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変化する彼ら

「愛しています、涼子さん。僕と結婚してください」

「嫌です」


 いつもに増して投げやりに、涼子は答えた。

 朝のやり取りで抱えた苛立ちは夕方になっても薄まらないまま、涼子の腹の下のほうに澱のように溜まっている。

 涼子の事情など知らない…知る気もないだろう星彦は、相変わらずの美貌に甘い笑みを浮かべて涼子を見つめてくる。


「ああ、涼子さん、青いブラウスがとても似合っていらっしゃる。青い洋服はお好きですか?ミーナも青が、」

「あの」


 ミーナ、という言葉になぜか耐えがたいものを感じて、涼子は彼の言葉を遮っていた。

 今日の自分はどうかしている。

 朝から嫌な目にあったせいで、うまく頭が回らない。


「…あの、この後ちょっと時間ありますか。話があるんです」


 いつもなら星彦が言うセリフを、今日は涼子が口にした。

 一瞬、彼は言葉の意味を測りかねるような顔になる。


「…それは、お誘いの言葉と受け取ってもよろしいですか?僕を誘ってくださるんですか、涼子さん?!」

「え、は、はあ。ちょっと、ひとに言われて」

「ひとに言われて?ああ、それでも構いません。マグノリアの神よ、感謝します!」


 突然立ち上がって涼子に詰め寄った挙句、胸に六芒星印をきってマグノリアの神とやらに祈りをささげだす。今日の星彦もぶっ飛んでいる。

 この男のどこがいいのか、涼子にはちっとも分からなかった。


「さあ参りましょう、涼子さん。お好きな料理はありますか?僕の知る限り最高の場所へご案内します」

「…ファミレスで」


 顔がよくて、金持ちで。

 甘い眼差しでこちらを見つめ、当たり前のようにエスコートしてくれようとする。

 彼のいいところなんて、大したもんじゃない。

 ほんとうに。




「ファミリーレストランなんて、中学校の社会見学以来です」


 ドリンクバーをめずらしげに眺めとりあえず気のすんだらしい星彦は、紅茶を片手に戻ってくるなりそんなことを教えてくれる。

 社会見学でファミレスに来るって、どんな学校。

 涼子は取ってきたメロンソーダに口をつけ、聞きたくなる気持ちをこらえた。世間話がしたくて誘ったわけではない。


「…今日、女の人に会いました。あなたに近づくなと言われて困りました。あたしからあなたに近づいてるわけじゃないし、そんなのあたしに言われてもどうしようもないと思うんです」


 単刀直入に、涼子は切りだした。


「これまでも言われてたんです、そういうの。告げ口するのも嫌だと思って言わなかったけど、考えてみればあなたのせいであたしが嫌な思いするのも納得がいかないですし」

「…誰が、」

「誰がやったかとかはいいんです。あたし、あなたにちゃんと聞こうと思っただけなので。…なんで、あたしに会いに来るんですか?」


 この三カ月で一番真摯な気持ちで、涼子は目の前の男と視線を合わす。対する星彦も、涼子に求婚する熱心さとは違う温度の真剣な表情を返してくれた。


「あなたが好きです、涼子さん。だから、あなたが僕を歓迎してくださっているわけではないと知りながら、お会いしたいと思ってしまう」


 …それなのに、彼の口から出たのはいつもと同じ、薄っぺらい告白である。

 憤りのような惨めさのような感情がこみあげてくるのを、涼子はこらえた。


「あたし、ちゃんと断ってますよね。あなたの気持ちには答えられません」

「何度断られても、涼子さんにお会いしたいという思いは止まないんです。…あなたが不快な目にあっていらっしゃるとは知りませんでした。申し訳ありません」


 謝罪の言葉は、涼子の耳を通り過ぎた。


(涼子さんに、お会いしたい?)


