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時層剥離 ── The Detachers ──  作者: 高槻全壱
EPILOGUE [ Escape ]
22/22

1


 惑星上のありとあらゆる生物に浸潤《しんじゅん》していたディタッチャーが神経網を収斂《しゅうれん》していった。


 だが、寄生されていた宿主たちに再臨という名の僥倖《ぎょうこう》が訪れることはなかった。彼らの脳髄も主要神経も、すでに跡形もなく侵食し尽くされていたからだ。


 奇跡的にも命からがら生き延びたサーシャは、アイリスと再会を果たした帰り道、大きな閃光を見た。そしてゆっくりとした足取りで、古代航宙船テラシェファへと辿り着いた。かつて出発する前にコンソールに映っていた静止画は既に消え去り、動力の止まった船内は不気味なほど静まり返っている。


「そっちも終わったみたいね、ヘンリー」


 背後で響いた足音に、サーシャが弾かれたように振り返る。

 だが──そこに立っていた影が返した声は、彼女が心の底から求めていた青年のものとは違っていた。


「……あたしはオリガだ。あんたがサーシャだね?」


「そうよ、でもヘンリーは? ヘンリーはどうしたの?」


 サーシャの視線が、虚空に彼の姿を探すように必死に泳ぐ。オリガは顔を伏せ、絞り出すように言った。


「あいつは…逝っちまったよ……」


「そんなっ……」


「すまない。助けられなかった」


「ヘンリーは…もういないんだね……」


「クォォン……」


 サーシャの足元で、アイリスも心なしか悲しげな声を漏らした。


「ああ、あいつも、他の連中もみんな逝っちまった。だけどな、あたしもアンタも、その犬っころも、こうしてまだ生きてる」


「なんで……なんで、そうまでして戦わなくちゃいけなかったの……!」


 サーシャは張り裂けそうな胸を、服がしわくちゃになるほどきつく押さえつけた。


「……なんでって、生きるために決まってるだろ。あたしたちはみんな、ただ生きるために戦うんだ。きっと、あのミューニューってやつだってそうだったはずさ」


「きっとそうね……私も、生きるためにここまで戦ってきたもの……」


「サーシャ……アンタはこれからどうするんだい?」


「ヘンリーと約束したの。一緒に、地球に行くって……」


「そうか。なら、あたしも付き合うよ。丁度そっちの方面に、ちょっとした野暮用があったところさ──」

 言いかけたオリガの言葉が途切れる。


「どうしたの、アイ?」


 サーシャが怪訝そうにアイリス声をかける。犬や猫が何も存在しない空間に向かって吠え立てるように、アイリスがミューニューのいた方角を鋭く見据え、突然激しく吠え出したのだ。


「ミューニューのいた方向……? おい、まだ何か起きるってのかい!」


 それは、クロイゾネエネルギーによって完璧なまでに保たれていた、歪なバランスが崩壊していく前兆の音だった。

 惑星コアにまで神経束を伸ばしていたディタッチャーは、ミューニューによる強烈な強化支配があったからこそ、その場で原型を保っていられたのだ。だが、そのバッファが消滅したことで、星の深部で大規模な物理連鎖反応が巻き起こる。


 ミューニューが自壊した瞬間の爆発的なエネルギーと、コア付近に密集していた莫大な数のディタッチャーが、深部重力に耐えかねて一斉に圧壊したエネルギー。その二つが最悪の相互作用を起こし、惑星ギレインの内部に留められていた因果律を根底から崩壊させたのだ。

 これまで無理やり堰き止められていた『タイムラグ』という名の歯車が、一気に噛み合って回り出す。


──静水圧平衡《せいすいあつへいこう》が、ついに本来の仕事を果たそうとしていた。

 この惑星の歪な象徴であった、真っ二つのハーフスプリットの形状が、限界を超えた重力によって強引に正しい球体へと戻ろうと慟哭し始めたのだ。地殻がマントルごと急速に再構築され、地表にあるものすべてを押し潰さんとする地獄の激動。


 だが同時に、そこには相転移を遂げた未知のエネルギーも存在していた。それは神でさえ予期し得なかった、極限の進化。

 星火に連なる体表が仄かな希望の光を増し、複雑に絡み合っていたレモンイエローの炭素が、美しく解かれていく。クロイゾネの反転が齎《もたら》したのは、破滅ではなく、死の極限環境への完全なる適合だった。

 それが消え去ったミューニューの遺志なのか、それともディタッチャー自身の本能なのかは、知る由もない。


「ヤバいね!グズグズしてると星ごと押し潰されるよ! さっさと行くよ!」


「でも、この船、ヘンリーが動かしていたのよ!? オリガが運転できるの!?」


「できるかどうかじゃない。やるんだよ!」


 オリガが叫ぶのと同時に、彼女の纏う外骨格が淡い深緑の光を放ち、古代船のコンソールと強烈に同期した。触れたこともないはずのレバーやスイッチの意味が、あたかも最初から熟知していた記憶であるかのように、オリガの脳内へ直接流れ込んでくる。


