私の友達
姫子の視線が何度も百合の足を捉える。かっと頬が赤くなるのを感じるが、それでもなおじっとしていることが出来ない。全部春香のせいだ。最初は百合に友達が出来たことを喜んでくれていた。それなのに最近は姫子の話題になるとあからさまに不機嫌になる。そして今、私が尿意を堪えているのもそれが原因だ。
春香に嫌だと言えば断ることも出来た、そんなことで今更春香との関係が壊れることはない。ただ春香に分かって欲しかったのだ、自分の思いの強さを。余りにおかしな表現方法だと思ったが、春香が1日トイレを禁止するのならそれにのってみようと思った。
姫子が不思議そう、というよりは訝しむようにこちらを見ている。下腹部がじんじんとしてあまり取り繕う余裕がないが、せめて足踏みだけは我慢して姫子に向き直った。きっと姫子はトイレを我慢していることに気が付いているのだろう。触れられたくないこと、踏み込まれたくない場所、姫子は決して百合が敷いた一線を越えることはなかった、ちょうど今のように。
電車が揺れた。その瞬間少しだけ下着を濡らしてしまった。ぎゅっと両膝を合わせてなんとか堪えたが、もう我慢が限界に達しつつあった。ドアに反射した私は腰を引いて、足踏みをしたり交差させたり、子供みたいだ。急に涙があふれそうになる。いつもより低いところから姫子を見上げると、目が合い同時に視線をそらした。
降車駅までほとんど会話はなかった。あったかも知れないが覚えていない。歩き出すとその振動が辛かったので、なるべくゆっくりと忍び足みたいにして歩く。とりあえず姫子の前で最悪の事態は免れた。が、約束の春香の家まで持つのだろうか。エスカレーターの手すりにつかまり、前かがみでコンコンと足音を鳴らす百合を、右側を通る人々が覗き込んでくる。ホームに上がり私はトイレのマークを目だけで追った。そして反対側の改札に向かった。
百合、そう呼ばれた気がして顔を上げた。「百合!そんなに…」春香が駆け寄ってきて私の肩に両腕を回した。我慢することに集中していた私はなんだかよく分からなかったが、私の顔にかかった春香の髪の香りで春香だと分かった。姫子に勝るとも劣らない真っ直ぐで綺麗な髪は、烏の濡れ羽色という表現がしっくりくる、そう春香に言ったこともあった。
「早くトイレに行こう、鞄は持つから」「春香……」伝えたいことはたくさんあるのに、涙があふれ出して言葉にならない。緊張からの解放からだろうか、急に我慢がきかなくなって思わず前を手で押さえてしまう。「もうすぐだから、大丈夫。ゆっくりでいいよ」春香は優しく声をかけて、肩を抱いてくれた。トイレを済ませてもなお下腹部のじんじんとした痛みは残ったが、百合はそれが心地よかった。春香への自分の思いを表わす証のように感じられて、何度も下腹部に手を置いてその感覚を確かめた。
春香がまた不機嫌になった。原因も同じ、姫子についてだった。百合にトイレを禁止させた例の件以降、春香はしおらしくなって姫子のことも特に何も言わなくなった。私が姫子に打ち明けよう-春香と交際していることを-と春香に伝えた。春香は最初冗談だと思ったみたいだが、それが本気だと知ると驚きと怒りを混ぜ合わせたような顔で、どうしてそんなことをするのか聞いてきた。
「百合とのことは二人だけの秘密にするって、話したこと忘れてないよね」「うん」「じゃあなんで…他の人に知られたらまたからかわれるよ」「そうかもしれないね」「分かんない、この前のこと怒ってるから?私どうしたら許してもらえるかな」「許すも何も、最初から怒ってないよ」微笑むのを押し殺すようにして春香はふっと窓の外を見た。「そう…だったの。そしたら姫子に話す理由は…」「私はね、春香。これから進学しても、就職をしても春香と一緒にいたい。それには私たちのこと、理解してくれる人がいないといけないと思うの」「私はいらない。理解してくれなくても、姫子だけいてくれたらいい」「そうだね、私もそう思っていたし、もしかしたら春香が正しいのかも知れない。でも私のことを知って欲しいって思える友達が出来たの」「私だけじゃだめなんだね」「そうじゃないわ、言ったでしょうずっと一緒にいたいって。きっとこれから二人だけでは難しいことがあると思うの。二人だけじゃ潰れそうな時に、相談や助けを求められる友達を作っておくことも必要でしょ」春香は納得できないようで黒く長い髪の先をくるくると指の先に巻きつけている。
「私は、百合みたいに強くないから、だから誰にも言えない。女同士で変だって思われるのが、怖いの」「私も同じよ、春香。明日姫子に打ち明けた時、拒絶されることを考えるととても怖いの。でも、春香と一緒にいたいから、春香のためにって思うと何でもできる気がするの」「百合は凄いよ…私なんて…」春香が自嘲するように笑った。「春香だって凄いわ」「そんな…」「私が春香に告白をした時、春香は応えてくれた。それってとても勇気がいることじゃない。私がしているのもそれと同じことよ」
わかった、そう言うと春香が唇を重ねてきた。いつか姫子と体の相性について話をしたことを思い出した。もしも姫子が明日受け入れてくれたら、今度は私が春香との相性の話をしてみよう。姫子が恥ずかしくなるくらいの話をしてやろう。
これで完結になります。拙い文章に最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました。