↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
超能力を使えるわたしが異世界に拐かされて神々の王様になる話  作者: ちょろんぞ/小野崎まち
第二部 始王編――《ネコとウサギのダンスⅡ》
PR
28/28

残照。残光。失われてしまったもの。

 わたしが無事に初仕事を終えたということで祝いの宴が催された。

 たくさんの食べ物やお酒を持ち寄って、朝から晩まで飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。

 このアタラクシアでわたしが見知っている顔が次々に訪れては散々飲んで騒いで、やがて飽きると去っていく。

 そんな日々が繰り返されて――なんと、今日で七日目となる。

 このころになるとわたしの祝いというお題目はただの口実と化し、もはや酒宴それ自体がみんなの目的となっていた。

 つまり飲みたいから飲んで、騒ぎたいから騒いでいるだけである。


 数日はわたしも付き合ったが毎日毎日酔い潰されることに耐えられなくなり、四日目あたりでウサギを連れて屋敷を脱出した。

 それでどこに身を寄せていたかといえば、この天上世界でもっとも高い場所――星神樹(イツキ)のところである。


「イツキー、ジュースおかわりー。今度は酸味を強くしてー」

「はいはい。わかりましたよ、かか様」

「あんがとー」


 現在わたしが居るのは星神樹の内部に作られたわたし専用のスペースである。いくつかの部屋に分かれており、照明、空調、トイレ、台所、それから家具の類も完備していて、一通り生活できる環境が整えられている。

 今はそのうちの寝室にあたる部屋で、ひとをダメにするイツキ特製ベッドの上でゴロゴロしながら、叡智の塔から借りてきた漫画を読んでいた。

 もちろんウサギも一緒である。

 わたしの腿のあたりを枕にして熱心に古びた書物に目を通している。タイトルは『永遠と刹那――無限と有限』とかいう相変わらず難しそうな本だ。

 ウサギの生まれを知った今では、なんとなくウサギがそういった本に興味を示す理由もわかる気がする。そういったものが彼女を生みだす要因となったのだから、どうしても気になってしまうのだろう。


 なお、ポチもベッド下で本を読んでいる。……実際のところどうなのかは不明だが、少なくとも開いた本を前にして時折ベルトを器用に使ってページを捲っているので、きっと読んでいるのだと思う。

 ミャーくんは屋敷で面倒なひと(・・・・・)に捕まっていたので置いてきた。ごめんね、と心の中だけで謝っておく。


「かか様、お持ちしましたよ。はい、どうぞ」

「ありがと」


 そうしているうちにイツキが戻ってきた。起き上がって差し出された木杯を受け取ると、その際の姿勢変化で腿から頭がずり落ちてしまったウサギから「んぬぅ」と声が上がった。


「……イツキ。吾れにも一杯、頼む」


 ウサギも一息入れることにしたのだろう、本をパタンと閉じて上体を起こした彼女はベッド脇に控えていたイツキに声を掛ける。


「わかりました。かか様と同じでいいですよね?」

「うむ」


 わたしから続けての頼み事だったけれど、イツキは嫌な顔ひとつせずに微笑みながら部屋から出ていった。

 木杯に口をつけながらそれを見送って、相変わらずイツキはイツキだなぁと思う。

 彼は基本的に他者からの頼み事を断らない。それが余程の無理難題でなければ、どんな頼み事でも安請け合いしてしまうのだ。

 それは押しに弱いからではない。

 イツキは根っからの世話焼きなのだ。奉仕の心に溢れているというか、誰かの役に立つことを自分の幸福にしているというか、とにかく誰かれ構わず世話を焼きたがる癖があった。


「イツキはあっちの馬鹿騒ぎに参加しなくてもいいの? 最初はいろいろ世話してまわってたけど」


 新たな木杯を持って戻ってきたイツキにそう訊いてみると、彼はくすりと笑った。

 盆の上の木杯をウサギに手渡してからベッドの端にちょこんと腰掛けて答える。

 

「ぼくの優先順位の一番はかか様ですから。かか様がぼくのところにいらしているのに、他に行くわけないじゃないですか」

「そういうもの?」

「そういうものなんです」


 ふんす、と得意げな顔をして胸を張るイツキの姿が妙に子供っぽく見えて、わたしも笑ってしまう。

 そんなわたしたちを見てウサギが呆れたように首を振っていた。

 

