Episode 9:叫びのない悲鳴
【シェルター017・夜の作戦ブリーフィングルーム】
書類整理中の乾に、そっと近づく影。
「……ボス、少しいいですか?」
「なんだ、悠真。……眠れないか?」
「というか、ちょっと気になって。……異世界転移犯罪って、いつからあるんですか?」
乾は一瞬、ファイルを閉じたまま、目線だけで答えた。
「お前、知りたいのか? “本当に”」
悠真はゆっくり頷いた。
「はい」
乾は椅子の背に身を預け、重たく息を吐いた。
「今までに失踪した人間……何人いると思う?」
「……え?」
「登録されてるだけで、約10万人だ」
「っ……!」
「“不明”って書かれた行方不明者、戦災死者、難民失踪……中には“消された記録”すらある。……その中に、異世界へ転移した人間が、何人いたと思う?」
悠真は言葉を失った。
乾は続ける。
「ああ、そういうことだ。30世紀の悪党どもは、もっとずっと昔から人をさらってきた」
「時代も国も関係ねぇ。“孤独な者”“追われた者”“信じたかった者”——
そういう人間の心に、あいつらは必ず付け入る」
「……じゃあ、最初に“異世界に行った”って人は……」
「記録にはない。だが——戻ってきた“第一号”が語った言葉は、今も記録に残ってる」
乾は、古いデータ端末を開き、画面を見せた。
そこには、数百年前のような言葉遣いで書かれた音声記録が表示される。
『あの光の向こうに、神の国があると信じた。だが、あったのは神ではなく、選別と搾取だった。……それでも私が帰ってきたのは、あの世界で命を落とした者の声を、この世界に伝えるためだ』
悠真は静かに呟いた。
「……俺たちがやってるのは、“救出”じゃなくて、“伝承”でもあるんですね」
乾は頷く。
「“救って終わり”じゃない。帰ってきた人間の物語が、“誰かを救う”ようになるまで、……俺たちの任務は終わらない」
【朝・通学路】
制服の襟を直し、リュックを背負う。
母の「いってらっしゃい」に笑顔を返すが、その足取りは重い。
途中、同じ学校の男子たちの笑い声が聞こえて、思わず目を伏せる。
(今日も……“あれ”を見るんだろうな)
【教室】
明るくにぎやかなクラス。
だが、空気がある一点を避けて流れている。
席の隅。
机を囲むように、数人の女子が無言の視線を浴びせている。
その中心にいるのは、澪のクラスメイト・神谷さな。
小さな声で返事をしても、聞こえないフリ。
ノートを借りようとしても、渡されない。
休み時間になれば、「うわ、まだいたんだ」と笑われる。
——澪は、それを知っていた。
全部、見ていた。
【昼休み】
「ねえ澪〜、今日一緒に帰らない?」
笑顔で話しかけてきたのは、クラスの中心にいる子たち。
澪は笑顔でうなずきながら、“さなの方を見ないようにしていた”。
【放課後/自宅】
「今日どうだった?」
母の問いかけに、澪はすぐ返す。
「ふつう。……楽しかったよ」
でも、本当は——
「先生は気づいてるのに、何もしない」
「誰かが“さな”の机にゴミ入れてたけど、私……止めなかった」
「“私がやったわけじゃない”って、ずっと言い聞かせてた」
そんな言葉たちが、胸の内でうずまいている。
【夜・自室】
澪はひとり、布団の中でスマホを見つめる。
流れてくるのは「理想の異世界ライフ」の動画広告。
“ここじゃない世界”“君だけを特別に迎える場所”——
そんな言葉たち。
澪の指が、画面に触れそうになって止まる。
「私、なにかした?なにもしてないよね。……でも、なにもしなかったよね」
涙が、画面の上に落ちる。
そして——
指先が、光の中心をなぞった。
【翌朝/学校】
登校したクラスメイトがざわつく。
「ねえ、澪来てなくない?」
「連絡網回ってないし……」
担任が説明する。
「高森澪さんのご家庭から、連絡がつかない状態が続いています。警察にも届け出済みですが……何か、心当たりのある人は——」
誰も、手を挙げない。
澪の席には、昨日借りたままの英語の辞書が置かれていた。
【《探索人》本部・警戒アラート】
ソフィアの声が響く。
≪緊急通知:未登録転移シグナル捕捉。対象年齢一致=14歳。転移先推定:《シェイド=ノア 夢界群・個別領域》≫
