最終話 5年後ガレスのある日
いい天気だ。
「ルナ、はやくしろ」
玄関でもたついているルナに声をかける。
ルナは慌てた様子で一度外に出て来たが、何かを思い出したようにまた引っ込んでしまった。
あぁ、またどうせベンに行ってきますのキスでもしているのだろう。
親子とは不思議なものだ。失われた記憶も時間も、その絆が瞬く間に埋めてしまうのだから。
笑いながら悪気なくオレに謝ったルナは、当たり前のように横に並び歩き出した。
背が伸びたな。体重も少し増えただろう。背に乗せることができなくなってよかったのかもしれん、なんてな。
「ん?」
雑貨屋の前でマントを被った大きな塊が店主と談笑している。
シャロン、足の調子はよさそうだな。オレもまあまあだ。
どうせまた化粧品でも売りに来たのだろう。
『ジーグの恵』はアルブの女たちの間で今や大人気の美容液だ。なんでも大変な保湿力で肌がすべすべになるんだとか。
あいつらのべとべとの粘液にまさかそんな効果があるとはな。元々、弱い皮膚を守るためにあったのか。
しかしオレからしてみれば、あいつらの粘液を顔に塗るなんざ気色悪……ん? もしやルナも使っているのか?
そういえば最近になって妙に女っぽくなったような。いや、それだけが理由ではないか。どちらにしても人間の女ほど……あぁ、まあいい、省略だ。
「あーあー、またやってるな。ルナ、オレの反対側へ回れ。食べカスが飛んでくるぞ」
ヒューン ドゴォン コロコロ……
「ぐっ、痛いな。あぁルナ、大丈夫だ。問題ない。もう慣れた」
木の実屋の前でこれまたマントを被ったデカいナメクジ、いや、ドルモンが今日も派手に商品を食い散らかしている。
すぐ傍で頭を抱えて嘆いている男の給料のほとんどが、ドルモンの食事代に消えてるという噂だ。
ドルモンはあの広い背に人々を乗せ、アルブと森間の重要な交通手段としてあの男と商売を始めたらしい。奴は砂漠からの地下通路をどういうわけか砂を固めて塞いでしまったようだ。
しかしあの男、兵士よりも商人の方が似合っているな。
それにしても、ジーグやドルモンのマントはなかなかのものだな。
革職人ダニーの小屋は、昔の倍の大きさになったそうだ。
オレはあの男はどうも苦手だが、無表情な奴の顔もニヤついたりするのだろうか。ん? なんだ? オレは決して無表情ではないぞ。
ジーグたちとの戦いも終わり、平和に見えるようだが実はそういうわけでもない。
事件で失われた命は少なくないのだ。今もその家族や王の方針を良く思わない人々は多い。人間とジーグの歩み寄りにはまだまだ時間がかかるだろう。
この世は常に揺れ動く天秤だ。
人間に限らず全ての生き物は、向かい合うその皿に様々なものを乗せなければならない。その均衡が崩れれば、世界はたちまち傾き始めてしまう。
なあノア、見ているか? この国の今を。
お前の目にはどう映っている?
またあのデカい声でオレたちを導いてくれないか。
ノアはアーネス家に帰り、ベンが記憶を取り戻してすぐに逝ってしまった。
元々オレよりずっと歳をとっていたし、共に生きてきたベンが元気になって安心したのかもな。あいつがいなくなって、結局オレの仕事は増えたまま。やれやれだ。
「なに? 王だと? オレがか? ルナ、そんなわけないだろう。オレは面倒事は嫌いなんだ。だから昔オレたちの世界にも色々あると言っただろう。え? どこにあるかだと? しばらくはお前にも言えんな」
アルブの街の地下深くだなんてな。
「さすがに人が少ないな」
休日というのに市場はいつもの賑わいを見せていない。
そりゃそうだ、今日は特別な日だからな。皆、王都クレスタへ我先にと向かったのだろう。
クレスタに近づくにつれてルナの表情が険しくなってきた。おそらくあの大佐が原因だろう。
あの男、オレが思っていたより一途なようだが、いい加減諦めた方がいいな。まぁ、そろそろ気づくだろう。今日は街から女もたくさん来る。新しい恋の相手でも見つけることだな。
「やはりすごい人だかりだな。ルナ、オレの傍から離れるな」
王宮の前はアルブに住む人々のほとんどが集まったと言っても過言ではない。
あぁ、なんとか間に合ってよかった。ルナ、背に乗せてやれなくて悪いな。見づらいだろうがまたお前はどうせあとで――――――
『おい! 来たぞ! 来たぞ!』
すぐ前に立っている中年の男が突然叫んだ。辺り一面に歓声とどよめきが起こる。
王宮へ続く道の脇にはリューナの兵士が警備のため、ずらりと並んでいる。
「ルナ、来たぞ」
前後に兵士2人ずつを連れ、立派な白馬に乗った人物が見えてきた。前の中年男が隣の男と騒ぎ出す。
『おお! あの方が!』
『あぁ、そうだ。国交を改正したとかいう外交使節団最高責任者だそうだ!』
『ほぉーう。若いのになかなか大したもんだ。これから王様と会談するんだろ? これでリューナとシュタイラの関係もちったあ良くなるといいがな』
「ルナ、見えるか? ……お前なに顔赤くしてるんだ」
まったく……。ん? あいつ、こんな大事な日の大事な時に手元ばっかり気にして……何してるんだ。せっかくシュタイラの正装もして見た目は完璧なのに、馬から落ちて恥をかいても知らんぞ。
『おい、声かけてみようぜ! こっち向いてくれるかもしんねぇ!』
『よっしゃ! そうだな! せーの!』
『おーい! ナイト・エヴァット様ー!』
あぁ、ナイト、何びっくりしてるんだ。また顔も耳も真っ赤だぞ。ちっとも変ってないな。大丈夫かあいつは。
ん? 驚いた拍子に何か手から放り出されたぞ。
それは太陽の光を浴びてきらりと輝いた。
輪になった鎖の先で美しく研磨されたその宝石は、まるで今日の空の色のよう。
いい天気だ。
今宵の月もきっと美しいのだろう。
完




