Episode 13 名前のない勇者
夕方の交代時間。
仮眠明けの悠真が、ぼんやりと自販機の前で立ち尽くしていると——
「はいっ、悠真くんにクイズです!」
唐突な声に振り向くと、
缶コーヒーを掲げた風間一真がにやにやと現れた。
「えっ、なに急に……」
「この缶コーヒーを賭けての一問!“ルナみたいな強制転移、大量発生はどんな時に起こるでしょう!?”」
悠真は思わず考え込む。
「え、えーと……異世界のゲートが増えるタイミングとか?」
一真は、その場で“ブブーッ”と自分で効果音を鳴らして、缶コーヒーを悠真の手にぐいっと押し付けた。
「ハズレだ。——っていうか、これはご褒美な。冷えてるぜ?」
その声色がふっと静かになる。
「正解は——でかい災害や、凶悪事件が起きたときだよ」
「……え?」
「戦争、大規模テロ、大地震、感染症……
ニュースがそっちで埋まって、誰かが消えても話題にならない」
悠真は、言葉を失って缶を握りしめる。
一真は、普段の軽口とは違う目で続けた。
「“世間が他のことに気を取られてる間”——
異世界転移犯罪者どもは、一気に仕掛けてくる」
「“今がチャンス”って。誰も叫びを拾えない時こそ、一番深く、誰かが夢に沈む瞬間なんだ」
悠真は缶を見つめながら、絞り出すように言った。
「……そんな時に、“選ばれちゃう”んだ」
「“こっちの世界”がどれだけひどいって思えるか、ってことですよね」
一真は、缶を開けて一口すすり、いつもの調子で肩をすくめる。
「ま、オレもあと数秒遅かったら、“勇者様”になってた側だしな。それでもこうして缶コーヒー配ってられるんだから、間に合えば救えるって話だよ」
そして最後に、にやっと笑ってこう言う。
「さ、飲んどけ。——これからまた、“誰かの間に合う”を、間に合わせに行くんだからさ」
星のない夜。
シェルターの屋上で、悠真は風に吹かれながら缶コーヒーを飲んでいた。
足音もなく、誰かが背後に立つ。
「……ひとりになりたい時間か?」
「……ルナさん」
彼女は横に腰を下ろし、無言でしばらく夜を見つめていた。
悠真がぽつりと話す。
「さっき、一真さんに聞いたんです。“ルナさんみたいな強制転移は、いつ起こるのか”って」
ルナは目を伏せる。
「……そう。災害のあと、だったわ」
「——あの日、私はバスに乗っていたの」
「高校の修学旅行、古都への観光。昼過ぎには大きな地震があって、道路が寸断されて……」
「そして、夜。救助が来る前、突然、車内が白く光った。隣にいた子が叫んで、前の席の先生が泣き出して——気づいた時には、“全員が異世界にいた”
悠真は缶を握ったまま、目を見開く。
「全員……?」
「ええ。バスごと。クラスメイト全員。運転手も、引率の先生も。——“適正あり”って判断された人間、全員まとめて転移された」
「そこは、魔王が支配する国だった。『勇者候補』として神殿に並ばされて、“祝福”と“武器”を配られて……抵抗した子は、“不適格”として処理された」
「泣いていた友達が、次の日には“剣の技”を教えられていたわ。“人を殺すことは悪くない”って、神官に言われながらね」
ルナの声は、どこまでも静かだった。
「……私は、“使える”って判断された。“強いから、勇者として戦わせよう”って。それだけの理由で、次の日には戦場に立たされていた」
悠真が小さく、けれどはっきりと問う。
「……それで、戻ってきたのは……ルナさんだけ?」
ルナはゆっくりと首を縦に振った。
「……帰ってきたんじゃない。“逃げてきた”のよ。生き残ったのは、私だけだった。
他の子たちは、誰かを守って死んだり、“こっちの世界に帰る価値なんてない”って言って残ったり……」
「“希望を持った者”から順に、あの世界に喰われていった」
しばしの沈黙。
悠真が絞り出す。
「……苦しかったですね。そんなの、誰だって……」
ルナは言う。
「苦しかった? 違うわ。“苦しい”って言葉が出てきたのは、《探索人》に拾われて、やっと“人間の言葉”を思い出したあとよ」
「それまでは、何が苦しいかも分からなかった。“それが当たり前”だと思ってたから」
「だから私は、もう誰にも“あんな場所”を当たり前にしてほしくない。……どれだけ優しく微笑んでいても、あの世界は地獄だった」
悠真は、静かに立ち上がった。
そして一礼するように、深く頭を下げた。
「……ルナさん。その話を……話してくれて、ありがとうございます」
ルナは驚いたように目を細めた。
けれどすぐ、そっけなく答えた。
「礼なんていらない。でも……あんたには、知っていてほしかったのかもね」
「“異世界って、夢じゃない。地獄の入り口だ”って、ね」
【異世界境界帯・転送廃城跡】
——転移反応、微弱ながら確認。
通常のポータルルートではない。
一体だけ、こちら側に“押し出される”ように漂着。
ソフィアの警告音とともに、乾のチームが現場に到着した。
廃墟の中央にいたのは、一人の少女だった。
全身に血と泥をまとい、剣を握りしめたまま、地面に膝をついていた。
だが、その瞳には、生の光がなかった。
乾「……生きてる。けど——これは、“戦場の目”だ」
《探索人》保護ステーション《シェルター017》・医療棟 第3処置室
その少女は、
“目覚めている”のに、誰とも目を合わせなかった。
“生きている”のに、自分の名前を思い出せなかった。
食事の時間にも無表情で、眠りの時間にも表情は変わらなかった。
乾は言った。
「これは……“感情と言語の消失”だ。異世界滞在による精神適応障害。長期戦だぞ」
芦屋は頷いた。
「ええ。でも“壊れてる”んじゃない。これは、“戻ってきたばかりの心”がまだ、世界を信じていないだけよ」
毎日、芦屋は彼女に“ことば”を与え続けた。
「これは、“水”。冷たくて、透明なもの」
「これは、“手”。誰かと繋げるもの」
彼女は、ただ見つめていた。
ある日。
芦屋は、少女の手をそっと取り、自分の頬に当てた。
「これは、“あたたかい”っていうの。ほら、少しだけ、わかるでしょう?」
少女の指が、ほんの少しだけ震えた。
それが、最初の反応だった。
ある夕方。
乾が訓練場で黙々と“動きの確認”をしている少女を見ていた。
剣の構え。踏み込み。制圧動作——
すべてが“殺すため”の動きだった。
だが、そこにあるのは、命令ではなかった。
「……その剣は、今、誰のために振ってる?」
少女は、はっとして乾を見た。
「わからない。でも……もう“言われて”やってるわけじゃない。たぶん、誰かを守るため、かも」
乾は頷き、腕を組んだ。
「お前に、名前がないって聞いた」
少女は、うなずく。
「名前も、出自も、思い出せない。ただ、“戦ってきた”ことだけは……」
乾は空を見上げて言った。
「なら、俺がつけてやる。——“ルナ”」
「意味は、“月”。夜の中でも光を失わず、形を変えても、照らすものだ」
少女は、それをしばらく口の中で転がすように反復した。
「……ルナ……」
その響きが、心の奥に少しだけ届いたような気がして——
彼女は、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
芦屋が微笑んで見ていた。
「名前があるって、素敵なことよね。世界の中に“自分だけの席”ができる感じ」
その日から——少女は、“ルナ”になった。




