【終】誰も、この神を止められない。
神族の婚姻は稀有であるだけに、中々立ち会うことが無い。その為、人々の興奮は中々覚めやらなかったが、ようやく落ち着いたのを待って、一同は下山を始めた。
レティシアの心が落ち着いたこともあって、再びヘレンの力が及び、森は爽やかな風が流れ、鳥の鳴き声もする。道はなだらかで歩きやすく、木漏れ日の光は美しい。神々は一時の散策を楽しみながら進んだ。
クラウスはレティシアを離さなかった。離れて不安にさせていたという自覚もあるし、ようやく伴侶に出来た彼女を離したくはない。抱き上げて行こうとした彼に、レティシアは羞恥を訴え、結果彼は手を繋ぐことで妥協している。
指輪の嵌まった左手を強く握りしめられて、自身の指に嵌まる指輪をつい視線に落として、レティシアは顔を綻ばせていたが、クラウスの傍を歩くラウェルがそれを見て嘆息した。
「まあ、随分なものをクラウスに付けられたな、レティシア。」
「どうしてですか?婚姻の証でしょう?」
それ以外に何かあるのかと思ったが、ラウェルは首を横に振り、
「いや、その通りだ。神族では左手の薬指に指輪がある者は、伴侶がいる証だ。」
レティシアの祖国にそういった習慣はない。何の気なしに左手に指輪をしようとしたレティシアを、クラウスが止めた理由が、ようやく分かった。ただ、ラウェルはまるで恐ろしいものを見るように指輪を一瞥し、
「婚姻の指輪は、指輪の相手である伴侶か、もしくは本人しか外せない。ヘレンが籠めるのはそういう力だ。それ自体は普通の事だ。」
「そうなんですか。」
全く危機感の無いレティシアに、ラウェルは言い聞かせるように言った。
「ただなあ、クラウスが込めた力は多分違うぞ。俺はそこからクラウスの凄まじい独占欲を感じる。」
「・・・・・・?」
目を瞬くレティシアに、黙って聞いていたクラウスはにやりと笑い、
「つまりだな。」
と、旧友の腕をいきなり掴んだ。
「うげっ!?ま、待て!」
ラウェルが慌てる間もなく、彼はその手をレティシアの指輪に近付けた。思わずレティシアはラウェルにされたことを思い出して身構えてしまう。更にそれに気づいたラウェルが絶望的な顔をして、それと同時にバチバチッと凄まじい雷鳴のような音と閃光が走り、ラウェルだけが吹き飛んだ。
「い・・・っ痛えぇ!」
触れる間もなく、近づいただけで彼の手が真っ赤になって煙まで出ている。流石に神族として最高位にあるだけに、あっという間に傷はなくなったが、ラウェルはもう御免だとばかりに距離を取った。
「俺を実験台に使うな!最近扱いが悪すぎるぞっ!」
とラウェルは抗議したが、クラウスは当然無視である。呆気に取られるレティシアには、それはもう優しい笑みを浮かべた。
「こういう事だ。」
「えええ・・・・。」
「心配するな。この指輪に込めた俺の力は、お前が嫌だとか怖いと思った相手にだけしか発動しない。お前には何ら害を与えないし、お前が心から大切に思っている相手にも同様だ。」
「付けていて、大丈夫なんだな・・・?」
「無論だ。絶対外すな。勿論、お前が俺の伴侶であるという証でもあるが、お前の指輪に刻まれているのは俺の紋章だ。お前を傷つけた奴は、俺に喧嘩を売った事になる。残らず殺してやる。」
その第一号になったラウェルなど、すでにかなり距離を取りつつ、
「相変わらず物騒だな・・・レティシアを脅して外させたら、どうするんだよ。」
と尋ねた。これにはクラウスは冷笑を浮かべ、
「そう言う事には無駄に良く智慧が回るな。だが、何も問題は無い。レティシアがこの指輪を外した瞬間、俺に伝わる。指輪には俺の力があるから、辿るのは難しい事じゃない。」
その瞬間、《鬼》と化したクラウスが降臨するであろうことは明らかで、ラウェルは呻いた。
「・・・・俺は、お前の独占欲にいっそ感心する。」
多情な神の代表格であるラウェルはお手上げと言わんばかりに手を拡げた。クラウスは鼻で笑い、目を丸くしているレティシアに微笑んだ。
そうして湖の畔に着くと、そこには再び来た時と同じ舟が待っていた。相変わらず無人であり、島全体は晴れ渡っていると言うのに、湖全体には濃い霧が掛かっている。
