暗転する未来
白と金銀で装飾された室内は、窓から差し込む陽光で、目に痛いほど明るく、暖かかった。
その一角で、咲は青ざめ、リファイは冷たく笑っている。
まばゆい部屋で静かに向き合う二人の姿を、ラズルが少し離れた場所から眺めていた。
◇ ◇ ◇ ◇
ラズルは、リファイと連れ立ってここに来たものの、実は、何ひとつ聞かされていなかった。
『ちょっと、ユリアノスの顔を見てくるよ』
早朝、散歩にでも行くように、そういってひとりで出かけたリファイは、予想外に遅く、且つ、恐ろしい形相で帰ってきた。
その怒り様は、昨日の比ではなく、全身から気炎を立ちのぼらせるという、凄まじいものだった。
ただならぬその様子にラズルは何も聞けず、そしてリファイは話すつもりがないようだった。
『御使い様のところに行くよ、付いてきて』
リファイがいったのはそれだけで、その命に、ラズルは無言で従った。何も受け付けない状態だ。伯父のローシュに使いを出す暇さえなかった。
そして今の状況を作るやり方は、普段のリファイからは考えられないほど乱暴で、強引で、性急だった。
それだけ怒りが深い。
それだけの何かがあったのだ――ということしかわからなかった。
ラズルはそれを知るために、静かに二人に歩み寄った。
◇ ◇ ◇ ◇
「ラズル、君はそこに座って」
いいいながら、リファイが視線でその場所を示す。
ラズルはいわれるがまま、その席――リファイと咲が向かい合う間の椅子に納まった。
すでにリファイから、強烈な言葉の一打を浴びていた咲が、問うような目をラズルに向けてくる。
「……」
ラズルはその目を一瞥したが、それだけで、後は完全に無視した。ラズルには、応える義理も気持ちも無い。
ラズルにあっさり視線を逸らされて、自分がどういう状況に置かれているのか、ようやく理解したらしい咲が、目に見えて動揺しはじめた。
「あ、あの……」
「勝手にしゃべらないでくれる?」
当惑の声を、リファイが冷ややかな声と目で黙らせる。
そうして冷たい視線で相手を縫いつけながら、優美な第三王子は、手にしていた装身具を無造作に放り投げた。
美しい物体は小さな放物線を描き、テーブルの上で硬質な音を立てた後、姿を消した。
残ったのは、
「質問にだけ、答えるんだ」
柔和の仮面を脱いだ無慈悲な王子、だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇
咲に息を飲ませたリファイは、そのまますぐに質問を開始した。
「君、僕らに隠してることはない?」
「……」
その問いに、咲は答えない。
答えないのではなく、答えられないのだ――ということはわかっていたが、リファイは容赦しなかった。
即座に反応できない咲に向かって、これ見よがしにため息をつく。
「まったく、どれだけ鈍いの?」
あからさまな侮蔑の目を向ける。
「スライディールの御使い様のことだよ。君、知ってるんじゃないの?」
「し、知ってるって、何を、ですか?」
「呆れたね。とぼける気? スライディールの御使い様が人だってことだよ。化け物じゃない。それを、君ら三人は知ってたはずだ」
リファイの強い声に、咲は目を見張り、
「知ってたよね?」
と訊かれた途端、逃げるように目を泳がせた。
「え、あ……」
「どうなの? 知ってたの? 知らなかったの? こんな簡単なことも答えられないの? つまらないことはしゃべるくせに、まったく使えないね」
リファイのきつい言葉に、咲はうつむいた。肩口で綺麗に切り揃えられた、ふんわりとした茶色の髪が顔の輪郭を隠す。
華奢な肩は不安と恐怖にだろう、小さく震えていた。
小柄な少女のいたたまれない様子は、見るものの庇護欲をそそりそうなものだが、リファイには、神経を苛立たせるものでしかない。
「何? 黙ってたらわからないよ。泣いてどうにかなると思ってるの? いまさら。いいから答えなよ。どっち?」
「知、知って……ました」
強い口調に、咲はうつむいたまま答えた。
「だよね。ねえ、どうしてそれを、だれにもいわなかったの?」
「……」
「ど、う、し、て?」
重ねて訊くリファイの声に危険なものを感じたのか、咲は声を搾り出すようにしていった。
「だって……悪いことをしたって、聞いたから。だから監禁されたんだ、って聞いたんです」
「ふーん。悪いことって何? どんなこと?」
「え? それは……え、と」
咲の言葉は続かない。
「どんな悪いことをしたかも知らないの? ただ、何か悪いことをしたって聞かされただけで、それを信じて、同郷の人間を見捨てたんだ。へー」
「ち、違います」
「どこが違うの? じゃあさ、どうして君はあの二人、結衣様とみちる様と仲違いしたの? 友達だよね? その友達と君が仲違いしたのって、それが原因だよね?」
「え?」
声と同時に、咲が面を上げる。その驚く顔に向かって、リファイは続けた。
