千夜の魔女
「目、的、地………地味に、遠い、なぁ………!!」
息を切らせて膝に手を当て、軽く咳き込む。
それなりに走りながら来たため、かなり息が上がっている。心臓もうるさい。
体温も高くなっているみたいで結果として少し汗ばんでいた。……あ、やばい。これ借り物の服なのに、汗臭くしてしまったかもしれない。
「返す前に洗濯をしないと………洗濯代金いくらくらいなんだ?」
この世界の物価、まだまだ知らないんだよなぁ。
さて。目的地であることを地図を見て確認する。どうやらこの眼前に広がる大きな湖が件の場所で間違いないらしい。
湖畔に膝を抱えて近づけば、地面の底まで見えるくらいに綺麗に透き通った泉であることが理解できた。なんともまあ、手を着けてみれば冷たいこと冷たいこと。火照った肌が冷やされて実に爽快だけれど、先にお仕事を済ませないとね。
ということでカメラとセットで持ってきた三脚を湖畔に立て、その上にカメラを装着する。
「いえーい、ぴーすぅ」
………しませんよ?冗談冗談。
写真機であるが、小箱に取り付けられたダイヤモンドのような宝石がカメラのレンズ替わりとなっているらしく、そちらを被写体……つまりは、湖の中心方向に向けて放置し、大体十分ほど置いておけば目的の写真が保存されるらしい。
結局仕組みはよくわかっていないが、最終的には、このカメラの本来の持ち主の所に帰った時に、ポラロイドカメラのように写真が自動現像されるようだ。電池など要らないので便利ではあるけれど、才能がなければ普段使いは出来ない程度に使いにくさもあるらしい。才能っていうのはつまりあれだ、魔術的なやつだとかなんとか。
「俺には関係なさそうだなぁ」
なにせ魔法だとか魔術だとか(なんか本質的には種類が異なるそうだ)、全く使えなさそうだし。
しかし、だ。うむ、十分間も何しない、というのも少々暇である。たかが十分、されど十分。
十分あればいろんなことができるのだ。……いやまあ、できないことも多いが。
湖畔に腰を下ろして風の音に耳を澄ませてみる。いい音だ。まあ心の中ではたくさんの雑音が響いている訳だけれども。
「筋トレ……はやる気起きないし。ゲーム!読書!は、持ってないし……」
そもそもこのセカイでは文字が読めないため、本があっても無駄である。
うーむ、本の虫………とまではいわないが、本は読みたい。趣味だから。そして趣味を続けるためには、文字覚えないといけない訳である。
無一文の宿無し今の自分の境遇はそんな感じだ。やるべきこと、やらないといけないことは多い。それに思い至る程度には、俺は大人であると自負している。
うつらうつらと、思考の波に眠気が混じりだす。走ったから、汗を掻いた。それが気化して体温を奪って………眠気を誘発したのかもしれない。
風邪をひいたらまずいな、そう思って。
「………?」
なにか、後ろ髪を引かれたような気がした。
身体を起こす。二の腕をさする。すこし、気温が下がった。
「なんだ………?」
ちり。ちり。貸してもらったマントが、熱を放つ。
目を見開けば、小片となったそのマントの欠片が誰かに持ち上げられているかのように宙を舞う。僅かに、鱗粉のような虹の粉が俺の視界を覆い隠すが―――それはすぐさま、黒い突風によって掻き消えた。
「は、っ、ぅ」
息が、凍る。寒さが増した。
寒い、寒い、凍えそう―――だけど、汗だけはだらだらとたれる。これは冷や汗だ、何か、そう………何かに、見られている??
明らかな異常事態。判断は、早かった。
「て、ったい………だっ!!」
こういう時に長居は無用!
けれど、その前に………カメラを回収しないと。肺まで冷気に犯されたように、不規則な息遣いのまま、這うように移動する。
ああ、どうしでだろう。やけに左腕が重い。まるで、誰かに捕まれているようだ。でも、視線を向けてもそこには何もない。
「――よし、回収だ。……妖精だか悪霊だかは知らないけど、さっさと帰らせてもらうぜ」
なにせ、簡単な依頼だそうだ。
失敗なんてしたらあの双子のお嬢さんたちに笑われてしまう。
いざ力を込めて走り出そうとした―――が。
「………あれ。体が、動かない」
先ほどまではまだ移動はできた。しかし今は、一歩、一手たりとも動くことができない―――?!