「しかしイツキはネコのことになると、なんでもかんでも世話しすぎではないか? 年々こやつの面倒くさがり度が増していっているのは、おそらくお前のせいもあるぞ?」


 その言い草に、ムッとする。

 

「わたし、べつにそんなんじゃないよ」

「では訊くがな、ネコよ。お前、今日朝起きてからトイレに行く以外でこのベッドを離れたのは何回であると思う?」


 そう言われて、今日一日を振り返ってみる(ちなみに今は夕方)。

 朝、ウサギと一緒にこのベッドで目を覚まして、するとそれを察知したイツキが駆けつけてきて顔を拭いたり髪を梳かしたりしてくれた。ついでに着替えも手伝ってもらって、そのあとは朝食を運んできたのでベッドサイドのテーブルを使って、ベッドに座ったまま済ませた。

 朝食後にはトイレに立って、その流れで歯磨きも済ませた。それからはまたベッドに戻って昨日の漫画の続きを読みはじめて――お昼になるとまたイツキが食事を運んできてベッドの上で済ませ――また読書を再開して、現在に至る。


「…………」


 驚いたことに途中でトイレに立った以外、ほぼベッドから離れていない。

 びっくり。


「そらみたことか」


 バツの悪い思いでそろそろと視線をウサギに向けると、彼女は呆れ顔で鼻を鳴らした。

 一方でイツキは気にした様子もなくニコニコと笑っている。


「大丈夫です。かか様がどんなふうになっても、たとえ人前に出られないような有様になっても、ぼくが誠心誠意お世話しますからね」

「……う、うん」

 

 おそらく本心からであろうイツキの言葉に、お礼を言うべきなのかどうか迷った末とりあえず曖昧な返事だけをしておいた。


 ……今更の話ではあるけれど、イツキはひとをダメにする存在であると再認識する。

 たぶんイツキのそばで一ヶ月も過ごしたら、見本のような駄目人間が出来上がるにちがいない。

 恐ろしい。

 改めて彼に甘えすぎないようにせねばと気を引き締める。


「とりあえず夕ご飯はお豆腐ハンバーグでよろしくね」


 しかし、まあ、なにをするにも腹ごしらえは大事である。

 思いを貫き通すためにもきっとカロリーが必要だから、これは真人間に成長するために不可欠なことなのだ。


「かか様の好物のですね。わかりました」

「あとお芋を揚げたやつと、ポテトサラダも忘れちゃだめだからね?」

「はいはい。もちろんわかってますよ」


 わたしからの注文をうれしげに受けたイツキは、ニコニコしたまま部屋を出て行った。きっと今から下準備に入るのだろう。わたしの空腹具合を訊かずとも察しているらしい。

 素晴らしいね。


「もはや手遅れか……」


 ウサギが諦観した様子で首を横に振っていた。

 なんとなく態度が気に入らなくて、伸ばした足の指先で脇腹を突っつく。

 

「くふんっ。な、なにをする」

「べっつにー」

「こやつめ」


 足首を摑まれて足裏をこしょこしょされる。

 