「スライディールの御使い様たちは、化け物に扮していただけだ。それを、君ら三人はわかっていた。彼女たちは、君らと同じ人間だ。それも、君らと同じ年頃の。結衣様とみちる様は、彼女たちに会わせてくれって、侍女たちに何度もしつこくお願いしてたそうだね。それはそうだよね? 彼女たちは人なのに、こっちの人間はまだ化け物だと思ってるんだから、どういうことになってるか、知ろうとするよね? でもそのせいで、ホレイスに嫌われた。化け物のことは今後一切話すなって、彼女たちはホレイスに脅されたそうだよ。あの二人がホレイスを嫌う理由がよくわかったね。それを君は知ってた。四人が人であることを知ってて――、化け物と誤解されたまま幽閉されたことを知ってて、スライディールの四人を放置した。そればかりじゃない、事実を聞きだそうとして苦境に陥った友人二人も放置した。そうだよね?」
「……」
咲の細い身体が強張った。だが、一部分だけは活発に動いてた。
動揺でキョロキョロと動く目を嘲りの目で見やったリファイは、同様に口元を歪めた。
「驚いた? どうしてそのことを、僕が知ってると思う? 教えてもらったんだよ、セリカ君にね」
「セリカ?」
と声を上げたのはラズルだった。
ラズルの驚きの声に、リファイが顔を向けた。
「ラズル、セリカは犬だったよ。隠すのも、騙すのも、懐に入るのも得手の、奴は軍の犬だ」
吐き捨てるようにいったリファイは、ふたたび咲に目を戻す。
「セリカ君はね、侍女やワルト君からそのあたりの事情を聞いた。すべての話をつなぎ合わせて、どういうことかを知った。ああ、そうそう、そのセリカ君だけどね」
リファイは楽しいことを思い出したようにいう。内心はまったく逆だったが、衝撃の事実をより効果的に、相手に伝える必要があった。
「グレン宰相の指示で、ここに来たんだとばっかり僕らは思ってたんだけどね。違ったよ。宰相は、スライディールの御使い様に言われて、その指示を出していたんだよ。指令者はスライディールの御使い様だ。同郷の人間が不当に扱われていないか? 窮状に陥っていないか? それを確かめるためだ。すごいよね。彼女たちこそ、たいへんな目に遭ってたっていうのにね。さすが御使い様だ。他人の苦境は放ったらかし、自分さえよければいいっていう、だれかさんとは違うよね」
あてこするリファイの声に、咲は動かなかった。だが、衝撃のほどは見て取れた。
肩で息をする咲に、リファイは無情にも続ける。
「そこで問題だよ。セリカ君は、結衣様とみちる様が不当に扱われていることを知った。彼は本当のお馬鹿さんじゃなかったからね。もちろん、それを上に報告した。さて、どうなる?」
「……」
「答えなよ」
リファイは冷たい声で訊く。しかし、咲は大きな呼吸を繰り返すばかりで、返事をしない。
「まったく、何ひとつまともに答えられないんだね?」
軽くなぶってから、すんなり答えをいった。
「スライディールの御使い様は、結衣様とみちる様を保護することに決めたらしいよ」
それは、書き損じた紙を丸めてポイと投げ捨てるような軽さだった。
その声に、ふたたびラズルが反応した。声こそ上げなかったが、驚きの目をリファイに向ける。
リファイがラズルに向かって無言で頷いた。
「……」
頷きを返されて、驚きと悔しさに顔を歪めるラズルだった。が、まだその先があった。
「君の名前は出なかったよ、咲様。まあ、そうだよね。君はホレイスに可愛がられてるから、保護なんて必要ないよね。ああ、この状況は、君にしてみたら、逆にいいことなのかな? 邪魔者がいなくなって、君はひとり。完全なお姫様状態になれるよね?」
とリファイは夢を見せるようにいったが、次の瞬間、
「でもさ、それって、彼女たちが化け物だっていうのが、前提だよね?」
ぐしゃりと目の前で握り潰した。
咲が目を上げた。
「スライディールの御使い様は人だ。同郷というだけの、赤の他人の君たちのことも考えてくれるんだから、優しいよね。いい娘だ。しかも、それだけじゃないみたいだよ?」
声と表情――リファイはすべてを巧みに使って、咲の不安を刺激する。
「レナーテの軍と政府の名だたる高官が、彼女たちに従ってる。それだけの魅力があるってことだよね? 後ろ盾はサルファ副宰相、キリザ将軍も常駐してる。そしてグレン宰相。彼らはレナーテの三傑と呼ばれてるんだよ。その三人全員が、スライディールの御使い様に従ってる。キリザ将軍なんて、化け物を押さえるために渋々スライディール城に入った、っていわれてたけど、実際は大喜びで入ったんだってさ。『機嫌が良くて助かります』って、彼の側近がいってたよ」
最後の言葉は、ラズルを見つめながらいった。
ラズルは眉根をきつく寄せたが何もいわず、リファイもそのまま続ける。
