幕間2
翌日、フォーレ公が仕立ててくれた馬車に約半日揺られて、俺たちはダークレイ伯爵領にやってきた。我ながら酷いことをしたと思うが、フォーレ公は変わらず礼儀正しく親切に送り出してくれた。実にできた人物だ。ルックスはともかく。
周囲には公爵領に輪をかけてのどかな風景が広がっている。どこまでも続くなだらかな丘陵地帯にどこまでも続くブドウ畑。丘の上に建つ古城にはびっしりとツタが這い、まるで童話の挿絵か何かのようだ。
ダークレイ伯爵の城で出迎えてくれたのは気難しそうな爺さんの執事と黒髪の美女。彼女の顔を見て俺たちは思わず息を飲んだ。肖像画に描かれたキャサリン、そして俺の背後に取り憑いたキャサリンが比較的大人しい時の顔にそっくりだったからだ。
生気を感じさせない肌の白さと、美しいのにどこか垢抜けない陰気な表情。すきま風の鳴くようなか細い声。いかにも生前のキャサリンはこんな感じだったんじゃないかと思わせる佇まいだ。
「このような田舎まではるばるお越しいただき……この上なき光栄にございます。亡き先代に代わりまして御礼申し上げます」
「初めまして、伯爵令嬢キャンベラ。ご不幸があったとは知らず、突然の訪問をお許しください。温かい出迎えに感謝します」
オリエの挨拶は王女というより騎士の礼に近い。そういやいつも鎧ばっか着てたしなコイツ。今は首輪がよく似合うメイド奴隷だが。
「よろしければ、お父上の墓前で祈りを捧げても?」
「あ……はい……ありがたいお申し出、父も喜びます」
案内されたのは城の背後にそびえる塔。キャサリンが身を投げたといういわく付きの場所だろう。ダークレイ一族の墓はこの塔の地下にあるらしい。いわゆる地下墳墓ってヤツだ。
俺たちは見ず知らずのダークレイ伯の墓に参った後、そこに我らが悪役令嬢キャサリンの墓を見つけた。一番奥に鉄の扉で閉ざされた小さな祠があり、その中に他の墓とは明らかに違う粗末で小さな石の墓碑が納められている。墓碑には名前さえ無く、ただ一言刻まれた文字は「罪とともに」。何も死んだ後まで身内がこんな仕打ちをすることはないんじゃねぇか?
前日のうちにフォーレ公が早馬の使いを出してくれてたから用件は伝わっているだろう。俺は単刀直入に頼んだ。
「キャサリンが幽閉されていた部屋が残ってるって聞いたんだ。見せてもらってもいいか?」
キャンベラ嬢の白い顔が怪訝そうにこちらを窺う。
「キャサリンの……何をお知りになりたいんですか?」
「わからん。でも本当のことが知りたいんだ。アイツがここでどんな人生を送って、どんな想いを残して死んだのか」
「アイツって……まるで知り合いのように仰るのですね」
ますます怪訝な表情になる令嬢に、俺はちょっとした皮肉を込めて答えた。
「ああ。他人のような気がしなくてな」
言葉の意味を少し考えてから、結局よくわからないって顔で令嬢は頷いた。
「……わかりました。ロメロに案内させます」
無口な執事の爺さんに連れられて、俺たちは塔の内壁に沿った螺旋階段を上った。部屋は塔の一番上にあり、そこから屋上に出られるようだ。
「こちらがキャサリン様のお部屋になります。中はほぼ当時のままに残してあります。くれぐれも中の物に一切お手を触れられませぬように。皆様に何かあっては私の首が百個あっても償えませんので」
おいおい、随分脅かしてくれるじゃねぇか。オリエの奴、なんとか取り繕っちゃいるが相当ビビってるな。どんな屈強なモンスターにも後れを取らない剣の達人だが、オバケは怖いってんだから笑えるぜ。
俺はニヤニヤしながらオリエの肩を叩き、ロメロ爺の後について部屋に入った。そしてニヤけ面が硬直した。うわ………なんだこりゃ………
それほど広くはない部屋の中に、あふれかえる恨みつらみ、妬み嫉み僻みの言葉。ほとばしる怒りと渦巻く怨念を形にしたような筆跡で、四方の壁一面に殴り書かれている。
「愛してる」「裏切り者」「許さない」「呪ってやる」――怨霊の口から何度も耳にしてきた言葉が、視界を埋め尽くすおどろおどろしいビジュアルとして圧倒的にネガティブな感情を伝えてくる。
