タッチアンドゴー
「ややっ、リファイ殿下じゃないだすか!」
陽気な声に横面を叩かれたリファイは、
「なんだい? あれ」
声主を見て、すでに吊り上げていたまなじりを、さらに吊り上げた。
「……エルーシル将軍と、守護将軍の皆様……ですね」
「わかってるよ、そんなことは。なんだって彼らがここにいるんだ? スライディール城に行ったはずじゃなかった?!」
彼らがスライディール城に向かうのを見た。それからさほど時間も経っていないというのに、どうして彼らの姿が今、ここ、王城にあるのか――
リファイが語調きつく、しかしなんとか声量は抑えてラズルに詰めよっていると、
「こんなところで会うとは奇遇だす」
原因の元が、足取り軽く二人のもとにやってきた。
◇ ◇ ◇ ◇
「お元気そうで、なによりだす、殿下」
「……」
エルーシルはピシリと姿勢を正し、第三王子に挨拶をする。と、次に、隣に立つラズルに笑みを向けた。
「そちらさんも――」
その、異性であれば、とろけてしまうだろうエルーシルの笑みに、
「ラズルです」
ラズルは間髪を入れず、冷ややかに返す。
なにしろ彼が名乗るのは、かれこれ、これで三度目だ。それも、半年や一月二月という間隔ではなく、わずか数日の間にそれだけの数を数えるのだから、返事が棘棘しくなってしまうのは仕方ない。
冷たく返すラズルの横で、リファイは新将軍を睨み付けている。
歓迎されていないのは、一目瞭然だ。
が、エルーシルには何の影響も及ぼさない。
「そうだす、そうだす」
新将軍の笑顔が曇ることはなかった。薄雲さえかからない。
「ラズルさんだすな。ああ、忘れてたわけじゃないんだすよ? わし、記憶の引き出しを開けるのに、少しばかり手間がかかるんだすよ。なにせ、大量に引き出しがあるだすからな。それも、毎日どんどん増えてるんだすよ? ラズルさんのは、もうあとちょっとで、開くとこだっただす。今度はもう少し待って欲しいだす」
「……」
「……」
言い訳ばかりか厚かましく要望まで入れてくる能天気な相手に、二人は一層面を険しくした。
このとき、リファイとラズルは、返事はもちろん、反応すらしないつもりだった。それをのっけから、いともたやすく崩されてしまっては、怒りも倍増する。
しかし、目の前にいるエルーシルにはそれが伝わらない。
「今日もいい天気だすな。こんな日は、仕事もはかどるだす。お二人は、今から陛下のところだすか?」
こちらの心情などまるで無視――で、話しかけてくる。
しかも、問いかけておいて答えはいらないのだろう、気ままな新将軍は、
「わしらはもう挨拶を済ませてきただすよ」
返事を待つことなく早々に舌を動かした。
「しかし、陛下にお会いするのはいつもそうだすが、緊張するだすなあ。『粗相をするな』と厳しくいわれてるもんだすから、余計だす。スルーエが、それはもう口うるさく言うんだすが、わしがいったい、いつ粗相をしたというんだすか? 陛下の前で粗相など、わし、一度もしたことないだすよ? だというのに、スルーエときたら、いつまでたってもわしを子供扱いだす。なんでもあれには、わしが幼子のように見えるらしいだす。が、わしはれっきとした大人だす。もう三十で、将軍にもなっただすよ? 兄じゃは『あれは、エルの教育係だった頃の心持ちが抜けねえんだあ』と言うんだすが、ぜんぜん納得できんだす。スルーエは、なんでも達者なんだす。都にきて、都の習いなんかを一番に習得していったのはあれだすよ? なまりだって一番に抜けたというのに、なして、わしの教育係の役目気分だけが、いつまでたっても抜けんのだすか? どう考えてもおかしいだす。だいたい、あれがわしの教育係りというのがおかしいんだす。あれは兄じゃの乳兄弟で、わしの側仕えではないんだすよ? 兄じゃの片腕として、きりきり働かねばならんというのに……それがどうしてわしの教育係で、わしの筆頭武官にまでなるんだすか? 兄じゃが面倒みるべきだす。そうは思わんだすか?」
「……」
「……」