「んっ、ちょ、やめ」

「くふふ、お返しであるぞ。悶え苦しむがよい」

「もー、やめてってば!」


 がばっとウサギに飛びついて、その角を両手で握る。そしてそのまま左右に大きく揺さぶった。


「お、おうっ、や、やめい! 目が回るし、そこは、その、乱暴に扱うべき場所ではないのだぞっ?」

「うるさい、この角めっ。たまに肋骨にダイレクトヒットするとゴリゴリして痛いんだからね」

「角は角なのだからゴリゴリするのも致し方なかろうがっ」


 そう言って口をへの字にしたウサギがこちらの脇腹へ両手を伸ばしてきた。躱そうと身を捩るも角を確保したままでは無理だった。あっけなく捕まりお腹を擽られてしまう。


「あっ、こらっ、やめ」

「だったらネコが先に手を離すのだっ」

「そっちが離したらこっちも離すよ!」

「ならば吾れもお前が離したら離すぞっ」

「そっちが先!」

「そっちだ!」


 ベッドの上を転がって、どったんばったんと攻防を繰り返すことしばし。

 ムキになってわりと本気で暴れたせいかすぐに息が上がって、どちらからともなく動きを止めてだらりと横になった。

 息を荒らげながら、ぼんやりと天井を見上げる。

 すでにわたしの手はウサギの角から外れていた。彼女の手もわたしの脇腹からは離れている。

 代わりに、ウサギの頭がお腹の上に乗っていた。そちらもやはり荒い息をつきながら、天井を見上げている。

 

「…………」


 やがて息が落ち着いてきたころ。

 ごろりと身体をひっくり返らせたウサギは、なにを思ったか無言でわたしのお腹に角をこすりつけはじめた。ぐりぐりと抉ってくる角の感触に、眉を顰める。


「だからそれ、やめてってば」

「……うるさい」

「なんかこの間からたまにやってくるけど、それってなんの意味があるの?」

「べつにいみはない」


 じゃあなんでやってくるの、とは口にしなかった。

 とりあえず肋骨に直接当たらなければそれほど痛くはないし、傷がつくわけでもない。ひとつ溜め息を吐いて、好きにさせておく。

 撫でてほしいのかと思えばそういうわけでもなさそうだし、マーキングみたいなものなのかと思えばそれもちがうようだった。

 こすりつけるのが目的というより、そうすることでこちらの存在をたしかめているような感じを受ける。

 その姿は、あの滅びた世界で獣型の彼女が鼻面を押し付けてきたときに似ていて。

 拒む言葉をいくら口にしようとも、それを行動に移すことなんてできるはずもなかった。

 

 ウサギなりの甘え方であると思って、とりあえずは受け入れておく。

 たぶん、あの日を境にわたしたちの関係性が変化したことも影響しているのだろう。

 あのとき、わたしたちは本当の意味で対等になったのだ。

 力においても、意思の強さにおいても。

 だから彼女のこの行為を甘えていると評するのも、案外まちがってはいないのだと思う。


 そう考えればこの状況も決して悪いものではないのだろう。以前はわたしだけが一方的に甘えていたのだから。

 そう思うと、表情を隠して角をぐりぐりしてくる意味不明なウサギの姿も可愛く見えてくる。

 その後頭部を見ながら、思わずわたしがくすりと笑みを零したときである。


「――――ぐ」


 ごり、と角の先が肋骨に当たった。

 痛みがビリビリと駆け上がってくる。


「……あ。す、すまんな」


 わたしの呻き声でそれに気づいたのか、顔を上げたウサギが申し訳なさそうに謝ってくる。

 その顔をじっと睨みつけて、沈黙。


「…………」

「いや、その、うっかりだ。悪気はなかったのだぞ?」

「…………」

「あれだ、お前の肉付きが薄すぎるのが悪いのではないか? もっと豊満であればそうたやすく骨にヒットしたりはしな――」

「よろしい、戦争だ」


 ぎゃーぎゃーわーわー。

 どったんばったん。

 ごろごろ、がんがん。

 

 結局イツキが夕ご飯を運んでくるまで、わたしとウサギは取っ組み合いを続けたのだった。

 イツキに怒られてしまった。

 くすん。








 やがて日が暮れて、夕食を済ませ、一休みして胃の調子が落ち着いたころである。

 入浴するために一時的に屋敷に戻ったわたしたちを出迎えたのは、相も変わらず酒に溺れた面々だった。

 屋敷奥の浴場に向かうには宴会用に作られた大広間のそばを通らなければならない。こっそり通り過ぎるつもりだったのだが、酔っ払っても神的存在、気配を誤魔化すことはできなかったらしい。

 一杯だけでも飲んでいけと宴会場に引っ張り込まれてしまった。

 

「ほら、ネコ。オトヨが秘蔵していてめったに持ち出さない清酒よ。二日も交渉してやっと持ってこさせたのだから、味わっておきなさい」


 薄っすらと頬を桜色に染めて妙な色気を醸し出すサクラが、赤漆の盃を差し出してくる。今にも零れそうなほどに満たされているのは、一切の濁りがない透明な液体。ふわりと鼻先を酒精の芳しい香りがかすめて、思わず喉を鳴らしてしまった。