「なんて悲しい……荒んだ心……」
天使が痛ましそうに目を潤ませる。
「コレは捗りませんなぁ……」
歩く不謹慎と異名をとる変態同人作家も、さすがにこの部屋に萌え要素を見出すことはできなかったようだ。
「これは……血文字?」
恐る恐る壁に近付いたオリエが黒ずんだ染みのような文字を睨んで眉をひそめる。
「真偽の程はわかりませんが……キャサリン様の御父伯様の日記とみられる書簡には、最初はインクで書いていたのをやめさせようと取り上げたところ、歯で自分の爪を噛みちぎって指先の血で書き続けた……とあります」
いつも俺の首にしがみついてくる手はキレイな爪が生えそろってるんだが……霊になるとそんな傷は残らないもんなのかね。だが確かに一度スイッチが入ったキャサリンの狂気はマジでブッ飛んでる。そのぐらいのことは普通にやりかねない。
だんだん気分が悪くなってきた。護符の力で眠っていても、この部屋に戻って来たことで 怨霊のメンタルに何かよからぬ変化があるのかもしれない。単に俺のメンタルの問題かもしれないが。
「そこのドアは屋上に出る階段か?」
ロメロ爺さんは少し表情を硬くして言葉を選びながら答えた。
「左様でございますが、もう何十年も使われておらず、崩れる危険もあります。外に出るのはおやめになった方が……」
「冒険者ってのは危険のプロだ。中でも俺たちは、誰も近付くことさえできなかった王立大図書館を最下層まで探索したプロ中のプロだ。何が危険か判断するのは執事の仕事じゃない」
ここまで言われたらさすがに止められんだろう。悪いな爺さん。どうしても上で確かめたいことがあるんだ。
「だがプロから見てもアンタはやめといた方がいいな。大丈夫だ、すぐに戻る」
俺たちは少々強引に爺さんを残して、屋上への階段を上がった。こりゃなかなかの高さだな。ビルの四階か五階ぐらいか。そりゃ飛び降りたら無事では済みそうにない。
周りがなだらかな丘陵地帯だから、遥か遠くのフォーレ公爵領の方までよく見渡せる。教えてくれキャサリン。最後の瞬間、お前は一体どんな気持ちでこの景色を見てたんだ?
俺は胸壁に近付くと、首から提げていた護符を外した。
「ああああああ愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる………ああああなあなあなあなたはあなたはわわわわわわわた私の私のたた大切な大切な大切な大切なヒヒッ……人人人人人人人人ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ………ぁあ……い………して…………る………………」
もしコイツが俺をアルマンドだと思っているのなら。
もし今でもアルマンドに変わらぬ想いを抱き、その裏切りを深く恨んでいるのなら。
背後から思い切りひと押し。それだけで俺をそっち側に連れて行くことができる。
「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる………」
俺は耳元に囁かれる常軌を逸した怨霊の愛情に背筋を粟立たせながら、身を硬くしてその時を待った。でもそれ以上、怨霊に変化は無かった。むしろいつもより少し声色が柔らかく、正気っぽくなってる気もする。
「ここでも反応無しか……」
コイツの呪いの根本を解き明かす手掛かりはなかなか見つからない。探れば探るほど、俺はこの怨霊の本当の姿がわからなくなり、同情だけが深まってゆく。必ず見つけてやるからな、お前の心残りの正体を。
「み、皆様っ……どうかもうお戻り下さいませ!」
おっと、爺さんが上ってきた。俺は急いで護符を首に掛け直す。意外と根性あるな。ただ口うるさいだけの頑固ジジイかと思ったが、なかなか職務に忠実な男のようだ。しかし怪我されても困るし、そろそろ戻るか。どのみちここには何も得られるモノは無かった。
その夜はキャンベラ嬢と夕食を共にした。最初に会った時は表情も愛想も無い幽霊みたいな女だと思ったが、打ち解けてくると意外によく喋る普通の娘だった。父親と使用人しかいない古い城で、滅多に客を迎えることもなく、単に知らない人間に慣れていなかっただけなのかもしれない。
