↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
PR
144/144

第27話:継がれる意志

穏やかな午後だった。

初夏の陽射しが庭園を照らし、色とりどりの花々が風に揺れている。

噴水の水音に混じって、どこか遠くから鳥のさえずりが聞こえていた。

そんな午後、シュタルク公爵家には一人の客が訪れていた。

アンネリーゼ・フォン・アダルベルト侯爵。

女性ながら侯爵家を継承し、今では帝国でも屈指の実力者として知られる人物である。

かつて「完璧な淑女」と称された彼女は、今や一部から「帝国の女王」とまで呼ばれていた。

もちろん、皇后でも皇太子妃でもない。

それでもそんな呼び名がついたのは、彼女が担う責任の重さと、その政治手腕を誰もが認めているからだろう。

本人は、そんな評判など気にも留めていないらしい。

時折こうしてシュタルク家を訪れては、ミレイユとお茶を飲みながら世間話に花を咲かせている。

なお、今日も夫は留守番である。

子供たちの面倒を見ているらしい。

以前その話を聞いたライナーが、

「侯爵様より旦那さんの方が大変じゃねぇか?」

と真顔で言い、エドガーに本気で呆れられていた。

そんなアンネリーゼを、エルザは少し離れた場所から見つめていた。

侯爵家の当主として、多くの人間を率い、その人生に責任を負う者。

それは、いずれ自分も向き合うことになる立場だった。

先日の東方砦で、父の仕事を間近に見た。

兵を動かし、物資を管理し、領地を守る。

その一つ一つの判断が、多くの人間の生活や命に繋がっている。

剣が強いだけでは、公爵は務まらない。

それを知ってから、自分はまだ何も知らないのではないかと思うようになった。

気づけば、エルザはアンネリーゼの前に立っていた。

「アンネリーゼ様」

「あら。どうしましたの?」

エルザは真っ直ぐに彼女を見る。

「教えていただきたいことがあります」

アンネリーゼがティーカップを置いた。

「何かしら」

「爵位を継ぐということの重みを」

ミレイユが娘を見る。

アンネリーゼも、しばらくエルザを見つめていた。

その問いそのものを確かめるように。

挿絵(By みてみん)