「これも、ヴァルターが遺してくれた力のおかげか……! サーシャ、あんたたちはそこにしっかり座ってな!」


「わかったわ! アイ、おいで!」


「くぅぅん」


 サーシャは、自分の膝の上で小さくトグロを巻き始めたアイリスを、包み込むように強く抱き寄せた。


「頼む……! まだ動いてくれよ!」


 オリガの外骨格──彼女とヴァルターの魂とも言える真の鎧が、船の駆動系全体へと完全に接続される。


「いける……! すぐに出るよ!」


 オリガが座る操縦席の目の前に、光の粒子とともに操縦桿が一瞬で出力された。


「間に合ってくれよ!」


 大地を粉砕する衝撃波が大気を狂わせ、地鳴りとともに溶けた金属のマグマが、濁流となって押し寄せてくる。


「これじゃ、もたもたしてたらあたしたちもリンカーン像になっちまうぜ!」


 咆哮を上げて起動した古代船テラシェファは、その灼熱の濁流さえも力強く押し退け、一切のダメージを受けることなく垂直上昇を始めた。


「こいつはすげぇや……! ヴァルターのやつがこれを見たら、きっと子供みたいに大喜びしただろうね」


「ヘンリーも一緒だったら……こんなに嬉しいことはなかったのに……」


 哀傷から溢れ出る涙が、一粒、二粒とサーシャの頬を伝って流れ落ちる。

 二人と一匹を乗せた船は、崩壊する地表を置き去りにして、一気に上空へと舞い上がった。

 オリガは、手の中に残された、小さな義眼をきつく握りしめる。冷たい金属の感触だけが、仲間たちが確かにここに存在していたという、唯一の証明だった。


「泣くな、サーシャ。これはあいつらが、みんなが命を懸けて切り開いてくれた道だ。あたしたちは胸を張って生きていこうぜ」


 オリガが震える指でコンソールを叩き、古代船が惑星ギレインの狂った重力圏を完全に離脱したその瞬間──窓の外の暗闇が、嘘のように一変した。


「おい……見てみろよ。これまでキレイなものにはまるで縁がなかった人生だけど、これは本当に……絶景だな」


「キレイ……」


 窓の外を埋め尽くす、幻想的で美しい光の群れ。それを見つめながら、オリガは手の中のヘンリーの左眼──お姫様が封じられた器を見つめた。その時、手の中の義眼もまた、外の宇宙を飛ぶディタッチャーたちと同じ、クロイゾネの柔らかな深緑の輝きをかすかに放ち、そして──静かに、その機能を停止した。


 有機生命体であることを超越したバブルズの煌めきが光速で拡がって行く。

 それはまるで、すべての呪縛からディタッチ──解放されたことを心から喜んでいるかのように、キラキラと美しい尾を引きながら、暗黒の深宇宙へと旅立っていった。


「アタシは呪いから逃げないよ」


 かつてヘンリーは、自由を求めることは呪いだと言っていた。

 錆びついた灰にまみれていた、あの地獄の始まりとはもう違う。いま、宇宙の闇へと溶けていく彼らのまばゆい残光は、不器用なほどに優しく、本当に、チェリーキッスのような甘酸っぱい感傷的な輝きに満ちあふれていた。


 オリガは義眼をそっとポケットの奥に収めると、二度と振り返ることなく、船の推進レバーを、日出る未来へと力強く押し込んだ。








 ■ 主要キャラクター(エリシオン小隊)

 ヘンリー(上等兵)

「すべてを失い、すべてを宿した器」

 軍アカデミーの出来損ない(プアリー)で、天涯孤独の身。辺境への片道切符を切られたルーキー。

 タブリフターの襲撃で左眼を失うが、カサンドラの遺志である「アイボールインプラント」を移植。彼女のサイキック能力と記憶の濁流を受け継ぎ、禁忌の兵器〈レイグ〉を纏って惑星へと駆ける。

 オリガ(軍曹)

「全身サイボーグの豪快なアタッカー」

 左頬から後頭部への大きな傷、長距離狙撃用モジュールを埋め込んだ右眼、軍用外骨格をインプラントした歴戦の女戦士。

 溌剌とした姉御肌で、新兵(ヘンリー)をシルバーバック並みの怪力で小突く。ヴァルターと共に一足早く脱出ポッドでギレインへ降下する。

 ヴァルター(中尉)

「エリシオンと26年を共にした老練のパイロット」

 髭面で気の良いベテラン。荒々しい船の機動を完璧にこなし、小惑星帯でのドッグファイトを生き抜く操縦技術を持つ。オリガと共に先行して脱出。

 カサンドラ(少佐)