「父が体調を崩しがちになってから、急に知らない方からの求婚の手紙が次々に届くようになって……こんな田舎娘をわざわざ貰おうだなんて、よほどお金があるように見えるのでしょうね」
まだ若いのに随分冷めたことを言う。まあ貴族同士の縁談なんて実際そんなもんかもしれないが。
「でもキャンベラさんは美人ですし、お金とかじゃなくても結婚したいって人はたくさんいそうですけど……もしいい人がいたらとか、思わないんですか?」
クールで現実的な令嬢は、天使の言葉を聞いて静かに首を横に振った。
「父は私に花嫁修行よりもワイナリー経営の勉強をさせました。誰にも頼らずに生きていけるようにと………いずれは跡継ぎを残すことも考えないといけないのでしょうけど………」
「そういえばフォーレ公、エンドリック殿もまだ独身でしたね?」
オリエがふと思い出したように話題にする。あのオッサン独身なのか。いい奴だけどな。女ウケするルックスじゃないのは確かだ。アルマンドの肖像画より、どっちかっていうとジャガイモに似ている。
ところがキャンベラは意外な反応を見せた。
「あ、あの方とは齢が一回りも違います!ただ昔から家同士の付き合いがあるだけで………私なんかいまだに子供扱いですし………きっと想い合う方がいるに決まってます………とても素敵な方ですから………」
おいおい、めっちゃ脈アリじゃねぇか。思わずニンマリ顔を見合わせる恋バナ大好き女ども。あのオッサンが素敵?いや人の趣味をとやかく言うつもりは無いが……
「普通に言ったら逆だよな。アンタと並んだら釣り合わないのはオッサンの方だろ」
俺が素朴な感想を口に出すと、いきなりキャンベラの視線が険しくなった。
「オリエ様………大変失礼ながら、ハイカキン様はひどく女心に疎い御方のようですね。ご苦労をお察しいたします……」
「で、ですよね?ですよねっ!ホントにそうなんです!旦那様ときたら本当に……お前のことはなんでもわかってるみたいな顔して、全っ然何もわかってないんです!」
昼間は騎士ヅラしてカッコつけてたくせに、いきなり女子トークになりやがったな。
「そうですよ?ハイカキンさん。美人だとかイケメンだとか、他の人がいくら騒いだってそんなの関係無いんです。好きってそういうことじゃないんです。わかりますか?」
天使が偉そうに講釈を垂れる。全然わからん。何の話だ?
「我々を見くびってもらっては困るのですよ同志ハイカキン!姿形ではないのです……我々があなたに求めるモノはッ!」
ミョルヌまで入って来やがった。腐ってる分際で女子勢に加わってんじゃねぇ。っていうかなんで俺の話みたいになってんだよ。見た目がアレなのはオッサンの話だろ。
「ニョロロフッ!」
いや待てコワモテ。頼むからお前だけはこっち側にいてくれ。俺を一人にしないでくれ。
すっかり蚊帳の外に置かれた俺は、その後夜更けまで続いた女子会から早々に退散し、一人で城の中をうろついた。爺さんはキャンベラと一緒だし、他の使用人の姿も見当たらない。これ幸いと護符を外してキャサリンを解放する。
「うふっ……うふふふふふふふふふふふ……」
また笑ってやがる。やけに大人しいし機嫌がいいな。俺以外に誰もいないからか、それとも慣れ親しんだ実家に帰ってきたからなのか、笑い声も落ち着いていてあまり狂気を感じない。いつもは俺の背後にピッタリ張り付いて俺だけに視線を向けているから、背中に刺さるような悪寒があるんだが、今は俺を見ていない。普通に隣に並んで歩いている。
一緒に城内をグルッと一廻りして戻ってくると、一階の階段ホールでキャサリンが立ち止まり、そのままそこで動かなくなった。
「どうしたキャサリン?そこに何かあるのか?」
視線は階段の上、踊り場の壁に飾られた大きなタペストリーに注がれている。一年のワイン造りの作業を絵柄にした織物のようだ。かなり古びていて、もしかしたらキャサリンが生きていた時代からそこに飾られていたのかもしれない。別に何の変哲もないただの壁飾りだが、何か特別な思い入れでもあるんだろうか?
