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Episode 11「優しすぎる人々」

ミッション帰還後。

深夜、風の抜ける屋上にて。

悠真が、自販機の缶コーヒーを手に、そっと近づく。

「……あの、ルナさん」

「何?」

「……ルナさんって、どうして異世界に行ったんですか?」

少しの間。

風が、彼女の白銀の髪を揺らす。

そして、ルナはあっさりと口を開いた。

「さらわれたの。……修学旅行の最中に、バスごと」

「……え?」

「2年の夏。京都へのバス旅行。

宿に向かう山道で、バスが“光”に包まれたの。

そのまま、運ばれた」

「……異世界の王族が、“若い才能”を一括召喚するために設けた転移スロットだったらしいわ」

悠真は言葉を失う。

「……まさか、全員?」

ルナはうなずく。

「ほとんどは“適性なし”として廃棄された。

私は——“運よく”生き残って、勇者にされたの」

「でも、戦って、勝って、命令されて……

“あたし”じゃなく、“勇者ルナ”として見られるのに疲れて……」

「ある日、戦場から、ただ——逃げ出した」

悠真は、小さな声で呟く。

「……今のルナさんからは、想像できません」

ルナは、笑わないまま言った。

「変わったの。異世界で、戦場で、“誰かの代わりに”何度も泣いたり、怒ったりしてるうちに、

……“あたし”が壊れた。でも、壊れたままで、誰かを救うことだけはやめたくなかった」

静かに夜が流れる。

ルナは、空を見上げて言った。

「だから、今ここにいるの。

——“誰かをあんなふうに連れていかせないために”」

悠真は、深くうなずく。

「……俺、まだ“自分が何者か”わからないままですけど……

でも、あなたみたいな人がいるなら……信じて進んでみようって思えます」

ルナはようやく、ほんのわずかだけ笑った。

「そう。なら、次は——“自分の意思で立つ”番よ、悠真」


スマホに通知がたくさん入っている。

相談者からのLINE、同僚からの業務連絡、夜遅くに来た「ごめんまた今度聞いて」メッセージ。

惟はそれらをひとつひとつ開いて、

短く丁寧な返事を返す。

通勤中、ヘッドホンからは“ヒーリングミュージック”が流れている。

——音のない時間が、怖いから。


【昼・市役所相談窓口】

「本当に助かりました……話、ちゃんと聞いてくれて」

「いえ……私なんて、何もできませんから……でも、来てくれてありがとうございます」

惟は何度も頭を下げる。

どれだけ相談者が理不尽でも、怒鳴っても、涙をぶつけてきても——

彼女はひたすら微笑んで受け止めた。

「……すごいよな、大橋さん。クレーム対応の神だよ」

「でもあの人、休憩とかちゃんと取ってんのかな?」


【夜・帰宅後】

静かなワンルーム。

惟は仕事用スマホを開いて、最後の確認をする。

「明日相談に行ってもいいですか?」

「ちょっと話だけでも……」

「すみません、大橋さんだけが頼りで……」

彼女は返信を書きかけて、ふと手を止めた。

(……私が返さなかったら、この人、困るんだろうな)

(でも……私が返してるのって、“仕事の時間”じゃないよね……?)

