表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
声のない世界の歌  作者: みえない糸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/8

第八話 白い歌

意識が、薄れていく。


暗闇は、もう怖くなかった。


光がある。


白い粒が揺れ、

海底は静かに呼吸しているように見える。


そして——


“歌”。


確かに、近づいてくる。


遠くから。

深いところから。


ゆっくりと。


だが確実に。


(来てる……)


ミナは動けない。


身体はもう、ほとんど反応しない。


呼吸は浅く、

意識は何度も途切れそうになる。


それでも——


その“歌”だけは、はっきりと分かる。


脳波ではない。

プログラムでもない。


ただ、そこに在る。


不完全で、揺れていて、

それでも——


確かに“誰か”が発している。


暗闇の奥に、影が現れる。


最初は、ただの輪郭。


ゆっくりと動く、大きな何か。


次に、もう一つ。


さらに一つ。


数が増えていく。


(……あ)


理解する。


白い。


光を受けて、淡く浮かび上がる体。


長く、滑らかな形。


静かに進む巨大な影。


白鯨。


この世界では、とうの昔に絶滅したはずの存在。


だが今、確かにそこにいる。


群れで。


ミナの周囲を、ゆっくりと巡る。


その動きは穏やかだった。


襲うわけでもない。

避けるわけでもない。


ただ、囲む。


見守るように。


(……来てくれた)


その思考が、自然に浮かぶ。


なぜかは分からない。


だが、そう感じる。


あのときの“声”。


あの不完全な叫び。


それに応じた。


ミナは、わずかに口を開いた。


喉が焼ける。


痛みが走る。


それでも——


もう一度。


息を吐く。


「……あ……」


かすかな音。


だが、今度は止めない。


白鯨の歌が、すぐそばで響いている。


揺れる。


重なる。


包み込む。


ミナは、それに合わせる。


やり方は分からない。


音程も、意味も分からない。


それでも——


一緒に、出す。


「……あ……あ……」


途切れる。


歪む。


不完全な音。


だが、それでいい。


それがいい。


白鯨の歌と、ミナの声が重なる。


海の底で。


光の届かない場所で。


失われたはずの“声”と、

残り続けていた“歌”が、

初めて一つになる。


(ああ……)


何かが満ちる。


胸の奥が、温かくなる。


苦しさが、消えていく。


痛みも、遠のく。


ただ、満たされる。


(これで……いい)


初めて、そう思えた。


この世界で。


この人生で。


何もなかったわけじゃない。


最後に、これがあった。


それだけで、十分だった。


ミナは、目を閉じた。


声はもう出ない。


呼吸も、止まりかけている。


だが、歌は続く。


白鯨たちが、静かに巡りながら歌い続ける。


まるで、見送るように。


祝福するように。


そして——


ミナの意識は、完全に途切れた。



数日後。


海溝近くで、一体の遺体が発見された。


防護服に包まれた、小さな身体。


識別番号:M-0714。


ミナ。


回収時、損傷は軽微だった。


腐食も最小限。


まるで、何かに守られていたかのように。


そして——


顔。


ヘルメット越しに確認された表情。


微笑。


苦しみはない。


恐怖もない。


ただ、静かに、満たされたような表情で、

その少女は息絶えていた。


異常が一つ。


防護服の記録装置。


通常は作業ログのみを記録する。


だが今回は、別のデータが残っていた。


解析が開始される。


再生。


最初は、ただのノイズだった。


不規則な波形。


意味のない振動。


だが——


次第に、それが“何か”として認識される。


揺らぎ。


連なり。


重なり。


それは、明らかに“構造”を持っていた。


歌。


そう呼ぶべきかは分からない。


だが、それ以外に表現できない。


それは、完璧ではない。


乱れている。


不安定で、歪んでいる。


だが——


再生した者は、全員が同じ反応を示した。


《……》


言葉が出ない。


脳波での記録にも、明確な表現が残らない。


ただ、感情だけが溢れる。


涙。


制御不能な涙。


理由が分からない。


だが、止まらない。


胸の奥から、何かが込み上げる。


感謝。


それに近い何か。


だが、それだけでは足りない。


もっと根源的な——


“生きていること”そのものへの肯定。


それが、強制ではなく、自然に湧き上がる。


《……これは、何だ》


解析官の一人が記録する。


だが、答えは出ない。


データとして分類できない。


再現もできない。


最適化もできない。


ただ、“そこにある”。


そして、それを聞いた者の中に、確実に何かを残す。


その記録は、厳重に封印された。


理由は単純だった。


制御できないものは、危険とみなされる。


だが——


完全には消えなかった。


断片が残る。


コピーが流れる。


密かに広がる。


そして、やがて——


数十年後。


一つの名として語られるようになる。


沈黙の時代に、声を残した少女。


死の海で、歌を響かせた存在。


白い歌に応えられた、唯一の人間。


ミナ。


それは、記録ではない。


伝承でもない。


ただ、消えずに残った“何か”の名前だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