やがて、彼女は口を開いた。

「……簡単よ」

エルザがわずかに眉を動かす。

「自分の選択で、誰かが死ぬということ」

予想していなかった答えだった。

エルザは何も言えない。

アンネリーゼは表情を変えないまま続ける。

「逆もあるわ」

そして、エルザを真っ直ぐに見た。

「自分の選択で、誰かが生きるということ」

死なせることもある。

生かすこともある。

そのどちらも、自分が下した決断の先にある。

エルザは無意識に自分の手を見た。

剣なら分かる。

目の前に敵がいれば、斬ればいい。

だが、人の人生はそう単純ではない。

「……怖くはないのですか」

アンネリーゼは少しだけ目を細めた。

「怖いわ」

迷いのない答えだった。

「今でもね」

エルザが顔を上げる。

意外だった。

アンネリーゼほどの人間なら、もう迷うことも恐れることもないのだと思っていた。

「だから考えるの」

アンネリーゼはティーカップへ視線を落とす。

「感情だけで決めない。正しさだけでも決めない。最後は、その決断に責任を持てるかどうかで決めるの」

「責任……」

「ええ」

アンネリーゼは頷いた。

「強さは必要よ。でも、それだけでは足りない」

その言葉に、エルザは東方砦で見た父の姿を思い出した。

剣ではなく、多くの報告書を手にしていた父。

一つの判断で、兵を動かしていた父。

「必要なのは、選び続ける覚悟よ」

アンネリーゼの声が届く。

「何度でも迷って、それでも決める覚悟。自分が選んだ結果から、逃げない覚悟ですわ」

エルザは黙って聞いていた。

すぐに答えられるようなことではなかった。

「……私は」

言いかけて、口を閉じる。

何を言えばいいのか分からない。

そんなエルザを見て、アンネリーゼはわずかに笑った。

「今すぐ答えなんて出さなくていいわ」

「……え?」

「むしろ、出さない方がいい」

意外な言葉に、エルザが目を瞬く。

「簡単に答えが出るような問いなら、わたくしだって今まで苦労しておりませんもの」

どこか呆れたような口調だった。

「迷いなさい。考えなさい。その上で、必要な時には自分で決めるの」

「……はい」

「あなたには、まだ時間がありますわ」

アンネリーゼはそう言って、再びティーカップを手に取った。

話は終わりらしい。

エルザは一礼する。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

離れていく娘の背中を見送りながら、ミレイユが微笑んだ。

「いいことを教えてくださったのね」

「当然のことを申し上げただけですわ」

「それを教えてくれる人がいるのは、幸せなことよ」

アンネリーゼは少しだけ黙り、それから紅茶を口へ運んだ。

「……そうですわね」

その横顔は、どこか柔らかかった。

*

その夜。

アロイスとディートハルトは庭園のベンチに並んで座っていた。

頭上には月が浮かび、虫の声が聞こえている。

親子の間に会話はなかったが、気まずさはない。

東方砦の温泉でもそうだったように、この二人は黙って同じ場所にいることができる。

挿絵(By みてみん)

しばらく夜空を眺めていたディートハルトが、やがて口を開いた。

「……父上」

アロイスが息子を見る。

「どうすれば……大切なものを守れるのでしょうか」

アロイスはすぐには答えなかった。

やがて、夜空へ視線を戻したまま言う。

「すべては守れん」

ディートハルトが父を見る。

「どれほど力があっても、どれほど備えてもだ」

それは、アロイス自身が誰より知っていることだった。

守りたくても、守れなかったものがある。

どれだけ力を手にしても、過去を変えることはできない。

ディートハルトはしばらく黙っていた。

「……では、どうすればいいのでしょうか」

「選べ」

返ってきたのは、たった一言だった。

「何を守るか。何を捨てるか。自分で決めろ」

「……はい」

「迷うのは構わん。悩むのも構わん」

アロイスは息子を見る。

「だが、決めたなら最後まで貫け」

厳しい言葉だった。

けれどディートハルトには、それが突き放すための言葉ではないことが分かっていた。

自分で考え、自分で選べる人間だと信じているからこそ、父は答えを与えない。

「……はい」

先ほどより、少しだけ強く答える。

アロイスはそれ以上何も言わなかった。

ディートハルトも何も言わない。

親子は再び、並んで同じ月を見上げた。

*

翌朝。

シュタルク公爵家の食堂は、朝からいつにも増して賑やかだった。

長い食卓の中央には、祝い事にはすっかりお馴染みとなった赤飯が、今日も山盛りになっていた。

エルザとテオドールが、正式に騎士となったのだ。

さらにテオドールは、これを機に公爵邸で暮らすことになった。

形式上は間借りである。

少なくとも、本人はそう認識している。

公爵家の人間が同じ認識かどうかは、かなり怪しい。

「テオドール様、こちらもどうぞ!」

マルガレーテが嬉しそうに料理を勧める。

「ありがとうございます」

すでにテオは慣れた様子で受け取っていた。

順応が早い。

そして、なぜかライナーとルカまで食卓についている。

こちらについては、もはや誰も疑問に思っていなかった。

「ライナーだけに任せるのは不安だから」

以前ミレイユがそう言っただけで、全員が納得してしまったくらいには。

「どういう意味だ!?」

ライナーだけは、今も納得していない。

誰も説明しなかった。

「改めて、よろしくお願いします!」

ルカが元気よく頭を下げる。

礼儀正しい。

非常に礼儀正しい。

少なくとも、食べ始めるまでは。

「たくさん召し上がってくださいね」

マルガレーテに勧められ、ルカが赤飯を口へ運ぶ。

もぐもぐと噛んでいたルカの目が、ぱっと輝いた。

「これ、うめぇ!!」

食堂中に声が響く。

隣にいたライナーが大笑いした。

「だろ!!」

なぜライナーが得意げなのかは、誰にも分からない。

「すげぇな、これ!豆入ってる!」

「赤飯だ」

ディートハルトが笑いながら教える。

「祝い事の時に食べるんだよ」

「へえ!じゃあ今日にぴったりじゃん!」

「うん」

ルカはもう一口頬張った。

「やっぱうめぇ!」

「だろ!!」

「だから、なぜあなたが誇らしげなのですか」

エドガーが呆れたように言った。

「知らねぇけどうまいもんはうまいだろ!」

「ルカの感想を横取りしないでください」

「親子だからいいんだよ!」

ディートハルトが思わず笑った。

「ルカ、さっきまでの礼儀はどこへ行ったの?」

「だってうまいんだから仕方ねぇだろ!」

「仕方なくはないと思う」

「ディーも食ってみろって!」

「僕も食べてるよ」

そんな二人のやり取りを聞きながら、テオもわずかに口元を緩める。

「シュタルク家へようこそ」

向かい側からヴァルターが言った。

「なぜあなたが家主のような顔をしているのですか」

エドガーがすぐに指摘する。

「私も長いですからねぇ」

「滞在期間の話ではありません」

「細かいことを」

「細かくありません」

なお、二人とも当然のように朝食を食べている。

挿絵(By みてみん)

