第12話 無茶な特攻と、剥がれた『清楚』の仮面
――ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
深夜二時。静まり返ったシェアハウスの空気を、耳を劈くようなけたたましいサイレン音が切り裂いた。
『緊急警報! 緊急警報! シェアハウス周辺に、規格外のレイドボスが接近中! 参加者の皆さんは直ちに迎撃態勢をとってください!』
天井のスピーカーから鳴り響く、神のどこか焦ったようなアナウンス。
「……はぁ!? なんだよこんな夜更けに!」
男子部屋のベッドから真っ先に跳ね起きたのは、アヴァロンだった。
彼のアバターは漆黒の暗黒騎士だが、就寝時は強制的に『パジャマ姿(グレーのスウェット上下)』に変更されている。
他のメンバーも次々と目を覚ます。エリート魔道士のルーファスはシルクのパジャマ、狂戦士のガルムは熊のアップリケがついたモコモコの寝間着、暗殺者ジンは黒いジャージ姿だった。
「おい、冗談だろ……? 武器も防具も装備欄から消えてるぞ!」
ジンが宙にシステムウィンドウを開きながら、真っ青な顔で叫んだ。
「寝込みを襲うイベントかよ! 運営、性格悪すぎだろ!」
アヴァロンが文句を言いながらドアを開け、リビングへと飛び出す。そこには、同じくパジャマ姿で震える女子メンバーたちが集まっていた。
「アヴァロン様……! 一体、何が起きているんですか……!?」
純白のフリルがついたネグリジェ姿のティアが、不安そうにアヴァロンの袖を掴む。
(ちょっと、マジで何これ!? 夜勤明けの強制労働イベント!? 残業代(追加バフ)は出んの!?)
中身のマイは内心でブラック企業のトラウマを呼び起こしブチ切れていたが、表面上は完璧な「怯えるヒロイン」を演じていた。
ズズズ……ズズンッ……!!
湖畔の地鳴りがシェアハウス全体を大きく揺らした。
次の瞬間。リビングの巨大なガラス窓が、けたたましい音を立てて粉々に砕け散った。
「キャアアアアアッ!!」
女子たちが悲鳴を上げる。
吹き込んだ夜風と共に現れたのは、三つの頭を持つ巨大な異形の獣――『キメラ』だった。獅子の頭、山羊の頭、そして尻尾は巨大な毒蛇。その体躯は、昼間にアヴァロンが倒したオークの数倍はあろうかという絶望的なサイズだった。
「ウオオオォォォォォォッ!!」
獅子の頭が咆哮を上げる。
その物理的な衝撃波だけで、リビングの豪華な家具が次々と吹き飛ばされ、天井の巨大なシャンデリアが根元からへし折れた。
「危ないッ!!」
シャンデリアの真下にいたのは、エルフのシルフだった。
眠気を引きずっていた彼女は、突然の出来事に完全に反応が遅れていた。数百キロはあるクリスタルと鉄の塊が、彼女の華奢な身体へと真っ直ぐに落下してくる。
「……っ!」
シルフが死を覚悟してギュッと目を瞑った、その瞬間。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい轟音と共に、シルフの視界が完全に「暗転」した。
しかし、痛みはない。ただ、温かくて大きな壁のようなものに、すっぽりと包み込まれていた。
「……シルフさん、大丈夫かい? 怪我はない?」
耳元で、優しく落ち着いた声がした。
シルフが恐る恐る目を開けると、そこには、落下してきたシャンデリアを「己の広い背中」で直接受け止め、シルフを庇うように覆い被さっている狂戦士・ガルムの姿があった。
「ガル、ム……?」
「あはは……さすがに、パジャマだとちょっと重いね。でも、君が無事でよかった」
恐ろしい刺青の入った顔で、ガルムは痛みを堪えるように優しく微笑んだ。
彼は「戦うのが怖い」と言っていた。だが、極限のピンチにおいて、彼は一瞬の躊躇いもなく自分の身を呈して彼女を守ったのだ。
(なんで……自分の怪我も顧みずに、私なんかを……)
シルフの胸の奥で、トクン、と明確な「恋」の矢印がガルムへと向いた。
一方、リビングの反対側でも、もう一つの命の危機が迫っていた。
「シャアアアアアッ!!」
キメラの巨大な『蛇の尻尾』が、部屋の隅で腰を抜かしていた暗殺者ジンを標的に定めたのだ。
丸太ほどもある大蛇が、鋭い毒牙を剥き出しにしてジンへと襲いかかる。
「ひっ、あ、あぁぁ……ッ!!」
ジンは恐怖のあまり完全にフリーズし、床にへたり込んだまま動けなくなってしまった。
(あ、バカ! あいつ動けないの!?)