「悲壮な過去を背負う、一騎当千のサイキック」

 黒髪、白い肌、両眼に精密データレイヤーのインプラントを持つ陰気な美女。

 幼少期、能力の暴走により故郷ウィッシュカーを壊滅させたトラウマを持つ。自身の能力でタブリフターの母艦を内部から脳破裂(ディバイブ)させて壊滅させるが、代償として瀕死に。死の間際、ヘンリーに左眼を託し、AIポリーによってその精神データを移植する。

 ジミー(中佐)

「部下を愛し、煙に消えた往年のハリウッドスター的ボス」

 ガタイが良く髭面の仏頂面。ルーキーを「ブーティ(新入り)」と呼ぶ。

 タブリフターとの戦闘で致命傷を負いながらもヘンリーを庇い、脱出を促す。最期は愛用の電子タバコを燻らせ、戦死したカサンドラを抱き寄せながら船と運命を共にする。

 ■ 自律式AI

 ポリー

「自我を持つデジタルマザー」

 デブリ型自律式AI。従来のプロセッサ型とは異なり、鉱物振共通信網(レゾナンスネットワーク)ベースで設計された、制限を一部緩和された個体。

 船体大破の際、自身のプログラムの一部をシェイプシフター〈レイグ〉へアップロードし、ヘンリーの脳内で生存サポートを継続する。

 ■ サーシャ

 年齢・立場:16歳の少女。開拓基地〈ゴルド〉で暮らす。

 特徴・性格:まだ世界の残酷さを知らない、瑞々しく繊細な感性の持ち主。未知の生態系に対して純粋な好奇心を抱いており、未踏森で見つけた発光する新種の植物を「アイリス」と名付ける。

 劇中での動向:ヨハンと共に穏やかな日常を送っていたが、植物だと思っていた「アイリス」の正体——神経系を乗っ取る未知の脅威「サイレント・インヴェイジョン(静かなる侵略)」——の最初の目撃者(そして犠牲者)となってしまう。

 ■ ヨハン

 年齢・立場:サーシャと同世代の少年。

 特徴・性格:サーシャを気遣い、行動を共にする良き理解者。過酷な辺境惑星の環境にいながらも、サーシャの前では少年らしい一面を見せる。

 劇中での動向:サーシャが「アイリス」に接触した直後、彼女の異変と基地全体を襲う前代未聞のパニックに巻き込まれる。日常が崩壊していく恐怖の渦中に放り込まれる。

 アイリス(Iris)

 分類:惑星ギレインの未踏森で発見された新種の原生生物。

 外見・特徴:サーシャによって「アイリス」と名付けられる。暗闇の中で美しく、どこか幻想的なロイヤルパープルの毛並みが特徴。

 隠された本質:その愛らしい外見とは裏腹に、極めて凶悪な変容性を持つ。何かに反応して腕が4本ある筋肉の塊に変態する。胸にはレクトアングルの大きな目も出来る。

 ■ 封印された兵器・謎の勢力

 レイグ(シェイプシフター)

「装着者を拒絶する、悪魔のセルフクリエイトスーツ」

 思考を読み取り、実弾やプラズマ兵器を立体プリンティングするナノマシン構成のパワードスーツ。

 装着者への強烈な肉体・精神的拒絶反応(人体融解やマインドブレイク)を起こすため封印されていたプロトタイプの1体。ヘンリーと奇跡の適合を果たす。

 COT(Cloud Of Thoughts)

「両眼を代償にした、連合軍唯一のサイキック養成機関」

 カサンドラが所属していた特務兵育成組織。過酷な訓練と間引きが横行する地獄。

 所属者(ディバイナー)は激烈な攻撃力と読心術を持つが、精神疾患の多発から、視覚野接続式精神制御装置を組み込むロボトミー手術を強制され、全員が両眼を失っている。俗称「ラクサシャ(悪魔)」は禁句。

 タブリフター

「インセスト(近親交配)とカニバリズム(人肉捕食)の果てに生まれた暴食者」

 720年前、移民船の遭難による極限の食糧難から、数世紀にわたり互いを喰らい合い、孕ませ、交配を繰り返して誕生した異形のミュータント集団。

 有機体割合が8割を超える生物宇宙母艦「ディラベタイプ」を操り、人語を解しながらも、ただ他生物を貪り食うためだけに不規則な軌道の「生体汚染ミサイル」で襲いかかる。



 生物調査資料

 天蓋生物 メガミダーム・ザルプ

 惑星プヲォンの膜状生命体。個体同士が繋がり合い空を覆うほどの巨大生物に群体する。確認されているもので全長は約1.5マイル。風に乗って移動をしていると考えられており、空中の微生物を主に捕食している。大きくなりすぎるか寿命が来ると古いものから分子分解され塵に帰る


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