この果実は?
次の日の夕方、その日初めて巫咲が嬉しそうな、困ったような表情で、仕事中の信護の元に姿を現した。
信護はその顔を見て、解析が終わった事を理解したと同時に、何やら嫌な予感を覚えた。
巫咲はいたずらっ子だったため、今のような表情を浮かべた時は、大なり小なり嵐を巻き起こす事がほとんどだったからだ。
信護は不発弾である可能性を祈りつつ、表向きはにこやかに巫咲を迎える。
「やあ、巫咲さん。ご苦労様です。……毎度思うのですが、この時刻だと、何と挨拶すべきか頭を悩ませますね」
「そうねえ。場所によっては、どんな時間だろうと、おはようございますで統一している所もあるそうだけど、それもナンセンスだと思うのよね。まあ、何でもいいか。じゃあ、こんにちは。信護くん」
「こんにちは、巫咲さん。その様子だと、無事、終わったようですね」
信護の確信を伴った問いに、巫咲は目を大きく見開いた。
「ええっ!わかるの?何で?そりゃ一度解析に取りかかれば、なかなか出て来ないし、出てくる時は、終わった時が多いけど、必ずしもそうじゃないの」
「ふふっ。伊達に巫咲さんと同じ時間を過ごしていませんからね。なんとなく、わかっちゃうんですよ」
「むむ。何か悔しいなあ」
悔しげな巫咲に、思わずしてやったりの表情を浮かべてしまう信護だった。
後で仕返しをされそうだったが、今この時だけは、小さな勝利の余韻に浸っていようと、心に決めた。
(ちょっとストレス溜まっていたからなあ)
己にそう言い訳をしつつ、内心苦笑いをしてしまう。
そろそろおふざけは切り上げないとなあと思っていると、巫咲の方から話題を変えた。
「ちぇっ。今に見てなさいよね。……それはさておき、解析した結果、面白い事がわかったの。だからね、信護くん。あなたに仕事が出来たわ。あなたの上司にこの新しい果実を試食する許可をもらって来て頂戴」
「………………………………は?」
信護の思考は一時停止し、その後、再起動をしたかと思えば、いくつもの感情と思考が溢れ出す。
巫咲がそう言うからには大丈夫だろうという信頼。
だが、他人の事ならともかく、自分については抜けている所があり、自分を賭けた博打癖があるという不安。
万が一の事態の可能性への危惧。
不安や危惧があろうとも、彼女に託し、自分に向けられている信頼に応えたい気持ち。
上司は渋るかもしれないため、面倒な事になるかもしれない故の憂鬱。
未知の果実への好奇心。
諸々の要素がせめぎ合いながらも、導き出された言葉は、自然と口に出た。
「危険はいかほどで?」
「どんなに悪い目が出たとしても、破滅的危険はないわ!実はねーーーー」
言外に、多少はあると言っているに等しい事に、信護は気が付いていたが、詳細を聞いて、なるほどと納得する。
確かにその通りなら、賽の目で例えるのは、言い得て妙だろう。
曖昧になってしまうのを理解した上で、腹をくくる。
巫咲を信じ、尊重したい気持ちが、やはり強かったのだ。
「……わかりました。上司に掛け合いましょう。なあに。実証まで期待しているかもしれませんから、案外あっさり許可が下りるかもしれません」
そうあえて楽観的に振る舞いながらも、これで良かったのか、自問自答をしてしまう信護だった。
己の心の弱さだと思いながら……。
その後、内心危惧していた通り、許可は難航した。
巫咲は貴重な人材であるため、万が一のアクシデントを嫌がった。
一方、果実の消費自体はあまり問題視はされなかった。
どこかで実証する必要があったからだろうと推察する。
調整が難航する中、ある男の耳打ちで、流れに変化が生じる。
その人物は、その会議で初めて見た顔だった。
出向組だとは、後に上司から聞かされたが、出自はぼかされた。
何はともあれ、それを契機に、信護の訴えが認められる流れが作られ始める。
そのため、信護としては、その人物に感謝する所なのだが、素直に感謝するには、はばかれるものがその男にはあった。
名は津久毛大地。年齢は20代後半〜30代半ばぐらいで、髪をオールバックで固めている。
その目は常に冷ややかで、発言は少ないが、声音が無機質なため、少なくても印象に残る。
外見で判断するのは良くないと思いつつも、その冷徹な雰囲気に、嫌なものを感じてしまう信護だった。
会議は次第に収束していったが、しぶとく抵抗していた人がいた。
名は財前優一。巫咲が被検体になる事を嫌がっていた者だ。
そう聞けば、人道的な好人物に聞こえるが、実態はいささか異なる。
名前とは裏腹に、"アイテム"の解析が第一で、他は二の次な人物だった。
とにかく前々から、巫咲に"アイテム"の解析を、強引にでもさせるべきと主張していた強権的な強硬派だった。
普段から24時間365日、"アイテム"の事だけを考えさせろと声高に主張する、巫咲と信護の天敵の如き存在だ。
普段の素行はともかく、今回は理由がどうあれ、主張には一理あったが、それも信護の代替え案を聞けば矛を収めた。
こうして、舞台が整っていったのだった。
読んで下さりありがとうございました。