芦屋が苦い顔をする。
「夢から逃げたんじゃない。“自分が見て見ぬふりをした”ってことが、この子の心を壊したのよ」
乾が静かに言う。
「自己転移だが、“自己責任”じゃない。……その言葉、今この国に一番欠けてる概念かもしれんな」
悠真が小さく呟いた。
「叫べなかった人の声、聞いてきます」
【異世界《シェイド=ノア》】
その世界は、静かだった。
音はある。風が草を撫でる音、小鳥のさえずり、水の流れる音。
けれどそこに、“人の声”だけが存在しなかった。
代わりに、すべての感情は——微笑みだけで表現されていた。
名前:高森 澪/14歳
中学2年生。おとなしく、目立たず、成績は中の上。
「空気を読むのがうまい子」と言われるが、それは“壊れないための鎧”だった。
【白の集落】
小高い丘の上に建つ、白い屋根の家々。
優しげな顔をした人々が、穏やかに日々を過ごしていた。
怒る人もいない。
泣く人もいない。
誰かを傷つける人も、いない。
ただ、みんなが微笑んでいる。
“そうすることが、この世界のルールだから”。
【澪の暮らし】
彼女は“来訪者”として歓迎されていた。
朝は花を摘み、昼は鳥と戯れ、夜は夢のような景色に包まれて眠る。
誰も責めない。
誰も押し付けない。
彼女が“何も語らない”ことを、誰一人不思議がらない。
「高森さま、今日も美しい微笑みをありがとうございます」
「あなたがいるだけで、みんなが安心するのです」
——彼女は、“痛みを知らぬ理想の聖女”として扱われていた。
でも——
【ある夜・湖畔】
ひとりきりで座る澪。
静かに水面を見つめ、唇を閉ざしている。
小さく、震えるように呟く。
「……ここは……やさしすぎて、……やさしすぎて……私が、なんにも感じなくなる……」
指先で水面に触れると、波紋が広がる。
「……誰も、怒らないのに。誰も、“なんで黙ってたの”って、怒ってくれないのに。なんで……こんなに、苦しいの……」
その言葉に、応える者はいなかった。
代わりに、背後から“白衣の補佐官”が現れる。
「高森さま。そろそろお休みの時間です」
「……また、微笑んでいただけますか?」
澪は、ほんのわずかに——顔を作る。
それは“自分を責めるための笑顔”だった。
【異世界観測記録・ソフィアによる解析】
≪《シェイド=ノア》は感情遮断型慰安領域。対象が“罪悪感”を抱えた状態で転移した場合、“責められない楽園”を自動構築。以後、主体性を喪失≫
風間「つまり……“自分で自分を許せない奴”にとっては、ここが一番地獄ってことか」
芦屋「“誰にも怒られないこと”って、本当に、“許された”ことじゃないからね」
悠真は静かに呟いた。
「叫びたかったのに、叫べなかった子が……今度は、“誰にも声をかけてもらえない場所”にいるんだな……」
乾「行くぞ。“言えなかった言葉”を、今度は俺たちが聞いてやる」
【異世界《シェイド=ノア》 白の集落・花園広場】
白い風に揺れる草花の中、
“聖女”として崇められている少女が座っている。
高森澪。
白いワンピース。無垢な微笑。何も語らず、ただそこに在るだけ。
—
【潜入開始】
ソフィアの指示のもと、芦屋・悠真・ルナがそれぞれ
現地の外郭部に潜入。異世界防衛機構に警戒されない“感情干渉レベル”を保ちながら接近。
ルナ「……感情を出すと“異分子”として排除される世界、か。この子、よく耐えてる方よ」
芦屋「“怒らないでいられる人”って、“怒ってはいけない”と教えられてきた人でもあるのよ」
【接触:悠真】
芝生の上に座る澪の隣に、
“村の新入り”という偽装で悠真が腰を下ろす。
彼は語らない。ただ、同じ空を見上げて、
風に吹かれた花のひとひらを、指先で受け止める。
やがて——
「きれいだよね、ここ」
ぽつりと呟くと、澪が小さく頷く。
「……きれい、だよ」
「でもさ、こんなにきれいなのに、なんで“叫びたくなる”んだろうね」
澪の笑顔が、少しだけ歪んだ。
【感情の揺らぎ】
悠真「誰かが泣いてても、自分が笑ってたら、その涙に気づけなくなる。でも逆に、自分が泣きたいときに、笑ってると……涙の出し方も忘れちゃう」
「……澪ちゃんは、そういう気持ち、知ってるよね?」
