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お呼びでは?

「――ゆえに伴侶は、御使い様のお側でその御身をお守りする。ということなのじゃが、どうしたのじゃ? 二人とも。今日は珍しくきちんと聞いておるの」




 ウードの声に、みちると結衣が動かしていた手を止めた。


「……」

「……」

「昨日のわしの話を、まだ引きずっておるのか?」

 

 面を上げた二人は真顔を見合わせ、小さく頷いた。と思うと、みちるが口を開いた。


「先生、お家に帰ったらどうでしょう?」


 思いがけない言葉に、ウードのざんばら眉毛がぐぐっと寄る。


「いきなり……何じゃ」

「いきなりじゃありません」


 みちるは答える。


「昨日、結衣ちゃんと話したんです。先生は、お家に帰った方がいいって」

「どうしてそうなるのじゃ」

「だって、先生は悪くないじゃないですか」


 みちるが笑顔になった。結衣も笑顔になり、後を続ける。


「そうですよ。先生が悪いんじゃない。汚名を着せられて、家と家族を捨てさせられたんですよね? ご家族の皆さんだって、それをわかってるんですよね?」

「先生だって会いたいでしょう? 捨てたくて捨てたわけじゃない。ご家族だって……息子さんはどうかわかんないですけど、先生に会いたいんじゃないですか? 先生のためにやったんですから。他にやりようはなかったのかって、わたしなんかは思いますけど。お孫さんにだって、会いたいでしょう? お孫さんだって、先生に会いたいと思ってますよ」

「そうですよ、先生」

「そうはいかん」

「どうしてですか?」 

「おぬらを放って――」


 というウードの声をみちるがさえぎった。


「先生、そんなこといってたら、いつになるかわかりませんよ?」

「帰ってください。わたしたちだったら大丈夫です。ね? ちるちゃん」

「うん。結衣ちゃんがいるもんね」

「うん」


 と頷いた結衣が、ウードを見つめる。


「先生、わたしたちは会いたいと思っても、もう家族に会えないんです。でも先生は違います。会おうと思えば会える……」

「やせ我慢しないで、お家に帰ってください」

「会いたいと思っても、会えなくなる、その前に」

「時間があるとか、いつでも会えるとか思っちゃ駄目ですよ? 命には限りがあるんですから。先生の場合は特に焦らないと。自信があるみたいですけど、先生は高齢者・・・なんですからね?」

