第3話 生活と冷却の両立
第3話では、ユウトの日常とクーリングクレジット稼ぎの両立を描きます。
一日の中に「働く」「生活する」「冷やす」をどう組み込んでいくか、その最初の形です。
朝八時十五分。
相馬ユウトは、コンビニのバックヤードでおにぎりの箱を積み替えていた。
「これ、表に出すの十時ね。冷蔵ケースの入れ替え忘れないで」
「了解です」
店長の声に機械的に返事をしながら、ユウトは頭の中で別の数字を考えていた。
時給九百五十円。
今日のシフトは五時間。
手取りで、およそ四千円弱。
昨日一日で稼いだクーリングクレジットは、0.057CC。
換算額にして五十円ちょっと。
まだ、比べるまでもない。
「……だけどさ」
ユウトは、冷蔵ケースの温度表示をちらりと見る。
庫内温度は五度。
外気はすでに二十八度近い。
ドアの開閉に合わせて、冷気と熱気が何度も入れ替わっている。
「この出入りの熱も、どっかで計算されてるんだよな」
昨日、ベンチやバス停で感じた感覚が、じわじわと広がっていた。
ただ働いているだけでも、熱は動いている。
ただ商品を並べているだけでも、冷気は漏れている。
それが誰にとって価値になっていて、誰にとって損失になっているのか。
それを考えてしまう。
バックヤードの古い換気扇が、弱々しく回っていた。
ユウトはその下の空気の流れを試しに手で感じる。
「……ほぼ動いてない」
熱が抜けていない。
だから、昼のピーク時にはバックヤード全体がサウナになる。
それを「しょうがない」で済ませてきたのは、自分も含めて、ここで働く誰もが“どうしようもないもの”として受け入れていたからだ。
でも今は違う。
「どうしようもない、で済ませてる場所が、伸びしろなんだよな……」
そう呟いて、ユウトは一度スマホを取り出した。
勤務中にいじり過ぎるのはまずい。
でも、バックヤードに誰もいないタイミングを見計らえば、短く確認くらいはできる。
《ThermoBalance》を簡易モードで起動する。
画面越しに見るバックヤードは、ほとんど赤に近いオレンジだった。
『局所熱滞留:高
換気効率:低
冷却ポテンシャル:中』
「中、か」
予想よりは高かった。
この一角だけで、少しは稼げる余地があるということだ。
「何してるの?」
「あ、すみません。ちょっと暑さチェックを」
振り返ると、同じバイトの男子大学生――タカシが立っていた。
「またあのクーリングなんとか?」
「クーリングクレジット」
「名前覚えられないんだよな……」
タカシは、やや呆れた顔をしながらも、興味がないわけではない様子だった。
「そんなに気になる?」
「時給以外にもう一個数字があるって思うと、なんか、見たくならない?」
「お前、マジで数字好きだな」
軽く笑いながら、タカシは冷蔵ケースのドアを開けた。
冷気が漏れる。
外へ出る。
バックヤードの温度は、ほんのわずかに下がる。
スマホが震えた。
『微小冷却影響(漏洩冷気)を検知
評価対象外:設備設計による非最適冷却』
「……対象外か」
「なにそれ?」
「今のは、“無駄な冷気”扱いっぽい」
「なんだよそれ」
タカシは、少しだけ眉をひそめた。
「意味分かんねえな」
「意味はあるよ。冷蔵ケースから漏れる冷気でバックヤードが涼しくなっても、冷蔵ケース自体は余分な電力使ってるから、全体としては冷却とは見なされないんだと思う」
「……あー、なるほどね」
タカシは納得したように頷いた。
「だから“涼しい”と“冷却貢献”は違うわけか」
「そういうこと」
このバイト仲間との何気ない会話ですら、今は少し楽しかった。
誰かとこのルールについて話せるだけで、自分の頭の中が整理されていく気がする。
「で、ここでちゃんと冷却貢献にするには?」
「……換気だと思う」
「換気?」
「空気の流れをつくって、熱を外に逃がす。冷蔵ケースの冷気とは別に、バックヤードの熱そのものを減らせれば、評価されるかもしれない」
「そんなにうまくいくのかね」
「やってみないと分からない」
それはもう、ユウトにとって半分口癖になりつつあった。
午前の納品がひと段落したタイミングで、ユウトは店長に声をかけた。
「このバックヤードの換気扇、出力上げたりとかできます?」
「出力?できないねえ。古いから、回ってるだけでもありがたいくらいだよ」
「じゃあ、ドア……開けっぱなしとかは」
「防犯上無理」
「ですよね」
簡単な案はすぐに潰れた。
でもそこで終わらないのが、今の自分だと信じたかった。
「じゃあ……」
ユウトは一度、納品口のシャッターを見た。
シャッターの隙間から、わずかに風が入ってくる。
外気との温度差はあるが、今はまだ朝。
外のほうがほんの少し低い。
「この時間帯だけ、シャッター半開きにしてもいいですかね?」
「防犯は?」
