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第7話 元婚約者、来訪

第7話 元婚約者、来訪


 その日、《奈落の菜園》には珍しく緊張した空気が流れていた。


 温室都市の外周警備をしていた元冒険者の青年が、顔を引きつらせながら中央区画へ駆け込んできたのだ。


「領主様!」


 朝の収穫作業をしていた健が顔を上げる。


「どうした?」


「貴族級の馬車列です! 護衛込みで三十人以上!」


「……また商会か?」


「いえ、それが……」


 青年が言い淀む。


 珍しい反応だった。


 健は手袋を外しながら首を傾げる。


「なんだ?」


「《白銀の剣》です」


 空気が変わった。


 近くで作業していた住民たちが動きを止める。


 エルフの少女が不安そうに健を見る。


 老ドワーフが眉をしかめた。


「……来やがったか」


 健は少しだけ黙った。


 心の奥がざわつく。


 だが、それだけだった。


 以前みたいに怒りで頭が真っ白になることはない。


 温室を吹き抜ける風は穏やかで、遠くでは子供たちの笑い声が響いている。


 ここはもう、あのギルドとは違う世界だった。


「……とりあえず正門だな」


 健はいつもの作業着のまま歩き出す。


 配信ドローンも自然についてくる。


『え、白銀の剣!?』


『ついに来た!?』


『修羅場!?』


『元婚約者くる!?』


 コメント欄が爆速で流れ始める。


 正門前には、豪奢な馬車列が止まっていた。


 白銀の装飾。


 高級魔導石ランプ。


 以前なら、健が憧れた“成功者の象徴”だ。


 だが今、その馬車はどこか薄汚れて見えた。


 焦りが滲んでいるからだ。


 扉が開く。


 まず降りてきたのは護衛騎士たち。


 続いて。


 白銀のドレスを纏った女が現れる。


 エレナだった。


 相変わらず美しかった。


 透き通る銀髪。


 整った顔立ち。


 だが以前と違う。


 頬が少し痩けていた。


 目の下に薄い隈がある。


 そして何より――余裕がない。


 エレナは門の内側を見て、一瞬言葉を失った。


 温室都市。


 緑豊かな畑。


 穏やかに流れる水路。


 笑い合う住民たち。


 かつて“ゴミ捨て場ダンジョン”と呼ばれた場所とは思えない。


「……本当に、作ったのね」


 小さく呟く。


 健は門越しに会釈した。


「久しぶりだな」


 その淡々とした態度に、エレナの眉がわずかに動く。


 昔の健なら、もっと狼狽えていた。


 もっと自分を見ていた。


 だが今の健は違う。


 穏やかで、落ち着いていて、そして――自分へ執着していない。


 その事実が、妙にエレナを苛立たせた。


「……ずいぶん偉くなったのね」


「そうか?」


「世界配信ランキング一位。スポンサー契約数歴代最高。今や王都でもあなたの話題ばかりよ」


 エレナは笑う。


 だが目は笑っていなかった。


「正直、驚いたわ。あなたみたいな地味な男がここまでやるなんて」


『言い方w』


『まだ上から目線で草』


『おっさん逃げてー!』


 コメント欄が荒れ始める。


 健は軽く頭を掻いた。


「まぁ、運が良かったんだろ」


「運?」


 エレナの声が鋭くなる。


「それだけで世界が動くと思ってるの?」


 苛立ち。


 焦燥。


 嫉妬。


 感情が滲んでいた。


 健はそれを見て、少しだけ胸が痛んだ。


 昔、彼女はもっと自信に満ちていた。


 華やかで、強くて、皆の中心にいた。


 だが今は違う。


 追い詰められている。


 その時だった。


 エレナが一歩前へ出る。


「……健」


「ん?」


「戻ってきてもいいわよ?」


 空気が止まった。


 住民たちが目を見開く。


 コメント欄が一瞬静止した。


『は?』


『え?』


『今なんて?』


 エレナは当然のように続ける。


「あなたにも意地があったのは認めるわ。でも、そろそろ現実を見なさい」


「現実?」


「ええ。《白銀の剣》はまだ一流ギルドよ。あなた一人で抱え込める規模には限界がある。だったら協力した方が合理的でしょう?」


 合理的。


 その言葉に、健は昔を思い出す。


 効率。


 数字。


 利益。


 誰かが壊れても、“合理的だから”で済まされてきた日々。


 健は静かに聞いた。


「……つまり」


「あなたを戻してあげるって言ってるの」


 上からの言葉だった。


 昔と同じように。


 だが今。


 健の心は不思議なほど静かだった。


 怒りもない。


 未練もない。


 ただ、一つだけ確認したいことがあった。


「予約されていますか?」


「……え?」


 エレナが固まる。


 健は事務的な口調で続けた。


「当領は完全予約制です。現在、面会申請は三か月待ちになっています」


『wwwwwww』


『塩対応きたwww』


『強すぎるw』


 エレナの顔が引きつる。


「な、何を言って――」


「事前連絡なしの来訪は困ります。住民もいますので」


 静かな声だった。


 怒鳴りもしない。


 責めもしない。


 ただ、“他人”として対応している。


 それがエレナには何より堪えた。


「……健、私は」


「あと、正門前で長時間停車されると物流動線が塞がるんだ。危ないから移動頼めるか」


『物流動線www』


『社畜領主つよい』


『正論すぎる』


 エレナの頬が赤くなる。


「あなた、本気でそんな態度――」


 その瞬間。


 門の周囲に植えられていた巨大植物が、ぶるりと震えた。


 健の視界に警告が出る。


『未登録車両長時間停滞』


『防衛機構作動』


「……あ」


 次の瞬間。


 どばぁぁぁぁぁっ!!


 地面から大量の泥水が噴き上がった。


「きゃああああっ!?」


 エレナが悲鳴を上げる。


 護衛騎士たちも巻き込まれ、全身泥まみれになった。


 白銀のドレスが茶色く染まる。


『wwwwwwwww』


『予約してから来いwww』


『自動迎撃で草』


『温度差えぐいw』


 コメント欄が爆発する。


 エレナは震えていた。


 屈辱だった。


 以前なら、健は絶対に自分へ逆らわなかった。


 いつも謝っていた。


 必死に機嫌を取っていた。


 なのに今は違う。


 健は困ったように頭を掻いているだけだ。


「悪い。まだ設定甘いんだ、その辺」


「……っ」


「怪我ないか?」


 その言葉が、逆に胸へ刺さった。


 馬鹿にされているわけじゃない。


 本当に心配している顔だった。


 だからこそ苦しい。


 エレナは気づいてしまう。


 健はもう、自分へ怒ってすらいない。


 完全に過去へ置いていかれている。


 その事実が、何より残酷だった。


 温室都市の中では、住民たちの笑い声が聞こえている。


 子供たちが走り回り、パンの香りが漂う。


 そこには確かに、“人が安心して生きられる場所”があった。


 そしてその中心には、かつて自分が捨てた男がいる。


 エレナは泥まみれのまま、唇を噛み締めた。


 健は静かに会釈する。


「……じゃあ、気をつけて帰れ」


 門が閉まる。


 重い音が響いた。


 エレナはその場に立ち尽くす。


 閉ざされた門の向こうから、楽しそうな笑い声だけが聞こえていた。



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