人間にしかできないこと
俺は自宅としてマンションの一室を借りている。帰宅するとそそくさとカバンとスーツをラックに掛ける。ソファに座ってホッと一息。途中で買ってきた炭酸水のボトルを開けて飲んだ。喉を通る炭酸の感覚が心地よい。知り合いでは不評なのだが。
「私を使わなくて良いのですか?」
不思議なことに、サンドラは俺に質問をしてくる。帰りの車の中でもずっとこの調子だ。まずアンドロイドというものは、疑問を持ったりはしないものだ。どうして聞くんだ、と逆に尋ねたところ、返ってきた答えは「趣味嗜好、過去のことをデータベースに登録することは、ヒトとのコミュニケーションを成立させるために有用だからです」ということだった。
「意図を明確にしろ」
この俺の問いは、アンドロイドがする提案について使うものである。俺はサンドラのする質問は、サンドラが計算した上での提案に近いものであると判断した。
「デュナミス東京社を出てからここまで、私を使用する機会が多くありました。車の運転、荷物持ち、コートやカバンを片付ける行為もそうです。ですが、マスターは私を使用しませんでした。今後はどうすればいいでしょうか?」
「ああ」
アンドロイドのいる生活というのをついぞしたことのない俺からしてみれば、ただただ慣れないだけである。仕事の助手や秘書として連れている人も多くみるし、一家に一台という時代も近づきづつあるという時代であるけれども、俺の家にはなかった。
「運転は俺がする。荷物も基本的に俺が持とう。ただ、気が付いたら言ってくれ」
「あらかじめ命じていただければ、私から申し上げますが」
「慣れないんだよ。どうも、誰かにやってもらうってのはな」
「……わかりました」
微笑むサンドラ。その笑みは人を魅了するだろう。
「それではさっそく、料理をさせていただきます。冷蔵庫の中にある材料を見ましたが、本日は『ふっくら卵の親子丼』で良いでしょうか?」
「ん、頼む」
これは便利だな、と俺は笑ってしまった。共働きが増えた現代、もしかするとアンドロイドがあるから普及したのではなく、時代がアンドロイドを求めたのかもしれない。一人暮らしの俺の手間が、そうとう省けるだろうとも。
俺はテレビをつけた。流れているのはニュースだ。アナウンサーは人間である。ぼーっとそれを眺めているが、その中の一つに俺は興味を持った。
『今月のアンドロイド襲撃事件は、都内だけで十件を越えました。警察は同一のグループの犯行であるとし、その行方を追っています。アンドロイド排斥運動はUSEで盛んに行われており、近年では日本国内でも同様の運動の増加が見られます。これを受けて政府は……』
見逃せないニュースである。職業柄、こうした事件を扱うことがあるのだ。もちろんクレームでも「壊されたからなんとかしてほしい」と言われるが、原則として企業側からは何もできない。保険会社の仕事である。修理は受け付けてますと言うだけだ。
世論は大きく二つに分かれている。簡単な図式で、アンドロイドの普及を肯定する人間と否定する人間だ。肯定する人間が大多数であるが、既得権益を失う者やアンドロイドを生理的に受け付けないといった意見を持つ者は強く反対している。
かつて日本の食料自給率が問題になったとき、ロボットを農業に導入するにあたり生まれた反ロボット団体「アベル」の日本組織が活発に活動し、農作業用のロボットを壊して回るなどの事件があった。ある事件で死傷者が出て、裁判でも大きく取り上げられたことから沈静化しているが、最近になって活発になったという話を聞く。現に襲撃事件のいくつかは、彼らの仕業だろうと考えられている。
機械音声はすでにほとんど人と聞き分けができないほどに技術が進んでいるのであるが、アナウンサーに人間を起用するのはそうした過激な者や、そうでなくともアンドロイドに嫌悪感を覚える人がいるから配慮しているのだ。アナウンサーや役者などの芸能といった職業が将来なくなってしまうのではないかという考えもあるが、アンドロイドに「芸」を仕込むことはできても、それらを元に新たな「芸」を考えることができるようになる時代は来ないだろう、というのが業界での一般論だ。