それだけではない。動きの鈍かった左腕が、更に痛みを発する。
「い、………痛い、痛い痛い痛い………!!!なんだよ、これ………俺は、中二病じゃ、ないって………」
気を紛らわせるために軽口を叩く。無駄な事だと、どこかで理解しながら。
ミシリ。腕が、悲鳴を上げた。錯覚だろう、錯覚の筈だ。
………だって、左腕には何もいない。何もいないのに、いきなり骨が軋むような音が聞こえるわけがないのだ。
だから、これは幻覚、幻痛。
俺の左側には何もない、首筋にまで上ってくる寒気はただの気のせいだ―――そう、誰もいない。………誰も、いない………。
「なんて………騙せるわけ、ないよなぁ」
死を前にして苦笑する。
今までは、確かに誰も居なかった。でも、そこには。
―――螺子繰曲がった俺の左腕だったものを握る、ナニカがいた。
ぐにゃぐにゃになった左腕をそれでも強く掴み、更にはもう片方の腕を俺の首元にまで伸ばすのは、根元から毛先にかけて、黒から白へとグラデーションしていく、奇妙な色を持つ、長い長い髪をした少女の姿だった。
景色が歪む。ありえないほどの寒さが左腕から流れ込んでくる。
身体を書き換えらるような激痛が襲い、次いで命を初期化されるような苦痛が発生する。
「………」
きっと。俺は死ぬだろう。けれど、どうしてだろう、少しだけ不思議だった。
縋りつく様に手を伸ばすその少女。目元は隠れ、見ることの叶わない彼女は、それでも―――泣いているように、見えたのだ。右腕を伸ばす。その頬に向けて。暖かいものが、指先に触れた気がした。
それと同時だった。最期に、魂を穢されるような冷痛が襲って来始めた時に………それは、発生した。
色とりどりの光を纏い、俺と女の周囲を飛び回る妖精達。
その中央に鎮座するのは、緑色の瞳を持った巨大な鷹。
「―――――――――ッッッ!!!」
少女が、声にならない叫びをあげる。
それは、苦痛か、あるいは歓喜か。直後。三度、少女と大鷹が激突する。
その度に、大気が鋭く振動した。
少女と俺の狭間に立ったのは緑の瞳の大きな鷹。その胸元にはどうやってつけられたのかも分からない、深い傷跡が刻まれており、大気に熔ける赤い血を垂れ流していた。
「プーカか!!ナイスだな、なんとか………間にあった」
「遅い、紅の魔術師」
「これでも全力疾走でここまで来たんだがね、大妖精殿?」
森の茂みが文字通り吹き飛び、その奥から走ってきたのは鷹の言った通りの髪の色を持った、白衣にマントという奇妙な格好をした美女だった。全力疾走の言葉は本当らしい、肩を揺らして息を切らしていた。
マントや白衣にも木の葉が付いているが………ああ、何故か、分かる。
すごいな、この人。
「いやあ、”千夜の魔女”。―――さっさと失せろ」
彼女は、少女を睨みつけ、開口一番、そう言った。
「…………………………ッッ!」
「聞こえなかったかな、肉無し」
「ッッッッッッッッッッ?!!?!?」
あ。これ明らかに怒っている。声なくとも絶叫するように口を開き、喉元を掻きむしる少女。
「………怒らせるとまずいんじゃ………」
「ほう?君―――その容態で話せるのか」
「容態?……ゴホッ……。あーあー」
確かにただ言葉を発しただけなのに酷い痛みがある。
長い事使っていなかったオルゴールのように軋んだ声音で、あとなんというかちょっと声が高い気がする。
気のせい?何度か「あーあー」と声を出して調整する。
「気付いてないか。まあ、それは後程考えよう。プーカ、お前は長老に言われてきたのか?」
「否。穢れに満ちた気配を感じたのでな。出向いてみれば案の定だ」
「なるほどね。森の主たる大妖精ならさもありなん。で、プーカよ。あれ、消せる?」
「不可能。業腹だが、退治が精いっぱいだ」
「だろうなぁ………まあ、追い払うしかないか」
白衣のポケットから、手袋が現れる。
手袋には、ルビーのような色合いを持つ宝石がいくつも埋め込まれていた。
「森を燃やすな」
「分かっている」
女は大鷹の言葉にうなずき、宝石が埋め込まれた手袋を装着し――それを振るった。
それと同時、鼻の奥にまで届く、むせるような濃い炭の匂い。
ゴオオ―――擬音としては、それが妥当だろうか。
ともかく、いきなり世界の中に無秩序に発生した火炎は、少女のみを飲み込み、延焼を開始した。
いや………この擬音では、少しばかり火力感が足りないかな。
白い少女は、大鷹の妖精との激突によって俺からかなり離れた、湖の真ん中にいる。
その距離、三十メートルはあるだろう。
発生した火炎は、それほど離れていてもなお、実際に焼かれているかのような錯覚をもたらした。
「魔女の火刑、選別の大火をくれてやる。せいぜい孤独に燃え尽きろ―――プーカ!!」
「承知した」
紅い女の合図に、大鷹は空高く飛び上がる。
大気は己のものであるとばかりに重力を感じさせずに飛び上がる大きな鷹は、空中にてその姿を―――変化させた!