 告げられた言葉がぐるぐる回る。


「…あなたが会いたいのは“現世のミーナ”でしょう?ちゃんと言ってください。あたし、間違えてしまうから」

「いいえ、涼子さんです」


 いつかもしたやり取りだった。

 その時は聞き流せた言葉なのに、いまは無理だ。どうしてかわからないけど、胸が苦しい。


「あなたが好きなのはミーナですよね。ミーナに似ているからあたしに会いに来るんでしょう?」

「…涼子さん、」

「うんざりなんです。そんな理由で好きだの愛してるだの言われるのも、そのせいで知らない女の人に責められるのも。あたしは、…あたしはミーナじゃありません」


 告げる一瞬、どうしてか涼子は怖いと感じた。はっきり口にして言えば、失望されるような気がした。

 どうかしている。

 彼女がミーナでないことなんて、星彦も分かっているはずなのに。


「あたしをミーナの代わりにして遊ぶのはやめてほしいんです。ミーナに会いたいなら、アニメを見てください」


 星彦はふたつ、瞬きをした。 


「ミーナはニンジンが嫌いなんです」


 …この会話の流れでなぜミーナの好き嫌いが出てくるのか。

 苛立ちもあきれも通り越して、虚しさが胸に広がった。

 毎日のように好きだと言いながら、そのくせこの男は涼子のことなどちっとも見ていないと、改めて気付かされる。“現世のミーナ”に涼子という人格があることすら、星彦は気づいていない。

 顔よし、頭よし、家柄よしの王子様は、アニメのヒロインに恋をしていた。


(…最悪)


 分かっていたことなのに、今また傷つけられたような気持ちになるなんて。


「ミーナはニンジンの色がいやなんです。ミーナが言うには、ものにはそれにふさわしい色があってニンジンの赤は根菜としてあるまじき色だと。そんな言葉すらニンジンを食べられない言い訳のようで、僕はますますミーナを好きになってしまいました」

「…だから何なの」

「涼子さんはニンジンがお好きだ」


 甘く整った顔立ちで、星彦はなんの屈託もなさ気に微笑む。


「帰り道でニンジンベースの野菜ジュースをよく買っているでしょう?ニンジンケーキを食べているのも見たことがあります」

「…」

「初めてあなたとお会いしたとき、僕は確かに、この現世にミーナが降り立ったようだと思いました。マグノリアの神が僕の願いを聞きうけ、慈悲を下さったのかもしれないと浮かれたんです。…でも、あなたはミーナではない。三か月も言葉をかわしていれば気付きます。そして僕は、そのことが決して嫌ではなかった」


 告げられた言葉の意味が分からなかった。

 彼の言うことが理解できないなんていつものことなのに、いつもなら感じないもどかしさが湧いて出る。

 さっきまで感じていたはずの虚しさは消えていた。


「涼子さんがミーナと違うと知ることを、僕は不快には感じなかった。嬉しいとすら思ったんです。この三カ月で、僕はミーナとは違うあなたを…涼子さんを、好きになっていました」


 まっすぐな目だった。

 この三カ月間ですっかり慣れた視線だ。跪いて花束を差し出すとき、彼はいつもこんな目で涼子を見上げる。何とも思ったことのない眼差し。

 それなのに今、こんなにも頬が熱くなるのはなぜか。


「…っ」


 思わず顔をそらした涼子に、星彦が微笑む。

 甘い笑みだった。




「愛しています、涼子さん。僕とけっ…つきあってください!」

「嫌です…て、え?」


 あれから、彼はいつものように涼子を駅まで送った。真摯な告白が嘘のように、いつも通りの星彦だった。

 三か月ですっかり日常と化した大学の正門前でのやり取りは、今日もまた当然のように繰り返される。

 おなじみの求婚、おなじみのお返事。

 …それなのに、告白の内容が少し変わっただけで途端に返す言葉に戸惑ってしまうのはどうしてだろう。

 というよりなぜ、彼は結婚からお付き合いに求める言葉を変えたのか。


「友人に助言をもらったんです。好きになった人と近付くには、まずお付き合いを求めるのが正しい手順だそうで。いきなり結婚を持ち出すのでは重いといわれました」


 涼子の思考を読んだかのように、星彦は言う。


「涼子さん、三ヶ月間の僕の無礼をお許しください。ミーナはまず求婚されて、最終的にはそれで是と答えたので、思い至らなかったのです」


 また、ミーナ。ちっとも変わらない彼の言葉。

 それなのになぜ、こんなにも顔が熱くなるのか。


「このあと、なにか予定はおありですか?もしよければ、一緒に食事に行きましょう」

 続く誘いも、いつもの通り。

 …差し出された手に手を重ねてしまったのはきっと、気の迷いだった。


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