それこそ、彼らが自分たちの心を動かすものを作ることができるようになるまで、どれほどかかるのだろうか。俺は技術方面のことは、知識としてはあれど未来のことを推測できるまではない。
「お待たせしました」
ニュースをじっと見ていると、サンドラがお椀を持ってきた。湯気をあげる黄金。俺がいままで見てきた親子丼の中で、最も美しいと言っても過言ではない。
一口食べてみれば、なるほど確かに美味だ。うちにある安物の素材でここまでの味が再現できるというのか。料理に疎い俺からすれば、どうすればこんなに美味しくすることができるかは見当もつかなかった。
「お口に合いましたでしょうか」
「ああ、美味い。ありがとな」
そうサンドラに感謝の言葉を贈るが、少ししてそれは無意味なことであると気づく。アンドロイドに対して感謝の言葉は不要だ。彼らは期待に応えるという動作をしない。決められたことを状況に応じて判断していくだけの存在なのだから。
いつの間にか俺のエプロンを着用していたサンドラ。豊かな黄金の髪を揺らし佇むその姿は家政婦などではなく、親を手伝う娘の姿にも見える。俺はそこまで老けてはいないが。
「そう言っていただけるのなら、幸いです」
そのサンドラは、俺の感謝の言葉に微笑んで答えて見せた。その口調も、その笑い方も、ただ一人の少女がそこにいるようにしか思えなかった。
どうしてかそれで不愉快な気持ちになり、意識をテレビに集中させた。今度のニュースは芸能。大手化粧品メーカーのイメージキャラクターとして、歌手、モデルとして活躍する女性アーティストが映っている。その美貌は、人間の手でカスタマイズできるアンドロイドにも負けていない。しかし、俺はその姿に顔をしかめた。
するとサンドラが、口を開いた。
「マスターの同級生の方ですね。芸名は大神ミキ、本名は大上美希子」
「よくわかったな。って、もしかして知ってたのか」
「いま検索をしました」
「ふうん」
俺はテレビの映像を眺める。美希子、いやミキは質問を受けている。その中でインタビュアーの一人が「近年ではアンドロイドがイメージキャラクターを務めることも多い中、この仕事を受けた理由は?」という質問をした。
『だって、これは人間にしかできないことじゃないですか』
『人間にしか?』
『はい。化粧をするのは人間だけなんですよ。仕事現場では確かに、アンドロイドだって衣装に合わせたメイクをしますけど、保湿であったりシワであったりが気になるのは人間だけなんです。ですから、この仕事を譲ることはできないんですね』
ずいぶん攻撃的な言葉だ、と俺は思った。こうした発言はきっと、アンドロイドが「傷つかない」ことを前提としている言葉なのだと思う。もちろん、この言葉でサンドラが傷つくことはないのだけれど。
それでも、もしかするといま放送局に電話が殺到してるかもしれない。世の中、道具に感情移入しすぎる人間というのがいるのだから。
「マスター」
「なんだ?」
「難しい顔をして黙り込んでいたので、どうしたのかと思いました」
そんなことまで察知するのか、と苦笑い。俺はため息をついた。
「考え事だよ」
「でしたなら、大丈夫です。失礼しました」
「ああ」
この機能はいるのか、とも思うが、寂しい一人暮らしだ。話しかけてくれる相手がいて悪いことはないだろう。
例えそれが、アンドロイドだったとしても。
「人間にしかできないことか」
なあ、美希子。本当に人間にしかできないことって何なんだろうな。
いまは滅多に会うこともできない、ましてや、学生時代のように二人で喫茶店でなどできなくなってしまった相手に、届かぬ疑問をかける。
こうやって、会えなくなってまで追求するものだったかな。前のように、友人として馬鹿みたいな言葉をかけあう時間を失ってまで熱を上げるものだったかな。
芸術の世界なんてわからないけどな。
「サンドラ、コーヒーを頼む」
「はい。砂糖とミルクはどうすればいいでしょうか」
俺の人間関係は調べられても、その好みは知らないのか、なんて思いながら俺は答える。
「それぞれ一つずつで頼む」
かしこまりました、の返事を聞いて、俺はまたテレビに向き直った。