幽体達の眠り
その後は今後の予定について確認し、雑談をしたら業務終了になった。
その後、酒盛りに興じ、頃合いを見てお開きとなる。
信護は彼女の担当としてこの地に赴任してからは、基本、この神社で寝泊りしている。
これは彼だけでなく、彼女の担当官は皆そうしてきた。
神社から駐車場まで離れており、まず歩いて30分程かかる。
そして、そこから更に近くの集落まで舗装があまりされていない道を、車で結構な距離を走らなければならない。
その一番近くの集落には宿はない。
頼めば民泊のような応対をしてもらえるが、毎回頼むのは心苦しい。
宿がある場所までは更に時間がかかるのだ。
そんなに時間をかけるよりは、神社で寝泊りする方が合理的という事で、そのような措置となっている。
信護は当初こそ巫咲とひとつ屋根の下という状況に淡い期待を抱いたが、特別ロマンスがあるわけではなかった。
ちなみに巫咲の部屋とは結構離れており、トイレに経っても偶然ニアミスする事はない構造となっている。
また、ここに赴任する前に、嘘か真か、彼女を口説こうと強引気味に迫った担当官がエライ目にあったという話を聞かされており、また、この神社内の仕掛けも考えれば、冒険をする気にはなれなかった。
最も、信護の性格的にもそういう事態は起こり得ないだろうが。
今夜も、虫や獣の声や風を切る音に耳を傾けながら、程なく来るであろう睡魔を信護は待っていた。
そして、意識がぼやけ始めた時、それは起こった。
ひゅおおおおおおぉぉぉぉぉ
いつもの夜とは明らかに違う音に、焦燥感を駆られた信護は一気に跳ね起きた。
「何だ今のは……」
気のせいと思うには引っかかり、一度周囲を散策してみようか考えたら、さっきの音が更にはっきり聞こえてきた。
ひゅおおおおおおおおおおおおおおお
「絶対、これは気のせいではない。それに、今の音はどこかで……」
信護には、今の音は聞き覚えがあった。
しかし、咄嗟には思い出せなかった。
とりあえず異常事態だと察し、巫咲の元に行くため、素早く飛び上がり、部屋を出た。
すると、目の前を白い影の群れが飛び交っていた。
「え、幽霊?」
一瞬呆然とし、恐怖に襲われるが、意識を切り替える。
こういう時、この局に入局してからの研修から始まる訓練が役に立った。
異界を相手にする以上、どの部署に配属されようが、一通りの戦闘訓練や知識の習得が義務付けられている。
そこで得た知識が、今の音の正体を程なく突き止めさせた。
「そうだ!今の音は幽霊共が奏でる声。……待てよ。何でこんなに幽霊が飛び交ってるんだ?」
信護は目の前で飛び交う無数の幽体に圧倒されていた。
本来は、理由は不明だが、幽体は神社やお寺、教会といった場所には出没しづらい。
ましてや、この地は扱うものが扱うもののため、怪異に対する備えは他より整っていた。
それなのにこうも大量に出没する事態は、異常といわざるを得なかった。
「とにかく、春野さんと合流だ!」
「呼んだ?」
「え?わあああああああああ」
巫咲と合流しようと気合を入れて足を踏み出そうとした瞬間、暗闇からにょきりと巫咲が現れたため、思わず大声を上げてしまった。
それぐらい、巫咲は見事に暗闇と同化していたのである。
「い、いつの間に……」
「冬崎くんが部屋から出てきた頃には、到着していました」
少しドヤ顔で語る巫咲にデコピンを放ちたがる衝動を抑えながら、この事態について尋ねる。
「春野さん!こいつら、何故?」
「たぶん、原因はこの鏡だと思う。見て」
巫咲はそう言うと、鏡の鏡面を信護に見せる。
すると、その鏡面は真っ黒に変色していた。
「何だこれは……」
「私にも分からない。でもこの事態と関係あると考えるのが自然だと思うの。だから、はいこれ」
その言葉と共に、巫咲は信護に鏡と共にあった剣を渡した。
手に持つと自然としっくりきた。
「この剣で戦えという事ですね」
「うん。冬崎くんの方が剣の扱いがうまいだろうから。それに、上司に報告する時の事を考えたらあなたが試してみた方がいいと思って。でも、嫌だったら正直に言って。その場合は私が戦うわ」
巫咲は特に表情が変わらないように、彼女の事をよく知らない人が見たら思うだろう。
しかし、信護にはもう分かる。
心配気に見つめている事を。
彼女にとって、適材適所が最も最善なのだ。
しかし、無理強いをしたくはない気持ちも持ち合わせている。
しかし、と信護は思う。
(無理だよ。交代なんて)
彼女の澄み切った暗闇の中でも輝く瞳を、覗き込みながら信護は思う。
(貴方の前で格好悪い姿なんて見せたくないし、貴方が危険な目に遭うのも見たくはない。俺が貴方に格好いい姿を見せたいんだから)
「いや、俺がやります。春野さんは俺の後ろへ。あと、鏡を遠くへ」
「分かったわ。邪魔にならないようにするから。じゃあ、後はよろしく。頑張ってね」
そう言い、巫咲は速やかに下がる。
その動きの速さに感心しながら、教えてもらった剣の起動方法を試す。
すると、程なくして、剣に黄金色の光が発生した。
「まるで、聖剣みたいだな」
そう苦笑いしながら呟くと、辺りを見渡し、近くの幽体に狙いを定めた。
「じゃあ、試させてもらいます!!」
叫ぶと同時に素早く足で地面を蹴ると、瞬時に一体の幽体を射程距離に収めた。
と、同時に剣を上下へ速やかに下ろす。
スパッ!
