10.
冬馬はふらりとベンチから立ち上がりフェンスのそばに行った。
海のようにな青々とした野原が広がる。
冬馬はフェンスに触れた。途端に「ここは治安維持局指定の立ち入り禁止区域です、警告、立ち入り禁止区域です、すぐに離れてください」と機械的な音声が頭上に鳴り響いた。
「馬鹿やろう、何やってんだ」
才我が駆け寄ってくる。冬馬はフェンスから手を離す。警告音が鳴り止み、ふたたび風になびく草の音が戻ってくる。
「レッド・フェンスには触っちゃいけないってスラム街の捨て子だって知ってんぞ。ったく、何考えてんだ」
「あ」
冬馬は端末をのぞきこむ。
「どうやら指紋が勝手にとられて身元照会にかけられたみたいですよ。警告メールが来ました」
「まじかよ?」
「レッド・フェンスの中でもかなり堅牢なシステムを組んでいるみたいですね。まるで、旧東京地域並みです」
「おまえ……」
「すみません」
「俺に謝ったって仕方ない」
「そうですね」
才我はため息をつきながら「さっきの話だけどさ」とつぶやいた。
「思い出したくなかっただろ。悪かったな」
「ぼくが人殺しだと知ってショックですか?」
「いや」
才我はきっぱりと首を振る。
「選べないものを選んだり、どうやって決めたらいいかわかんないことを決めなきゃいけない時ってあるだろ。この仕事は特にそういうことが多い。お前、案外、向いてるんじゃねって思ったわ」
俺だって、そんなにきれいに生きてきたわけじゃないしさ、と才我は自嘲気味に笑った。
「それより三春があの奇病にかかった過去がある方が予想外だった。あいつ、いつも明るいじゃん?悩みなんかないお嬢さんかと思ってたからさ」
「三春が一番苦しんでいるのは、ステージ3の時に自分が傷つけた相手のことですね」
才我は眉をひそめ「……病気だったら仕方ねーじゃん」と言った。
冬馬の脳裏に赤く染まった三春の口元がよみがえる。
「傷つけられた側には関係ないですよ。国家権力が隠蔽する難病、そんな理由で捜査は打ち切られ犯人は謎のまま捕まらない。遺族は納得できないでしょうね」
「遺族って。まさか相手は死んだのか?」
「はい」
重い沈黙が二人の間に横たわる。
「ぼくが話したことは三春には内緒にしておいてもらえますか?」
「あ、あぁ、もちろん」
「一応、三春の事案は治安維持局員なら調べられる内容ですけどね」
「そうなのか?」
「個人名などの詳細は管理職以上じゃないと見られませんけど、地域や年齢、その他情報でほかのデータと関係づければ明らかに三春のことだってわかります。ぼくらの家って世間的には多少有名ですし」
「んなの載せるべきじねぇし、アクセス権のレベルもっとあげろよって話だろうが」
才我はいらだったように言った。冬馬は軽く伸びをして、
「本当に才我さん、データベース見てないんですね。才我さんくらいだと思いますよ。治安維持局員で課内の人間の家族関係や前歴を探らないのって。多分、三春の事件、うちの課の人は全員知っていると思いますよ」
「知るかよ。過去なんか関係ないだろ」
冬馬はじっと才我を見つめ「すみません、嘘です」と言った。
「はぁ?」
「三春が傷つけたのはテンでした」
「テン?」
「知りませんか?イタチ科の細長い生き物です。あの頃、野生のテンがぼくの家の周辺でよく見かけられていたんです。ちなみに三春がかみついたテンは警察に無事保護されて回復しました」
「おっま、ふざけんなよ!」
「すみません、まさか才我さんが本当にデータベース見ていないとは思わなくって、つい」
「なにが、つい、だよ。全然、つい、じゃねーよ!」
「本当にすみません。代わりにいくつか面白い情報を教えますから」
「面白い情報?またふかしじゃねぇだろうな」
「いいえ」
冬馬は微笑む。
「自信満々って顔だな」
才我は舌打ち交じりににらむ。
「聞いてやる。その代わりくだらない内容だったら覚悟しとけ」
「はい」冬馬はうなずく。「さっきの話の後日談とでもいうような内容なんですが」
「まだ何かあんのか」
「彼女が亡くなった後、ぼくは、彼女のことをもっと知りたくなりました。だから病院のカルテ・データベースにハッキングしたんです」
「は?お前、博士とか言うのに目を着けられていたんだろ?」
「なので今度は一切痕跡は残さないように細心の注意を払いました。実際、ばれませんでした」
「当時10歳とかだろ、やばいガキだな」
まー、だから、治安維持局にいるのか、と才我はあきれたように言った。
「おかげで彼女がこのスラム出身だということがわかり、夜の海の野原もここだと突き止めました。それから……彼女の弟の名前を知りました」
「弟ってケンとかいうやつか」
「はい。彼女の弟の名前は、篠崎 健一郎です」
才我の表情が引き締まる。
「まさか」
「才我さんの想像通りです。このスラムの出身で右腕が義手。間違いありません」
