第十一話 名前で呼べば?
「あっ、おかえりー神侍君」
「だ、大丈夫だった? 何かあらぬ誤解とかされてない?」
教室へと戻ると真っ先に一途と美衣奈の二人が駆け寄って来て出迎えて来た。特に一途に至っては風紀委員から変な誤解をされなかったか不安だったのだろう。目に見えて狼狽している様子が一目瞭然で逆にこちらが心配になるぐらいだ。
とにかくまずは一途の不安を解くべく風紀委員室でのやり取りをある程度まで話しておいた。
ただ風紀委員室で薫から手合わせの申し出をされた事に関しては伏せておいた。あくまで長年不良をやっていた直感に過ぎないが彼女からは危険な香りがするのだ。まだあの女の本性を見抜けていない段階でこの二人を深く関わらせたくないと判断したからだ。
ちなみに手合わせの件について心太は了承した。今週の金曜の放課後に彼女の所属する剣道部に顔を出す事となっている。
「(金曜日の手合わせの時にあの女の本性を見抜く必要がある。それまではこの二人には無駄に不安を煽りたくはねぇ)」
心太は一旦あの風紀委員長のことを頭の片隅に追いやり忘れるようにした。そしてこの件の話を切りの良いところで打ち切る。
「基本は当たり障りのない質問されただけだ。長丁場ですきっ腹だが特に何の問題も無かったからそんな不安そうな顔すんじゃねーよ」
そう言いながら目の前でそわそわ落ち着きのない一途の頭を撫でてやった。
「うええ!? か、神侍君どうして私の頭を……(うきゃあぁぁぁぁ!? ししし心太君の逞しい掌ぁ♡!?)」
「ああわり、何か子犬みたいでついやっちまった」
うまく言えないがこう、小さな子犬に湧いてしまう保護欲のようなものからつい一途の頭を撫でてしまっていた。しかし冷静に考えてみれば高校生の女子からすればかなり迷惑だろう。現に今も彼女は子ども扱いされている羞恥心から顔を赤くして戸惑っている。
迷惑を掛けたと思い手を引くがここで一途が予想外の反応を見せる。
「あ……(えっ、やめちゃうの?)」
「ん、どした?」
頭を撫でる事を止めると彼女は何故か名残圧しそうな顔をしたのだ。その反応の意味が分からず心太が混乱していると二人の間に美衣奈が割って入ってこう口にした。
「いやーお熱いねぇお二人さん。もしかしてもう〝そういう仲〟なのかにゃ?」
何やら瞳の奥をキラキラと輝かせている美衣奈がニマニマと笑う。
彼女が口にした〝そういう仲〟と言う単語に心太は首を傾げ、一途は両手をわたわたと上下に振って目を回す。
「ななな何言ってるの近井さんってば!?」
何やら一途は動揺しているが自分としては意味が分からず問いただす。
「何慌ててんだよ新井。それに近井、そういう仲ってどういう意味だよ?」
「う~ん、やっぱり神侍君はにぶちんさんだね。こりゃ新井さんも苦労するよね~」
「ちょ、お願いだから一回静かにしよっか近井さん!」
そう言いながら一途は強引に彼女の口を自分の手で塞いで黙らせる。そんな彼女の行動に心太はますます疑念を抱き、逆に美衣奈は一途へと同情的な視線を向けていた。
「(この二人、見ている分にはおもしろいんだけどモヤモヤするんだよね~。神侍君は結構鈍感っぽいし、新井さんは奥手っぽいし……よしおねーさんが一肌脱ぐか)」
二人と交流が深まってからしばし経ち美衣奈も流石に気付いていた、一途が心太に対して友人以上の感情を抱いている事を。だが中々進展を見せない二人に少しやきもきもしておりここで背中を後押ししてやる事とした。
ただ読み違えている点もある。それは一途が奥手であるという点だ。
ちなみに今の彼女の心境はこうなっている。
「(うえへへへへ周りからは私と心太君はそういう仲に見られているんだぁ♡ もうここで思い切ってカミングアウトしてもいいのかも)」
内心では危ない興奮の仕方をしている一途の本性に気付いていない美衣奈は更にこんな提案をする。
「あのさぁ、もうそれなりに仲も深まった訳だしこれからは名字呼びじゃなくて名前呼びにしよーよ。神侍君としても新井と近井って響きの似ている呼び方するのも紛らわしいっしょ?」
「いや別に俺はどっちでも……うぐっ!?」
空気を読まない心太の脇腹を小突きながら美衣奈は一途に同意を求める。
「新井さんは冬休みから神侍君と接点あったんでしょ? 別に減るもんでもないしお互いに名前呼びでいーよね? お弁当だって作ってあげる仲じゃん」
「そ、それは……うん……神侍君さえよければ全然いいよ……私もずっと名前で呼びたかったし……(よぉぉぉぉしナイスアシストォ!!!)」
「じゃあ決まりね。改めてこれからよろしく心太に一途。ほら折角だし心太も一途の事を名前で呼んでみなよ」
そう言いながら美衣奈はさりげなく二人の距離を縮めて上げようとフォローする。
まぁ心太としても呼び方に拘りはない。後半は声が小さく聞き取れなかったが一途も了承しているのならいいだろう。
とりあえず美衣奈に言われるがままに心太が初めて一途を名前で呼んだ。
「じぁあこれからは名前で呼ばせてもらうわ一途」
「は、はははいかかか神侍君(もっと呼んで♡)」
「(こりゃまだまだ前途多難っぽいなぁ。でもなんか青春感じる~)」
心の声は騒がしい癖にガチガチに緊張している一途を見つめながら、美衣奈は顔を逸らして小さく笑う。
この時の美衣奈は二人がいずれは交際してゴールインするんだろうと漠然に考えていた。だがこの元ヤン男子は多くの生徒から恐れられているが、癖の強い特定の女性にはメチャクチャ好かれやすい運命を背負っていた。
「(やった美衣奈さんのお陰で心太君の事を遂に名前で呼ぶことができた。う、嬉しい……ここからもっと頑張らないと! そして最終的にはダーリンなんて……うへへへへへ……♡)」
ようやく名前で呼んでもらえて喜んでいる一途はまだ知らない。ここから近い未来で複数のライバルが誕生してしまう事を。