 

「オトヨがあれを出したのか。サクラ、吾れにも一杯頼む」


 横に座ったウサギの言葉に、はいはいと頷いて空いていた盃に屠蘇器から酒を注いでいく。

 それを横目にしながら、わたしは盃に口をつけた。

 

「――――」


 目を剥く。驚きに、言葉を失う。


「なに、これ」


 まるで澄みきった水のようだった。一切の雑味が感じられない。それでいてその内に強烈な力――酒精を宿している。

 口に含んだそれが喉、臓腑と伝っていくにしたがって酒精に触れた細胞が活性化するかのようだった。

 身体の全てが酒精を切っ掛けとして覚醒していく。それだけではない。活性と同時に身体の芯から心に至るまでが清められ、全身の淀みが祓われていくような感覚。

 香りもまた、単なる酒とは段違いだった。口に含んだときには淡く、呑み込んだあとに強烈な香りが鼻先にのぼって外に抜けていく。それでいてあとには残らない。まるで幻であったかの如く一瞬で消え失せてしまう。

 刹那の快楽。それを再び味わんがためにもう一口含む。

 香り、活性化、清め、香り。

 それらの連鎖が止まらない。盃になみなみと注がれていた分をあっという間に飲み干してしまう。

 

「すっごく、おいしい」

 

 神酒、という言葉が思い浮かぶ

 きっとこんなものは人間には造れない。それだけじゃない。人の身ではこの酒が与える快楽に耐えられない(・・・・・・)。

 一度口にすれば心を囚われ、身を滅ぼしてしまうだろう。

 これは神様にだけ許された、神様のためのお酒。

 わたしが正気を保っていられるのは、この身に注がれた力のおかげだ。

 でなければ今頃、わたしは狂ってしまっているだろう。

 

「でしょう? あなたは運がいいわよ。オトヨがこれを持ち出すのなんて、数百年に一度ぐらいしかないのだから」

「オトヨにお礼を言わなくちゃ」


 サクラの言葉を聞いてどんちゃん騒ぎの中にオトヨの姿を探すが、あの特徴的な緑髪は見当たらなかった。


「彼女なら裏庭で眷属たちと土遊びしてるわよ。大分酔っているみたいで、さっき様子を見に行ったときは得体の知れない植物を生やして戦わせて(・・・・)いたわね」

「戦わせて……?」


 植物を?

 問い返したわたしへ、サクラは肩を竦めて頷く。 


「『これは最強の植物を決める運命の戦い……!』とかキメ顔で言っていたわよ」

「……やっぱりお礼を言うのはあとでにする」

「そのほうがいいわね。あなたが顔を出したら絶対に巻き込まれるもの」

 

 羽目を外しすぎではないだろうか。

 さりげなくサクラからお代わりを注がれていた盃に口をつけながら、呆れた思いで広間を見渡す。

 今ここに残っているのは、わたしたちの他には月神であるルーナに、放牧場の主である狼ヘッドのひとに、図書館塔の主である司書さんに(骨なのにどうやって飲食しているのだろう?)、美青年スタイルになった神竜であるクロとシロ(容姿は双子みたいにそっくりで肌と髪の色、髪型がちがう。クロは黒肌黒髪でワイルドな長髪、シロは白肌白髪でストレートな長髪)、それからやたらと露出が激しくて水着みたいな格好をしている性悪夢魔に、機械いじりが大好きな工神。

 ――その中でもひときわ目立つのは、虹色の髪を長くのばした、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ主張が激しい体つきをした女のひと。


 透け透けのドレスを身にまとった柔和な顔つきの彼女の名は、セイ。

 アタラクシアにおける二大水源の一たる精霊神――つまりミャーくんの生みの親である。

 そしてミャーくんが可愛くてしかたがないひとでもある。

 今もその膝の上にミャーくんを大事そうに抱きかかえており、あれこれと世話を焼いていた。頭の上にふたつのおおきな塊を乗せられたミャーくんはいつも以上に死んだ目をしていたが、たぶん気のせいだと思う。……そういうことにしておく。