レティシアは不思議に思って、ヘレンに尋ねた。
「ここは何時も霧が掛かっているんですか?」
「そうよ。湖全体にわたしの力が掛かっているから、私の許しが無ければ立ち入る事は出来ない。恋人たちが私に会いに来た時だけ、案内をするの。普段は誰も居ないわ。」
婚姻を執り行う為だけの島だというから驚きだ。
すると、カイリ夫妻がやって来て、レティシアをぎゅっと抱き締めた。
「じゃあ、レティシア。先に行くわね。お祝いの準備をしなくっちゃ!待ってるわ。」
「クラウス。分かっていると思うが、加減と言うものを覚えなさい。」
またしても謎の事を言われてレティシアが目を瞬かせている間にも、夫婦は随分弾んだ足取りで、舟に向かって行く。入れ替わりに、ゼウスがやって来て、随分と重いため息を付かれた。
「慣例だから仕方が無いが・・・嫌なら嫌とはっきり言うんだぞ。」
と言って、何故かクラウスを睨みつけ、彼もまた去っていく。呆気に取られている間にも、ロディーナ達ワルキューレが名残惜しそうにやって来て、
「それでは、我らもお先に失礼致します。本来ならばここでお待ちしたい所ですが、許されませんので、宮でお帰りをお待ちしています。」
と去っていく。
次々に何故か惜別の言葉を言われ、訳が分からず、急に寂しくなるところに、レティシアの元にリルとミディールが駆け寄って来てキラキラとした目で見上げてくれた。
「僕、村の皆に報告するのが、本当に楽しみです!立ち会わせて頂いて、光栄でした!」
「皆、絶対羨ましがるわ!頑張って一緒に来た甲斐がありました!」
きゃっきゃっと一方的に盛り上がり、他の神々同様に、舟に乗り込んでいく。最後にやって来たのは、何やら一番足取りの重いラウェルである。
「あー・・・慣例破りは分かってるんだが、俺は帰りたくない・・・アレに乗りたくない・・・。レティシア、三人でどうだろうか。」
「なにを?」
一番訳が分からない事を言われ、レティシアは目を点にしたが、地を這うクラウスの声が横から響いた。
「・・・俺に湖の底に沈められたいらしいな。」
「じょ、冗談だ!」
顔を引き攣らせて後ずさりするラウェルに、悠然と歩み寄ったヘレンがにっこりと微笑みかけた。
「私にも喧嘩を売っているのかしら?婚姻が成った二人の邪魔をしたら、誰であろうと許さないわよ。乗りなさい。貴方にはたっぷりと話があるわ!」
「・・・・はい。」
ラウェルはどっと肩を落として、舟に向かって行く。そうして、ヘレンは二人に向き合うと、にっこりと笑って、
「じゃあ、行くわね。どうぞ、お幸せに。」
と颯爽と去っていく。
訳が分からず立ち尽くしていたレティシアは、首を傾げつつ、クラウスを見上げて、
「じゃあ、私達も行こうか?」
乗り遅れたら困るだろうと思ったレティシアは、次の瞬間身体がふわりと浮いた。クラウスに抱き上げられたのだ。
「え?」
「なんだ、もう待てないのか?急かさなくても、存分に可愛がってやるよ。」
クラウスは楽し気に笑って、舟に背を向けて、降りて来たばかりの森に向かって再び歩き出してしまう。
「何言って・・・・え?!あ、何で?!」
レティシアとクラウスを置いたまま、舟は湖へと動き初めた。
船上では、まるで饗宴が開かれているかのように、賑やかだ。リルとミディールは何か嬉しそうに話し込み、カイリとマリアはゼウスと何事か口論し、ワルキューレ達は見送るように揃って敬礼し、何故か今度は船頭がラウェルに変わっており、彼にその命を下したであろうヘレンは、何事か彼を強く叱責している。
三者三様の賑やかな舟も、だが霧の中に消えてあっという間に見えなくなってしまった。
「クラウス、皆行っちゃった・・・・。」
愕然としている間にも、クラウスは元来た道とはまた異なる道を進んでいく。
「そうだろうな。慣例に従ったんだろ。」
「慣例?」
「ヘレンに婚姻を認められた夫妻は、その後、好きなだけこの島で自由に滞在する事が許される。より一層仲を深めろって言う事だろ。俺達が使っている間は、他の者は一切上陸が許されない。全員それを知っていたから、撤収したんだろ。」
