1.求婚
こんにちは。マーガレット・バルタと申します。
我がバルタ家は、領地もないに等しい末端の貴族ですが、騎士団から営業権を賜り、代々白樫騎士寮を営んでおります。時折は騎士を輩出しますが、我が家の本分は、やはり騎士寮を預かることにございましょう。
わたしが父からその経営を正式に引き継いだのは、一年前、十九の頃でした。
はじめこそ忙しさに目が回っておりましたが、今では夜が明ける前には目が覚めます。ここでの生活にも、すっかり馴染んできたようです。貴族の家業としてはいささか地味なものですが、前線で命を張る騎士さまのために、と働いてきた父母の背中を見て育ってきました。尊敬する両親と同じ仕事に就けた喜びと愛着はひとしおです。
わたしはといえば、伴侶の候補を一人か二人あてがわれる頃合いなのですが、あいにくと我が家の事情が厳しく、結婚相手には少々厳しい条件を付けなければなりませんでした。
我が家は火の車で、めぼしい金品や財産はほとんど売り払ってしまい、白樫騎士寮に住みこんでやっと衣食住を保っている始末です。これではどのお家にも、持参金をお持ちできません。誰ぞ殿方に婿入りを願うほかないのですが、一介の貧乏者のもとへわざわざ婿入りしてくださる殊勝な方など望むべくもなく。行き遅れを覚悟して、日々お仕事に励んでおりました。
そんな折、厳しい条件を持つ我が家でも構わないと、婿入りを申し出る方が現れたのです。
そうしてわたしも、とうとう片付く運びに相成りました。
やってきたのは、騎士さまでした。
名はアルノー・グランヴェル。
わたしが幼い頃から白樫騎士寮で暮らしている古参の騎士さまで、騎士団では一隊を預かる隊長を務めていらっしゃいます。
栗色の髪は騎士にしてはやや長く、普段はざっくりと後ろでくくっていますが、いつも何本か後れ毛が跳ねています。そういう抜けたところや、親しげに下がった目尻のせいでしょうか、騎士らしく立派な体躯ですが、威圧感を覚えたことは一度もありません。
騎士としての腕はもちろん、その人柄を慕う者も多く、年若い騎士たちからは兄とも師とも仰がれております。食堂でアルノーさまの隣が空いていれば、たちまち誰かが腰を下ろしますし、訓練から戻れば、何人もの若者があとをついて歩きます。
ですが、ご本人はいたって気さくな方です。日に焼けた顔には笑い皺があり、黙っていれば精悍に見えるのですが、たいていは何か余計なことを口にしていらっしゃいます。年若い騎士を相手に偉ぶることもなく、わたしどもにも、いつも軽口まじりに声をかけてくださいます。
あるときも、アルノーさまは、井戸で水を汲んでいたわたしに近づくなり、こう尋ねられました。
「やあ、バルタ嬢。一夫多妻制の国で男がたくさん奥さんをもらったらさ、結婚指輪で薬指曲げられなくなっちゃうと思わない?」
そんな突飛なことは考えたこともございません。わたしは思わずくすくすと笑ってしまいました。
「どうなんでしょう? そういう国に、結婚指輪という概念があるのでしょうか」
「あぁ。確かに。君、賢いねえ」
――やかましいな。
失礼。このようにアルノーさまは少々軽薄なきらいはありますが、礼節はわきまえておられます。アルノーさまに井戸で見つかると、決まって桶を両手に持ち、わたしには手ぶらで歩かせるのです。しかもそれを、親切とも思っていないような顔でなさいます。
ですから、そのようなお人柄のアルノーさまが求婚にいらしたと知ったときにも、わたしに異存はありませんでした。今さら贅沢は申すつもりはありませんし、アルノーさまでしたら、ええ、むしろ願ってもないお話でした。
騎士さまは若い娘から何かと秋波を送られる立場にいらっしゃるので、アルノーさまも意中の方がいらっしゃるのかと思いましたが。騎士さまには、どうしてか独身の方が多いのですよね。
