112 王城生活14 行動
薬草研究棟では、トウシキミの果実が届くのを、テラは逸る気持ちを抑えつつ、今か今かと待っていた。
「あら? テラ、おはよう。もう来てたの?」
テラに声をかけたのは、研究仲間のレナという20代前半の女性だった。
この研究棟にはテラを含めて15名が在籍しており、彼女は夜勤明けだ。
「レナ、おはよう! もしかして、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫よ。ところでテラはどうしたの? まだ時間じゃないよね?」
時間はまだ午前8時を回ったくらい。
薬草研究棟では、早めに出勤する人もいるのだけれど、皆が出勤して全員が揃うのは午前10時だった。
ちなみに、テラはいつも早めに出勤していた。
「あの、実はね……」
テラは、酷い風邪が王都で流行りつつあり、すでにひとつの村が全滅しているという、リーフから聞いた情報をレナに話した。
「なんですって……!! そんな恐ろしい風邪が……!?」
レナは驚きのあまり、テラが今まで聞いたことが無いほどの大きな声をあげた。
「それでね、もうすぐトウシキミの果実が運ばれてくるはずなの。でも、時間はあまり無いと……」
「そうよね……酷い風邪は感染力も高いわ。あっという間に広がって、王都は大変なことになる……」
顔を見合わせた二人の間に、深刻な、しばしの沈黙が流れた。
「……それにしても、なぜ、トウシキミなの?」
レナはふと疑問に思い、問いかけた。
「そ、それは……ユリアン殿下からの指示なの」
テラはとっさにユリアンの名前を出した。
ユリアンの名前を出したほうが無条件で納得してくれると思ったからだった。
「なるほど。殿下のご指示なのね」
レナは、ユリアンの指示と聞いて、精霊の助言かしらと思ったけれど、それについては言及しなかった。
「テラ、ただいま。トウシキミの果実、持ってきたよ」
その言葉に振り返ると、リーフとユリアンが部屋に入って来た。
「おかえり! トウシキミ、持ってきたのね!」
ユリアンはレナのほうをちらりと見て、軽く会釈をすると、テラの前にトウシキミの果実を置いた。
「!! ユリアン殿下、おはようございます。私、レナと申します! ぜひ、お見知りおきを」
「レナ、どうぞよろしく」
ユリアンはにっこりと微笑んで挨拶を交わした。
そんなユリアンを横目に、リーフはテラに声をかけた。
「ねえ、テラ。この果実を出来るだけ細かく砕いてほしいの。それをアルコールに浸して、成分を抽出してもらえる?」
「わ、わかったわ!」
テラはリーフと向かい合い、返事をした。
そして、用意していたハンマーを手に取った。
成熟した果実はかなり硬く、軽々とは砕けないためだった。
テーブルの上に布を敷き、20個の果実を置くとハンマーでコツコツと叩いて砕く。
レナも手伝い、15分ほどで出来た。
次に、ある程度砕けた果実を、石臼で均一な粉にしていく。
「さて、粉になったわ。これをアルコールに浸して抽出ね」
テラは少し深めの皿に粉を移し、重さを測る。
そこにアルコールを少しずつ注いでいった。
「それくらいで」
リーフが横からストップをかけた。
「これくらいでいいの?」
リーフのほうを向いて、テラが問いかける。
粉全体が浸るギリギリのライン。
「うん。それくらいでいいかな。そのまましばらく置いておいて」
レナは守り人ではないため、リーフの声は聞こえないし、姿も見えない。
普通の人には、テラが独り言を言っているようにしか見えない。
レナは、テラがどこを向いて話しているのか、その様子を真剣に見つめていた。
「そうなのね。テラは守り人なのね。羨ましいわ。ここに精霊がいるんでしょう?」
王城に勤める普通の者は、精霊の存在を知っているというより、認めざるを得ない状況にあった。
何しろ王家は全員が守り人であり、守り人の働き手も多いため、彼らの行動を見ていると、そこに精霊がいるという事実を否定することはできないからだ。
この点が、一般の市井の人々とは違う点だった。
テラは、レナの言葉を聞いて、自身がうっかりいつも通りにリーフと会話しているところを見られてしまったことに気付いた。
普段なら、普通の人の前では小声で、話を聞かれないように気を配るのに、完全に忘れていたのだ。
しかし、レナの話しぶりからして、精霊の存在を知っているようで、そのことに驚いた。
「えっ! レナは、信じられるの?」
「そりゃそうよ。だって、いるんでしょう?」
「そ、そうね。いるわ」
「ねぇ、どんな精霊なの?」
レナは、興味津々の眼差しでテラを見つめた。
「えっと……とてもカッコよくて、かわいくて……すごく素敵で、優しくて……」
言いながら、なんだか照れくさくなった。
「へぇ! 髪色とかは?」
「髪色は白銀で、瞳はエメラルドみたいな緑色で、背が高い男の子……」
「すごい! もう、それを聞くだけで、カッコいいってのが想像できたわ!」