「そうだったのか・・・・。でも、それなら、別に居残らなくても良かったんじゃないか?」
「何故だ?」
軽く柳眉を潜めたクラウスに、レティシアは一瞬視線を彷徨わせ、頬を染めながらも、
「・・・わたしはクラウスが・・・心から愛しいと思うし・・・その、クラウスも同じだと思うから、別に今更深めなくても・・・。それより、結ばれたいとやって来た恋人達を待たせてしまう方が可哀そうだ。」
レティシアの睦言に、クラウスは今度は笑みを零し、額にキスを落とした。
「お前は優しいな。だが、そんな事は心配しなくていい。婚姻をする神族なんて、まず滅多に無い。神族の伴侶は一生だし、相手に与えられる権限も強いからな、大体は二の足を踏む。」
あっさりと言い切ったクラウスに、レティシアは彼の腕に抱かれて揺られながら、頬を染めた。それほどのものであるというのに、まだ出会ってそこまで長く付き合っていた訳でも無いのに、クラウスはやはり迷い無く、伴侶に求めてくれたのだと思うと、素直に嬉しかった。
何よりも、クラウスと離れ、ずっと不安と心配で押しつぶされそうになっていたから、こうして抱き締めてくれているのは嬉しくて、レティシアは素直に身を預けた。
早く出なければいけない訳ではなさそうだし、穏やかな山林は今は居心地も良い。久し振りに、クラウスとゆっくり過ごすのもいいかもしれないと思い始めた矢先、クラウスが不意に焦れたように呟いた。
「散歩は終わりだ。飛ぶぞ。」
どこに、と問う間もなく、レティシアの眼前から木々が消え、代わりに現れたのは、美しい館であった。流石にカイリの宮ほど大きくは無いが、総二階の建物は、貴族の豪邸かと思われる程だ。
「ここは・・・?」
「一度連れて来ただろう。あの時は崩壊していたが、ヘレンの力が元通り働くようになったから、再復したんだろ」
「あ!あの時の・・・皆がいた場所!」
「そうだ。だが、連中は中には入らなかったはずだ。ここに入る事が出来るのは、島で婚姻を成した者だけだ。使えるのもその夫婦だけで、ヘレンはその都度新しい館を作るそうだ。仕事熱心だとは聞いていたが、徹底しているな。」
婚姻の神ヘレンは、試練を超え、夫婦となった二人の為に、努力を惜しまない。島の全容がその都度違うのも、全員一律ではなく、その都度趣向を凝らしてやりたいという思いからだ。この館もその一つで、それを別の夫妻にまた使うことを良しとしないので、夫妻が島を出ると、壊してしまうのだという。そして、またいつ来るとも知れぬ求婚者たちの為に、今度はどうしてあげようかと悩むのが彼女の大きな楽しみなのだ。
ヘレンの徹底ぶりにレティシアは目を丸くしつつ、だが躊躇いなくクラウスが館の廊下を進むのを見て、不思議に思った。
「どこにいくんだ?」
「ベッドだ。」
「は!?真昼間から何を言っているんだ!しかも、他所様の家で良い訳ないだろう!」
レティシアの抗議に、クラウスは平然と返した。
「良いも悪いも、ここはそういう為にヘレンが作っている。」
「・・・・・!?」
「婚姻が成って、気持ちが高ぶってる夫婦がする事なんて一つだろ。この島のどこででも、好きなだけ繋がれって事だよ。他の連中がいたら邪魔でしかない。」
「だから・・みんな・・・・」
やはり皆知っていたらしい。口々に別れを言われるわけだと理解もしつつ、つまりはこの島で自分達が何をするかも、承知されていたという事で、レティシアは羞恥に真っ赤になった。
神族は性愛に寛容だが、それにしても開けっ広げ過ぎて中々ついて行けない。
頭を抱えたいレティシアに、神界有数の勇神であり、彼女の夫となったクラウスは、不敵な笑みを浮かべた。
「レティシア、覚悟しろ。俺のような神族に一目惚れされた時点で、お前の運命は決まったんだよ。」
そう告げて、彼は人界から見初めた、可愛い妻にキスを落とした。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
この世界観で、別の神々のお話も書いていますので、機会がありましたら、投稿したいと思います。
以上、傍迷惑な神々の、傍迷惑な恋話でした!