第5話 地を見る子」 あるいは ## 「やらされました」
# 第5話
## 「地を見る子」
あるいは
## 「やらされました」
黒田屋敷。
夕刻。
雨はすでに止み。
濡れた庭から、
冷えた空気が流れ込んでいた。
ぽつり。
軒先から落ちる雫の音。
その静かな部屋で。
二人の男が向かい合っていた。
黒田職隆。
そして。
万吉の守役、
井上之正。
間には湯呑。
湯気が細く立っている。
職隆は一口飲み。
ふう、と息を吐いた。
「どうだ。
万吉は」
いつもの問いだった。
若君の様子。
学び。
問題は無いか。
そういう確認。
之正は少し考え。
静かに答えた。
「若は――」
「地を見るのがお好きなようです」
職隆の眉がぴくりと動く。
「血?」
「誰ぞ斬ったか?」
冗談半分に言う。
之正は淡々と訂正した。
「いえ」
「その“血”ではなく」
「“地”でございます」
「地面の“地”」
職隆は、
少し不思議そうな顔をした。
「……地?」
之正は頷く。
そして。
今日の出来事を話し始めた。
「本日。
道で荷車がぬかるみに嵌まっておりました」
「同行していた者達で、
手を貸したのですが」
職隆は頷く。
「ああ。
雨の後はよくあるな」
播磨では珍しくない。
道は悪い。
雨が降ればすぐ崩れる。
荷車が止まるのも日常だ。
だが之正は続ける。
「ですが若は」
「荷車ではなく、
ぬかるみを見ておられました」
職隆は少し笑った。
「また泥遊びか」
之正は笑わない。
真顔のまま。
「その後」
「“また止まる”と」
「“土を乗せるだけだよ”と仰られまして」
職隆が目を瞬かせる。
「は?」
之正は静かに続けた。
「“やって見せて”と」
「言われましたので」
「やらされました」
一瞬。
部屋が静まり返る。
次の瞬間。
職隆が吹き出した。
「はははは!」
「おぬしがか!?」
腹を抱え。
声を上げて笑う。
「井上之正ともあろう者が!」
「若に使われたか!」
之正は少し疲れた顔だった。
「……はい」
「土を運ばされました」
職隆はさらに笑う。
「何をしておる!」
「おぬし守役であろうが!」
之正は淡々としている。
「私もそう思いました」
「ですが若、
非常に真面目な顔で仰るので」
「断れる空気ではありませんでした」
職隆はまた笑った。
だが。
之正はそこで、
少し声を落とす。
「すると若」
「ずっと見ておられました」
「土をどこへ置くか」
「水がどう流れるか」
「車輪が沈まぬか」
「……じっと」
職隆の笑いが、
少しだけ止まった。
之正は静かに言う。
「若は」
「不思議なお子です」
部屋の外では、
風が濡れた葉を揺らしている。
「人より先に」
「地を見ておられる」
職隆は黙った。
湯呑を持ったまま。
少しだけ考える。
武士の子なら。
まず人を見る。
強い者。
偉い者。
敵。
味方。
そういうものに興味を向ける。
だが万吉は違う。
道。
川。
泥。
水。
流れ。
人ではなく。
まず、
それを見ている。
職隆はふっと笑った。
「……変わった奴よな」
之正も頷く。
「はい」
「ですが」
少し間を置く。
「嫌いではありません」
職隆は、
その言葉に小さく笑った。
外。
雨上がりの夜。
どこかで。
水の流れる音がしていた。