「その高齢者の先生に無理をさせようとしたのは、だれだったかなあ?」

「結衣ちゃん、それはいわない約束でしょ?」

「え? そんな約束した?」


 しばし二人は笑い合い、その笑顔をウードに向ける。


「先生。落ち着いたら、お孫さんがどんなひとか、手紙でもいいですから教えてくださいね?」

「もうお婿さんがいて、ひ孫ちゃんができてるかも」

「……わかった」


 ウードは頷いた。

 結衣とみちるがにっこり笑う。その笑顔に、ウードは厳しい顔を返した。


「おぬしらのいうように、家に戻ろう。じゃがの、それは、おぬしらをここから解放してからじゃ」

「え?」


 声を揃える二人に、ウードは告げた。


「おぬしらをここに置いたまま帰るなどできん。そんなことをしたわしを、家族は、セリーヌは絶対に許さん。屋敷に入れぬだろうし、会うことすらすまい」

「そんな……だって、奥さんは先生のこと――」

「なにより、わし自身が自分を許せん」

「もう、先生。どうしてそんな固いんですか!」

「知らん。もとからじゃ」

「話さなきゃいいじゃないですか、それを」

「そんなことはできん。後ろ暗い思いを抱えて会うなど、わしにはできん。第一、素知らぬ顔などできん。顔に出る。そうなると……セリーヌが悲しむ」

「なんですかそれ? のろけですか」

「む、そういうわけではない。わしが変わってしまったと、妻が嘆くだろうということじゃ」

「のろけじゃないですか!」


 と言い放つみちるの横で、結衣が笑った。


「先生、奥さんのこと、大好きなんですね?」

「無論じゃ。わしには過ぎた妻じゃと思うておる」

「え?! その奥さんが張本人なのに?!」


 みちるの声がひっくり返る。


「それは、わしを思うて、してくれたことじゃからの」

「先生はそれでいいかもしれませんけど、息子さんは、とんだとばっちりですよ」

「うむ。あれにはすまないことをしたと思うておる。わしらのせいで、あれにはひどくつらい思いをさせてしまった」

「ほんとそうですよ。よし、決めた。わたしは息子さんを応援します!」


 突然鼻息荒く、みちるは宣言した。


「またいきなりどうしたのじゃ? みちる」

「リア充滅びろ!」


 空中に向かって吠えるみちるに、ウードが顔をしかめる。


「なんじゃそれは? そのような呪いの言葉を発してはならん」


 諌めるウードの前で、みちると結衣がしかめっ面と笑顔を並べた。




◇  ◇  ◇  ◇




「とにかくわしは、おぬしらをここから出し、確かな人物に預けるまでは、家には戻らん」


 ウードはいった。


「ありがとうございます、先生」

「……」


 結衣は素直に感謝の言葉を述べたが、みちるは顔は険しいままだ。


「どうしたのじゃ、みちる」

「ちるちゃんは、先生にお家に帰ってほしかったんですよ」


 結衣が答えた。


「先生は独りじゃない。ご家族がいて、わけありで離れてても、心は繋がってる。帰る場所がある。そこで幸せに暮らしてほしいって。だって先生は、わたしたちに希望をくれました。嫌な人ばっかりじゃない、信じられない人ばかりじゃないってことを教えてくれました。でもわたしたちは、先生に、何にもお返しができないから――」

「お返しなど、余計なことを考えるでない。それほどのことも、わしはしておらん」

「でも、よくしてもらった相手には、何かしたいじゃないですか」

「しとらんし、わしはいらん!」


 固辞するウードに、みちるが尖らせていた唇を、早く小さく動かした。


「先生の頑固、意固地、リア充」

「最後のそれはなんじゃ? さっきもいっておったの」


 ウードが反応する。


「ふふ。それは、先生が奥さんと仲がいいっていうのを、羨ましく思いながらののしり祝う言葉なんですよ」 

「ののしり祝うとはまた、複雑じゃの」

「ほんとはちょっと違うんですけど、今のはそうなんです。ね? ちるちゃん」


 みちるは言葉なく渋面を縦に動かした。結衣がウードを見上げる。


「先生、わたしたち本当に、先生に幸せになってほしいんです。でも、先生がここにいてくれるっていってくれて、すごく嬉しかった」


 結衣の素直な言葉に、ウードは頷いた。


「いつになるかわからないですけど、ここから出られるようになったら、先生の奥さんと息子さん、お孫さん――皆さんに会わせてくださいね」

「無論じゃ」

「ありがとうございます」


 明るい声を上げる結衣の隣で、みちるも口を開いた。


「先生、わたしも行きますからね」

「無論じゃ。息子を応援するのじゃろう?」

「そうですよ。でも、あんまりひどく先生のことを恨んでるようだったら、先生を応援しますよ」

「そうか、それは頼もしいの」

「お孫さんに会わせない! とかいわれたら悲しすぎますからね。一緒に謝りますよ」

「ほお、謝るのか。みちるのことじゃから、強気に出るのかと思うたが、違うのじゃな」

「ことによりけりです。先生に非がないのはわかってますけど、どう考えても息子さんは被害者ですからね。謝って許してもらうしかありません。でも先生みたく強情で、聞き入れてもらえなかったら、そのときは、このわからずや! って頭突きくらいはするかもしれませんけどね」

