性悪令嬢の大変革
4か月もの間、リアンノのそばで黙々と空気のように仕えていた執事のカイネは、見合いの一件を皮切りに、大きく態度を変えた。リアンノの性格及び生活態度に徹底的にダメ出しするようになったのだ。
最初のうちは、メイドや従者たちはそれまで大人しかったカイネが豹変したことに驚き、そして、いつリアンノの癇癪が爆発するのかとハラハラと見守っていた。
「あの執事がいつクビになるか賭けようぜ」
と、こっそり賭けをする不届き者たちもいた。
しかし、日を追うごとに少しずつ彼らは驚愕することになる。なんと、あのリアンノがなんだかんだ言いながらカイネのいうことには素直に従うのだ。
これにはメイドたちも目を見張り、従者たちは慌てふためいた。
「明日は雨、いや、槍が降るかもしれない!」
「今年の夏は雪どころか星が落ちるだろう!」
「いや、山から伝説のドラゴンが出てくるに違いない!!」
などと、とにかく不吉な噂が城中を席巻。しばらく大騒ぎになった。
一方、生活態度を改めたことで従者やメイドたちが不安がっているとはつゆ知らず、リアンノはとにかく毎日いっぱいいっぱいだった。
今までは誰もが甘やかしてくれた。お菓子も食べ放題、好きな時に恋愛小説を読みふけり、メイドたちは何をしても褒めてくれたものだ。
しかし、最近はカイネのせいで生活が一変してしまった。今、リアンノの生活を構成しているのは、規則正しい食事と、勉強、そして適度な運動だ。
もちろん、怠惰の権化であるリアンノはこれに猛烈に反発した。
「このままだと勉強しすぎて頭がおかしくなるわ!」
そう言って、リアンノはなにかとつけて嫌いな勉強や習い事から脱走した。そして、脱走したリアンノを、カイネは必ず探し出す。どんな場所に隠れていようと、だ。
しかし、懲りないリアンノは、隙あらばサボりたい。
今日もまた、勉強がイヤになったリアンノは息を殺して秘密の場所に隠れた。ものがごちゃごちゃ置いてある衣裳部屋の、クローゼットの裏だ。
しかし、クローゼットの裏に隠れたリアンノは、ものの五分でカイネに発見された。
「リアンノ様、こんなところでサボって、お勉強はどうなされたのです! 文学の授業の宿題はつづりを間違っておいででしたよ。それに、なんです、この字の汚さは! やる気があるんですか!?」
「まったく、うるさいわね! アンタなんかお父様に言いつけて、クビにしてやるんだから!」
「おやおや、いいんですか? あなた様は私がいないと、破滅フラグまっしぐら……」
「わーーー、それは嫌!!」
リアンノは涙目になって隠れていたクローゼットの裏から這い出る。
「なんでこの場所が分かったの?」
「言ったじゃないですか。私は転生していますから、現在、過去、未来全てのお嬢さまの隠れる場所を把握しています。さあ、破滅フラグを回避したいのであれば、地道に日々のお勉強をこなしましょうね」
カイネは、嫌がるリアンノを軽々と小脇に抱えて強制的に図書館に連れていく。
多少の抵抗はしたものの、やがて無駄だと悟ったリアンノは頬を膨らませた。
「一応聞くけど、勉強をしたら本当に破滅フラグは回避できるの?」
「ええ、もちろんです。馬鹿はすぐ破滅しますからね」
「そのあけすけな物言い、失礼よ! 私のこと馬鹿って言いたいんでしょう!」
「さすがお嬢さま。私の真に言わんとしていることを、きちんと理解なさいましたね。自分の愚かさを自覚するのは大切なことですよ」
「む、ムカつくーーー! なんとかしてクビにしてやるんだから!!」
そう口では言うものの、破滅フラグの話をちらつかせるカイネにリアンノはどうしても逆らえない。
リアンノは、破滅したくない一心でカイネの言うことに従うしかなかった。
図書室につくと、カイネがあらかじめ用意しておいたらしい参考書が机の上に山積みになっており、リアンノはくらくらした。恋愛小説以外の本はどうも脳みそが受け付けない。
「さあ、今日の分は早めにやってしまいましょう」
「お願いよ。せめて半分にしない?」
「もちろん全部です。全て私がフォローしますから、ご心配なく」
その整った顔立ちに胡散臭いくらい爽やかな笑みを浮かべたカイネに、リアンノはうなだれた。この笑顔は本気だ。
カイネは教師としても優秀で、家庭教師たちからも一目置かれる存在だ。――というか、何もかもにおいて、カイネは優秀だった。
物腰柔らかで人望もあり、従者たちにもすっかり頼られている。
黙々とペンを紙に滑らせ、書き取りをしながら、リアンノはちらりと隣で長い足を組むカイネを見た。微動だにしないため、居眠りでもしているのではないかと少し期待したものの、リアンノの視線に気づいたカイネはすぐに視線をあげてニコリと笑う。
リアンノは慌てて視線をノートに戻した。
(もうちょっとこう、隙があれば私も反撃できるのに……!)
