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9.

 一週間後、三春はステージ5へ移行した。コールドスリープを解除する前日、冬馬は両親と病院に泊り込むことになった。いつ三春が”ダメになる”かが分からないからだ。

 母は、ずっと泣きっぱなしだった。父は仕事が多忙をきわめ、病院に来るのが遅れた。ほとんど眠っていないのだろう。顔色が悪く目の下には濃いクマがあった。

「父さん、大丈夫?例のテロのせい?」

 つい先日、政治家の自宅への爆破テロが起きたばかりだった。父親は肯定とも否定ともとれる笑みを浮かべた。治安維持局のトップに近い場所で働く父は、仕事について決して家族には語らない。分かっていたが、この時は聞かずにはいられなかった。

「大丈夫。何も心配しなくていい」と父は笑ってみせた。


 真夜中、父と母が眠ると冬馬は病室を抜け出した。常夜灯の光は、無機質に廊下を照らす。いつもの静けさが薄闇に磨きをかけられ、はりつめている。

 目的の部屋の前にたどりつく。

 今日は、ノックはしない。

「やっぱり来た」

 美歩は起きていた。灯りは消されていたがサイドテーブルのモニターの熱帯魚が色とりどりの光を放ち、美歩の痩せた顔の上に不思議な縞模様をつくっていた。腕にはこの間のように点滴の針が刺されている。

「やっぱりって?」

「看護士さんが、今日は泊まりの家族がいるって言っていたから」

「泊まる理由は?」

 美歩はこくりとうなずいた。

「知ってる」

 冬馬はいつものようにベッドの端に座る。

「ちょうど、これ読み終わったよ」

 美歩の手には”ナイチンゲールとバラ”の絵本があった。

「幸福の王子を書いた人と同じなんだね」

「そうだよ。」

「綺麗で、悲しくて、残酷だね」

「でも、そういう話が好きなんだろう?」

「うん」

 美歩はぱらぱらと絵本のページをめくる。絵本の間から一枚の紙が落ちた。ケンからの手紙だった。

「何が書いてあったの?」

 この間、聞けなかったことを聞く。美歩は少しはにかんで「見る?」と差し出した。冬馬は、四つ折りの紙片を開いた。

 ――ぼくは元気にやっている。わかってると思うけど美歩のことは一度も恨んだことはない。ダンの弔いももうすぐ完了する。だからどうか元気でいて

 短い文章だった。

「恨むって何を?」

「右腕のこと」美歩は、悲しげに目を細めた。

「夜の海の野原で遊んでいたら、突然、体が熱くなったの。焼かれるみたいだった。遠くで誰かの叫び声がして、だんだんそれが近づいてきて、ケンの声だと分かった。口の中に温かくて、しょっぱくて甘い味がした。気づいたら私はケンの右腕を噛みちぎっていた」

 冬馬は三春が発症したときの、奇行を思い出した。夜中に外に出て帰ってきた時、三春の服に飛び散っていた血の跡のことを。

「ダンは私を止めようとした。困ったような悲しそうな目で、私とケンの間にわりこんだ。ダンは戸惑っていて動きが鈍かった。私はダンの首に噛みついた。口の中にまたしょっぱくて甘い味がした。即死だっただろうから苦しまなかったって博士は言っていたけど」

 冬馬は壁を見上げた。写真の中でダンは茶色い頭を、ケンにすりよせていた。冬馬の視線を追うように美歩も壁を見上げる。

「ステージ3の意識がある頃はね、写真なんて見られなかった。悲しくて辛くて忘れたいとばかり思っていた。でも、ステージ4から目覚めて、ステージ5になったら、逆に忘れたくないと思った。毎日毎日、いつ“ダメになるんだろう”って怯えていた。そしたらもう、目をそらしたくなかった」

 疲れているのか美歩は切れ切れに言って、かすかにほほえんだ。

「ねぇ、思うんだけど、忘れるって生きていくための手段なんだよ。生きていくなら忘れていかなきゃいけないこともある。でも死んでいくなら、忘れるべきことなんてなにもない。覚えていたい、全てを刻みつけていたいって願うんだ」

「人間は皆いつかは死ぬけどね」

 当たり前のことだが、冬馬は言わずにはいられなかった。

「うん。最終的にたどりつく場所は同じ。でも、まるっきり逆方向。道も景色も違うし。不思議だよね。ゴールは同じなのに逆方向って。……私の場合、思っていたより長く歩きすぎちゃったけど」

 ふふっと美歩は笑った。

「私ね、今度、脳移植の手術を受けるんだ」

「……知っているよ」

「手術が成功しても私の場合、病状が進行しすぎているから完治はしないんだって。体の変化を少しの間止めるだけになるだろうって。要するにダメになるまでの時間が今より延びるだけ」

 冬馬は黙っていた。

「疲れちゃった」美歩はつぶやいた。「この病院に来られたこと、すっごいラッキーだったと思う。これは本音。でもね、疲れちゃった。これ以上、道が延びるのは辛いんだ。ねぇ、冬馬」