「そうか」

「でも、先生はそれをやっちゃいけませんよ。やるのはわたしです。先生はひたすら頭を下げる、それだけです」

「わかった。そうしよう」


 笑顔で頷くウードに、みちるも笑顔を返す。結衣も微笑んだ。


「でも先生、お孫さんに会ったことがないっていうのは本当なんですか?」

「ああ。嫁にも孫にも会うたことがない」

「そうですか。それじゃあお嫁さんとお孫さんにも、ひたすら謝りましょう」


 ウードが家族に受け入れられる、ただひとつの道を示すみちるの傍らで、そこは意外と大丈夫じゃないか――と楽観視している結衣は、別のことを訊ねた。


「お孫さんの名前は、なんていうんですか?」


 ウードの孫は娘で、自分たちと年も近いと聞いていた結衣は、


 親しくなれるのではないか――


 という期待と興味から聞いたのだが、返ってきたのは渋い顔だった。


「え? 先生?」


 どうしたんですか?――という前に、ウードが口を開いた。


「セリカという」

「え?」

「セリカ?」


 結衣とみちるは、聞き覚えのある名前に驚くと同時に、ウードの渋さの理由を知った。


「お孫さん、セリカさんっていうんですか……」

「なるほど、先生がそんな顔をするのはわかりました。けど、そんな悪いひとじゃないじゃないですか、あの、男のセリカさん。ね? 結衣ちゃん」

「そうですよ」

「何をいう。ただ無害というだけではないか。レナーテの軍人にあるまじき怠惰と無能は許せん」

「えー? 期待を裏切られたからって、そんな厳しくいわなくてもいいじゃないですか。いいひとですよ、セリカさん。この前、廊下でばったり会って、お菓子もらいましたよ」

「わたしも。お勉強がんばってくださいねって。会うたびそれだけど」

「菓子に懐柔されたか……」

「お菓子だけじゃありませんよ。がんばれっていう、嘘じゃない応援の気持ちがありました」

「気持ちだけではどうにもならん」


 ウードは、孫娘と同じ名を持つ相手に、非常に厳しかった。

 期待が大きかっただけに恨みも大きく、さらには結衣とみちるが肩を持ったためか――


「だいたいセリカというのは女性名じゃ。そのような名を男児に与えるなど、親もいったい何を考えておるのか」


 その家族にまで、文句を付けた。


 後に、ウードはこのときの発言を大いに悔いることになるのだが、それはまだ先のことで、その前に三人は、人の形をした大きな禍と向き合わなければならなかった。




◇  ◇  ◇  ◇




 それは、突然だった。


「先生――」


 みちるの呆れ声のすぐ後に、叩きつけるような大音がした。

 突然の暴音に、結衣とみちるが椅子の上で飛び上がる。ウードもびくりと身体を震わせた。


 平穏を打ち破ったのは、扉を開けた音だった。おとないもなく蹴破るように侵入してきた人物は、勢いのあまり戻ってきた扉を、さらに足で蹴りつける。


 不穏を察知したウードがすぐさま立ち上がり、危険人物と、結衣とみちるの間に立ちはだかった。

 乱暴な侵入者を、厳しい目で見据える。


「ホレイス卿、無礼ではござらんか? 御使い様のお部屋に入るのにおとないもなく、かように――」

「黙れ!!」


 怒号でさえぎったホレイスは、ウードを睨みつけた。


「貴様、何をした!」

「何をしたとは、どういうことですかな」


 ウードも睨み返す。

 負けじと睨み返してくる老人に、ホレイスの形相が、いっそう危険なものになる。そうしてしばし睨みつけていたが、ホレイスはいきなり手を伸ばし、乱暴に細い腕を掴んだ。 


「いいからこい!」


 ウードの腕を引っつかみ、そのまま部屋から連れて行こうとする。


「ちょっと待って、待ちなさいよ!!」


 椅子を蹴倒しながら、みちるが立ち上がった。しかし。


「みちる」


 ウードの静かな声に制された。


「だって、先生」


 黙って首を横に振るウードに、みちるは口を閉ざす。

 顔を歪めるみちるの前で、ホレイスが笑った。


「案ずることはございませんよ。お二人にもご一緒していただきますからな。ワルト! お二人をお連れしろ!」


 小柄な側近に命令しながら、荒々しく出て行く。

 

「ささ、結衣様、みちる様」


 呆然と見送る二人に、薄ら笑いを浮かべたワルトが近付く。が、伸ばした両手は、強い力で払われた。


 側近など眼中にない二人は、伸ばされた手を腕で振り払い、一目散に老人の薄い背中を追いかけた。

  


 


◇  ◇  ◇  ◇  





「どういうことですかな? 乱暴な」


 ソファの上に投げ捨てられたウードは、すぐさま起き上がり、体勢を整えた。

 

「お立場にふさわしくない言動は、いかがなものかと」

「黙れ!!」


 冷静にいうウードを、ホレイスは怒鳴りつける。

 そこへ飛び込んできたみちると結衣が、怒りに満ちた目をホレイスに向けた。


「まったく、可愛げのない」


 ホレイスは聞こえよがしにいい、


「どうぞ、おかけください」


 二人に席をすすめる。

 言葉は丁寧だったが、その口調は投げやりだ。


『どこにでも好きなところに座れ』――本意を正しく理解したみちると結衣は、ホレイスを睨めつけながら、ウードと同じソファに、彼を挟むようにして腰を下ろした。


「……」

「……」


 敵意もあらわ――今にも飛び掛ってきそうなみちると結衣の様子に、


「どうやら、お二人を懐柔しているというのは真のようだな」


 嘲笑を浮かべそういったホレイスは、次の瞬間顔を歪めた。


「貴様、何を企んでいる」


 


