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「いたっ」
靴も履()かずに外に出てきたことに気づく。
足の裏にめり込んだ小石をとると、親のカタキのように地面へ投げつける。小石ははじけて近くの雑木林のなかへと消えた。
こんな田舎の神社だというのに、からすま神社の境内はとても広かった。
有名な出雲大社や伊勢神宮よりはずっと規模が小さいのかもしれないが、学校のグラウンドくらいはある。周りをうっそうと茂った木々に囲まれ、カラスや小鳥の鳴き声が始終こだましている。
こんな広くてさびしい場所に、あえかさんは一人で心細くないのだろうか、とみすずは思った。たまに居候がいたりするけれど、あの人とあえかが親しく会話しているのを見たことがない。
まるで、自分の仕事のときみたいに、必要最低限の義務的な会話を交わすだけのような気がする。
この場所で独りきりで夜を過ごす。
みすずは考えて、ふるえた。
わたしには、耐えられない。
目の前に羽ばたいて降りてきたスズメが、首をかしげてこちらを見上げた。
その可愛らしい仕草に、思わずほほえむ。
動物は感情がないなんていう人もいるけれど、そんなことはないとみすずは思っていた。犬や猫だって主人が落ちこんでいると、すり寄ってきて一緒に泣いてくれる。家で飼っているトムとムクが彼女の相談相手だった。
芸能界に入ったことを後悔してはいない。
マネージャーの笹岡さんは、誰より親身になって自分の世話を焼いてくれる。年上のお兄さんみたいな彼に、みすず自身甘えてしまう。だから余計にがんばってしまう。
期待にこたえようと、はりきって仕事もする。彼が喜んでくれると、みすずもうれしくなる。きびしいレッスンだってへっちゃらだった。
――わたし、よくばりなのかな。
この神社へ来るのが、楽しみになっていた。
日和とはケンカばかりしているが、ここでは美倉みすずとしてあけっぴろげにつきあえる。ホンネで言い合える。学校では言えないことが、この場所では自然に口からついて出る。放課後のこの時間も、もはやなくてはならない大事なひとときだった。
なにもかも手に入れることは出来ない。
なにかを削らなければならない。
喪わなければならない。
喪うことはこわかった。さらにこれ以上あにかを望めば、自分はどれかを失くしてしまう。そんな思いに駆られ、がんじがらめになって今の状況から抜けだせないでいる。友達をつくる勇気を出せないでいる。
樹に背中をつけて空を見上げる。
幾重にも生い茂る葉のすきまから見ることの出来る空は青く晴れていた。キラキラとかがやくまぶしい太陽の光に目を細める。
「……え?」
みすずは呆然と声を上げた。
つい今まで、青々とした緑の葉が伸びていた枝に、花が咲いている。
それは淡いピンク色で、ちいさな花びらを数多に咲かせた花はまちがいなく桜だった。
「なんで?」
目をこすってみても、景色は消えなかった。
それどころか、周りにある樹すべてに淡い花びらが咲き誇り、一面を桜吹雪が舞っている。
桜の季節は終わっている。遅咲きですらない。とうとつに春が訪れたようだ。まるで現実味がなかった。
「
倭にほわす 還り雛
真祓のにわに あらましき
とりえる椿 あわれなり
」
どこからか声が響いてくる。
「
飛はぬ鳥見て なにとそ思ふ
問はぬ姫みて あはれと思ふ
日向かうたむけ 花化粧
」
桜が舞い踊る境内に、声だけがこだます。
みすずは混乱した。
これは何?
誰の声?
「
桃代篤き 八重桜
萌える月にぞ 雲隠れ
そらごと告ける 御柱の
丙欺き 風よ送り火
めでたき夜に かむあがらむ
」
風が吹いた。
舞い散る桜がうずを巻き、みすずを呑みこもうと押し寄せる。
「いや! なんで! なんでわたしばっかり!」
悲鳴は桜にまぎれて消えさり、彼女を覆い隠そうとする。
「とぅ!」
そのとき、かけ声とともにヒーローが現われた。
小さい背中、低い背丈、頼りない二の腕、ひょろひょろのシルエット。
「春日日和さんしょ――ぶぇ!」
桜の花びらが口へと押し寄せ、セリフの途中で埋もれた。
「とぅ!」
日和は花びらの墓標から飛びだすと、みすずの前に立った。
「だいじょうぶか!?」
二度目の失敗は犯さぬよう、ちゃんと考えて背中を向ける。
花びらといえど、バチバチ当たるとけっこう痛かった。
「日和……」
涙をためて見上げてくる可憐な少女に、鉄壁のこころが少しだけグラつく。
(いかん! いかんぞ日和! おまえにはこころに決めた人がいるではないか! 浮気は駄目だ! 絶対駄目だ! 親父みたいにハンゴロシの目に遭いたくないっ!!)
親の夫婦ゲンカを思い出し、凄惨な現場を思い起こす。
「ううっ」
気分がわるくなった。
「つーか、誰だ! 師匠のお膝元で暴れたりすると、シカエシがこわいぞ!」
半殺しにするまで笑顔でなぐりつけてくるあえかを思い出し、日和はブルブルとふるえた。
「こわいぞ! ホントにこわいんだぞ!」
なぜか泣いていた。
彼がそう言ったせいかどうかは分からないが、桜の猛襲はふいにピタリ、とやんだ。
ふたりが周りを見渡すと、桜の花などどこにもなく、青々と葉を茂げらせた樹木が静かに風にゆれている。気ままなスズメが地面から飛び立ち、木の上でチチチ……と唄を歌いはじめた。
もとの境内にもどっている。
「夢か」
ふー、と日和は息をついた。
「ゆ、夢なわけないじゃない!」
みすずは日和にくってかかると、赤い目をしてポカポカそのあたまを叩いた。
「な、なにすんだ! つーかなぜオレを殴る!」
「もういやだよぅ! なんでわたしばっかりこんな目に遭うのよぅ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
「おまえそれ八つ当たりじゃねえか!!」
日和はそれでもみすずがおとなしくなるまで叩かれつづけた。
彼女の髪には、白い紙切れが一切れ、張りついていた。




