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リンの行方

新年早々暗い内容で申し訳なく…。

 ヒタイト帝国国境の村では、いつもと変わらないようでありながら、水面下でスミュルナ達が俊敏に動いていた。

 まず、村長を適当な口実で自宅から連れ出し、身柄を確保した。その後農民に扮したヒタイト兵が村長宅を訪問。家人と()婚約者は証人として聞き取り調査を受けている。


 一方、リンの失踪と()婚約者の放蕩という事態を招いた分隊長は、村はずれの空き家に連行された。スミュルナ自らが尋問にあたるためだ。

 

 農民に扮した兵達がその建物を遠巻きに囲んでいると、たまたま通りかかった村人が思わず呟いた。


「あんたら雑談しとるかと思ったら、まるで誰かが死んだような静けさじゃな」

「なに?」


 聞き咎めたヒタイト兵が睨む。農民に扮している意味がなくなるような眼光の鋭さだ。相手は「ひぃっ」と慌てて逃げて行った。

 気が立っている同僚を老兵が宥める。


「気持ちは分かるがの、周りに当たってはいかん」

「リン姫様がまだ見つからないのに、不吉なことを言われて、つい…」

「我らの対応が威圧的になればなるほど、事が明るみになった際にリン姫様の風評を助長することになる」

「あ…」

「それにな、一番御辛いのはスミュルナ殿下じゃ。こういう時に我らが足を引っ張ってどうする」

「はい…そうですね。村人たちに安心してもらえるよう、声を掛けて来ます」

「うむ」老兵は頷きながら、胸を痛めた。スミュルナ殿下は的確な指揮を取りながらも、(くら)い目をしていた。その心痛はいかばかりか。


 自分達に出来ることは村の治安を維持し、殿下を護衛することだ。

 気を持ち直して背筋を伸ばした熟練の兵に、歩み寄る者が居た。


「ご苦労さまぁ」

「イムホテプ様!」

「スミュルナ殿下とわたしが交代するから、あなたはさっきの同僚くんに付いてあげてちょうだぁい」


 合流したイムホテプは、馬を急いで駆ってきた疲れを感じさせなかった。美貌を豪奢な金髪で彩りながら、足早に中へ入る。


「さぁ、悪い子にはお仕置きをしなくちゃねえ」




 閉めきられた空間で質問責めにあいつつ、分隊長は反省するどころか、眼前のスミュルナを観察していた。

 暗い雰囲気のスミュルナは幼い頃を思い出させる。隙あらば暗殺されそうになる状況に絶望し、表情を無くした頃を。

 リンが居なくなったことがそれほど辛かったのか、と思うのと同時に、やはり王子の弱みになる彼女を排除して正解だったとも思った。

 後ろめたさよりも分隊長なりの()な正義感に燃え、王子の焦燥ぶりに別のことを心配し始める。

 (このままでは、死んだリンに操を立て一生独身を貫くと言いかねない。今は無理でも、ゆくゆくは地盤を固めるために、スミュルナ殿下には有力者の娘と婚姻してもらわなくては)


「どうしてリンと同行していないのだ」

「ひどい砂嵐でしたので、乗せたまま馬を引くのがやっとでした。夜営の場所から村まで移動する際に、細工をされたとしか」

「何?」

「リンは自分で偽の婚約者を手配し、砂嵐に乗じて入れ替わったのではありませんか。ヴェールの下がリンではないとは自分も知りませんでした」

「では、なぜ小屋が焼失していたのだ」

「見られては困る証拠をリンが燃やした、あるいは追っ手を撹乱するためでは」

「馬鹿な」

 

 スミュルナは一蹴した。しかし、ふと脳裏に(よぎ)る。砂嵐に見舞われる前の晩まで、リンは夜更かしをしていた。深い悩みがあったのかもしれない。


 そこへ、イムホテプがやって来た。

 話の後半を聞いていたのだろう、唐突に分隊長へ質問をする。

  