もし、擬音を付けるとすると、そんな音になるだろうか。
実際にはそんな音もせず、だが、確実に幽体を消し去った。
「春野さん!やっぱりこの剣は幽体に有効です。しかも凄い威力だ」
「良かったぁ。自信はあったけど、万が一という事もあるから。本当に良かった」
ホッとした声を聞きながら、右に左と幽体を斬り伏せていく。
しかし、油断があったのか、幽体と接触してしまった。
すると、悪寒が身体を突き抜け、一時的に身体が硬直してしまう。
同時に、冷や汗が止まらない。
(これが恐怖の状態異常。想像以上だな。これを他の攻撃と組み合わされては、たまったものじゃない。先人はこれらを掻い潜り、不死王を倒したのか)
かつてあったという戦いに思いを馳せながら、その当事者全てに敬意を抱き、恐怖を抑え込んで、幽体を次々に屠っていく。
すると、いくつかの幽体が組み合わさり、巨大な幽体が姿を現した。
外観は禍々しく、気の弱い人間ならその威容を見ただけで恐怖に取り乱すだろう。
「気を付けて!稀に集合体になる幽体がいると聞いているの。恐怖の威力はこうなる前の比ではないわ。下手すると心を折られ、一瞬で傀儡にされるかも」
「アドバイスありがとうございます。でも俺は、そんな風には意地でもなりませんよ」
そう信護は巫咲に叫び返し、油断なく距離を詰めようとする。
すると、巨大な幽体は、腕を触手の様にして伸ばしてきた。
それは鞭の様に鋭く、危うく直撃を受ける所だった。
しかし、油断なく相手を補足していたため、不穏な動きを瞬時に察知し、身体を捻じりながら何とか回避すると、同時に剣によるカウンターで幽体の腕を破壊し、黄金色に輝く剣で切り刻みながら間合いを詰め、最後にとどめの一撃を上下に鋭く振るった。
すると、巨大な幽体は声もなく消滅し、辺りを見渡しても幽体は一体もいなくなっていた。
「終わった……のかな」
「そうみたいね」
信護は周囲を警戒していると、音もなく傍らに巫咲が立っていた。
彼女が無事な事にホッとしていると、彼女は一点を指し示す。
「後は、あの鏡ね」
それは黒く濁っていた鏡だった。
巫咲は退避する際に、黒く変色していた鏡を遠くに置いていた。
幽体達の乱舞は一段落ついていたが、その鏡は未だに鏡面が黒いままだ。
そのため、緊張を解くわけにはいかず、警戒を緩める事は出来ない。
まだ何かあるのかと警戒していると、どこか遠くから、子供の泣き声が聞こえてきたような気がした。
信護は気のせいかと思い、隣にいる巫咲に顔を向けると、困惑した表情を見せる。
そして、彼女は鏡を指さしながら言った。
「子供の泣き声があの鏡から聞こえてくるみたい」
「ええっ。あの中に子供がいるとでも言うんですか」
「ありうるわ。"アイテム"は奇跡の様な事ができるんだもの。私達の常識では図れない」
恐る恐る近づくと、黒かった鏡面は徐々に透明となり、いつしか黒い部分は全く無くなっていた。
すると、淡い光が鏡から放出されると、何かが飛び出してきた。
信護と巫咲は思わず身構えてしまったが、よく観察してみると、それは幼い男の子だった。
その男の子は、体育座りをしながら泣き続けていた。
いつまでも眺めているわけにもいかず、信護はたまらず声をかけようとすると、先んじて巫咲が少年に声をかける。
「ぼく、何で泣いているの?お家はどこ?」
そう問いかけると、しばしの沈黙の後、顔を上げた。
この時初めてその顔を観察できたが、まだまだあどけない男の子の顔だった。
身なりは麻を編んだ古い時代の服と思われる。
「……わかんない。でも、苦しくて、悲しくて……寂しくて、ずっと泣いてた」
そうぐずりながら、か細い声でそう答えた。
信護はさっきから気になっている事を率直に尋ねた。
「君は、ずっとその鏡の中にいたのかい。もしそうなら、いつから……」
「……それもわかんない。でもずいぶん昔だったような気がする……」
「お父さんやお母さんは?家族はどうなったか分かる?」
「………お父もおっ母も兄ちゃんも姉ちゃんも動かなくなっていた……。そして、おいらは何かに飲み込まれて、そして……長い、長い夢……怖い夢を見ていたような気がする」
少年はそう呟き、空を見上げた。
空には満天の星が広がる。
辺りに民家はなく、人の生み出す光は無い。
あるのは、自然界で生み出される光だった。
今日は雲がかかっておらず、見上げていると、星々の輝きに圧倒されてしまう。
少年に釣られて信護と巫咲も星の帳を見上げていたが、ふと見ると、少年が何事か頷いている事に気が付いた。
「きみ……」
「おいら、行かなきゃ。ようやく行けるって。そう教えてもらった」
「教えてもらったって、誰に?」
信護は尋ねたが、少年は応えず、代わりにお辞儀をした。
「兄ちゃん姉ちゃん、ありがとう。よくわからないけど、お礼をしなきゃって思った。たぶん、おいらが向こうに行けるのは、兄ちゃん姉ちゃんのおかげだと思うから」
そう言い、少年は立ち上がる。
音は何一つ聞こえて来ない。
そして、身体は半透明になっていき、いつしか周囲に溶ける様に消えていった。
辺りには今度こそ、虫の音色や風のささやきだけが残ったのだった。
読んで下さりありがとうございました。