求婚の日、我が家に訪れたアルノーさまは、いつものように気さくに挨拶されて、ソファに腰を下ろしました。そのお姿は、およそ求婚しに来たとは思えない緊張感のなさでした。花束を渡すときにも、何かのついでに手土産を差し出すような気軽さでいらっしゃいました。
もっとも、相手は十五も年下で、二十歳になったばかりの小娘なのですから、そういう態度にもなりましょう。
これは、愛のない――いえ、語弊がございますね。これから愛を育んでいく結婚の打診なのです。あら、これでは恋愛結婚とたいして変わりませんね。どちらでもけっこうですが。
ひととおりの挨拶が済むと、両親は「当人同士で話すこともあるでしょう」と席を外しました。
アルノーさまは、両親が応接室の扉を閉め切るまで見送ってから、姿勢を正して、わたしと向き合われました。
「さて。何から話そうか」
「では、アルノーさまが婿入りを望まれた理由から」
「わかった。……正直に言うと、俺は、この寮を出たくないんだ。退役したら、ここにはいられなくなるだろう?」
「退役なさるのですか?」
「いや。今すぐではないが」
やや食い気味にそう言って、アルノーさまはゆっくりと右手を握り直しました。指の動きを確かめるかのような仕草でした。
「家を買う金はあるんだ。でも、一人で暮らすというのは、どうにも想像できなくてね。……君が、夫に最期まで英雄らしくあることを求めるなら、俺は期待外れだろうけど」
「名誉では生きていかれません」
アルノーさまは笑いましたが、わたしにとっては紛うことなき本心です。
死んで得る名誉が、いったい何の足しになりましょう。
それよりも、旦那さまにはずっと健やかでいてほしい。戦場に行くならば、名誉ある死を遂げるよりも、生きて帰ってほしい。そう願わずにはいられないわたしは、騎士の妻たる適性をまるで持ち合わせていないのです。
「君はこの寮を、騎士たちの帰る場所だと思っているだろう。俺も同じなんだ。それに、君とならやっていけると思った」
「それは、嬉しいお言葉ですね」
皮肉ではありません。選り好みのできない身でありながら、白樫騎士寮に愛着のある方を旦那さまとして迎えられるなんて、願ってもないことです。
「ですが、アルノーさまは、本当にそれでよろしいのですか? わたしでなくとも、結婚のお相手はいらしたでしょうに」
アルノーさまは、すぐにはお答えになりませんでした。膝の上で組んだ手を見下ろしてから、視線をローテーブルの上に置いた花束へと移します。
「ここで、君たちと暮らしたいんだ」
その顔からは、いつもの笑みが消えていました。
つまるところ、退役してからも白樫騎士寮の皆と暮らしていきたい、ということでしょう。
結婚の動機としてはたいへんよろしく、これ以上は望むべくもありません。
それなのに、どうしてアルノーさまは、何か後ろめたいことでもあるようなお顔をしていらっしゃるのでしょう。
「だけど、俺の都合だからね。君に夫婦らしいことまで求めるつもりはないよ。手は出さない。約束する」
わたしは目を瞬かせました。
「約束、ですか。よもや両親からそのように頼まれましたか?」
「いや。……そのほうがいいと思って」
わたしは首を傾げました。
「それでは困る、とお伝えしておきます。無理にとは申しませんが」
アルノーさまは顔を上げ、怪訝そうにわたしを見ました。
「困る? どうして?」
「わたしは一粒種なので」
実のところ、わたしに子がなくても、家業は困りません。バルタ家を存続させるだけであれば、養子を取ればよいのですから。しかし、敬愛する両親に孫を見せてあげたい、親孝行をしたい、という気持ちがあるのです。
年の近い友人にそのことを言うと、みな一様に口を揃えます。
時代錯誤だ、と。
ですが、わたしにはそれでけっこうなのです。
「子ができるかはわかりませんが、せめて試してからにしましょう」