それを見たティアの身体が、理屈よりも先に動いた。
彼女の手には、先ほど夕食の片付けをした際にアイランドキッチンに出しっぱなしになっていた「巨大な鉄のフライパン」が握られていた。
過酷な引っ越しバイトで鍛えた足腰のバネを全開にし、ティアはネグリジェの裾を翻して地を蹴った。
大蛇の牙がジンの首筋に突き立てられる寸前。
「アンタ、ボーッとしてんじゃないわよ!!」
ガァァァァァァァァンッ!!!!!
ティアがフルスイングで叩きつけたフライパンが、大蛇の顔面にクリティカルヒットした。
鉄と鱗が激突する凄まじい金属音が響き、脳震盪を起こした大蛇が「ギュピァッ!?」と情けない悲鳴を上げて壁に叩きつけられる。
「……え?」
ジンは、目の前で大蛇を弾き飛ばした純白のネグリジェ姿のシスターを見上げて、ポカンと口を開けた。
月明かりを背に受け、フライパンを構えて立つその姿は、ジンにとってまさに天から舞い降りた『戦乙女』そのものであった。
「あ……」
ジンとバッチリ目が合い、ティアは我に返った。
(ヤ、ヤバい! 完全に素の口調が出た!!)
「あ、あのっ! お、お気をつけくださいませ、ジン様! 神の加護が、間一髪間に合いましたわ……!」
ティアは慌ててフライパンを背中に隠し、しおらしいシスターのポーズをとった。
しかし、ジンの目にはそんな誤魔化しなど全く入っていなかった。
(俺が腰を抜かしてる間に、あんな細腕で、自分の命を懸けて俺を助けてくれた……。ティアちゃん、やっぱりマジで天使っす!! 俺、一生あなたについていくっす!!)
拝み倒すジンの矢印は、ここで『狂信』のレベルへと一段階引き上げられてしまった。
「グルルルルルッ!!」
だが、キメラの猛攻は止まらない。
尻尾を潰された獅子の頭が激怒し、今度はターゲットをティアへと向けた。
武器もない。防具もない。圧倒的な力の差。
(マズい、本当に殺される……!)
ティアが再びフライパンを構え直し、冷や汗を流した、その時。
「俺の女に……手を出すなァッ!!」
アヴァロンが、丸腰のまま、キメラとティアの間に飛び出した。
彼は何も考えていなかった。「ここでキメなきゃ男が廃る」「ヒロインのピンチを身を挺して守るのが主人公だ」という、中二病のノリと意地。そして何より、ティアを本気で守りたいという純粋な衝動だけを原動力にして。
「アヴァロン様!?」
「ティア、お前は下がってろ! ここは俺が……ッ!」
アヴァロンが拳を構えた瞬間。
キメラの巨大な前足が、無情にも彼の身体を壁際へと激しく弾き飛ばした。
「ガハッ……!!」
凄まじい破壊音と共に、アヴァロンの体が石積みの壁にめり込む。
アバターのHPゲージが真っ赤に染まり、アヴァロンが口から血を吐いて崩れ落ちた。
それは、ゲームのポップなダメージ演出などではない。本物の死の淵に立たされた者の、生々しく凄惨な姿だった。
「アヴァロン……!!」
ティアの目の前が真っ白になった。
(ウソでしょ……? バカ、なんで……あんた武器も防具もないのに!)