◇  ◇  ◇  ◇




「さて、何のことやらわかりませんが」


 ぎらつく視線を向けられたウードは、正直に答えた。


「とぼけるな!」

「とぼけるなといわれましても、わからぬとしかいいようが――」


 ウードの言葉は、テーブルを叩く音にさえぎられた。  

 音の発生主はホレイスだ。叩き割らん勢いで振り下ろした肉厚の拳が、そのままの形でテーブルの上にのっている。


「貴様がそこの二人を懐柔して、咲様を陥れようとしているのはわかっておるのだぞ」

「咲様を陥れる? はて? 面妖なことをおっしゃいますな。わしは言われた通り、お二人に、レナーテの歴史などをご教授しておるだけですがの」

「ではなぜ、咲様は臥せっておられるのだ」


 ホレイスの言に、ウードが表情を動かした。


「咲様は、お加減が悪いのですか?」


 ウードの両脇で、みちると結衣も表情を変える。


「多田さん、具合悪いんですか?」

「病気ですか? お医者さんには診て――」

「ふん、白々しい」


 ホレイスは訊ねる二人の声を切り捨てた。


「あなた方が追い込んだのでしょうに、そこの老人と謀って」

「はあ?」

「それをさも今知ったかのように驚いてみせるなど、なかなかどうして、お上手ですな」


 という声で、三人は理解した。いったい、どこをどう曲解すれば、そういう的外れな結論にたどり着くのかまったくわからなかったが、ホレイスは、三人が仕組んだことと思っている。


「今朝まではご機嫌麗しく、いつものように過ごしておられたのだ。それが、戻ってくれば、臥せっておられるという。侍女も医師も、このわしさえも近づけず、寝室にこもっておられるのだ。おぬしらが何かしたに決まっておろう!」

「……」


 ホレイスの決め付けには呆れるばかりだが、このまま自分たちのせいにされてはたまらない。

 みちると結衣は反論した。


「わたしたちは何もしてません」

「咲ちゃんには会ってません。侍女の人たちに聞いてみてください。いつもだれかが側にいるんですから、わたしたちが何かしたかどうかは、あのひとたちに訊いてもらえばすぐわかるはずです」

「それより、多田さん本人に直接訊いた方がいいんじゃないですか? 病気かもしれないし」


 という至極まっとうな意見は、しかしホレイスには受け入れられなかった。


「ふん、そのような言い訳が通じるとでも?」

「言い訳もなにも――」

「黙れ!」


 反論を怒声で封じたホレイスは、


「貴様らが咲様を妬み、陥れようとしているのはわかっておるのだぞ」


 ぎらぎらした目で三人を睨みつける。

 

「……」

「……」


 話の通じない相手に、みちると結衣も言葉がでない。


「仕方ありませんな」


 無言になった二人の前で、ホレイスが歪めていた唇を動かした。


「このようなことを目の前でしでかされては、さすがにわたしも黙ってはおられません」


 思い込みの激しい男は、己の論理で、身勝手な正義を振りかざすつもりのようだった。 




◇  ◇  ◇  ◇




 ハイラルたちを連れ、戻ってきたリファイは、広間をのぞいて嘆息した。


「やっぱりね」

「早かったですね」


 ため息をつくリファイとラズルの横で、


「スライディールの御使い様が人だというのは本当なのか……」

「そのようだな」


 アブローとハイラルが小声を交わす。


 これまで半信半疑だった二人だが、結衣とみちる、老教師ウードの三人が、ホレイスと対峙しているのを見れば、それを認めざるを得なかった。

 リファイが予見した事態が今、扉向こうに現実としてあった。



「どうして先生が辞めさせられるんですか!!」

「先生は何もしてません!」

「何も? こうしてお二人に悪影響をお与えになっておりますな。はっきりと」

「先生はわたしたちに、ここで生きていくための必要な知識を教えてくれているだけです」

「ただものを与えるだけで、肝心なことは何も教えない。わたしたちに悪影響を与えてるのはホレイスさん、あなたじゃないですか!」

「ほう。ずいぶんなおっしゃりようですが、ものは、よくお考えになってから口にした方がよろしいですよ。御使い様であるあなた方に手出しができないと思って、ずいぶんと強気でいらっしゃますが、それ以外はなんとでもできるんです。わたしくらいの人間になりますとね……」


 と、ホレイスはウードを見やる。


「そうやって、またわたしたちを脅すんですか?」

「この卑怯者!!」

「口のきき方には気を付けていただくよう、以前も申し上げたはずですが、まったく覚えておられぬようですな」

「わたしたちは、あんたなんかに従わない。先生にだって何もさせない」

「はっ、できますかな?」

「宰相さんにいいます」

「ほう、それも、老人の入れ知恵ですかな。まあ、悪くはありませんが、それも、宰相府の人間が来ればの話ですぞ」

「……どういうこと?」

「おや、ご存知ではありませんでしたか? 宰相府の人間はもう、こちらには参りません。昨日で最終だと、セリカ殿が申しておりましたが……。ひょっとして、結衣様とみちる様には挨拶がございませんでしたか? これはこれは、よほどお二方には興味がないのでしょうな」