 セイはなんというか、ミャーくんを可愛がるあまり過保護すぎる(・・・・・・)ところがあるのだ。

 それが嫌で彼は独り立ちを決意したようなのだが、こうして久しぶりに顔を合わせるとその埋め合わせとしていつも散々に構われている。

 

「…………」


 ミャーくんのドブ川にドブ川を足したような目と合った気がする。

 ……いや、気のせいだろう。

 なにか助けを求めるような眼差しだったような気もするし、口がパクパクと動いていたような感じもするが、わたしの考え過ぎだと思う。

 親子のふれあいの時間を邪魔してはいけない。宴が続く間はしっかりと絆をたしかめ合ってほしいものである。


 さて、そういうわけでそろそろ浴場に向かおう。

 イツキもとっくにわたしたちの着替えを準備し終えてお風呂場で待機しているはずだ。

 かぱかぱお酒をお代わりしていたウサギを引きずって、広間をあとにする。

 

「ね、ネーさま……! 聞こえてやすよね!? なんで知らないふりを……!? へるぷ! へるぷみぃー!」

「あらあらミャルちゃん、あまりネコちゃんを困らせてはいけませんよ。いつもあなたの面倒を見てくれているのですから、たまには自由にさせてあげませんと。……それとも、まさか、母と一緒にいるのが嫌なのですか?」

「い、いやだなぁ、母上さま。わたし(・・・)が母上さまを疎んじるわけないでしょ?」

「そ、そうですよね。可愛い可愛いミャルちゃんがこの母を嫌いになるなんてこと、絶対にありえませんよね。母、一安心です」

「母上さまの早とちり~、うっかりさんっ」

「母、てへぺろです。ぺろぺろです」

「ぺ、ぺろ……?」

「ミャルちゃんをぺろぺろしてもいいですか?」

「えっ」

「きゃーんミャルちゃーん」

「あっ、ちょ、や、ネーさま! ネーさま! まっ、」


 うーん、聞こえない。

 なにも聞こえない。

 後ろ手に広間の襖を閉めて、露天風呂に向かう。


「……あれを見るたび、あやつの性根が歪むのも致し方ないという気分になるな」


 ぽつりと呟かれたウサギの声が、妙に響いた。

 わたしはなにも見ていないし聞いていないけれど、心の中で同意した。




  


 


「あー……。この一日の疲れが溶けて抜けていく感じ、最高」


 夜天の下の露天風呂。

 肩までどっぷりとお湯につかりはふぅっと大きな息を吐いていたわたしは、右隣から視線を感じてそちらを見やる。

 同じように肩までつかったウサギがなにか言いたげな顔でわたしを見ていた。


「なに?」

「いや、疲れもなにも、今日一日ベッドの上でゴロゴロしながら漫画を読んでいただけだろうにと思ってな」

「漫画を読むのもカロリー消費するんだよ。つまり疲労するの。神経も使うし。一応これでも肉体的には人のままだからね、わたしは」

「今では吾れより頑丈なんだがなぁ」


 そう言いながら、ウサギはこちらの二の腕あたりを突いてきた。

 

「ぷにぷにしておる」

「自慢のもち肌。加護つき水のお風呂のおかげで、美容はばっちり」

「胸部ももっとぷにぷにすればよいのにな」

「うるさい」


 ツンツンしてくる指をはたき落とした。

 わたしと同じぐらいのくせにと言い返そうとしたが、そもそもウサギはそういう部分の大小に拘っていないのでなんの効果もない。

 言葉に詰まったわたしがぐぬっとしていると、鼻で笑われる。腹が立ったのでこちらも突き返そうとするが、察知したウサギはこちらが行動に出るよりも前にスイーッと泳いで離れていってしまった。