アルノーさまは、何か言おうとして口を開きましたが、そのまま黙りこみました。やがて視線をそらし、少し困ったように頬をかきました。それから、わたしのほうを見ます。
「……君は、その。いいの? こんなおじさんで」
その言い分がわたしにはおかしくて、苦笑まじりに「もちろんですよ」とお伝えしました。
そのとき、わたしは母の言葉を思い出していました。
母は、ことあるごとに、わたしにこうおっしゃいました。
「男というものは、恋愛と結婚の区別がまるでつけられません。それを努々心得ておきなさい。さもなければ、あなたは不幸になりますよ」
なるほど。母が言っていたのは、このようなことかもしれませんね。
アルノーさまに手を出させるのは、骨が折れそうです。
わたしは改めて、アルノーさまへ向き直りました。
「お受けいたします。どうぞ婿にいらしてくださいませ」
アルノーさまはしばらく黙っていらっしゃいましたが、やがて、その言葉を受け入れるように、一度うなずかれました。
「……ありがとう、バルタ嬢」
「アルノーさまは、バルタになるおつもりなのでしょう? それなのに、わたしのことをバルタ嬢とお呼びになるのですか」
アルノーさまは一瞬きょとんとなさったあと、参った、というように苦笑されました。
「それもそうか。じゃあ――マーガレット」
「はい」と返事をしますと、アルノーさまはわずかに眉尻を下げられました。
「うーん。君が小っちゃいときはそう呼んでたんだけどね。今呼ぶと緊張するもんだ」
「名前を呼ぶだけですのに」
「すぐ慣れるさ。これからよろしくね、マーガレット」
そうやってアルノーさまと話しておりますと、父が戻ってきました。
「母さんは厨房に呼ばれてね。夕食の支度に人手が足りないそうだ」
そう言って、父はわたしたちへ笑いかけました。
娘のわたしが申すのもなんですが、わが父モーリス・バルタはなかなか見栄えのする人です。物腰こそ穏やかですが、五十を過ぎても背をしゃんと伸ばしています。騎士さまたちのような逞しさはありませんが、母が父を選んだ理由の一端くらいは、娘の目にもわかります。
バルタ家は無爵貴族ですし、軽んじられる理由に事欠かないはずですが、そういう手合いが滅多に寄り付かないのは、ひとえに父の手腕と言えましょう。
父はアルノーさまの向かいにある一人掛けの椅子へ、浅く腰掛けました。背を伸ばしたまま、膝の上でゆるく両手を組みます。
「アルノーくん。君と白樫の付き合いも、ずいぶん長くなりましたね」
「ええ。長いことお世話になっています」
「退役したあとも、ここに残りたいとお考えですかな」
「はい。許されるのであれば」
父は親しげに目元をほころばせました。
「長く暮らしていただいた騎士さまを、退役したからといきなり追い出すのは、不義理というものでしょう。私どもも住み込みですし、なにぶん白樫には人手が足りませんで。一つお手をお貸しいただけるならば、部屋のひとつくらい、どうとでもなります」
父は、滅多に直截な物言いをなさいませんが、言いたいことはいつもはっきりとお示しになります。
つまり、白樫騎士寮に残ることと、わたしと結婚することは、別の話だとおっしゃりたいのでしょう。
アルノーさまは穏やかに微笑んだままで、口を開きました。
「それは、ありがたいお話です」
「ですから、あまり気負いなさいますな」
ええ、父の言うとおりです。
アルノーさまは、一隊を任される立派な騎士さまでいらっしゃいます。三十五などまだ男盛りですから、引く手も数多でしょう。貧しいバルタ家への婿入りをわざわざ選ぶほど切羽詰まってはおりますまい。
わたしとしては、アルノーさまを婿にお迎えできれば、バルタ家のためにも良いだろうと考えておりますが、しかし。
父には何か、別の懸念がおありなのでしょうか。