「俺がずっとここにいるなら、監視にはなります」
店長は少し考え込んだ。
「暑さで倒れられるよりはマシか……」
そうぼやきつつ、シャッターのロックを一段だけ上げてくれた。
少しだけ隙間が広がる。
風が入る。
バックヤードの空気が、わずかに動いた。
スマホが震える。
『通風改善を検知
局所熱滞留:やや改善
+0.004 CC』
「……やっぱり出る」
「なにが」
「いや、こっちの話です」
店長は何も知らない。
だが、店長の判断一つで、ここにいる全員の快適さと、ユウトの数字が変わる。
それが妙にリアルだった。
その後の数時間、ユウトはバックヤード担当を買って出た。
外気が上がってくる前に、できるだけ熱を逃がす。
納品のタイミングに合わせてシャッターの開閉を調整する。
地味な作業。
だが、画面上の局所熱滞留は、ゆっくりとオレンジから黄色へと変わっていった。
シフトが終わった頃、獲得履歴には小さな数字がいくつも並んでいた。
『バックヤード通風改善:+0.004 CC
換気効率改善累積:+0.007 CC
局所熱滞留低減:+0.006 CC』
「合計で……0.017か」
金額にすれば、十数円。
時給と比べれば、まだ誤差みたいなものだ。
でも。
「“バイトしながら”これだけ動かせるなら、悪くない」
ユウトはコンビニを出て、駅への道を歩いた。
午後一時。
日差しは強くなり始めていた。
アスファルトの照り返しが、足元から体温を押し上げる。
《ThermoBalance》に本日の合計を表示させる。
『本日獲得:0.017 CC
累計:0.114 CC』
「0.1を超えたか……」
数字だけ見れば、まだ小さな一歩。
けれど、“累計”という表示が初めて二桁になったことに、ユウトはささやかな達成感を覚えた。
家賃は毎月五万円。
電気ガス水道で一万数千円。
食費を抑えても、生活はギリギリだ。
クーリングクレジットだけでそれを賄えるには、まだほど遠い。
でも、重ねればいつか届くかもしれない。
少なくとも、自分が何もしていないわけではないと胸を張れる。
「……午後どうするかな」
ユウトは、駅の改札を抜けながら考えた。
午後はフリーだ。
次のバイトは明日。
暑さは厳しいが、そのぶん冷却の余地も大きい。
昨日、ベンチとバス停、パン屋で試した感覚が、頭の中で地図化されていく。
人が集まる場所。
待つ場所。
止まる場所。
そこに、熱がたまる。
それを少しずつ崩していく。
「今日も駅前かな……」
そう思って外へ出ようとした時、別の案が浮かんだ。
「いや、今日はルート変えてみるか」
同じ場所ばかり見ていると、視点が固定される。
別の導線を歩けば、別の問題が見つかるかもしれない。
ユウトは、いつもは使わない裏口から駅ビルを出た。
そこは、飲食店の搬入口と、細い通路が交差する場所だった。
人通りは少ない。
だが、熱がこもっている。
店の換気口から、熱風が外へ吹き出す。
路面には配達用のバイクが並び、エンジンからの排熱が残っている。
昼休み中の従業員が、煙草を一服している。
「……ここも、誰か困ってる場所だよな」
煙草を吸う男の額には汗がにじんでいた。
エアコンの効いた店内から出てきて、ここで休憩しているはずなのに、休憩になっていない。
ユウトは《ThermoBalance》を起動し、通路全体をスキャンした。
『局所熱滞留:中〜高
排熱集中:高
人滞在率:中』
「人滞在率、中か……」
つまり、ここにいる人は少なくない。
でも、誰もこの場所を“改善する対象”として見ていない。
ユウトは一度、ビルの壁を見上げた。
そこには、細い縦長の窓がいくつか並んでいた。
開けられそうなものと、そうでないもの。
「……あれ、ちょっとだけ開けられないかな」
近くの飲食店の裏口から、エプロン姿の店員が出てきた。
「あの」
「はい?」
「ここの通路、暑くないですか」
「暑いですけど……まあ、しょうがないですよね」
「もし、少し涼しくできるかもしれないとしたら、試してみてもいいですか」
唐突な申し出だったが、店員は意外と怪しまなかった。
「何するんですか?」
「壁の上の窓、ちょっとだけ開けるとか」
「あー……あれですか」
店員は窓のほうを見上げた。
「あれ、普段閉めっぱなしなんですよね。虫入ってくるから」
「虫は困りますね」
「でも、昼のピーク前だけなら……店長に聞いてみます」
数分後、店長らしき人物が裏口に顔を出した。
「換気?」
「はい。ここの通路、熱が溜まってるので」
ユウトは昨日作ったメモを頭の中で呼び出し、簡単な説明をした。
「排熱が溜まる場所で人が休憩すると、そのぶん局所的に熱ストレスが増えるので、少しでも抜け道を作れば負担が減ると思います」
「……難しいこと言うね」
店長は苦笑した。
「でもまあ、昼前の一時間だけならいいよ」