「ある……マンド…………さま…………」
夢の中にいるような目で陶然と壁を見上げるキャサリンの横顔をしばらくボーッと見つめていると、食堂の方から女どもの声が近付いてきた。ようやくあの結論もオチも無い目的のわからんおしゃべりタイムがお開きになったようだ。悪いな、キャサリン。ちょっと引っ込んでてくれ。護符を首に掛けて幽霊の姿が消えた後、すぐに騒々しいミョルヌの声が聞こえてきた。
「ろ〜しハイカキン!夜はまだまだこれかられすぞ!お好きな美女を連れ込んで、いざ淫猥なる酒池肉林の夜宴と参りましょうッ!」
呂律回ってねぇな。コイツにワイン飲ませたのかよ。
「すみません、味見程度に一口だけだったのですが……」
後ろから止めようとするキャンベラを振り切って、腐れロリがフニャフニャ絡みついてくる。
「フハハハハハハッ!我をご所望ならば致し方あるまいッ!その鬼畜なる願望、実に良きッ!今こそ共に禁断の一線を越える時ッ!」
「うるせぇ、ガキはとっとと寝ろ」
「やらやらろ〜しハイカキンと寝るのれす〜!」
また出たよ五歳児。オリエに引き剥がされたガキンチョが寝室に連行されていく。やれやれだ。うるさいのがいなくなり、俺はまたキャサリンが見ていた階段の踊り場を見上げる。
「一人で何してたんですか?何か気になるものでもありました?」
天使が隣に来て俺の視線の先を窺った。コイツもほんのり顔が赤い。
「一人じゃねぇよ」
「え?」
ダメだ、通じねぇ。まあシラフでも鈍い奴だしな。
「……いや、なんでもない」
俺はキャンベラを振り返って聞いてみる。
「あそこの壁って、昔からあの壁掛けが飾ってあったのか?」
踊り場の壁のタペストリーを指差す。青白い顔の令嬢は、まったく表情を変えずにそちらに目を向けた。
「そうですね……私が知る限り、先々代の時代からこの城の中はほとんど変わっていないと思いますが………あの壁飾りが何か?」
特に何の感情も無いような口調で問い返され、俺は続く言葉を飲み込んだ。
「……いや、なんとなく、な」
キャンベラと別れて客間に引き上げる途中、天使が耳打ちみたいな小声で聞いてきた。
「もしかして、あそこにキャサリンさんが何か反応したんですか?」
「ああ。おそらくあの壁にキャサリンかアルマンドに関する何かがあった。そしてキャンベラはそれが何か知っている」
「え?でも何も無かったって……キャンベラさんが嘘をついてるってことですか?」
「たぶんな」
夕食の席じゃ少しは打ち解けたと思ったが、さっき質問に答えた時のあの無表情は初対面の時と同じ。俺を警戒してるんだろう。つまり探られたくない何かがあるってことだ。
逆に確信が深まった。この一族はキャサリンやアルマンドについて何か外部に知られたくない秘密を持っている。そして当然その秘密はキャサリンの死と呪いに深く関わっているはずだ。必ずソイツを突き止めてやる。俺の呪いを解くためじゃない。キャサリン、お前のためだ。