「やりにくくてかなわんだす。首に太縄を二重に巻きつけられた気分だす。が、これしきのことでめげるようでは、将軍は務まらんだすからな。これも試練と思うだす。しかし、殿下とは最近よくお会いするだすな。殿下もお忙しいんだすな。わしも忙しくて目が回りそうだす。将軍というのは、ほんにたいへんだすな。兄じゃの傍にいるときは、そうは思わんかったんだすが、なって初めて苦労がわかっただす。将軍といっても、わしは一番下っ端だすから、仕方がないかもしれんのだすが、今日なんか夜中にたたき起こされたんだすよ?! 時告げ鳥より先に働かされてるだす。一仕事どころか、午前中だけで、三つも四つも済ませたんだすよ。しかも、まだやることが残ってるんだすよ? 今まで以上にちゃっちゃとこなさねば、仕事が回らんだす。もうひとつ体が欲しいだす。頭も欲しいだす。ときに殿下、わしらの行進は見てもらっただすか? わしの将軍初仕事だったんだすよ? しかし、恐ろしいだす。発令前でこれだけ働かされるんだすよ? 正式に将軍になったら、どれだけ働かされるか――想像するだけで恐怖だす。他にも考えることや、覚えることがあって、もう、夜も眠れん――と思ってたんだすが……案外眠れるもんだすな。横になったと思ったら、もう朝だす。ぐっすり眠れるのはいいんだすが、これでは一日が早すぎて困るだす」
という、愚痴か自慢かわからない話を、一方的に聞かされていると――
「おい、エルーシル」
「それくらいにしておけ」
「お前より、殿下の方がお困りだ」
ようやく守護将軍たちがやってきた。
◇ ◇ ◇ ◇
「え? そうだすか?」
先輩将軍たちの声に、エルーシルは振り返った。
薄い綺麗な青灰の、澄んだ瞳が三将の呆れ顔と笑顔を映した――
と思うと、なぜかそれがきらりと光る。
なんだ?――
アルラバート、ハシュバル、ゾーイの三人が表情を変える、その一瞬の間に、
「ややっ、ウード先生だすよ? ロメルさんと、セリカさんも一緒だす。こうしちゃおれんだす。殿下、お邪魔しただすな。先生ー! どうしたんだすかー?!」
いいながら、エルーシルはまたもやひとりで行ってしまう。
「あいつ……」
「迷うとかないのか、あいつは」
「ほんとに縄をつけた方がいいんじゃないか?」
入れ替わりで置いていかれた守護将軍たちが口々に言う。
その先で、
「こんなところで会うとは奇遇だすぅ」
エルーシルは、出口に向かおうとしている一行に追いついていた。
「閣下、今日もお早いですな」
「おはようございます」
「おはようございます、閣下」
笑顔の新将軍に、呼び止められた三人も笑顔を返す。
「おはようさんだす。しかしどうしたんだすか? ロメルさんやセリカさんはともかく、先生が城に来るなんて、めずらしいだすな。ああ、先生も、陛下にご挨拶だすか?」
「いえ、我らは宰相閣下に呼ばれまして、その帰りです。閣下は……これから皆様と、陛下のところへ行かれるので?」
ロメルが応えながら、ウードとセリカは黙したまま、奥にいるハシュバルたちに向かって低頭する。
それに、守護将軍たちが軽く頷き返している間に、エルーシルがロメルに笑顔を向けた。
「ロメルさん、わしら、もう行って来ただすよ」
「なんと、ご挨拶ももうお済みでいらっしゃいましたか」
ロメルが驚きの声を上げる。その後ろで、セリカが顔を曇らせた。
「そうでしたか……閣下、予定通り、なんですね」
「そうだすよ。予定通りだす」
「それは残念なことで――」
「え? 何言ってるんだすか? セリカさん」
「え? 今日もダメだったんですよね?」
「違うだすよ!」
セリカの思う予定とエルーシルの言う予定には、多少の食い違いがあった。
「え? 違うんですか? しかし、それにしては早すぎませんか?」
驚くセリカに、エルーシルが「ふふふ」と笑った。
「セリカさん、できる男は、仕事が早いんだすよ?」
「おお」
高齢者二人が、声を揃えて破顔した。
「ついに難関を突破されましたか」
「おめでとうございます」
「ふふ……実力だす」
胸を張るエルーシルに、
「いや、今日のは俺でもわかったぜ」