テラは、レナがどんな精霊を思い浮かべたのかちょっと気になった。
「テラの恋人だもんね。彼はとても美しい精霊だよ」
ふたりのやり取りを聞いていたユリアンが、面白そうにニコニコしながら割って入った。
「ええっ! テラの恋人なの!?」
「ちょっと、ユリアン!」
すると、リーフが驚くような事を話し始めた。
「いいこと教えようかな。テラがレナと手を繋いで、見えるように願う。そしてぼくも見えるように願う。そうしたら、見えるかもしれない」
「ちょっと待って。そんなの初耳だけど!?」
ユリアンが驚きの声を上げた。
そんなこと、今まで聞いたことがなかった。
「普通の人は見る必要がないからね。見てもらう必要もないし。そもそも普通の人は精霊がいるって信じていないから。この方法は、契約の有無に関係なく、精霊と守り人の信頼関係が確立されていないと無理なの。だから、出来るかどうかは、やってみないと分からないよね」
「それで見れなかったら……信頼関係に問題があると……」
ユリアンがちょっと考えるように手を口元に持っていき、首を傾げた。
「そうなるよね。すると、今ある信頼に傷がつきかねないでしょ? だからわざわざそんなことしないの。相手を試すみたいになるし、関係が悪くなるかもしれない」
「それは確かにそうだね……そんなことして、出来なかったら……信頼がないのかって不安に思ってしまうかも……」
ユリアンの独り言を聞いていたレナが、言葉を口にした。
「話がよく読めないのですが……殿下の話だけで推測すると、信頼があれば見れる、または見れないという話でしょうか?」
「そう。テラと手を繋ぐと、ここにいる精霊が見えるかも、という話。ただし、テラと精霊の信頼関係が確立されていないと見れないそうだよ」
「ああ、わかりました! 見れると思ったのに、実は信頼がなかった、という結果になりかねない、というお話なのですね」
レナは察しが良かった。
「私とリーフは信頼し合っていると思ってるけど……確かに、それで見れなかったら……なんだか残念に思うし、それはちょっと、悲しいかも」
「精霊は見てみたいけど、テラに悲しい思いはしてほしくないわ。大丈夫よ。そんなことしなくても」
レナはテラに気を遣ってか、にこっと微笑んで、断りを入れた。
「ぼくは、テラとならそんな心配、一切いらないと思ってるよ。ね? テラ?」
「そ、そうよね! 私とリーフはそんな心配いらないよね」
「テラ、レナと手を繋いでみる? ぼくはいいよ?」
リーフが優しく微笑んで、テラを促した。
「じゃ、じゃあ……」
テラはレナの手を取った。
レナは、手を取られたことで、ハッとした。
たった今、テラと手を繋いだらという話をしていたばかりだ。
手を繋いだということは……
「いい? ぼくを見て欲しいって願って?」
レナの顔は、みるみるうちに目が見開かれ、彼女は息をのんだ。
テラの正面には誰もいなかったはずなのに、そこに精霊が姿を現したのだ。
「!! こ、これが、精霊!! す、すごい!!」
「レナ、見えてるのね? か、彼は、私の恋人なの。リーフっていうのよ」
「見えてるわ! なんて美しいの!!」
レナは生まれて初めて、精霊を目にした。
想像した以上に、彼はとても美しくてカッコよかった。
「はじめまして。ぼくはテラの恋人のリーフ。どうぞよろしくね」
リーフはレナに優しく微笑んだ。
「は、はじめまして! 私はレナ! どうぞよろしくお願いします!」
レナは感動、感激のあまり、声が思いっきり上擦ってしまった。
「ありがとう、テラ。ぼくを初めて、恋人として紹介してくれて。すごく嬉しい」
リーフは嬉しそうに微笑んで、テラの頬にちゅっと軽くキスをした。
優しく微笑むリーフは、キラキラして眩しかった。
「わぁ……! 彼、とても素敵なのね。テラが羨ましいわ! 王子様みたいよ!」
「そ、そうなの! リーフは私の王子様なの!」
テラの本音がポロッと出てしまった。
リーフを王子様だと形容する仲間が増えた瞬間だった。
「僕は本物の王子だけどね。ははは。リーフには負けるよ」
思わずツッコミを入れたくなったユリアンだった。
「トウシキミ、そろそろいいと思うから、見てみて?」
「あっ、そうよね」
テラがレナの手を離すと、レナの目から精霊が消えた。
精霊は見えなくなってしまったけれど、レナは精霊を初めて目にすることが出来て、本当に心から大満足だった。
大多数の信じない人がいるこの世界の中で、自分は信じてきた。
信じてきたことが、本当だった。
それがとても嬉しかったのだ。
「20個分の粉は40グラムほどだったわ。浸すために入れたアルコールは約100mlね」
浸していた間はおしゃべりをしていたけれど、その時間は約30分間ほど。
「これをしっかりと絞って、液体だけにするわね」
テラがしっかりと絞り、原液となるトウシキミの成分が抽出されたアルコール液が出来上がった。