「ありがとうございます」
ビルの管理側に許可を取る必要はありそうだったが、今日は「試すだけ」で十分だ。
ユウトは店員と一緒に、窓の一つを数センチだけ開けてもらった。
同時に、通路の一部に段ボール箱を置き、排熱の集中するエリアから離れた位置へ休憩場所の目印を変えた。
通路の空気が、わずかに流れる。
換気口からの熱風が、少しだけ高いところへ逃げる。
スマホが震える。
『局所排熱分散を検知
滞在快適性:微改善
+0.005 CC』
「……やっぱり出る」
「これが、例のクーリングクレジット?」
「そうです」
店員は興味深そうに画面を覗き込んだ。
「店にも入るんですか?」
「今のは僕の寄与分っぽいですけど、全体の冷却効果は店側にも計上されるはずです」
「それなら、続けてもいいかもしれないな……」
店長は、少しだけ真面目な顔になった。
「人が倒れてからじゃ遅いし」
その言葉と同時に、スマホがもう一度震える。
『安全性改善寄与を検知
+0.003 CC』
「安全性って項目もあるのか……」
社会の側面と、数字の側面。
両方が同時に動いた瞬間だった。
午後、ユウトは少しずつルートを変えながら、似たような「誰かが困っている熱い場所」を探した。
自販機裏の影。
信号待ちの列。
オフィスビルの喫煙所。
どれも、少し工夫すれば“マシになる余地”がある。
結果として、その日一日で稼いだクーリングクレジットは、朝のコンビニと合わせて0.041CCになった。
『本日獲得:0.041 CC
累計:0.138 CC』
「……0.1台後半か」
実際の生活費から見れば、まだ小さな数字。
だが、個人レベルで、一日でこれだけ環境に影響を与えたという証拠でもある。
夜、ユウトはアパートに戻り、簡単な夕食を済ませてからノートを開いた。
『今日の冷却行動
・コンビニバックヤード通風
・駅ビル裏通路換気
・喫煙所の排熱分散(未評価)』
「未評価……」
喫煙所の排熱分散は、まだシステムの評価が出ていない。
タバコの煙や健康リスクのほうが優先されているのかもしれない。
「全部が冷却になるわけじゃないんだよな」
当たり前のことだ。
でもそれを、数字として突きつけられると、妙に重みがある。
ユウトは次のページに、新しい項目を書き足した。
『一日で動かせるCCの上限
・現時点:0.04〜0.06程度
・肉体的負担:中
・時間的負担:高』
「……ここが、今の自分の限界か」
そう思った瞬間、少しだけ虚しさが入りかけた。
コンビニで時給九百五十円。
昼に冷却で四十円。
どちらも、すぐには生活を変えない。
どちらも、一日ごとの積み上げでしか意味を持たない。
だが違いもある。
コンビニの時給は、店が決めたルールでしか増えない。
クーリングクレジットは、自分の工夫で増やせる。
「……まだ伸ばせる」
ユウトは、スマホの画面に指を滑らせた。
その瞬間、通知がひとつ表示された。
『近隣注目プレイヤーがあなたの活動履歴を閲覧しました』
「またか……」
昨日も出た通知だ。
一度だけ、短いコメントがついていた。
『ベンチの反射シート+通風の組み合わせ、悪くないですね』
送り主の名前は伏せられていた。
ランク帯だけが表示されている。
Silver以上。
「……そんな暇なのか、それともそういう仕事なのか」
ユウトは少しだけ笑った。
自分は、生活のために動いている。
誰かは、ランキングのために動いている。
誰かは、仕事として動いている。
でも、その全部が「地球を冷やす」という一点で繋がっている。
それが、この世界の奇妙で、少しだけ希望のあるところだった。
「いつか、直接話すことになるんだろうな……」
そう呟いて、ユウトはスマホを伏せた。
明日のシフトは午前中。
午後はまた、別のルートを歩くつもりだ。
今のところ、まだ限界ではない。
この生活と、この冷却と、この数字を、もう少しだけ前に進めてみたい。
第3話を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、ユウトの日常――バイトや生活費の現実の中で、どうやってクーリングクレジットを「もうひとつの数字」として組み込んでいくかを描きました。
まだ生活が一気に変わるほどの額ではありませんが、「自分の工夫で環境と数字が動く」という感覚が少しずつ積み上がっています。
次からは、ユウトの“生活圏の攻略”がさらに広がっていくと同時に、「近隣注目プレイヤー」の存在が少しずつ近づいてきます。
どこかで必ず交わるであろうプレイヤー同士の関係も、楽しみにしてもらえたら嬉しいです。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成:リアル(Perplexity)