「……片腕の爆弾魔」
「えぇ、B級テロリストとして国際指名手配されている男です」
「あんだけ色々ふっ飛ばしやがったくせに、A級指定されなかったやつだろ」
「篠崎は無人警備システムの建物や、政治家の普段は使っていない別荘などを狙い、人を傷つけませんでしたから」
「ん?ちょっと待てよ、今日俺たちがあった政治家のおっさんの10年前の自宅爆破事件、確か、あれ篠崎の最後の仕事じゃなかったか?」
「その通りです」
「10年前、お前が篠崎にあった時、奴は海外に行って二度と戻らないと言ってたんだよな。まさかあの爆破テロ事件の数日前に、篠崎は子供時代のお前とあったということか?」
「えぇ、その通りです」と冬馬は微笑む。
「10年前の爆破事件は彼の仕事の中で一番派手でしたよね。しかもそれまでは手がかり一つ残さなかったのに、顔が防犯カメラに映っていたり爆弾の残骸に指紋を残していたり杜撰だった。それで身元が割れて指名手配されました」
「だが捕まっていない。用意周到に逃げ道を確保していたからだ」
「逃げられると確信していたから杜撰な犯行を行った、それが一応、定説ですけど」
「一応?思わせぶりな言い方だな。ほかに理由があんのか」
「ぼくなりに仮説があるんです」
「仮説?」
「篠崎は、わざと杜撰な犯行を行った。自分の犯行だと知らせるために」
「は?どういうことだよ、有名にでもなりたかったってことか?」
「いいえ、彼が知らせたかったのは、今日あったあの政治家の先生にです」
才我が顔をしかめる。
「なんだよ、それ」
「ダンの仕返しをしたのが自分だと伝えるために」
「ダン?」
「篠崎と姉がこの野原で飼っていた犬です。ダンは虐待を逃れて姉弟に助けられました。虐待したのはあの政治家先生です」
「な……」
「当時、ぼくはこの可能性に気づき父に話しました。父はあの政治家に動物虐待の前歴があることを調べ上げました。いくら政治家として有能でも動物虐待の過去が世間に漏れたら二度と当選はできない。父は治安維持局上層部として彼の秘密を封印し、彼は治安維持局に便宜をはかるようになった。父と先生がお友達なのはそういう理由です」
冬馬はにこりと笑い
「どうですか?面白い情報ではないですか?」
「胸糞わりぃ」才我は顔をしかめて
「動物虐待なんかするクソ野郎を、野放しにしておいていいのかよ?」
「もちろん監視対象ですよ。動物から人間に対象がエスカレートすることはよくありますからね。ケンの爆破テロの動機も父から彼に伝えてもらいました。あれ以降、彼はずいぶん慎重にふるまっています。カウンセリングに通い衝動をおさえる薬をもらって、同様の犯罪は繰り返していません」
「なんか納得いかねーけど」
と才我は苦虫をかみつぶしたような顔をした後、
「確かに情報としては悪くねぇな」とつぶやいた。
「それは良かったです」
「で、先生にあったお前は色々と思い出しちゃってここへ来たのか?」
冬馬は野原を眺めながら考える。
ー もし美歩があの時『殺して』とぼくに頼まなかったら。
ー あの夜、美歩の病室に行かなかったら。
この世界にいるのは三春ではなく美歩だったのかもしれない。
「おい、離れろ!」
才我に肩をつかまれ我に返る。どうやらまた無意識にフェンスに手を伸ばしていたようだ。
「あぶなっかしーやつだな、また身元照会かけられたら言い訳できねーだろうが」
「すみません、ご迷惑かけて」
冬馬がうなだれる。
「別に迷惑じゃねーがしゃきっとしろ。誰が見てるかわかんねーし、隙を見せるな」
「珍しく教育係らしい指導ですね」
「おまっ、なめてんの?」
「いえ……」
その時、またどこからか女の悲鳴が聞こえ、すぐにけたたましい笑い声に変わった。
「行くぞ」
才我が踵を返し歩き出す。
冬馬も野原に背を向ける。
冬馬は才我の後ろを歩きながら、美歩の病室に貼ってあった写真と、目の前の公園の風景を頭の中で比べる。
ー 美歩たちがいた頃、あのブランコの鎖はつながっていた、レッドフェンスもなかった、
ー 何もかもが変わっていく。美歩とケンとダンが夜の海の野原で過ごした日々は、どんどん遠ざかっていく。
ー もし美歩がここにいたら、何と言っただろう。赤いフェンスを面白がっただろうか。中に入れないことをつまらないとすねただろうか。
ー 答えは永遠に出ない。自分がその可能性を奪ったから。
胸が詰まる。息苦しさに襲われる。才我に気づかれないよう深呼吸でどうにか自分をなだめる。
反省はしても後悔はしない主義は、今も変わらない。
だけどこの感情をどう処理したらいいのかわからない。
冬馬は最後にもう一度、野原を振り返った。
青々とした草の海は遠くまで広がり、風とともに波うっていた。
揺らぐ草が無数の光をまばゆくはじき、ありえない幾つもの『もしも』が浮かんでは消えた。