アルラバートが遠くから呆れ顔を投げ、
「言うな、アルラバート」
「そうだ、喜んでやれ」
ハシュバルとゾーイ――大人な二人がそれをたしなめた。
◇ ◇ ◇ ◇
スライディール城――
その大広間の扉口で、驚く間もなくはじまった問答は、
『ピンポンピンポンピンポーン!! おめでとうございます!!』
『やっただすー!!』
ハシュバルとゾーイが瞬きしている間に終わった。
『そもさん』『せっぱ』という、なんとも威勢のよい掛け合いから、流れるように問題に入った。
問題は、
ロケットなどの速度を示すのに使われる言葉は、次のどれでしょうか――
簡潔だった。が、エルーシルが言っていた通り、向こうの世界の問題だった。音として言葉は拾えても、意味がわからない。答えとなる三択も同様だ。
まさに勘と運に頼るしかない問題に、エルーシルが勝利することができたのは、美しい女神たちが彼に微笑んだ――のではなく、その場で吹きだしたからだ。
他の三人の御使い様たちは、答えは知っていても、残りの選択肢は教えられていなかったのだろう。
『一番……マッパ』
で、艶やかだが無表情だった美女が顔を横向け、小さく息を吹き出した。
このとき広間は静まり返っていたので、それはたいそう目立った。
なにしろ出題者の黒髪の娘は、先の笑みが嘘のような真顔。
対するエルーシルも、真剣そのものだ。
両者の間で張り詰める空気。そこへ再び、明瞭だが感情を排した声が落とされた。
『二番……マッハ』
しかしそこでは何も起こらず、
『三番……バッハ』
で、可憐な美少女が盛大に吹きだす――と同時に、御使い様の真顔が一転した。
『さあ、どれ?!』
『二番だす!!』
くるりと明るく転調した声に、自信に満ちた声が力強く応える――やいなや、御使い様の高らか且つ朗らかな言祝ぎの声が響き、エルーシルが全身から歓喜をほとばしらせた。
『……』
『……』
正解したことはわかったが、ハシュバルとゾーイは何の反応もできなかった。
このとき二人は、激流に流される感覚に陥っていた。
激しく渦巻く流れにのまれ、自分がどこに居るのか向かうのかわからない中で、景色だけがびゅうびゅうと流れていく――
そんな、激流に流される木の葉のような気分を二人が味わっていると、御使い様がえもいわれぬ美しい笑みを浮かべた。
『それでは皆さん、どうぞ、ドレイブさんのところへ行ってきてください』
『……』
『……』
かくして御使い様との顔合わせは、終了したのだった。
それは、時間にして四十を数えるかどうかという脅威の速さだった。
◇ ◇ ◇ ◇
というわけで、四将は、入室の条件を満たしたはずが大広間に一歩も足を踏み入れることなく、前から下がらされた。
時間もそうだが、どちらも名乗りすらしないという顔合わせは、ハシュバルとゾーイにははじめてだ。
名乗るどころか、こちらは一声も発していない。
しかし、ハシュバルとゾーイには、不満や不服はまったくなかった。文句も無い。
先に色々と聞いていたし、それなりに心構えをしていたというのに、それをさらに上回る御使い様を前にして、普通に話せる自信はない。
あそこで回れ右をさせられたのは、正直、二人にはありがたかった。
しかしエルーシルだけは不満のようで、『話が違うだす!!』と、もっともな不服を申し立てた。が、『エルーシルさん!!』別人の鋭い声が飛んでくると、『行ってくるだす』くるりと踵を返した。
それを見ただけで、御使い様と諸将の力関係がはっきりとわかったし、四人の御使い様たちの個々の姿と名前も、そこで完全に一致した。
もはや、入室の要もないだろう――
ハシュバルとゾーイは、驚きつつもさっぱりした気分で大広間を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
今日のは俺でもわかったぜ――
アルラバートの言うことは間違っていない。
着いたばかりのハシュバルとゾーイでも、それはわかった。
しかしそれでは未明から動き回り、喜びも束の間。健闘虚しく、追い払われてしまった新人将軍が、あまりに気の毒だ。