量は約80ml。
「うん、いいね」
リーフは原液を指先にちょっと付けて、何かを確認しているようだった。
「この原液を希釈して使えたらいいかなと思ってて。重い症状の人には濃いめにして、予防としては薄めでいいかな」
「とりあえず、具体的な数字として出したほうがいいよね。粉は40グラム、アルコール100ml、30分間ほど浸して絞ったものが80ml、でいい? これが原液ってことで」
「うん。それでいいよ、テラ。その比率でお願い。あとは希釈率だね」
「希釈は具体的にどうする?」
「ここにある80mlは、8,000mlに薄める。10mlを1リットルに、ってことで。これは予防と、発症前後の初期用にしよう。酷い症状には効かなくなるけど、多くの人に予防用として、あるいは酷くなる前、発熱があるくらいの初期段階かな」
「10mlを1リットルだね。これが予防と初期用。承知したよ」
リーフが予防初期用の希釈率を示すと、ユリアンがそれを確認する。
続けて、重症用の希釈率を示した。
「症状が出て状態が酷い場合は、10mlを500mlかな。濃度を倍にする。これは肺炎を起こしていたり、危険な状態の人だけ」
「重症用の薬は、どれくらい作ったらいいと思う?」
「あの村、300人ほどの人口で20人が重症だったから……6%くらい?」
「一度に服用する量はどれくらいになる?」
「量は……そうだね。一人当たり50ml。少しでいいよ」
「ということは、王都の人口約8万人だけれど、少なくとも40リットルの原液が必要になるね。そのうち、重症用としては2リットルほど?」
リーフとのやり取りで、ユリアンはサッと計算して、原液の必要量を弾き出した。
「うん、それくらいかな」
リーフはユリアンの計算に同意した。
「40リットルの原液!?」
テラは驚いて目をパチクリとしていた。
「ちょっと待って。40リットルの原液……ここでは20個のトウシキミで40グラムの粉だったわ。それで80mlの原液が出来た。すると、トウシキミは……1万個!?」
レナも即座に計算して、トウシキミの必要量を弾いた。
「アルコールも大量に必要だね。計算すると……50リットルほど」
ユリアンは更に、アルコールの必要量を計算した。
材料としては、トウシキミ約1万個、アルコール50リットルが必要になることがハッキリした。
「トウシキミは30本の木をすべて成長させたから、けっこうあるとは思うけど、もし足りなかったらもう一度成長させるよ。今日はもう、出来ないけど……」
リーフの言葉を聞いて、テラはハッとした。
「そうだった! リーフ、寝ないと! 力、使いすぎてるんじゃない? それか、精霊界に戻って回復する?」
「精霊界に戻るほど、急がなくてもいいかな」
「そっか。……それじゃ、今は帰って寝てていいよ? 回復しないといけないよね?」
「テラは戻らないの?」
「もうすぐ時間になるし、私はこのまま、ここにいるわ」
今のところ、まだ誰も出勤して来る者はいないのだけれど、時刻は午前9時半を回っていた。
「うん、わかった。それじゃぼくは部屋に戻るね」
「僕は薬草工房に寄って、生産方法の説明をしてくるよ。それと父上にも報告しないといけないからね」
リーフはセオドア宮の部屋へと戻り、ユリアンは慌ただしく薬草工房へと向かった。
◇ ◇ ◇
ユリアンは薬草工房の責任者に、トウシキミの薬の製造手順を詳細に伝えた。
量、比率、時間を間違えないよう、必要量を正しく伝え、その時、時刻は午前10時を回っていた。
早朝の帰城から4時間余りで薬液の製造段階までこぎつけたのは、リーフの協力があってこそだったけれど、ユリアンの迅速な判断があってのものだった。
同時に、採取したトウシキミがパンパンに詰められた、45リットルの袋が6袋、荷車に乗せられて、その第一弾が薬草工房に到着していた。
ただ、一人当たり50mlの薬液を服用してもらうための小瓶が大量に必要になるため、それを調達するという役目が増えたのは言うまでも無かった。
その後、ユリアンは父王に謁見し、新薬の薬液はトウシキミから作られること、リーフの指示であることを報告した。
「新薬は出来るのだな?」
「はい。これから薬草工房にて順次、製造されます」
「ユリアンが動いてくれている間に、こちらには様々な報告が上がってきていたよ。風邪はすでに王都の西側で広まっている」
「やはり……そうでしたか……」
報告を受けたアイリオス王は、『口や鼻を布で覆う、アルコールでの消毒、盛り場の運営禁止、むやみな外出の禁止、患者の隔離』などを王命として決定した。
そして、この日の正午、王都全域とその周辺地域に対し、正式に発布されることとなった。
いつも「刻まれた花言葉と精霊のチカラ 〜どんぐり精霊と守り人少女の永遠のものがたり〜」を読んでいただき、ありがとうございます!
次回『113 王城生活15 王国軍』更新をお楽しみに!