 とホレイスは嘲笑う。


「嘘……」


 みちるが声を落とした。

 みちると結衣は見るからに愕然としており、ウードも驚きを隠せないようだった。


 ホレイスが、勝ち誇った目を三人に向けた。


 

「今ならば、わたしも謝罪を受け入れて差し上げますが、どうなさいます?」




 

◇  ◇  ◇  ◇





 みちると結衣は威勢をくじかれた。失望した。

 だが、目の前の男に屈するつもりはなかった。二人の中で、怒りは逆に嵩を増していた。


 声を出さないのは、怒りが激しいからだ。感じたことのない強い怒りが腹の底から湧きあがり、身体の中で猛りくるっているからだ。


 目に怒りの涙を溜めながら、二人はわななく自身の身体を抑えようと、懸命に努力していた。


 


 その模様を、扉の隙間から眺めつつ入室の機会をうかがっていたリファイ、ラズル、ハイラル、アブローの四人は、ホレイスに、稚拙ながらも激しく、懸命に対抗するみちると結衣の様子に驚いていた。


「がんばるね」

「ええ」

「あれに食ってかかるとは、意外だな」

「ああ」


 と感心している間に、四人はその機を失った。

 




◇  ◇  ◇  ◇





 声は、突然背後から飛んできた。


「お待ちください!」

「これ以上先へは、たとえキリザ将軍といえど、進むことはかないません」



 キリザ?――



 四人が一斉に振り返る。


「かなうんだよ。陛下の許可証見せただろ?」


 後ろ手にひらひらと紙を振るキリザの姿が、四人の目に映る。


「なりません!」

「皆様、それ以上は――」

「お願いです」


 追いすがる声らがいうように、キリザは複数の人間を従えていた。それも、十人ほどはいるだろうか。



「またぞろぞろと、大勢で来たね」

「侍女まで連れてきてますよ。本気で保護するつもりのようですね」

「用意がいいね」


 と、リファイとラズルが言っている間に、キリザが歩を止め、追いすがる男たちと向き合った。


「お前、名前は?」

「え?」

「家族はいるか?」

「は?」

「遺言くらいは聞いてやる。これ以上邪魔をするなら仕方ねえ、排除する。俺も仕事なんでな」


 引きつる男たちに、別人が、さらに追い討ちをかける。


「将軍、流血は少なめでお願いしますね」

「またお前は勝手いいやがるな、サルファ」

「こちらは貴重なものが多いですから、あまり汚したくないんですよ。首をへし折るのが簡単でいいでしょうね。ひとりくらいでしたら、わたしもお手伝いしますよ」


 軽やかな声に男たちは後ずさり、瞬く間に遠ざかる。


「さあ、行きましょうか」

「おう」


 何事もなかったように声を交わし、振り向いた二人の目が、前方にいる四人の姿を捉えた。


「これは皆様お揃いで……」


 白金にかがやく麗人――サルファが優美に、そして、燃えるような赤毛の偉丈夫――キリザがにやりと笑った。


「おいおい、王子様がこんなとこで固まって、何やってんだ? のぞきか? あんまいい趣味じゃねえな」





◇  ◇  ◇  ◇





 四人は顔を歪めた。


 キリザの軽口に、ではない。キリザの無礼口は常のことだし、それをキリザ本人の目の前で叩ける人間は、ここレナーテにはわずかしかいない。下手に文句をいったり、反応すれば絡まれる。

 反応しない。さらりと流す。それが最善だ。


 四人が顔を歪めたのは、上司のそれを聞いて微笑む二人の側近の姿を見たからだった。記憶に苦く新しい側近たちの顔に、四人が鋭い目を向ける。


「ホレイスに用があって来たんだが――」


 いいかけたキリザが、その視線を見て笑った。


「ああ、ウチの新入りが世話になったそうだな。ま、古株ともども、これからもよろしく頼むぜ」


 その声に合わせるように、セリカとヤーヴェが揃って頭を下げる。と、一団の後方から、抗議の声が上がった。


「将軍、早くしてほしいだす」

「んだ。仕事は速やかにせねば駄目だぁ」

「まったくだす。しかも、この衣装箱、重いんだすよ。美しいのはいいんだすが、作り手は、運ぶ人間のことも考えて作って欲しいだすね。持ち手が細すぎて、これでは駄目だすよ。ぽっきりいったらどうするだす。危険だす」

「ほんに、持ちにくいべ。これじゃ、ひとりで抱えた方が、うんと楽だぁ」

「兄じゃのいうとおりだす。しかし兄じゃ、抱えて蓋が開いたら大惨事になるだすからね。今は駄目だすよ。辛抱だす」

「だなぁ」


 と男たちは、のん気に声を交わしていたが、


「お前ら……」

 