いつも能天気で、勘違いばかりしていて、でも昨日、自分の作ったご飯を「すげぇな」と真っ直ぐに褒めてくれた、あのバカな大学生。
彼が死ぬかもしれない。
その事実を前にした瞬間、ティアの中で張り詰めていた「何か」が、音を立てて千切れた。
賞金一億円のための打算も、清楚なシスターの演技も、ヒロインとしての振る舞いも、すべてが頭から吹き飛んだ。
「……っ、このバカアァァァァァァッ!!!」
シェアハウスに、ティア――いや、伊藤マイの、飾らない本気の絶叫が響き渡った。
「ゲームだからって命粗末にしてんじゃねえよ!! 勝手に死のうとしてんじゃねぇ!! アンタが死んだら、誰が私のご飯褒めてくれんだよッ!!」
泥臭く現実を生き抜いてきた女の、魂の叫び。
そこにはもう、シスター・ティアの影など微塵もなかった。ただ一人の人間として、アヴァロンを絶対に失いたくないという「真実の心配(思い)」だけが爆発していた。
ピロロロロロロンッ!!!!!!!
その瞬間、シェアハウスの空間そのものが揺らぐような、これまでにない桁外れのファンファーレが鳴り響いた。
『システムアナウンス! エラー! エラー! ティアさんの計測不能な心拍数上昇および魂の共鳴(真実の愛・リミットブレイク)を確認!』
『アヴァロンさんに《愛の力・バフ(不滅の英雄・全ステータス10万倍)》が付与されました!!!』
直後、崩れ落ちていたアヴァロンの身体から、太陽のように眩い黄金のオーラが天に向かって噴き上がった。
砕け散った壁の破片が重力を失って宙に浮き、シェアハウスを満たしていたキメラの放つ死の気配が、一瞬にして黄金の光に塗り潰される。
「……いてて。ティアちゃん……いや、ティア」
瓦礫の中から、アヴァロンがゆっくりと立ち上がった。
傷は一瞬で塞がり、スウェット姿でありながら、その背中には神々しい光の翼が顕現している。
「そんなに怒るなよ。……俺は、絶対にお前を置いて死んだりしねぇよ」
アヴァロンは振り返り、ティアに向かってニッと笑った。
そして、咆哮を上げて突っ込んでくるキメラに向かって、ただ無造作に右の拳を突き出した。
ドッッッッッグァァァァァァァァンッ!!!!!!!
放たれた黄金の衝撃波は、キメラの巨体を文字通り「一撃」で光の粒子へと還元し、そのまま夜空の分厚い雲を真っ二つに切り裂き、彼方の山脈までを吹き飛ばして消滅した。
圧倒的な力。完全なる勝利。
静寂が戻ったリビングで、アヴァロンは黄金のオーラを散らしながら、へたり込んでいるティアに手を差し伸べた。
「怪我、なかったか?」
ティアは、差し出された手と、アヴァロンの顔を交互に見つめた。
心臓が、今までで一番うるさく鳴っている。
……が、それと同時に、彼女の頭の中に「先ほど自分が放った言葉の数々」がリフレインし始めた。
(……『命粗末にしてんじゃねえよ』……? 『誰が私のご飯褒めてくれんだよ』……?)
徐々に顔が青ざめていくティア。
(や、やっちまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!)
彼女は両手で顔を覆い、心の中で絶叫した。
(完全に素のヤンキー口調で叫んじゃった!! 清楚なシスターの仮面、木っ端微塵に砕け散ったわ! オワタ! 私の一億円オワタァァァ!)
最強のバフを生み出した感動的なクライマックスの裏で、ヒロインの打算は完全に崩壊し、絶望の淵に立たされていたのだった。