手に負えないところはあるが、素直で可愛い後輩だ。
「言うな、アルラバート」
「そうだ、喜んでやれ」
と、小声で同僚をたしなめた大人な二人は、なんとも不思議な顔ぶれでありながら、和気藹々としている遠くの四人から目を外し、自分たちと一緒に置き去りにされた青年たちに身体を向けた。
一拍遅れてアルラバートも同様に身体を向ける。
エルーシルは王族を呼び止めておいて、最後は『お邪魔した』の一言で、一方的に済ませてしまったが、それは彼が在京の将であり、許される――というよりは、許さざるを得ない特殊な性格をしているからで、そうでない三将は、そうもいかない。
「でもひどいんだすよ? 茶の一杯も飲ませてもらえんかっただす」
「ぶっ」
「なんと……」
「それは……」
後ろの会話が気になるが、その思いは断ち切って、まずは同僚の非礼を詫びようと、口を開きかけたハシュバルとゾーイだった。がその前に、二人は眉宇の辺りを少しばかり動かした。
「……」
「……」
なぜなら、青年二人の視線は、いまだ、遠くの四人に向けられており、それがなんとも危険な光を放っていたからだ。
険を帯びた目を見たハシュバルとゾーイは、横目で一瞬視線を交わしてから、何事もなかったように口を開いた。
「……殿下、申し訳ございませんでした」
「失礼を、お詫びいたします」
二将の声に、釘付けになっていた目がようやく動く。
しかし、視線は動かせても心情はすぐに動かせないのか、端正な面は険しいままだ。
「将軍になるので、ずいぶんと張り切っているようでして」
「……いいよ、別に。君らも帰ってきて早々、彼に振り回されてるんだろう?」
第三王子の固い声に、アルラバートが「ええ」と頷く。
「君らもたいへんだね。あんなのが将軍になるだなんて」
「殿下、お言葉を返すようで申し訳ありませんが、将としての資質は十分に備えておりますので、何の問題もありません」
「危なっかしく見えるでしょうが、あれで、仕事はできますから」
「ふうん。君も? 同じ?」
視線を向けられたアルラバートは、今度もあっさり「ええ」と頷いた。
「力量に問題はありません。張り切りすぎて、少しばかり迷惑をこうむってるというだけです」
控え目な回答に、ハシュバルとゾーイがわずかに口角を上げる。
「ふうん。まあ、これまでウルーバル将軍の片腕として実際に軍を動かしてきたんだから、彼については心配ないよね。でも……レイヒ将軍はどうなの?」
緑翠の瞳が光を帯びた。
「――彼、また昇進するんでしょ? 御使い様の伴侶になったんだから当然だとは思うけど……実績のない将軍を、さらに上の地位に引き上げるなんて……どうなの? 実力重視の軍で、運に恵まれただけの人間が、その他を追い越して上に立つ。それを、当然だ――、仕方ない――って思える人間が、いったいどれだけいるのかな? 不安に思う人間の方が、多いんじゃない?」
「……」
「……」
「……」
投げかけに、三将は答えを返さなかった。
表情も変えず、面からは好悪さえわからない。
まるで聞こえていないような反応に、リファイは低く笑った。
「ああ、僕みたいな居るのか居ないのかわからないような王族の言うことは、聞くに価しないっていうことかな?」
第三王子の歪んだ笑みに、
「いえ、そういうわけではありません」
アルラバートが、こちらはいたって普通――気負いのない声で応える。
「――殿下のお気持ちはわかります。ですが、ご懸念には及びません。軍を束ねるのはキリザ将軍です。大将閣下がお決めになったことに、軍外はどうかわかりませんが、軍内で異論や反発がでることはありません」
「それって、君たち将軍だけのことじゃないの?」
「俺たちが納得したことに、下は何も言いやしませんよ」
「へえ、たいした自信だね。っていうか、君たちはどうなの? 本当にそれでいいの?」
リファイが残りの二将に目を向ければ、
「いいも何も、反対する理由がありません」
