プロローグ
辺りから聞こえる機械の駆動音、パイプの隙間から漏れでる蒸気、荒い息。
ゴーグルが曇るのはそれら全ての理由が合わさっているのだろう。
「エージ、今日の仕事はここまでだ。退社すんぞ」
先輩の声がする。
声のする方へ顔を向ける。
しかし、蒸気のせいで顔どころか姿も見えない。
残業も意味が無い。
作業を止め、出入口へと向かう。
仕事場を出て、殺菌室を通り、更衣室へとたどり着く。
「お疲れ、エージ」
防護服を脱ぎ、ツナギを上半分だけ脱いで、汗を拭っている男がいた。
先輩のマサル先輩だ。
ゴーグルを外し、自分も服を脱ぐ。
鏡に移る自分の顔は先輩と同じく汗でぐっしょりとなった、銀髪がしんなりとしている。
防護服を脱ぎ捨て、普段着にも使用している作業服へと着替える。
選択は乱雑に染めた髪をかきあげて、更衣室を出ていく。
それに続いて俺も続いて部屋を出る。
廊下を通り、事務室へと顔を出す。
「お疲れ様、何か不備はあったかい?」
白髪の老齢の男性が声をかけてくる。
老齢の男性は椅子に座り、書類仕事を片付けている。
「所長!いつも通り蒸し暑いだけの仕事場ですよ。こういうのはとっととロボットに変えた方がいいっすよ」
「そうしたらマサルくんたちの仕事も無くなるだろうけどね」
「あ〜…それは不味いっすわ〜。まだ中央区に行く金貯まって無いんすよね」
「大丈夫、大丈夫。ウチにそんな金無いから。まず、そんな金あったら君たちの給料上げてるよ。若いのにこんな所で働いているんだからね」
カラカラと笑う所長とげんなりとしている先輩を他所にタイムカードを切る。
「あれ?エイジくん帰るのかい。いつも早いね」
いつもされる質問。
質問の答えもいつもと同じく返す。
「ええ、妹が待っているので」
鞄を背負い、扉を開ける。
そこには草木に埋もれた東京の街が広がっていた。
人や動物の姿は無い。
建物に明かりは灯っていない。電力が建物に供給されていないからだ。
空を見上げる。
夜空には星が綺麗に見えていた。
絶景といえる風景だが、今は全く意味が無い。
星を見る人など、俺くらいしかいない。
東京の道路を歩き、中央のスクランブル交差点へとたどり着く。
交差点の中心部分にあるマンホール。
それを持ち上げて中に入る。
中にははしごを降りていく。
2150年現在、現実を生きる者はいなくなった。
今から一世紀と少し前に地球は大規模な干ばつによる飢餓、自然災害、世界を巻き込んだ感染爆発、人類が生み出した火による汚染地域の拡大、オゾン層の消滅により、緩やかに迫っていた破滅が目の前に来ていた。
それをいち早く察知した天才と国を支配する上級階級は地球に未来無しと判断した。
すぐさまロケットを作り、技術者を連れ、地球を飛び出した。
今頃は月か火星かその他の星で楽しく繁栄を再スタートさせているのだろう。
今俺がいる東京はその新しく作った星の東京という訳では無い。
紛れもなく、地球の東京だ。
それは俺が取り残された人類の子孫だからだ。
平家に在らずんば、人に在らず。
そう言わんばかりに金も権力も無い一般大衆を地球に残し、旅立ったのだ。
残った人類にできることも無く、本来なら衰退の運命を辿るはずだった。
少し昔の豆知識を話そう。
地球には蟻という昆虫がいる。
巣の存続の為、種の繁栄の為、働き続ける昆虫だ。
この蟻だが、全体の7割が働き者で3割がサボる生体をしているらしい。
全体の調和のためか、必ずこの割合は生まれる。
3割のサボる蟻を抜いても、残った7割を全体として新たに3割サボる蟻が出てくるらしい。
人類も同じように天才を抜き、残った人類には新たに天才が生まれた。
そのお陰で人類は生存する道を得たのだ。
ここで履き違えて行けないのがあくまで繁栄の道でなく、生存の道ということ。
残った人類は繁栄を諦める事で生存の道を得た。
マンホールのはしごを降り、随分と時間が経った。
はしごを降りきると広い空間。
そしてそこには幾つもの椅子が並べられていた。
椅子には自分と同じような見た目をした人形が座っている。
足元に僅かにある明かりを頼りに空いている椅子を探す。
先程の話の続きだが、新たに生まれた天才が提唱したのは現実からの逃避行、肉体から魂の解放。
つまり、電脳世界への移住プランだった。
残った人類が貧窮していても人道に反する、宗教がどうだとか言ってより一層に衰退した。
地球の総人口が10億人になった頃にようやく決心し、電脳世界に移住した。
空いている椅子を見つける。
というかいつも座っている場所へとたどり着く。
椅子に座り、椅子の下から伸びているコードを手繰る。
コードの先に着いている端子を左手に空いている穴へと差し込む。
そして目をつぶる。
『識別コード985987。個体ネーム エイジ。帰還を確認、おかえりなさい。お仕事お疲れ様でした』
自分の精神が肉体を離れてコードを伝って電脳世界へと送られる。
残った身体は銀髪が黒髪になり、他の人形と同じ姿になる。
既に身体に魂は無い。
椅子に座った人形があるだけ。
目を開けるとどこかの路地裏。
周りに椅子は無い。
自分の座っている椅子以外に何も無い。
立ち上がると視界の先にキラキラと輝くネオンの光が見える。
路地裏を出るとそこは空中に電子掲示板が貼られ、車が浮遊し、ロボットが動き回り、人の喧騒や怒号が聞こえる。
ここは電脳東京品川区。
中心から離れた下層の区。
ここは電脳世界。
肉体を捨て、現実を捨て、繁栄を捨てた人類の到着点。
長い前置きをご清聴ありがとうございます。
これはそんな電脳世界に起きる話だ。
電能紀 -CYBER AGE-