 キリザの剣呑の声に固まり、はたと何かに気付いたような顔になった。


「すんませんだす。覚えてるだすよ、将軍。もうしゃべらんだすから安心してほしいだす。ね? 兄じゃ」

「おお」



 リファイたちは驚いた。

 最後尾で大きな衣装箱を運んでいたのは、下っ端の軍人などではなく、銀髪の北の兄弟たちだった。


「……」

「……」


 静かに驚く四人の前で、


「あいつら……手前てめえで手え上げといて文句はいうわ、しゃべんな、っていってんのに、すっかり忘れてしゃべりやがるわ……。ウルーバル! エルーシル! お前ら後で覚えとけよ!!」


 キリザは鬼の形相になっていた。


「忘れてほしいだす」

「怒られたべ」


 小声でいう兄弟と、


「ったく、ルゼーも連れてくりゃよかったぜ」


 と、苦い顔をするキリザ以外の人間は、全員その場でうつむき笑っている。


「……」

「……」


 驚きの一団に、リファイら四人が気を取られている間に、キリザが動いた。

 

「とっとと行くぞ。……おい、お前ら。入んねえなら、そこ退いてくれ、邪魔だ」


 そういって、入り口を塞いでいた四人を押しのけたキリザは、ためらうことなく扉を開けた。




◇  ◇  ◇  ◇




 広間で睨み合っていた四人は、外の喧騒に気付いていた。



 物見高い人間がのぞき見しているのだと思っていたが、喧騒はおさまるどころか次第に大きくなる。

 ウードがその気配を不思議に思いはじめたとき、ホレイスの我慢が限界を迎えた。


 ぎりぎりまで眉を寄せ、怒りのまま、扉向こうにいる人間に怒声を放とうとホレイスが振り向いた瞬間、両開きの扉を勢いよく開け、キリザが入ってきた。


「おう、邪魔するぜ」


 姿を見るなり、ホレイスの身体が怒りで膨れ上がった。


「貴様……」


 怒りのあまり、常の習いが口から突いて出る。

 歯軋りの間から押し出された声に、キリザが笑った。


「ご挨拶だな、ホレイス。お前の気持ちもわからねえでもねえが、これでも俺は軍の天辺にいる人間だ。腹ん中ではなんでもいいが、人前では、閣下と呼んでもらわねえとな」

「……」


 ホレイスに唇を噛ませた。




◇  ◇  ◇  ◇




「ラズル、見たかい?」


 扉口で、一団の背中を見送りながら、リファイは友人に訊いた。


「見たとは何をですか?」

「侍女だよ」

「侍女?」

「ああ」


 頷くリファイの目は、一団の中にいる侍女の姿を追っている。


「知り人か?」


 訊ねるハイラルの声に、


「いえ」


 リファイは短く答えた。


「決まりそうだといっていた侍女だろう? 違うのか?」

「よく見てください」


 そういわれて、侍女の顔など見ていなかったハイラルたち三人は、侍女らを凝視した。扉口からは後姿しか見えない。しかし、面はわからないが、肢体のしなやかさと美しさは後ろからでも十分わかった。


「なかなか……後姿は美しいな」

「粒ぞろいだな。急集めにしては、上出来だろう」


 アブローとハイラルの声に、リファイのため息が続く。


「どうした? リファイ」


 ハイラルの問いにリファイは答えず、ラズルが口を開いた。


「四人……いらっしゃいますね」


 その声で、ハイラルとアブローもようやく気付いた。


「まさか……」


 アブローが声を落とす。そのとき、ひとりの侍女が扉口を振り返った。


 四人は息を飲んだ。


 肩越しに視線を寄越した侍女は、その目で四人を捕らえると、すぐに戻した。

 一瞬だった。ほんの一瞬だったが、四人が認知するにはそれで十分だった。



 黒髪の、鋭角なあごの線も美しい侍女の唇は、笑んでいた。



 侍女たちが何者であるかを確信した四人は速やかに、無言で一団の後に続いた。


  

 