「そうだ、マーガレット。二階に空き部屋が一つあるだろう。そこを片づけておいてくれるかい」
わたしたちバルタ家は、住み込みの使用人たちとともに、騎士寮の裏手に建つ離れで暮らしています。父が言ったのは、わたしどもが暮らしている離れの二階、その南端にある部屋のことです。
「窓の留め金も緩んでいるようでして、そこはアルノーくんに見ていただけると助かるのですが」
「もちろんです。それくらいなら、すぐに」
アルノーさまは軽く笑って了承されました。
「では、マーガレット。案内して差し上げなさい。道具箱は階段下にありますよ。片づけは一日では済まないだろうから、夕食までには切り上げなさい」
「はい」
空き部屋を片づけるのも、窓の留め金を直すのも、いずれ誰かがやらなければならない仕事です。わたしはありがたくアルノーさまのお手を借りることにしました。
道具箱を持って二階へ上がり、廊下の端にある部屋の鍵を開けます。長らく物置として使っていたため、室内には予備の寝具や使わなくなった家具が積まれていました。
閉め切っていた窓を見せようと、わたしは腕を上げ、窓辺を覆っていた厚いカーテンを開けました。
「ずいぶん物騒なものを隠しているね、マーガレット」
アルノーさまが見つけられたのは、わたしの腰に吊るした短剣でした。
普段は太ももまである上着の裾で覆っていますが、腕を上げたときに裾が引かれて、鞘の形が浮いてしまったのでしょう。
「今日は、俺と会うからかな?」
「ご冗談を。十一の頃から、いつも身につけていますよ」
「十一?」
アルノーさまは、なぜか年齢に食いつかれました。
その頃のアルノーさまは二十六歳。すでに寮に住んでいらっしゃいましたが、わたしが護身具を持ち始めたことには、お気づきにならなかったようですね。
「父が持たせてくださいました。仕事の用で、一人になることもございますから」
「……。ちょっと、見せて」
アルノーさまはわたしの腰へ手を伸ばしかけ、途中で動きを止めました。婚約したとはいえ、女性の腰元へ勝手に手を伸ばすのは不躾だと気づかれたようでした。
「失礼した。外してもらえるかな」
わたしが帯から鞘を外して差し出すと、アルノーさまは短剣を抜いて、刃に視線を走らせました。
「少し、抜きにくくないか? 咄嗟に抜けないんじゃない?」
「いえ、抜けますよ」
「そう? やってみてくれる?」
ここで? と尋ねるつもりでアルノーさまを見ますと、こくりと肯かれます。
仕方なしに鞘を帯へ戻し、左手で上着の裾を払います。右手を柄へ伸ばし、親指で留め革を外して、そのまま短剣を抜きました。
なかなかうまくできたはずですが、アルノーさまは、なぜか先ほどより難しい顔をしていらっしゃいました。
「……使い方は知ってるみたいだね」
「ええ。父から一通り教わりました」
「今度、動きを見せてくれないか? 定期的に訓練しないと、いざというときに動けないからね」
「アルノーさまは心配性でいらっしゃいますね」
「見せてもらえるのかな? 俺の心配性に免じて」
「ええ、ぜひ。稽古をつけてくださいませ」
「それじゃあ、来週にでも。……マーガレット」
はい、と答えて見上げると、アルノーさまはわたしの顔を覗き込むように微笑んでいらっしゃいました。
「ああ、用はないんだ。ただ、呼びたくなってね」
「変なアルノーさま。先ほどもお呼びになったでしょうに」
「こういうのもいいものだね。腑抜けちゃいそうだよ」
「まあ。お上手ですこと」
「そうだな。今のはなかなか口説き文句らしかった」
アルノーさまが満足そうに肯かれたので、わたしもつい笑ってしまいます。
「では、腑抜けてしまう前に、窓を直していただけますか?」
「そうしよう」
アルノーさまは道具箱を引き寄せると、さっそく留め金の修理に取り掛かってくださいました。