「ねぇ。リンを迎えに行ったとき、彼女はどんな様子だった?不安そうだった?」

「いや、村に行けると聞いて『美味しいお酒が飲めるかも』と喜んでいたな。だから俺も油断したんだ。まさか自ら失踪するとは…」

「ふーん。

 わたし達ならともかく、砂嵐のなか慣れていないのにリンが良く喋れたわねえ」

「ああ、砂が口に入らないようヴェールを被っていたからな」

「ヴェール?あの豪華なやつね」

「そうだ」


 次の瞬間、イムホテプが分隊長を引き倒していた。あまりにも素早かったので受け身を取れず、分隊長は呆然としている。


「私刑が禁止されていなければ、あんたを殴ってやりたいわ。リンがどれだけ恐怖したのか、思い知らせてやりたい」

「俺は何も…」言いかけた分隊長は口を閉じた。スミュルナが鋭く冷たい目で自分を見ていたからだ。

 絞り出した声には友人に裏切られた悲しみと、それを見通せなかった自分への苛立ちが滲んでいた。


「リンは贅沢を好まない。あの豪華なヴェールはアシリア国の商人達から贈られた物だが、本来は借りた物だと言って身につけることなく綺麗に保管していた」

「手持ちの服より機能的ならば、時折使うこともあるのでは?」

「フッ」

 

 イムホテプが鼻で笑った。


「語るに落ちたわねぇ。

 リンは他にも白い布を持っていたわ。一見質素だけれど加護の付いたとびきりの生地をね。リンがその布に助けられるのをわたしは見ているし、部下にも言ったの。だからね、アシリア国に同行した者なら、砂嵐のなかリンが被るなら白い布を選ぶだろうって、わかるのよ」

「…」

「あんたが村に移動するとき、リンは意識が無かったんじゃない?それとも、先に小屋に閉じ込められたか」


 分隊長は劣勢を悟った。こと知略においてイムホテプに勝ったことはない。


「……スミュルナ殿下のためだ。殿下に害を成すと見なせば排除すると申し上げていたはず。リンの奴はケメト国から指名手配されている」

「それは未確認の情報で、あんたの都合の良い口実にしたんでしょう」


 イムホテプは追及の手をゆるめない。


「情報を見る目が偏っているから、歪んだ答えに至るのよ。大方、リンを庇って殿下が怪我をしたとか聞いたんでしょうよ。でもねぇ、そもそもリンが居なければ地下水路から脱出出来なかったかもしれないのよ。それに、隠された錫を見つけたのもリンの手柄だわ」


 スミュルナは頷き、分隊長は驚いた。更にイムホテプは言った。


「あんたがしたことはねぇ、殿下を守るどころかヒタイト帝国まるごと窮地に追い込んだのよ。

 リンは…リンはねぇ鉄を作る技術を知っているのよ」

 

 分隊長はショックで頭の中が一瞬真っ白になった。

 製鉄方法が他国に知られれば、軍事力の差がなくなる。強い剣、強い矢、馬に牽かせる強い軍車。攻撃力も機動力も変わってくる…と、そこまで考えて我に帰った。秘技が国外に漏れることはないのだ、なぜなら自分がリンを亡き者にしたのだから。

 

 分隊長の思考を読んだかのように、イムホテプは腕に力を込めた。


「その反応。やっぱりリンを害した───いえ、害そうとしたけど最後まで見届けていないわね。小屋の木や壁の燃え方からして、遺骸もないのは不自然だわ」


 スミュルナは弾かれたように顔を上げる。その瞳に、わずかな希望が浮かんだ。


「殿下、あの白い布にはリンの髪が一房残っていたんでしょう。それはリンが守られていたという何よりの証拠。きっと、炎を逃れて何処かにリンは生きているわ。私も信じ難かったけど、イルバに助けられたわ」

「イルバに?