◇  ◇  ◇  ◇





 唇を噛んでいたホレイスは、キリザの後ろからぞろぞろあらわれる人間に、ひとり怒りを増幅させていた。

 サルファの姿で、ホレイスの唇にはさらに圧力がかかり、


「はあ、重かっただす」

「指が痛いべ」


 能天気な声を出す男たちの姿を目にした瞬間、血の味が口中に広がった。


「どういうことですかな? キリザ将軍」


 感情を押し殺し、ホレイスはいった。


「おい、唇切れてるぜ。いいのか? ま、そんくらいだったら舐めときゃ治るか」

「将軍! お訊ねしているのですぞっ!!」


 キリザの声で、ホレイスの我慢の堰は、いともたやすく決壊した。

 溢れる怒りをそのまま垂れ流す。しかしまだ、多少の理性は残していた。



 赤毛の偉丈夫を、正面から罵倒してはならない――



 ホレイスの怒りは、別の人間たちに向かった。


「何しにきた! 呼びもせぬのにのこのこと、勝手なことをするな!!」


 それは、最後に入室してきた四人の青年たちに向かって吐かれた。


 目の前の相手に言えないものだから、ホレイスはいいたかった文句を、若年じゃくねんであり、血のつながりのある甥たちに、そっくりそのままぶつけたのだった。


 完全な八つ当たりだ。ぶつけられるものが他にいなかった、それだけだ。


 怒気を発散させたホレイスは、それで気が済むかもしれない。だが、相手はそうもいかない。青年たちは、八つ当たりを甘んじて受け入れるような人間ではないし、してはならない地位にいる。


 王子と高位貴族の人間だ。それぞれに身分があり、高い矜持を持っている。伯父というだけで無能な愚者に怒鳴りつけられるなど、彼らには我慢ならなかった。


 四人は刺すような目で、ホレイスを睨みつけた。


「……」


 そしてそれは、ホレイスの望むものではなかった。

 真っ向から睨み返してくる甥たちに、ホレイスの気分はさらに悪化した。



 自分の足で立つこともままならない若造が――内でののしりながら、反抗的な目を睨めつけていると、



「おい、そいつは後にしてくれ」


 睨み合いに、キリザがあっさり入ってきた。

 ホレイスが剣呑の目を、そのままキリザに向ける。


「こっちが先だ。そうカッカすんな。俺も好きで来たんじゃねえよ。仕事だ、仕事。スライディールの御使い様にいわれて来たんだよ。心配すんな。用事が済んだらすぐ帰る」

「……用事とは、なんでしょう?」

「見りゃわかんだろ。聖遺物を納めに来たんだよ」

「聖遺物?」

「おう。ちょっと、困ったもんがあってな。御使い様のもんなんだが、捨てるに捨てられねえし、あったらあったで、御使い様の悪戯心を刺激するし、被害者は出るしで、どこに置いときゃいいのか、俺らもほとほと困ってたんだよ。そんとき、セリカから聖遺物のことを聞いてな。いやあ、ほんと、助かったぜ。聖遺物なんて、すっかり忘れてたからな。いいときに教えてくれたぜ、な?」