そんな疑問がよぎっても、惟は送信ボタンを押してしまう。


【深夜】

ベッドの中。

スマホを胸に抱えて、目を閉じながらつぶやく。

「……私が消えたら、誰か、困ってくれるのかな」

「……それとも、みんな……優しく“忘れてくれる”のかな……」


【翌朝・失踪】

惟のアパートには鍵がかかったまま。

出勤記録も、通信履歴も、ピタリと止まっている。

ただひとつ、ベッドの上にスマホが置かれていた。

画面には、こんな文章が表示されていた。

《ようこそ、“あなたの優しさが否定されない世界”へ。

あなたが傷つくことのない、優しい楽園が、あなたを待っています。》


【《探索人》本部・会議室】

ソフィアの分析が入る。

≪対象:大橋 惟/26歳。分類:自己転移型・共感過剰適応症候。

転移先:異世界《リベル=ラハ》=“善意を強制する領域”≫

風間一真「うわ……“優しさのディストピア”かよ……」

芦屋「自分の傷を隠してまで人に優しくする人は、

いずれ“人間であること”をやめたくなるのよ」

乾「行くぞ。

その“優しさ”が本物だったかどうか——俺たちが確かめに行く」


第2章:やさしさの檻

【異世界《リベル=ラハ》/光彩の街】

そこは、あまりにも美しかった。

整った街路、笑顔で挨拶を交わす人々、

常に晴れた空と、耳に優しい音楽が街角に流れている。

•「今日も素敵ですね」

•「あなたとお話しできて嬉しいです」

•「私、あなたのこと……とっても好きです」

誰も怒鳴らない。

誰も無視しない。

誰も他人を否定しない。

けれど——誰も“本音”を言わない。

【“聖和区”・大橋惟の居住スペース】

惟は、「優しさを持つ者」として迎え入れられ、

街の中心部・“聖和区”に位置する白い館に暮らしていた。

朝起きると、奉仕者と名乗る人たちが、

にこやかに声をかけてくる。

「昨日も、あなたのおかげで、みんな穏やかに過ごせました」

「あなたの優しさが、この世界を保っているんです」

惟はそれに、ゆるやかな笑顔で返す。

けれど——

“ありがとうございます”の声が、少しだけ震えていた。


【街の空気】

この世界には、“批判”も“拒否”もない。

すべての言葉は肯定と同調で構成されている。

・食事が不味くても「個性がありますね」

・足を踏まれても「すみません、私の立ち位置が悪かったですね」

・仕事の配分が不平等でも「できる人に頼るのは当然のことです」

そう、“優しさ”は制度になっていた。


【街のルール】

≪《否定的表現》は禁止されています。

感情の衝突は、穏やかに解決してください。

“不快”を感じた場合は、自己感情ログを抹消申請できます≫


【惟の独白】

夜。

誰もいない寝室で、惟は天井を見つめながらつぶやく。

「……ここ、は……

誰も責めない……でも、誰も……“支えて”はくれない……」

「……優しい言葉をもらうたびに、

私が“自分を押し殺してる”ことに気づいて……」

「——それでも、ここにいれば、

“誰かを傷つけること”は、ないから……」

【ソフィアの分析/《探索人》本部】

≪異世界《リベル=ラハ》は、共感性調和型領域。

社会秩序は“感情摩擦の回避”に基づいており、

“優しさ”を維持するために、“本音”が構造的に排除される≫

芦屋「優しさが義務になるとね、

“傷つけないこと”ばかりが大事にされて、

“誰かの叫び”が見えなくなるのよ」

悠真「……優しい人が、“本当に優しくされる”って、

どうすれば起きるんでしょうね……」

乾「本音をぶつけられる相手がいて初めて、人間は壊れずにいられる。

——それを思い出させてやるんだ、“この世界の優しさ”に縛られた子にな」

第3章:その微笑みの奥に、声はあるか

【異世界《リベル=ラハ》/“調和庁”訪問者対応室】

“旅の相談士”を名乗る悠真は、

笑顔で案内してくれた案内人に導かれ、

一人の“調和職員”と面会する。

彼女の名は、大橋惟。

真っ白な制服。

整った言葉遣い。

柔らかな微笑み。

——だが、悠真はすぐに気づいた。

その微笑みに、“目”がついてきていないことに。


「はじめまして、大橋さん。ご相談に乗っていただけると聞いて」

「はい。どのようなご事情でしょうか?」

「……実は、ちょっと困ってまして。

ここって、“否定的な感情”を口に出すのって、ダメなんですよね?」

惟は微笑みながら答える。

「そうですね。ですが、不安や困難な感情については、

“調和的に表現する”ことが推奨されています。怒りや否定は——

あなたを苦しめるだけですから」


悠真は、目を逸らさずに言った。

「……それって、“苦しいことがあるのに言っちゃいけない”ってことですよね?」

惟の微笑みが、わずかに揺れる。

「……いえ、その……私たちは、他者への思いやりを第一に……」

悠真は、さらに一歩踏み込む。

「じゃあ、大橋さんは?

怒ったこと、ありますか?」

「誰かに“やめて”って言いたくなったこと、ありますか?」

「“優しくされるより、そっとしてほしい”って思ったこと——」

惟の手が、机の下でぎゅっと握られていた。

それに気づきながら、彼女は笑顔を崩さない。

「……私は、いつでも穏やかでいたいと思っています。

それが……私にできることですから」


【芦屋・隠密観察中】

通信機越しに、芦屋の静かな声が入る。

「……あの子、“優しくあること”が生きる理由になってる。

その仮面、剥がそうとしたら、きっと——自分が空っぽだと思ってる部分と向き合うことになる」


【悠真・最後の一言】

悠真は、ふっと微笑んだ。

「じゃあ、また話しに来ます」

「大橋さんが“何か言いたくなったとき”、

ちゃんと“怒ってくれる人”がいてもいいと思ったら、

——そのときは俺に言ってください。“ムカつく”でも“うるさい”でも、なんでもいいんで」


【別れ際】

部屋を出た悠真に、惟が問いかける。

「……なぜ、そんなことを言うんですか?」

悠真は振り返らずに答える。

「だって俺、怒ってもらえると、ちょっと安心するんで。

“自分がここにいていい”って思えるから」


惟の目が、また少しだけ揺れた。

その夜。

惟は久しぶりに、自分の胸に手を当てて考えた。

「——私は、“怒ってもいい”の?」

第4章:優しさがあなたを殺す前に

【異世界《リベル=ラハ》/共感区・対話庭園】

柔らかな噴水と白い花に囲まれた、対話専用の屋外空間。

人の心を落ち着かせるために設計された場所。

その中央。

芦屋千歳は、向かいに座る惟を見つめていた。


「……あなたは、“優しくありたい人”なの?