 超圧縮した水鉄砲でも喰らわせてやろうかと思ったが、左隣に座っていたイツキに「まあまあ」と宥められてしぶしぶ諦める。


「……むぅ」


 視線を隣のイツキへ向ける。

 目に入るのは、普段はふわふわしている緑髪を頭の上でまとめた彼の姿。まあ、彼とは表現しているものの、ミャーくんと同じでイツキに性別はないのだが。

 露出した上半身から湯の中に隠れた下のほうまで、じろじろと見やる。

 簡単に言うと、ぺたーん、ぺたーん、ぺたーんな感じ。

 スレンダー極まりない体つき。

 そのボディを見ていると、なんとなくほっとするものがあった。根拠のない自信が湧いてくる。……いや、イツキは比べるべき対象ではないとわかっているのだけれども。

 わたしの視線に気づいたイツキは、とくに恥じらう様子もなく「どうしました?」と微笑みながら首を傾げる。


「……んーん、なんでもない」


 まさか、正真正銘の女の子であるわたしが無性のイツキのスレンダーボディと比較して安心していたと言えるわけがない。

 不思議そうな顔をしたイツキはとくに聞き返すこともなく「そうですか」と頷き――その視線がふいにわたしの顔から下へとズレた。

 今度はわたしの身体を上から下へとじろじろ見られてしまう。

 裸を見られるのなんて今更の話で別に恥ずかしいという思いはないが、こうもまじまじと見られると若干の居心地の悪さを感じる。


「……なに?」

「いえ。かか様、このごろは悪い意味ではなく全体的に丸みを帯びてきましたよね」

「えっ、そ、そう?」


 慮外の言葉に、心臓が跳ねた。自然と頬が緩んでしまう。


「ええ。女性らしさがぐっと増してきましたよ。蕾が花開く寸前といった感じです」

「じゃあ、もうすぐ花開いちゃう?」

「ちゃいます」

「ふーん……そっか。ちゃうかー。ふーん。へー」


 実は自分でもそう思っていたのだ。

 初仕事を終えたあたりから、急に身体の成長速度が上がったような気がしていた。もしかしたら初仕事という大きな山を越えたことで、無意識に感じていたプレッシャーやストレスが解消されて、心身に良い影響を与えているのかもしれない。

 ともあれ、わたしは少女から大人の女へ変わりつつあるのだ。イツキの言葉によってそれが単なる自分の思い込みでないことが証明された。

 すぐにわたしもサクラみたいになるにちがいない。

 

「いや、ネコよ。吾れはお前の成長した姿を知っておるが、部分的には今とそれほど――」

「しっ! ウサギさん、それ以上はダメですよっ」

 

 イツキとウサギがなにやら会話を交わしているが、今のわたしの耳には入ってこない。聞こえない。右から左である。

 ふんふんふんと軽く鼻歌を奏でながら、両手両足を大きく伸ばして水面に浮かび上がる。

 ぷかぷかと水の上を漂いながら、天上世界の夜空を見上げた。


 視界に広がるのは初めて見たときと変わらない、宝石箱の中身を散らしたような綺羅びやかな星天。

 色とりどりの輝き、星々。

 空の上で一際大きく、強く大地を照らす月の化身たるルーナ曰く、かつての残照。残光。失われてしまったもの。

 あれらは、いつも同じ輝きをわたしたちに見せる。

 地球の星々とは異なり、時間や季節によって姿形を変えることはない。いつ見ても同じ場所で、同じ光を放っている。

 少なくとも、わたしがやってきてからはそうだった。

 だから五年も経った今ではほとんどの星の色と位置関係を覚えてしまった。


「過去に行けるわたしなら、いつか星になる前の『失われてしまったもの』を目にする機会もあるのかな」


 ふと漏らした呟きに、答えはすぐに返ってきた。


「もちろん」


 イツキと。


「お前はアタラクシアの王であるのだからな」


 ウサギの声。

 ふたりの言葉を聞いて、わたしは瞼を下ろした。


「楽しみだな。きっとそれは、あの星の輝き以上に綺麗なものなんだろうね」


 苦笑する気配が伝わってきて。

 

「お前にとってそうであったらよいのに、と思う。きっと吾れだけではなく、このアタラクシアに住まう者どもはみな」


 どうしてかその言葉は、妙に耳に残っていた。

 いつまでも。

 いつまでも。


 こうして、わたしのアタラクシアで過ごす時は、また一日過ぎていくのだった。

 

今回は閑話的な話でした。

新章開始まではもう少しお待ち下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。