 確かに、商人タムカルムと子のイルバは、焼け跡からリンの髪を見つけてくれたな」 

「そう。その髪が汚れたままだと悲しいからって、イルバが近くの池で洗ってくれたのよ。

 すると、髪が煌めきながら水に消えていくんですって。慌てて桶に汲み上げたら、今度は消えなかったけれど、沈んだまま浮いて来ないんですって」


 スミュルナの瞳に生気が戻った。アシリアでの奇怪な現象を見ていなかったら、自分も信じられなかったに違いない。


「それは、一定の方向を指しているのではないか」


スミュルナの推察を、イムホテプはニヤリと笑って肯定した。


「ええ、ケメトを指しているわ」





    


 




 一方、遥か離れた大国ケメト。王都テベに入ろうとする二人連れが居た。

 一人は美しいがきつめの顔立ちをした女性で、物珍しそうに周囲を眺めている。その連れは長身の男。頭巾(ネメス)を整えながら女性を門番の視線から遮りつつ、小声で言い聞かせる。


「ピラミッドを見たときもそうだったけど、あまりキョロキョロしてはいけないよ~」

「あなたと取引はしたけど、意思まで束縛しないでちょうだい。王城や砦より大きな建物なんて初めて見たのよ」

「俺に迷惑をかけない範囲であれば~、どれだけ見物しようが男を誘おうが自由だよ~。ただ、ヒタイト帝国やアシリア国に居たことは言わないでね~」

「わかってるわよ。あんたの間延びした口調はどうにかならないの。暑さが倍増してイライラするわ」


 アシリア国を放逐された侍女は、砂漠を渡ったにしては元気である。今はケメトの一般的な服を纏っていた。予想以上の暑さに辟易して、同行者兼雇い主を見やる。


「そんな頭巾(もの)を被って暑くないの?それとも生地に涼しくなる秘密でもあるのかしら」


 何気なく伸ばされた手を男は払い退けた。


「ケメト国内でそんな頭巾(もの)呼ばわりは感心しないな~。これは身分を表すもので~皆の憧れである書記官の誇りなんだよ~」

   

 小声で言い合いをしつつも、男女二人は無事に門を潜ったのだった。

 

 



 同じころ、ケメト国内を流れるナイル川のほとり。生い茂る葦に隠れるようにして語り合う恋人達が居た。

 ここでは平均寿命が短いため、成人や結婚も現代よりもかなり早い。二人は同じ年で15才くらいだった。女の子の名前はティイ。昔の王妃にあやかって付けられたので、近所に2、3人は居るありふれた名前である。男の子の名はセス。祖父と同じ名をもらった。


「なぁティイ、隠れて逢うのはもう嫌だよ。俺の嫁さんになれよ」

「私も説得したけど、セスとだけはダメだってうちの父ちゃんが…」

「まだダメか…家が隣同士なのに、なんでこんなに仲が悪いんだか」

祖父(じい)ちゃんの頃から敷地の境界線で揉めてたらしいわよ。……ん?なんか光った」


 ティイは川岸に光る物を見つけた。それは陽光を吸い込むように濡れた長い黒髪だった。

 視線で髪をたどると、象牙色の肌の女性だとわかる。足は川に浸ったまま、上半身を生い茂る葦が隠していて発見が遅れたのだろう。彫りの浅い顔は赤ん坊のようにあどけなく見える。 

 

「ひっ…死、死んでいるのかしら」

「可哀想に…俺らと同じくらいの年に見えるな。乾季じゃなかったら気付かれず流れてしまっていたかもしれない」

「このまま捨て置けないわ。偉い人やお金持ちみたいに立派な副葬品やお墓は無理でも、ちゃんとお葬式をあげないと来世に行けないもの」


 沈痛な面持ちの二人に、強い風が吹き付けた。風は青白い顔で横たわる女性にも向かう。ひと房だけ短くなった髪が頬を撫でると、


「ん…」と声が漏れた。


 ティイとセスは顔を見合せる。

「生きてる!」

「助けなきゃ!」


 2人は慌てて川へ入ったのだった。

本当に本当にお久しぶりです。

もし待ってくださっていた奇特な方がいらっしゃれば、更新が滞り申し訳ありませんでした。


完結させる意気込みは変わりませんが、自粛生活で体力の衰えを感じるこの頃。精進します。


今年が皆様にとって良い1年となりますように。

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