その瞬間。
澪の指が、わずかに震えた。
「……しってる、よ。しってるのに……なにも、できなかった」
少し離れた位置から、芦屋が“感情干渉ライン”を調整して入ってくる。
「澪ちゃん」
静かに、落ち着いた声。
「“誰かに謝りたくて、でも謝れなかったこと”ってある?」
澪が、はっと息を呑む。
「謝ったら、自分が“悪い人”になる気がして、でも、言わなかった自分をずっと嫌いになっていった——そんな気持ち、抱えてない?」
澪の顔から、ようやく笑顔が落ちる。
「……あるよ……」
「ごめんって、言いたかったのに……“今さら”って思ったら、言えなくて……」
「それでも、あの子のこと忘れられなくて……でも、私は“いじめた側”じゃないって、ずっと、ずっと言い聞かせて……」
「でも、本当は、見てただけの私が一番ずるいって……わかってたよ。ずっと、わかってたの……!」
ついに、その目から涙がこぼれ落ちる。
周囲の“白衣の補佐官”たちが、ざわめきながら消えていく。
この世界を支配していた“感情遮断の構造”が、少女の涙によって崩れていった。
澪がうずくまった背中に、そっと悠真の手が添えられる。
「ねえ澪ちゃん。“怒られる”のって怖いよな。“自分を責める”のも、もっと怖いよな」
「でもね、“許されたい”って思える人は、……ちゃんと、“変われる人”だと思うんだ」
「だから、俺は、その“ごめんね”を信じてる」
【異世界《シェイド=ノア》 崩壊フェーズ】
白い建物が静かに揺らぎ、空が淡く色づいていく。
“怒り”“哀しみ”“恐れ”といった感情が、澪の涙とともに世界に流れ出し、この偽りの静寂はゆっくりと音を取り戻し始めていた。
悠真の前で膝を抱えた澪が、震える声でつぶやく。
「……私ね、先生に“何か知ってるか”って聞かれたとき、“わかりません”って答えたの……」
「さなのこと、“助けたい”って思ったこともあったよ。でも、誰かに“それ間違ってる”って言うのが怖くて……“いい子”でいたくて……」
「全部、自分を守ってただけだった……!」
「じゃあ、澪ちゃんはさ——本当は、誰に怒ってほしかった?」
その問いに、澪はすぐに答えられなかった。
でも——ゆっくりと、言葉がこぼれる。
「……“私自身”に、かもしれない……“何してんの”って、“ちゃんと見なよ”って……本当は、そう言ってくれる誰かがいてほしかった……」
静かに近づいてきたルナが、澪の隣にしゃがんで、ぽつりと言った。
「だったら今、私が怒ってあげる」
澪が顔を上げる。
ルナの目は、優しくも、まっすぐに澪を射抜いていた。
「よくもまあ、“黙って”逃げたわね。“誰かを救えなかった”って、勝手に悲劇ぶって、全部封じて、微笑んでたなんて——最低よ」
「でも、怒ってるのは、それだけじゃない。……“叫ばなかった”あんたに、……“助けを求めなかった”あんたに——私、悔しかったのよ」
涙が再びあふれる。
でも、今度は違った。
声がついてきた。
「……ごめんなさいっ……!でも……でも……ありがとう……!」
「……怒ってくれて……ありがとう……!」
《シェイド=ノア》の構造が完全に崩壊を始める。
空が砕け、草原がノイズに飲まれていく。
だが、澪の身体はもう沈まない。
ソフィアの通信が入る。
≪感情遮断コード解除完了。高森澪、転移座標安定。意識の現実帰還を許可≫
悠真が手を差し出す。
「——一緒に、帰ろう」
澪は、泣きながら、それでもしっかりと頷いた。
「……うん」
光の中から戻った澪は、
一瞬まぶしそうに目を細めて、すぐに気づく。
自分の手を、誰かが握っていた。
——芦屋千歳の手だった。
「おかえり、澪ちゃん。泣いていいし、怒ってもいい。だから——ここで、ちゃんと生きて」
教室ではない、小さな学習室。
澪は、他の保護対象だった少年と一緒に、ゆっくりと文字を書いていた。
その脇に置かれたスケッチブックには、「ごめんね」と「ありがとう」が、やわらかな筆跡で並んでいる。
悠真と乾が並んで、沈黙の空を見上げる。
悠真「……“言わなかった言葉”って、本人が一番、苦しむんですね」
乾「ああ。だから俺たちは、“言える場所”を作るためにここにいるんだ」