カイネは執事としての仕事っぷりは完璧だった。リアンノの無茶ぶりもなんなくこなし、さらには先回りして仕事をこなす徹底ぶりだ。
カイネが相手では、リアンノお得意の「弱いものいびり」も「ここぞというときの嫌味」もまったく発揮されなかった。――もっとも、カイネをいびったところで、被虐趣味のある彼からは満面の笑みで「もっと罵ってくださいませ」と返ってくるが関の山だろうけれど。
思い返せば、カイネは雇ったその日から何もかも完璧だった。
リアンノが「あれ」と言えば、アイスティーを差し出し、チラリと目配せすれば、すかさず肩を揉む。完璧すぎて気味が悪いほどだ。
(なんか、私の心を読まれてるみたいでいやなのよねぇ。まあ、転生したから私のあれこれ詳しいとかなんとか言ってるけど)
リアンノはこっそりため息をついたものの、カイネが目ざとくリアンノのため息に反応した。
「リアンノ様、集中力が途切れてらっしゃるようですよ。なにか別のことを考えていらっしゃいますね?」
「……あー、あははは……」
「笑ってごまかしても無駄です」
「あっ、ねえ、カイネは転生したんでしょ? 前の人生も私の執事だったの?」
リアンノからの突然の質問に、カイネは一瞬意外そうな顔をしたものの、微笑んで頷いた。
「ええ。前世も、私はお嬢さまにお仕えしておりました。それが何か?」
「本当に? だって、転生したって口では言うけど、カイネったら昔の話を全然しないもの。周りには転生したことは言うなって口止めしてくるし」
「口止めは面倒なことを避けるためですが……。つまり、お嬢さまは私が嘘をついていると疑っていらっしゃるわけですね」
「ありていにいえば、そうね」
リアンノは頷く。
ふむ、とカイネはあごに指をあてて少し考えた。
「そうですね。今の段階では、私が転生したと証明するのは極めて難しいです。しかし、一年後、首都に行った時に必ず明らかになります」
「首都で?」
リアンノは首を傾げた。
この国では慣習として、貴族の子供たちはみな16歳になると、首都であるバーレンドに身を移し、「社会勉強」と称して首都で生活を始める。期間は結婚相手をみつけるまで。結婚相手を見つければ、貴族たちはそれぞれの領地に帰って行くのが慣例だ。
15歳のリアンノも例外ではなく、1年後は首都にいく予定だ。
カイネは、教え諭すような口調で淡々と言った。
「首都でお嬢さまは、ある女に出会います。その女は、お嬢さまを目の敵にし、徹底的に不幸にしようと謀るでしょう。私は、その女からリアンノ様をお守りするために転生したのです」
「ある女って、誰?」
「サラ・ベルツ。名前を口にするのもおぞましいほどの、性悪女です」
「そのサラって子と私、どっちが性格悪い?」
一瞬、カイネは口ごもる。
「……冷静に考えると、性格の悪さのレベルとしては正直なところ、どっこいどっこいですね」
「なにそれ!」
「とにかく、サラ・ベルツにはお気を付けください。今の私から言えるのは、それくらいです。さあ、お勉強に戻ってください」
「待って、最後にもう一つだけ質問させて! ずっと気になっていたんだけど、前世の私はどうやって破滅したの?」
「それは……」
一瞬カイネの黄金の瞳に、いいようもないほどの悲しい、暗い色がよぎった。
「……私の口からはとても。ただ、お嬢さまはサラ・ベルツの罠にはめられたのです」
「罠に?」
「ええ、そうです。……さあ、この話はもうおしまいにしましょう。そろそろお嬢さまも紅茶が飲みたくなる時間でしょうから、紅茶を持ってきます」
それだけいうと、カイネは立ち上がり、大股で部屋を出ようとした。しかし、なにかを思い出したかのようにで途中で歩みを止め、振り返った。
「私の言っていることを最終的に信じるか信じないかは、お嬢さま次第です。ただしリアンノ様への私の忠誠心だけは、どうか疑わないでいただきたく」
「……分かったわ」
リアンノは、とりあえず頷いた。満足げに微笑むと、カイネは一礼して踵を返す。
「サラ・ベルツ、ねえ……」
部屋に一人残されたリアンノはひとりごちた。
聞いたことがない名前だ。しかし、カイネ曰く、サラ・ベルツはリアンノほど性格が悪いらしい。
「自分で認めるのも癪だけど、私と同じくらい性格が悪いってことは、けっこうヤバいわよ。ぜったい近づかないようにしとこーっと」
そう言って、リアンノはそそくさと席を立ち、大きく伸びをした。
「さーて、さっさとトンズラするわよ! まったく、カイネったらお馬鹿さん。私を一人にしたら逃げるに決まってるじゃない」
こんな絶好の機会、サボり魔のリアンノが逃すわけがないのである。リアンノはそそくさと図書室をあとにし、性懲りもなく別の隠れ場所に行く。
次の隠れ場所は、誰も使っていないはずの書庫。薄暗い北棟の端にある、とっておきのリアンノの隠れ場所だった。
だれにも見つからないよう、抜き足差し足で書庫に向かうと、リアンノは書庫の重いドアを開く。
そして、コンマ二秒後に城中響き渡るような甲高い悲鳴をあげた。
「な、なんで書庫にカイネがここにいるのよ!?」
絶好の隠れ場所になぜか先回りしていたカイネに、リアンノは驚いて腰を抜かす。カイネはリアンノの質問に答えず、「馬鹿ですねえ」と微笑んで、再び図書館に連行した。