「左様。レイヒの実力は、大将閣下がお認めになってます。すでに将という地位を与えられ、さらには御使い様に選ばれたのですから、これはもう、しかるべき人事かと」
二将は笑みながら、当然のことのように言う。
しかしそれは、リファイの望む応えではない。
「君たちが、キリザを信奉しているのは知ってるよ。でも、妄信はよくないんじゃないかな?」
「妄信……ですか」
言葉の持つ嫌味の味を、ゾーイが味わうように舌で転がす。
「なに? 気に食わない?」
眉をひそめる守護将軍に、リファイが逆撫でるように笑いかける。
と、
「いえ、殿下のおっしゃる通りです」
ゾーイから、険しさがきれいさっぱり消えた。
予想を裏切る反応に、リファイが思わずといった声を出す。
「え?」
「殿下がそうおっしゃられるのも、無理はありません――」
面食っている第三王子に、今度はハシュバルが笑顔を向けた。
「なにしろ、我らが、大将閣下のご決断やご判断を疑うことはありませんからな」
「君たちは……仮にもレナーテの一軍を任されている将だろう。自分の考えは? 矜持はないのか?」
「そりゃあ、ありますよ。ありますが……大将閣下の御前では、そんなものはなくなります。なにせ、それだけのことを、大将閣下はずっとやり続けておられますのでね」
「我らはそれを、お側近くで見続けておりますから、疑えという方が難しいですな」
「そんなことをすれば、俺たちの資質の方が疑われますよ」
ゾーイ、ハシュバルの二将は朗らかに述べる。
「……今までがそうだからって、これから先もずっと正しい道を選択できるとは限らないんじゃない? キリザは神じゃない、人間だ。間違うことだってあるだろう」
「おっしゃる通り、ですが……殿下はいったい何がおっしゃりたいので?」
「……」
ゾーイが笑みながら、目と声をわかりやすく尖らせた。
必要性や得るものがあれば、つまらないやりとりに耐えもする。が、ただの難癖にいつまでも付き合う度量は、南方将軍ゾーイにはなかった。
それは、相手が自国の王族であってもだ。
王族だからこそ、ともいえる。
まっとうに心配しているのかと思えば、どうやら第三王子は、不満分子を見つけたいらしい。
それがいそうにないとわかると、今度は疑心を植えつけようとする。
それだけも十分軽蔑するが、疑心を植えつけようとする相手に、逆に疑いをもたれるような性急で浅はかな言動をする王子に、ゾーイは怒るというより呆れていた。
まず、話をもっていく相手を間違えている。そんなだれもが思うような理由では、自分たち将軍には、動揺のさざ波さえたてられない。それが駄目だとわかればすぐに引けばいいものを、それもできず、綺麗に収束させる腕も無い。
第三王子の小ささに、ゾーイは失望した。
奇天烈な同僚と、強烈な御使い様との出会いの後では、尚更だ。
驚きも何もくれない――時間ばかりを無意味に費やしてくれる、姿と自尊心だけは立派に育った第三王子を、ゾーイは冷えた目で見つめ、
その視線から、侮蔑の匂いを嗅ぎ取ったのか、リファイも睨みを返す。
二人の間に火花が散りかける――そこへ、
「アール将軍! いつまでのんびりしゃべってるんだすか!」
叱咤の声が飛んできた。
◇ ◇ ◇ ◇
「あ い つ……」
名指しされたアルラバートが声とともに振り返る。と、
「殿下もラズルさんもお忙しいというのに、長々と引き止めてはご迷惑だすよ?!」
すかさず二陣が飛んでくる。
「……」
「……」
王子と将軍――二者の間に垂れ込めかけた危険の雲は、
「なんで、俺なんだよ?! 俺、しゃべってねえだろ! っつか、そもそもこうなった原因は、お前だろうがっ!!」
「アール将軍? なんでも他人のせいにしてはいかんだすよ? それに、王城でそんな大きな声を出してはいかんだす。将軍たるもの、常に礼節をもって行動せねばならんだす。勝手もいかんだす。今日はまだ、これから軍棟に行って、スライディールの城に戻って、結衣様とみちる様のところへ行って、大将閣下のところにまた戻らねばならんというのに……」
「盛りだくさんですね?」