その姿は黒く変わり、しかして大きさはそのままに………いや。より大きくなっている。
空を踏み抜く蹄が現れ、夜の糸を編み込んだ鬣が陽光を背にして靡く。そんな巨大な馬の姿となった妖精は、そのまま少女に向かって落下する。
胴体より垂れ流す血を、数え切れぬほどの白銀の剣へと変換しながら。
「――――ァァァァァァァッッ!」
耳を抑える。ガラスが割れたような悲鳴―――ああ、少女が、叫んだのか。
「むぅ……!!」
落下した妖精の刃によって、少女は串刺しにされ―――闇に溶けて消えた。
でも最後、俺の方を向いていたような。
「おい、プーカ。大丈夫か?」
「油断。情けない」
「さしもの大妖精でも仕方ないだろう。あいつは妖精の天敵だし」
最後の叫び――ただそれだけで、妖精の身体に、胸元のそれと変わらぬほど巨大な切り傷が浮かび上がっていた。
「えっと………死んだの?」
「我は生きている」
「妖精さんじゃないよ!いや、妖精さんも大丈夫?全身血だらけだけど………」
「否。我はプーカである」
「ぷ………?」
「あー、君。妖精っていうのは、いわば種族名なんだ。私たちで言う人類ってやつだな。あとは………分かるかね?」
「尤も。プーカという名を持つ妖精が他にいないわけではないが」
「えーと、はい。なるほど。だいたいわかりました、うん」
唸れ、俺の知識。
―――ということで、大雑把に理解をまとめると、この目の前で怪我をしていらっしゃるお馬さんは、妖精類のプーカ種、というわけである。簡単にいえば、だけど。
当然、人間の理解の範疇外の存在である妖精となれば、人間が理解しやすくするために設定した生物分類など当てはまらない。でもまあ、多少ならば参考になるか。
「そうじゃなくて!あの少女のこと!なんか、消えちゃった感じだけど………死んでは、ないんだよね?」
「あー、うーん。君………やはり、視えるようになっているな?」
「当たり前だ。あの魔女めに身体を浸蝕されたのだ。最低限ですらその程度の神秘は宿っているだろう―――それだけで済めば僥倖と言えるほどにな」
「………うん?」
首を横にかしげる。
そのついでに、髪が肩に触れた――――髪?
「…………うっわ!なにこれ?!髪伸びてる!いや白髪になってる!!??」
ああ、クセっ毛がっ!いや、これだけ伸びてもなおクセは依然強く出しゃばっているけれども!
「君、君。驚いているところ申し訳ないけど、実は変わってるのは髪だけじゃないんだよねぇ」
「え」
「ほら」
差し出された手鏡。
そこに映っている俺は―――先ほど、俺にちょっかいをかけてきていた、あの少女と良く似通った………違うのは髪がストレートなのと、グラデーションがあるかくらい………女の子の姿であったとさ。
「………きゅう」
「きゅ?―――っておい、鼻血が!待て、倒れるな!せめて鼻血を拭いてから倒れろ!」
駄目です、もう良く分かりません。思わず俺は後ろ向きにぶっ倒れた。
無理だ、痛いし、なんか疲れたし、動き辛いし、寒いし、なのに熱いし。
よくわからないことだらけで―――まあ、次目覚めたら、やる気だそう。
そう決意だけして、俺は意識をあっさり手放したのだった。
***
「軟弱者。理解不能になって倒れるとは」
「いや、これはおそらく身体への負荷のせいだが―――よくもまあ、生き延びられたものだ。だが実際傷は深いな。左腕も随分と酷く捻じ曲がっている」
「問題ないだろう。そこの娘擬きは、魔女のせいで我らと似た特性を持っている。傷など、放っておけば治る」
「お前と同じようにか」
「ああ」
頷いた、黒馬姿の妖精改め、プーカ。
本人が言葉にした通り、その肌の傷はもはやほとんどが治っていた。
「紅の魔術師よ。傷が治り次第、その娘擬きをモーディフォードの元に連れていけ」
「それは命令のつもりかね、大妖精。協定があるとはいえ人の世に、お前のような大妖精は不干渉であるのが鉄則の筈だが」
「その娘擬きは我らの領分だ」
「………ま、そう言われればそうか。どう考えても」
そう言って、紅の魔術師は両手で抱えた少女に視線を向ける。
「魔術師では、ないよなぁ、この娘。仕方ないか。どちらにしても用事はあるわけだし」
「――ふ。また、会おう」
その言葉は、眠りについたマツリに対しての言葉。
我が子に語り掛けるかのように優しいその口調に………そんな口調を初めて聞いた紅の魔術師は………口をあんぐりと開けていたのだった。
千夜の魔女のデザインはリメイク前に比べ僅かに変わっています。でもほとんど同じ!
彼女については余り多くは語れませんのでこれくらいで失礼致します。次回更新をお待ちください。