ルドルフはそんな食卓を見渡し、穏やかに笑った。

「賑やかになりましたな」

「……そうね」

ミレイユも頷く。

いつの間にか、食卓を囲む顔ぶれはずいぶん増えた。

血の繋がりがある者ばかりではない。

生まれも、立場も違う。

それでも、こうして同じ食卓を囲み、笑っている。

テオも。

ルカも。

エドガーも。

ヴァルターも。

いつの間にか、ここにいることが当たり前になっていた。

「うめぇ!!」

再びルカの声が響く。

「分かったから、もう少し静かに食べなさい」

ミレイユが苦笑する。

「はい!」

返事だけは完璧だった。

その直後、また料理へ目を輝かせる。

「父さん、これもうまいぞ!」

「おお!どれだ!?」

「ライナーも静かに」

「なんで俺まで!?」

食卓に笑い声が広がった。

ずいぶん賑やかな家族になったものだ。

*

夕暮れ。

公爵邸の高い場所から、エルザは訓練所を見下ろしていた。

初めて剣を握った場所。

何度も負け、悔しさを知り、それでも強くなりたいと剣を振り続けた場所だった。

あそこには、数えきれないほどの思い出がある。

「ここにいたのか」

後ろから声がして、エルザが振り返る。

テオだった。

「探したぞ」

「すまない」

テオはエルザの隣まで来ると、同じように訓練所を見下ろした。

しばらく二人で眺めてから、エルザが口を開く。

「……ここから見えるだろう」

「ああ」

「あそこで、私は強くなった」

テオは何も言わずに聞いている。

「ずっと、強くなればいいと思っていた」

剣を振るい、誰よりも強くなれば、大切なものを守れる。

幼い頃は、それだけでいいと思っていた。

けれど今は違う。

剣だけでは守れないものがあることを知った。

一人ではできないことがあることも知った。

父や母から学んだ。

アンネリーゼからも。

そして、隣にいる男からも。

「これからも私は戦う」

「ああ」

「公爵家も継ぐ」

「ああ」

「きっと、迷うこともある」

今度は、テオがエルザを見た。

エルザもその視線を受け止める。

「それでも、自分で選ぶ」

アンネリーゼから教えられたことだった。

そして、父がずっとそうしてきたことでもある。

「……だから」

エルザは少しだけ言葉に詰まった。

剣なら、迷わず振れる。

こういう言葉は、今でも難しい。

それでも逃げるつもりはなかった。

「隣に立て」

テオが目を瞬く。

命令のような言葉になってしまった。

エルザはわずかに眉を寄せ、それから言い直す。

「……私の隣にいてほしい」

今度は、きちんと言えた。

「これからも、ずっと」

テオはしばらくエルザを見つめていた。

やがて、その口元がわずかに緩む。

「当然だ」

答えに迷いはなかった。

「最初から、そのつもりだ」

エルザも笑った。

ほんの少しだけ。

二人は再び、夕焼けに染まる帝都へ目を向けた。

同じ人間ではない。

持っている強さも違えば、歩いてきた道も違う。

だからこそ、隣に立てる。

一人ではない。

一つになる必要もない。

違うまま、共に歩いていけばいい。

エルザは遠くに広がる帝都を見つめた。

父たちから受け取ったものを抱えながら。

自分で選び取ったものを、大切にしながら。

これから先も、何度でも迷うのだろう。

それでも、そのたびに選んでいく。

自分の人生を。

守るべきものを。

そして、誰と共に歩いていくのかを。

隣には、テオがいる。

それでいい。

二人は並んだまま、暮れていく帝都をいつまでも見つめていた。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

長い物語でしたが、ここまでお付き合いいただけたことを、心から嬉しく思います。

本作では、各話に挿絵を添えることにも挑戦しました。

制作にはなかなか苦労しましたが、登場人物たちの姿や物語の世界を形にしていく作業は、とても楽しいものでした。

挿絵も含めて、少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。

そして、もしこの物語を気に入っていただけましたら、最後に評価をいただけると、とても嬉しいです。

今後の創作活動の大きな励みになります。

皆様の心に、ミレイユたちの物語が少しでも残ってくれたなら、これ以上の喜びはありません。

また、近いうちに次回作の投稿も予定しております。

そちらにも足を運んでいただけたら嬉しいです。

改めまして、『選択の魔女』を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。