が落ち着かない様子であちこちに向けられている。
カトレアの部屋はアランが彼女のために用意したらしい豪華な調度品で埋め尽くされていた。
デイジーが一通り経緯を語ると、彼女は両頬を押さえて大きく息をついた。ハリィはそんなカトレアの膝へ乗り、丸くなって目を閉じている。
「デイジーがそこまで思い詰めていたなんて、私気が付かなかったわ。ごめんなさい」
やがてカトレアは静かに口を開いた。膝の上の白龍を、華奢な指先で優しく撫でる。
「カトレア姉様が謝ることじゃないの。全部私の我が儘だから。サンザシも巻き込んでしまっただけ。だからどうか、咎めずにもう少しだけこのままでいさせて欲しい。私この数日、とっても楽しかった」
懇願するデイジーに、カトレアはまた一つ嘆息した。
カトレアに会うことにしたのは、賭けだった。旅の限界が見えてきたデイジーたちには味方が必要だったのだ。
「……わかったわ。デイジーが言っても聞かないのはわかっているもの。その代わり、少しでも危険だと思ったらすぐにお父様へ連絡してクローチアに帰らせるからね」
「ありがとうお姉様、大好き!」
カトレアへ抱きつくと、逃げ遅れたハリィが翼をばたつかせた。デイジーが離れてから、カトレアは立っているサンザシに視線をやった。
「サンザシも、私からは何も言わないけれど、クローチアへ戻ったら覚悟しておくことね。お父様は酷くお怒りだったわ」
「承知の上です」
「――でも」
「デイジー」
口を挟もうとするデイジーをカトレアが遮った。
「今晩はもう遅いから休みましょう。アラン様もお部屋に戻られて下さい。サンザシは――」
「サンザシは僕の部屋においでよ。女性の部屋で寝る訳にはいかないだろう。――おやすみ、カトレア。デイジーちゃんも」
ベッドの端に腰を下ろして沈黙していたアランが立ち上がって言った。サンザシは顔を顰めたが、この状況では何も言い返せないようだ。大人しくアランに付いてカトレアの部屋を後にした。
二人になった部屋で、カトレアはデイジーの頭に手をやると呆れたように薄く微笑んだ。
「話はたくさんあるけれど……とりあえずまずはその格好からどうにかしなくちゃ」
カトレアはデイジーにこの部屋から出ないよう言いつけて部屋から出て行くと、しばらくして湯を張った桶と布を手に戻ってきた。クローゼットから寝間着を取り出してテーブルへ置く。
ハリィは眠たいのか、先ほどまでカトレアの座っていたソファで転がっている。
「今から湯浴みするのは難しいけれど、身体を拭くくらいなら出来るわ。拭いて着替えなさい」
「はあい」
答えながら、デイジーはみぞおちの辺りがくすぐったくなった。
「どうしたの? 急に笑い出して」
「姉様に世話を焼いて貰えるのが嬉しくて」
デイジーは服を脱いで、絞った布で手元から拭いていった。背中はカトレアが拭いてくれる。
着替えが終わるとカトレアはデイジーの後ろに立ち、櫛で髪を解き始めた。いつも侍女がしてくれていた事を思い出し、デイジーは城での生活が懐かしくなった。カトレアにこんなことをして貰えるのなら家出をするのも悪くないかもしれない。
「カトレア姉様、ごめんなさい」
「……もう十分謝ってもらったわ」
「違うの。結婚のこと」
「結婚?」
カトレアの手が止った。
「政略結婚なら、本来私がするはずだったでしょう」
思い切って切り出すと、短い沈黙の後にカトレアは吹き出した。くすくすと、笑い声が聞こえてくる。
デイジーはソファの背に凭れて、首を後ろに倒した。カトレアの顔を下から眺める体勢になる。
カトレアはデイジーの髪を撫でた。
「ねえデイジー。確かにあの人は、クローチアの第一王女だからという理由で私に近付いて来たわ。でも私はあの人を愛しているの」
「愛してる?」
「ええ。自分の結婚相手さえ国のために選ぶ狡猾さも、そのくせ私に罪悪感があって必死に気を遣ってくるところも、本当は王になるのが怖いのに国民を安心させるために飄々と振る舞うところも、全部可愛くて仕方がないの。彼にとって私がどんな存在であっても、私は彼を愛しく思っているわ。だからこの結婚は国のためでも、私のためでもあるの」
デイジーもきっとそんな人を見つけてね。カトレアはデイジーに前を向かせてもう一度髪を整え直すとベッドへ向かった。
カトレアに呼ばれて一つのベッドで並んで横になる。右側から感じる温もりと微かな呼吸の音に、安心してデイジーは瞼を下ろした。
愛している。どんな感情だろう。デイジーは家族も国民も、間違いなく愛している。けれどもきっと、カトレアが今語ったものとは何かが違う。味わってみたいと、心底思った。どうか私が死んで、しまう前に。
眠りについて、どれほどの時が過ぎただろう。
デイジーは胸のざわつきを感じて目を覚ました。体中から血の気が引いてゆくのがわかる。
まただ。デイジーは脳がぐらぐらと揺れる感覚に額を押さえた。
原因不明の不調に襲われるのはこれが一度や二度目ではない。家出をするよりも前から、目眩や胸の苦しみがよく起きていた。家出を決意したのもその頃だ。サンザシはどのくらい、信じてくれているのだろう。デイジーが時の魔術師なんてものを本気で探していると。
もちろん、呪いを解く方法を探すのがこの旅の目的であることは間違いない。だけどそれよりも、デイジーはただ最後に、めいいっぱいの我が儘を叶えたかったのだ。城を出て旅をして、色んな人と出会って色んなものを見て。
「本当に楽しかったなあ」
デイジーは小さく小さく呟いて、ベッドを抜け出した。危険な目にもあったけれど、本当に楽しかった。サンザシと二人で旅をして。
何かに呼ばれるように、デイジーは部屋の戸を開いた。いつの間にか起きていたらしいハリィが肩に乗ってきて、くすぐったさに目を細める。
ほの暗い廊下はしんとしていた。裸足に大理石の冷たさが伝わる。ぺたぺたと、自分が歩く足音だけが反響した。
階段を登り、最上階へ。肩のハリィが不安そうに高い声で鳴いた。
辿り着いたのは奥まった場所にある扉の前だった。手が勝手に扉へ伸びる。ぞわりと身体を何かが通り抜けて行く感覚がして心臓が跳ね上がった。鼓動が速くなる。ハリィの鳴き声も聞こえなくなって、デイジーは心の中で何度もサンザシの名を呼んだ。
扉の向こうは保管庫のようだった。きらきらとした宝石や水晶、武器や宝飾品などまるで統一感のないものが棚に並んでいる。
デイジーの足は迷いなく奥へ進んでいった。棚の一部がぼんやりと光っている。その光に導かれて、腕が独りでに持ち上がる。気が付くと手の中に輝く大粒のネックレスがあった。
瞬間、心臓が押しつぶされるように苦しくなった。全身から力が抜けて目の前がチカチカと点滅する。
「サンザシ」
ハリィが鳴いている。ネックレスの大きなルビーに、倒れ込んだ自分の姿が映っている。
目を閉じると、混濁した意識の中で津波のように記憶が流れ込んできた。