 と、キリザは側近たちを振り返る。


「左様で……。して、ものは、なんですかな?」

「お? 見るか?」

「いえ、結構」


 キリザの弾む声を聞けば、ロクでもないことがわかる。ホレイスは中を検めようとはしなかった。


「見といたほうがいいんじゃねえか?」


 悪戯なキリザな顔に、ホレイスは顔を歪めた。


「後ほど検めます。陛下の書状はお持ちでしょうな?」

「あるぜ、ほらよ」


 投げて寄越すそれに、ちらと視線を向けてから、ホレイスはいった。


「それでしたら聖遺物はこちらでお預かりします。これで御用はお済ですね。お引取り願えますかな? 将軍閣下」


 早くこの場から追い返したいホレイスは、癪ではあったが、受け入れることにした。しかし。


「そうはいかねえ」

「……どういうことですかな?」

「実は、もうひとつ、御使い様から言い付かってることがある」

「……」


 真顔でいうキリザに、ホレイスが警戒の表情を浮かべる。


「村瀬 結衣、中尾 みちる。二人の御使い様をもらってこい――そう、いわれてんだ」




◇  ◇  ◇  ◇




「馬鹿な」


 ホレイスは吐き捨てた。


「お前がどう思おうが勝手だが、実際いわれてんだ。二人はもらってくぜ。そこにいるのが、結衣ちゃんとみちるちゃんだろ?」

「はい、閣下」


 答えたのはセリカだった。


「呼びに行く手間が省けたぜ。さ、結衣ちゃん、みちるちゃん、俺と一緒に行こうぜ」


 しかし呼びかけられた二人は、目を真ん丸くしてキリザを見つめるばかりだ。


「大丈夫だ」


 キリザは強い声で二人に向かってそういうと、ホレイスに顔を向ける。


「ついでに老先生も、もらってこいっていわれてるから、先生も一緒にもらってくぜ。とういわけで、老先生も一緒だから、安心してくれ」


 後半部分は、ソファに座る結衣、みちる、ウードの三人に向けた。

 しかし、彼らの返事を聞く前に、ホレイスがテーブルを叩きつけながら立ち上がった。


「ふざけないでいただこう!!」

「別に、俺ぁふざけてなんかいねえぞ」

「そんな横暴が許されるとでも? よろしいか? ここは戦場ではありません。いかなレナーテ軍の総大将といえど、勝手はできませんぞ。御使い様が住まわれるこの場所は、許されたもの以外、立ち入ることはできません。それをお忘れか? その許可を与えられるのは、陛下と後ろ盾であるわたしのみ。聖遺物を納める、と陛下をたばかって許可をとったばかりか、御使い様をここから連れ出すなど言語道断! 許されることではありませんぞ!!」

「ったく、思い込みが激しいな。ドレイブをだまくらかして許可をとった? なんでそうなるんだよ。俺、そんなこといったか?」

「何をおとぼけに、いつものことではありませんか」

「阿呆。お前はほんと阿呆だな」

「なんだと?! 貴様、陛下をたばかるばかりか、わしを愚弄しおって。ただで済むと思うなよ! わしが――」

「もう、結構」


 しなやかな声がホレイスの怒声を叩いた。




◇  ◇  ◇  ◇




 ホレイスとキリザ――二人の間に割って入った声は短く、けっして大きくはなかった。しかし凛とした、若い女性のよく通る声は、すべての人間に届き、ホレイスを黙らせた。

 空気が鎮まった。


 ホレイスがぎらつく目を飛ばす。それを動かす前に、声主だろう人物がわかった。キリザの後ろで控えていた一団の中から、侍女が進み出てきた。

 それを見るなり、獲物に食らいつく獣さながらの俊敏さで、ホレイスが噛み付いた。


「貴様か……侍女ごときがでしゃばるな! わしにあのような口をきいて、ただで済むと思うなよ!」


 そのホレイスの恫喝を、


「そんな大きな声を出していただかなくても、聞こえています。なによりあなたに用はありません。ホレイスさん」


 侍女は虫でも追うような口振りで払う。 

 ホレイスはいきり立った。


「何を……」


 しかし怒りにねじれた声は、その先を続けられなかった。


「……」


 なぜなら前に進み出てきたのは、ひとりではなかった。一団の中から優美に、そして悠然と歩み出てきた侍女は四人もいた。


 どの顔も、見るのははじめてだった。

 見覚えのない侍女たちは、いずれも若く、たいそう美しく、そして恐ろしく冷えた目をしていた。


 ホレイスが呆然と見つめていると、侍女たちは鋭く冷たい目でホレイスを見据えながら、結い上げていた髪を下ろしはじめた。


 歩きながら髪に手を入れ、慣れた手つきで形を整える。



 侍女ではない――



 その美貌と醸し出される雰囲気に、ただならぬものを感じていたが、侍女では決してありえない行為を見せられて、ようやくホレイスは侍女ではないと理解した。


 では、誰なのか?――


 動かない身体と頭を無理やり動かそうとする。その前に声がかけられた。


「そのまま静かにしていてください。用が済めば失礼します」


 硬直するホレイスに冷淡にそういうと、先頭に立つ黒髪の娘は視線を動かし、美しい面に先ほどとは間逆の表情を乗せ、唇を開いた。



「村瀬 結衣さん、中尾 みちるさん」


 と、呼びかけられた二人は驚いた。


 結衣とみちるは、先まで怒りの火達磨となり、あっちへごろごろ、こっちにごろごろと転がっていたホレイスが、滑稽なまでにぴたりと硬直している姿に目を奪われていたのだった。


「あ、はい」

「はい」


 二人はあわてて、石化した物体から視線を外し、優しい声に顔を向けた。そして相手の顔を見るやいなや、弾かれたように席を立った。


「……」

「……」


 飛び上がった二人に、ウードも驚き立ち上がる。


「どうしたのじゃ? 結衣、みち――」

「嘘……」

「あ……あ……」


 ウードの声も届かない。

 結衣とみちるは、あらん限りに目を開き、同様に開けた口もそのままに、声主の姿を食い入るように見つめている。


「ふ」


 と、黒髪の娘が微笑んだ。

 そうして優しく微笑んだ娘は、ふたりに向かって小さく頷くと、笑みをぐっと深めた。


 娘の変化はまだ続く。

 

 女神の如き薄笑みを、幼児が見せるような悪戯なそれに一瞬で変えてしまった娘は、そのままあごを上げ、両手を広げ、そして最後に――



「呼ばれてないけど、じゃじゃじゃじゃーん!!」


 

 その全身から陽気を一気に放出したのだった。


 



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