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駅で高校生と殴り合っていたら五百万円与えられたので、合理主義の僕がなぜか同居生活を始めてしまいました。  作者: 透明スケ


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第一話 殴り合い

 僕は優秀だ。


 偏差値は文句無しのトップに立つ、いわゆる名門大学に通っている。

 小学校から大学まで、勉学で困ったことは一度もない。

 テストは常に満点だったし、努力という言葉を深く考えたこともない。

 理解できない問題は存在しなかった。

 人は努力を美徳と言うが、僕にとっては呼吸と同じようなものだ。

 周囲の人々はみな、僕を天才と呼んだ。

 まあただ、僕は才能も努力も両方併せ持つタイプだからなんとも言えないが。

 とにかく、僕は周りより一段と優れていると自覚していた。


 万物は、合理的がどうかが重要だ。

 嫌いなものは非合理。

 理屈のないものは、死んでいるものと同じである。

 説明が付かないものは、論文に無いものだけ。

 間違いを忌み嫌い、正しさが物事の秩序を決める。


 感情に流されることもない。

 常に冷静で、合理的で、正しい判断を下す。



――そういう人間だ。



 そんな僕が今、駅の廊下で見知らぬ高校生と掴み合いをしている。


 満員電車の中、互いの足を踏んでしまっただけだ。

 いや、正確に言えば、その後の視線だ。

 電車内で騒がしかった彼を、僕は一瞥(いちべつ)した。

 静かにしろ、という意味を込めて。


 だが、彼はそれを侮辱だと受け取った。


「なんだよ、その目」


 理屈で説明するつもりだった。

 言葉で(さと)すつもりだった。

 公共の場では静粛にするべきだと。

 だが言葉より先に、彼の拳が飛んできた。


 その瞬間、僕の頬に鋭い熱が走る。

 そして周囲の視線も刺さる。

 スマートフォンを構える人影も見える。


 合格したばかりらしい子供と親がわくわくした様子で電車を待っている姿が何気なく視界に入った。

 春めいた三月末の駅のホームで、新年度を迎えようとする空気の中、こんなことをしている自分がひどく場違いに思える。


 僕は、こういう場面の当事者になる人間ではないはずだった。

 僕はいつも冷静に状況を見て、どこが一番眺めが良いかを見分けられるタイプだと自分で思っていた。


 なのに、年下であるはずの相手がなんの躊躇(ためら)いもなく殴ってきたことに、即座に頭に火がのぼる。

 それによって僕の理性は一瞬にして溶けた。

 大人として制裁を与えよう、という気持ちが走ったのだ。

 結果、僕という名の最も不釣り合いな拳が返されたのだった。



 駅の廊下でお互いの服を掴み合い、どうしようもなくなっている時に、事件は動いた。


 駅のざわめきの中で、不自然なほど静かな声がした。


「そこまでにしなさい」


 低くも高くもない、温度のない声だった。

 全く予想もしていなかった不思議な声を聞いて、僕も高校生も掴んでいた腕を思わず緩める。


 視界に入ったのは、場違いなほど整ったスーツだった。

 無駄のない仕立て。磨かれた革靴。


 年齢は四十代後半だろうか。

 表情は驚くほど穏やかで、こちらを観察する目だけが妙に澄んでいる。


「若いのに、もったいない」


 そう言うと、男は足元に置いていた黒い鞄を持ち上げた。

 パチリ、と金具が外れる音。

 中には、帯のついた札束が整然と並んでいた。


「私がその喧嘩を買いましょう。これを二人にお渡しします。五百万円ほど入っています」


 ざわめきが一段、音を増す。

 小さな子供から学生、主婦、サラリーマン、そして老人まで、あらゆる年齢層がそこに居たが、皆ほぼ同じような反応だった。


 五百万円?

 冗談にしては具体的すぎる。


「今すぐ喧嘩をやめなさい。理由はそれで十分でしょう」


 男の声は淡々としている。

 説教でもなく、脅しでもない。

 その目は、ただの冗談に見えなかった。


 僕は理解するより先に計算していた。


 五百万円。

 学生二人。

 分ければ二百五十万。

 合理的ではない。

 意味も分からない。

 だが、現実は目の前に映る。


 男は僕たちの返答を待たなかった。


「では」


 それだけ言って、駅の人波に溶ける。

 黒い背中は煙のように、驚くほどあっさりと消えた。


 残ったのは、札束の詰まった鞄と、静まり返った空気だけだった。



 喧嘩が収まったことを知った人々がぞろぞろと離れていく中、当事者の僕たちはただただポカンとしていた。


「とりあえず、場所を移動しないか?」

「分かった。もう喧嘩はナシだ」


 僕も高校生も、想像もしていなかった出来事に、全く頭が追いついていなかった。

 周囲の目線は依然として刺さる。


 僕と高校生は震える手で鞄の口を閉め、二人でぎこちなく紐を持って運んだ。

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