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第1話 始まりは雨

雨が降っていた。


播磨の空を覆う灰色の雲から、

細かな雨粒が絶え間なく落ちている。


黒田の屋敷。


庭。


土の上を、

雨水が細く流れていた。


縁側に腰掛けていた幼子が、

その流れをじっと見ている。


黒田万吉。


まだ幼い。


小さな手。

丸い頬。

雨音すら遊びに変えてしまう年頃。


だがその目だけは、

妙に真剣だった。


縁側から、

ぴょこんと庭へ降りる。


ぱしゃり。


草履など履いていない。


裸足のまま、

泥へ入った。


女中が慌てる。


「わ、若!

 お待ちくださいませ!」


だが万吉は聞いていない。


しゃがみ込み。


小さな指を、

泥へ突っ込む。


ぬるり。


冷たい土の感触。


そのまま。


ほじる。


掘る。


細い溝を作る。


すると。


止まっていた水が、

すうっと動いた。


浅い溝へ吸い込まれ。


別の方向へ流れていく。


万吉の目が丸くなる。


「……っ!」


声にならない歓声。


次の瞬間。


きゃっきゃっと笑った。


さらに掘る。


崩す。


流れる。


水が動く。


変わる。


また笑う。


まるで。


世界そのものが、

自分の指先で変わるのが面白いように。


女中は縁側で困り顔だった。


「若ぁ……

 お召し物が……」


だが止めづらい。


楽しそうなのだ。


しかも今日は、

妙に機嫌がいい。


万吉は再び泥を掘る。


雨水が集まり。


流れ。


別の水を巻き込み。


小さな川になる。


「おお……」


誰に聞かせるでもなく、

万吉は声を漏らした。


流れる。


止まらない。


先ほどまで、

ただ溜まっていた水が。


道を作った途端、

勝手に動き始める。


万吉は夢中になった。


もっと。


もっと流せる。


もっと変わる。


土を押し。


石をどけ。


水の向きを変える。


流れが変わるたび。


笑う。


雨など気にもしていない。


その時だった。


廊下の向こうから、

豪快な声が飛ぶ。


「おお!

 万吉、楽しそうだな!」


女中が振り返る。


「との!」


現れた男は、

まだ若かった。


二十五ほど。


だが既に。


黒田家を背負う武士の顔をしている。


黒田職隆。


万吉の父である。


職隆は庭の様子を見るなり、

面白そうに笑った。


「なんだなんだ。

 川を作っておるのか?」


万吉は顔を上げる。


「あー!」


嬉しそうに手を振った。


職隆は笑う。


「よし。

 わしも混ぜろ!」


女中の顔色が変わった。


「えっ」


「との!?」


「お、おやめください!

 泥だらけになります!」


だが職隆は気にしない。


裾を持ち上げると、

そのまま庭へ降りた。


ぱしゃり。


武士とは思えぬ気軽さで、

万吉の隣へしゃがみ込む。


「ほれ。

 ここを掘ればよいのか?」


太い指で、

土を崩す。


すると。


溜まっていた水が、

一気に流れ始めた。


すうっと。


細い流れが繋がり。


小さな池だったものが、

一本の道になる。


万吉の顔が輝いた。


「あっ!

 あーっ!」


職隆も声を上げる。


「おお!

 流れた流れた!」


万吉は大笑いした。


職隆も笑う。


二人並んで、

泥だらけになりながら。


ひたすら水を流していた。


女中は頭を抱える。


「もう……

 若だけでなく殿まで……」


だが。


止める者はいない。


雨は静かに降り続いていた。


戦国。


どこにでもありそうな。


ありふれた、

小さな日常。


けれど。


この時。


誰も知らない。


泥を掘り。


流れを変え。


水を動かして笑っていた幼子が。


やがて。


人を動かし。


銭を流し。


国を繋ぎ。


播磨そのものの流れを変える男になることを。


これは。


後に黒田官兵衛と呼ばれる男。


黒田万吉。


その最初の「才覚」の話である。

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