おわりに
以下、すべて私見です。
私はパーソナリティ障害の人たちのことを、嫌っているわけではない。
たくさん迷惑をかけられたし、刺されるかなって怖くなったこともあったし、こんな上司の下で働けるかってキレたこともあった。
でも24時間365日、ずっと嫌な人たちというわけでもなかった。
嫌じゃないときは、どの人もそれなりに魅力のある人たちだった。
特性に気づいたら、こっちで配慮して適切な距離を保つようにはしてるけれど、私の基本方針はパーソナリティ障害のあるなしに関係なく、わがままな人、うるさい人は、一緒にいると不快だし苦痛だから離れる。そういうふうにしている。
そのパーソナリティを構築しなければ、生きていくことが困難だった人の気持ちは、それなりに分かっているつもりでいる。
なんだかんだと私だっていくつか該当するし、精神的に追い詰められて谷底に落ちたときが、学生のときと社会人のときとで2回くらいある。
一歩間違えば発症していたと思う。自傷するか他害するか、どっちに転んでいたかは分からない。
この先だって、絶対にないとは言い切れない。今のところはなさそうな気はしてるけど。
必死で生き延びるために、その環境に合わせて特化した個性。
それは進化の過程のようなものだと思う。
ただ、環境が変わって、周囲の人が変わって、天敵がいなくなっても、ずっと生き方を変えられずに戸惑い、怯え、手を差し伸べてくれる人たちを傷つけ、自分自身も傷つき、苦しみながら生きてる人たちがいる。
変わりたい。
変われない。
他人にこの苦しみは理解できない。
たとえ似た境遇にあっていたとしても。
完全に理解してあげることはできない。
人はひとりひとり、みんな違うから。
自分を変えることって、とてもエネルギーが必要だ。
でも、自分を変えることができるのは自分自身しかいない。
当然、周りに存在している「誰か」が自分の思ったとおりに変わってくれることはない。
だってその人たちは「誰か」のために生きてるわけではなく、自分のために生きてるのだから。
もし、いま自分の生き方が苦しいと感じているのなら。
やっぱり自分が変わるしかない。
ずっと蛹の中で動けないまま、窮屈と孤独を抱えて生きる苦しさと、脱皮する瞬間の痛みと苦しさの、どちらの苦しさを選択するのかという話になると思う。
私たちは程度の差はあれ、パーソナリティ障害を持っていると私は思う。
誰だって愛情欠損を抱えて生きていて、苦しさを抱えながら生きているんだと思う。
私はただ、運よく発現が調整できて、なんとか周囲と馴染めているだけ。
いつだって、なにかの拍子に『障害』側へ天秤が傾く可能性を秘めている。
傾いた角度の違い。
ただそれだけの違いだと思ってる。
どんな人だって、幸せになりたくて生きている。
幸せは椅子取りゲームではないのだから、見つけられた人から手に入れられると思っている。
相手を押しのけて、奪い合う必要なんてないと思ってる。
人の数だけ幸せがあって、足りなくなるなんてことはないと思っている。
ただ、待っていても幸せってつかめない。
走って追いかけて、
疲れたら歩いて、
それでも疲れたらときどき休んで、
でも探し求めることをやめないで、
それでようやく自分の中に眠っていた宝物に気づくんだと思う。
探しに行くか、探さないか。
その選択で決まるんだと思う。
そんなことを思いながら今回この資料を作ってみました。
ほんの一部分の抜粋に過ぎないけれど。
自分はこの本を読んでよかったなって思います。
自分の特性を知ること。
自分の偏りを克服するための思考を知ること。
自分の<らしさ>を活かした生き方を知ること。
そんなことを学びました。
・・・
これ、↓ カウンセリングの研修で、耳にタコができるくらいに聞かされた言葉です。
You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.
(他人と過去は変えることはできない。
でもあなたは、自分と未来は変えることができる)
エリック・バーン
参考文献∶PHP新書 パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか / 岡田尊司