「なに?」

「この間、私が病室で言った事、本当は分かっていたんでしょう?だから、今夜、来てくれたんでしょう?」

 少しの沈黙の後、冬馬はうなずく。

 美歩はにっこりと笑い「じゃぁ、よろしく!」と明るい声で言った。

 冬馬はベッドの端から降りて、ポケットからモバイル端末をとりだして電源を入れる。病室内の無線LANの暗号キーはすでに割り出している。

 ネットワークに入り、美歩のベッドサイドテーブルに置かれたタブレットにアクセスする。パスワードを解析ソフトにかけて特定し、一分もかからずログインできた。

 後は簡単だ。医療施設で使われる代表的なシステムの使い方は頭にいれてある。いくつかの指示を取り消して、代わりにいくつかの指示を打ち込む。

 実行確認の文言が表示される。指が止まる。つい美歩を見る。美歩は体を起こしモバイル端末の画面をのぞき込み、曇りのない透き通った笑顔を浮かべた。

「押そっか?」

 はっとして冬馬は首を振り「実行」を押した。

 安心したように美歩は体を倒す。

 冬馬はサーバ内にもぐりこみ、アクセスログを全て消去して、モバイル端末の電源を落とす。

「終わった?」

「うん」

「サンキュ」

 そうつぶやいて美歩は目を閉じた。

 冬馬は何か言いかけた。だが言葉はでてこなかった。結局、無言のまま病室をでた。廊下には相変わらず誰もいなかった。


 翌日、三春の脳移植の手術が、突如決まった。

 手術は成功した。

 手術室から、いつもの担当医とともに、以前病室の前ですれ違った男が姿を現した。

「博士、あなたが自ら執刀してくださるとは」

 父が深々と頭を下げた。母も涙ながらに「ありがとうございます」と何度もつぶやいた。

 男はにこりともせず「ちょうどおそろいですね。お話があります」と言った。

 両親は少々戸惑った様子を見せたあと、分かりました、と同意した。

「疲れただろう。お前は、どこかで休ませてもらいなさい」

 父が冬馬に言った。だが、

「いいえ、冬馬くんも一緒に」と男は言った。


「冬馬くんは、国立中学の飛び級選抜リストに名前がありますね。だが進学を断っている」

 応接室で開口一番に男は言った。

「え?」

 母が眉をひそめ、父と冬馬は一瞬視線を重ねた。

「どういうこと、なんのお話?」

 父は、穏やかな口調で「博士、突然、そんな話を持ち出すなんて、どうされたんですか」とたずねた。だが母はヒートアップした。

「あなた、知ってらっしゃったの?私、聞いていなくってよ」

 父は答えない。話の行き先を探るように男をじっと見た。男はそれぞれの表情を見渡して「ふむ。まぁ、知ってた知らないは、とりあえず置いておきましょう」と言った。

「置いておけるわけがないわ、どういうこと?」

「少し落ち着いてください。もっと重要な話があるんです」

 男は、淡々として取り合わない。

「国立中学への選抜リスト入りを、棒にふるより重要なことですの?」

「えぇ、何倍も。冬馬くんの将来を大きく左右することです」

「一体、なんです?」

「彼は、昨夜、病院内のシステムをハッキングしました」

「え?」

 父と母が同時に冬馬を見た。

「そこで、ある患者の点滴の中身を勝手に調整しました。患者は、今朝、未明に亡くなりました。」

「嘘、そんなの嘘よ」母がわめいた。

「証拠はあるんですか?」父が低い声をだした。

 冬馬は直感する。父は自分がやったことを確信している。

「今のところないが、そのつもりで調べれば、いくらでも出てくるでしょう」

 男の言葉に、母は顔を覆い泣き崩れた。

「一体、何がどうなっているの?やっと三春が治って、なのに……なのに……こんな」

 母の繊細な神経は、限界にきているようだった。父は母の肩に手をあてた。

「後は任せて。きみは三春のそばにいてあげくれないか」

「えぇ、えぇ」

 しゃくりあげながら、母は応接室をでていった。

 母がでていくと、父は重々しく口を開いた。

「突然の移植手術だなんて、おかしいと思いました。先日、断られたばかりなのに。あなたが、三春のために移植リストの順番を繰り上げるなんてありえないし、脳の提供者が都合よくもう一人あらわれるわけもない」

 深いため息。

「本来であれば、その亡くなった患者の方が手術を受けるはずだったんでしょう?」

 冬馬は、父の洞察と冷静さに心の中で驚いていた。

「今回のことは私にとっても大きな損失だった。冬馬くんが殺した患者は」

 殺した、というところを男は強調した。

「大変、貴重な研究対象だった。莫大な時間と金も費やしてきた。何より彼女が亡くなって私は悲しい。ずいぶん長い間、診てきた患者だったからね」

 少しも悲しくなどなさそうな平坦な声だった。

「博士、ぼくはあなたのことを分かっているつもりです。もし冬馬を罪に問うつもりなら、わざわざこんな話し合いなどしない。時間の無駄ですからね。目的は何ですか?」

「昔の教え子は話が早くていい」

 男は、椅子の背もたれに深々と体を預ける。表情はほとんど動かなかったが、冬馬は彼が笑っているのを感じた。

「私は、冬馬くんに国立中学に進学をしてほしい」

 会話に間が空いた。

「どういうことです?」父が用心深く口を開く。「進学する、それだけで、あなたは今回のことを不問にすると?」

「亡くなった命は生き返らない。私は次のことを考えねばならない」

「次とは?」

「彼の才能は、隔離施設で枯らしてしまうには余りに惜しい」男は視線を冬馬にうつす。「実はある計画があってね。きみに手伝ってほしい」

「計画?」冬馬が聞き返す。

「もちろん、すぐじゃない。学校で十分に勉強をしてもらって卒業してからでいい。きみの才能にふさわしい仕事だ」

 男の口調にはよどみがなかった。こういう取引を今までに何度もしてきたに違いない。自分が必要なものを手に入れるためにためらいも迷いもなく。

 ふと、冬馬は美歩のことを考えた。美歩もこの椅子に座ったのだろうか。そしてケンのために自分自身を売り渡さねばならなかったのだろうか。

「どんな仕事ですか?」冬馬はたずねる。自分にはもう逃げ場がない。

 無表情な男の目に一瞬だけ光が宿った。

「お父さんと同じ職場だ」


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