それとも、“優しくあらねばならなかった人”?」

問いかけは、静かに、ゆっくりと。

惟は少しだけ戸惑ったように笑って返す。

「どちらも……正しいと思います。私は、人の役に立つ人間でいたくて……」

「“役に立たなきゃ愛されない”と思ったの?」

芦屋はその言葉を被せるように、あえて遮った。

惟の笑顔が止まる。

目の奥が揺れた。


「……そんなつもりは……」

「じゃあ、聞かせて。

あなたは、“誰かに優しくされた記憶”が、ちゃんとありますか?」

惟の目が伏せられる。

言葉が出ない。

芦屋は構わず、穏やかに続ける。


「惟さん。あなたの“優しさ”って、

本当は“怒られないため”の盾だったんじゃない?」

「“迷惑をかけない”“傷つけない”——

そうやって、“責められない安全な存在”でいれば、

誰もあなたを否定しないから」

「でもその結果、あなたの“本音”は、

どこにも行き場がなくなったんじゃない?」


惟は、こらえていた呼吸が一瞬だけ乱れた。

けれど、また“整った微笑み”を戻そうとする。

——そのとき。

芦屋は、椅子からそっと立ち、惟の前に膝をついた。

「惟さん」

「あなたね、“誰かに迷惑をかける”くらいで、ちょうどいいのよ」


「だって、あなたは人間なんだから」

「怒ってもいい。

泣いてもいい。

“もうやめたい”って言ってもいい」

「その全部が、“優しさじゃないあなた”を生きてる証拠なんだから」


沈黙。

惟の瞳から、音もなく涙がこぼれる。

「……そんなふうに言ってくれた人……初めて、です……」

「“優しいね”って言われ続けて……

でも本当は、誰かに“怒って”って、

“甘えていいんだよ”って……ずっと、言ってほしかった……」


芦屋はそっと手を差し出す。

「なら、その“本当の気持ち”を、今から生きて。

——それが、“優しさの外側”にある、あなた自身なんだから」


【ソフィア:帰還判定開始】

≪対象の精神抵抗値解除完了。

意識座標:現実域へ再固定可能≫


惟は、差し出された手を取る。

その手は、震えていた。

けれど——確かに、“人間の温度”を取り戻していた。

最終章:本音でいていい、あなたがいていい

【現実世界/《シェルター017》 転送室】

光が収束し、ゲートが静かに開く。

その中から現れたのは、

白い衣装を脱ぎ捨てた大橋惟。

異世界では常に張り付いていた“整った笑顔”は、今はなかった。

けれどその顔には、確かに“人としての揺らぎ”と“生”の温度が宿っていた。


迎える芦屋が、そっと彼女に近づき、目線を合わせる。

「おかえりなさい、惟さん」

惟は、小さくうなずいた。

「……はい、ただいま戻りました」

その声は震えていたけれど、はっきりと、“自分の意志”で出されたものだった。


【医療ラウンジ・休憩室】

清潔な服に着替え、温かいお茶を手にした惟は、

ソファでふぅと息をついた。

悠真が控えめに近づいてきて、ペットボトルの水を差し出す。

「……お疲れさまでした。大丈夫ですか?」

惟はその顔を見て、少しだけ微笑む。

「“大丈夫じゃない”って言っても、いいですか?」

悠真は即答する。

「もちろんです。“優しい人”でも、そういう日あって当然ですから」


惟は、しばらくの沈黙のあと、静かに呟いた。

「……私、誰にも“NO”って言えなくて……

“迷惑をかけないこと”だけを守ってきたんです」

「でも……あの世界で、芦屋さんや悠真くんと話して……

ようやく気づきました。“それって、誰のための優しさだったのかな”って」


芦屋がソファの反対側に座り、言葉を添える。

「“誰かに迷惑をかける自分”を許せるようになると、

人って初めて“人と一緒にいる”ことができるのよ」

「“優しさ”ってね、自分にも向けていいものなの。

その分だけ、世界もきっと優しくなれるから」


惟の瞳に、うっすらと涙がにじんだ。

「……ありがとうございます。

今度は、自分の声も、ちゃんと聞きながら生きていきます」


【エピローグ:回復支援ステーション】

数週間後。

再社会化支援プログラムの中、

惟は《傾聴訓練》ではなく、《主張練習》のセッションに挑んでいた。

「……すみません、それはできません」

「今は無理です。でも、気持ちは受け取りました」

周囲のスタッフが拍手する。

——“NO”を言えたその声は、確かに彼女の本音だった。


【中庭/夕方】

悠真と並んで座りながら、惟がぽつりと口にする。

「昔、“優しい人ですね”って言われるのが、誇りだったんです」

「でも、今は……“素直な人だね”って言われる方が、うれしいかもしれない」

悠真は笑ってうなずいた。

「じゃあ、これからは“素直で、ちょっとワガママな人”でいきましょうよ」

惟は——ようやく本当の意味で、笑った。







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