「そうなんだすよ、セリカさん。ほんに今日は忙しいんだすよ? こんなところでぼやぼやしてるわけにはいかんというのに……ふぅ、困るだす」
相手も空気もお構いなしの新将軍によって、吹き飛ばされてしまった。
「あの野郎――」
「殿下」
アルラバートが声を捻るのと同時に、ハシュバルがリファイに向き直った。その手は、今まさに歩き出さんとする同僚――アルラバートの腕を摑まえている。
「お忙しいところ、お引き止めして申し訳ありませんでした。どうやら我々も、まだ行かねばならぬ先があるようでして……今日は、これにて失礼いたします。アルラバート、ゾーイ、行くぞ」
「ああ。それでは失礼いたします……殿下」
ゾーイは先の剣呑が嘘のような笑顔を向ける。
一方、アルラバートは「失礼」と言うが早いか、ハシュバルの手を振り払い「エルーシル! お前――」大股で歩き去る。
見る間に遠ざかっていく同僚の後を追おうと、ハシュバルとゾーイも踵を返した。
躊躇いなく、歩き出す二将。
その背に、低く押し殺した声が掛けられた。
「君たちの結束の固さはようくわかったよ。さすが、大陸にその名を轟かせるだけのことはあるね。でも、わずかなヒビが、大岩を割ってしまうこともある。大陸最強レナーテ軍がそうならないよう、祈ってるよ」
◇ ◇ ◇ ◇
「……なんだあれ?」
「どうやら第三王子様は、軍にヒビを入れたいらしいな」
ゾーイとハシュバルは、背後の気配が遠ざかるのを待って口を開いた。
「みたいだな……ちっ、嫌な目をする」
「あんなお方だったか? 利発な方だと思ってたが……」
「そんなのガキの頃の話だろ」
ゾーイが顔を歪める。
「ガキの頃は優秀だったが成長したら見る影もない――なんて奴は大勢いる。しかし、ウチの王子様がそうなるとはな……」
「飲まれた水が悪かったか。城の水は清らかに見えて、多分に毒を含んでるからな。子供の頃からそれを飲み続けていれば、強く影響されてしまうのも仕方ない。ご自身ばかりのせいではないと思うが……同情はできんな」
「当たり前だ。七つ八つのガキならわかるが、二十も過ぎてあれじゃあな」
「まあ、ソルジェ殿下と違って、ずっと優しい世界で生きてこられたからな。何事も、容易に、安易に考えてしまわれるのだろう。城という限られた狭い世界しか知らないというのは、ある意味、お気の毒かもな」
「それは否定しないがな……壊していい理由にはならないぞ」
「ああ。正当性があるならまだしも、あれではな。ご自身の信じる正義がある――というわけでもなさそうだし……ま、理由はどうあれ、あれだけはっきり言われては、こちらとしては捨て置けない。築く力はなくとも、壊すのは、やり方次第では可能だからな。軽視もできない」
「ああ。……ったく、王子様はどこで捻じ曲がったんだ?」
「さあな」
ハシュバルとゾーイは、ひどくうんざりした気分だった。
しかし、
「アール将軍が怒るのも無理はないだす。人間腹が減ると、どうしても怒りっぽくなってしまうだすからな。しかしそれは、飯を食えば大丈夫、解決だす。なに、飯の心配はいらんだすよ。結衣様とみちる様のところへ行けば、腹いっぱい食べさせてもらえるだすからな。でも調子にのって食べ過ぎてはいかんだすよ? 腹も身の内だす」
「おま、それ、自分に言えよ! っつかそれ、お前がいわれたことだろ! したり顔で他人に言いやがって。だいたいお前は――」
「あ、ハシュバル将軍、ゾーイ将軍、お疲れのところすまんだすが、もう少し早足でお願いしたいだすー! 次は軍棟に行くだすよー!」
この同僚たちと一緒では、そんな気分で居続ける方が難しい。
「……」
「……」
ハシュバルとゾーイは目を見合わせ、狭かった歩幅を広くした。
「お前は……人の話くらい聞けよ!」
「聞いてるだす」
怒れるアルラバートに、それをものともしないエルーシル。
傍らでは、老若織り交ざる三人が、笑いを堪えるのに失敗して小さくむせている。
騒がしい同僚たちのもとへ向かうハシュバルとゾーイの面は、自然と笑顔になっていた。