「三傑といわれる彼らが、だよ? ものの道理を知っている、物事に明るい彼らが従ってる。その彼らが君らに目を向けたのは、彼女たちにいわれたからだ。彼らは、君たちを必要としていないってことだ。そうだよね? スライディールの御使い様たちは、君たちが必要ないほどの娘だ――そういうことだよね?」
リファイはことさら丁寧に、事象から導き出される答えを教え、次の言葉で咲に絶望の淵をのぞかせた。
「さて、ホレイスはどうするかな?」
咲がふたたび固まった。
「化け物だと思っていたスライディールの御使い様が、君たちよりずっと魅力的な娘だと知ったら、彼は、どうするかな?」
固まっていただけの咲の身体が震えだした。
「それを、君らは隠してた。ああ、ちょっと違うね。結衣様とみちる様は言えなかった。脅されてたんだから仕方ないよね。でも君は違うよね? 言わなかった。だろう?」
固く握り締めた拳が膝を揺らし、ドレスに皺を作る。
「いくら君が隠したって、彼女たちが人間であることは、いずれわかるよね? そうなれば、『どうして言わなかった!』って責められるのは、ちょっと考えればわかりそうなものだけど……。ほんと、どうしていわなかったの? 誤魔化せるとでも思った? ああそっか、彼女たちが化け物として始末されれば、君はお姫様、末は王妃様にもなれる。その可能性が高くなるもんね。それを期待してた?」
「ち……ち」
「何? 違うとでもいいたいの? 冗談は止めてくれる? そんなこと、だれも信じないよ。君は自分のために、故意に真実を隠した。それとも、『違う』って、神に誓っていえる?」
咲は答えない。
「別にそんなことしなくても、結衣様とみちる様に訊けば、わかるよね?」
リファイの声に、咲の身体が動いた。彼女の意思を無視して身体が勝手に反応したようだった。
思わず顔を上げてしまった咲を見て、リファイが笑う。
「ふふ。馬鹿正直に反応するね。まったく、よくそんなので隠せると思ったね? それとも、そこまで考えなかった? どっちにしろ、救いようのない馬鹿だね、君は。ま、いまさら君の愚かさを嘆いてもしょうがないけどさ」
というと、リファイはいきなりラズルに顔を向けた。
「ラズル。僕、なんだかもう、面倒くさくなってきたよ」
無抵抗の娘をいたぶることで、煮えていた腹がおさまってきたのか、それとも飽きてきたのか、リファイはいつもの様子になっていた。
ラズルは顔をしかめた。
リファイが怒りを制御できない状態から脱したのは嬉しいが、こんなところで中途半端に投げ出されては困る。引き継ごうにも、ラズルは詳細を教えられていない。
「殿下」
ラズルの固い声に、リファイが微笑んだ。
「ああ、わかってる」
さすがに、リファイもここで投げ出すつもりはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「さて、咲様。おさらいしながら、君の未来を展望しようか」
リファイはにっこり笑った。
「スライディールの御使い様は人だ。このことは近日中に公表される。皆、喜ぶだろうね。だって、化け物じゃないんだ。それどころか、レナーテの三傑が気に入るほどの娘たちだ。だれもかれも、こぞって彼女たちに伺候するだろうね。軍の高官連中はすでにそうみたいだし。結衣様とみちる様も、そんな彼女たちに保護されるんだから、安心だ。これ以上無い、強い後ろ盾を得たも同然だからね」
というと、リファイはじっと咲を見つめる。
「で、ここからが肝心だよ。よく聞いておいてね。ことの経緯は、当然のことながら、明らかにされる。君たちの世界では恐怖を楽しむ文化があって、そのために、彼女たちは化け物に扮してたんだってね。おかしな文化だね? 仮初めとはいえ、あんな化け物になろうかって思う御使い様たちの神経を疑うけど、それはまた別として……。君たち三人が、スライディールの御使い様が人間だと知っていた――その事実も白日のもとにされる。まさか、知られないで済むと思った? 軍の人間は、特に上の連中はもう、皆知ってるよ。だって、御使い様が宰相に指示したのは、そのせいだもの。何? わからないの?」
リファイは怪訝な顔をする咲を笑った。
「ほんとつくづく馬鹿だね。同じ世界から来た君たちは、どこの誰かは知らなくても、彼女たちが人間なのはわかってる。それなのに、いつまでたっても彼女たちのことを、『人間じゃないか?』って疑う声がどこからも聞こえてこないんだから、おかしいと思うよね? だから彼女たちは指示したんだよ。ものが言えない状況、話したくても話せない、そんな不当な状況に、君たちが置かれてるんじゃないか、もしそうなら保護するように、ってね」
咲の面から血の気が引く。
「実際そうだった。君は違うけどね。あ、そうそう、それで思い出した。ちょっと信じられない話を聞いたんだった。君に訊こうと思ってたんだよね」
リファイは咲の顔色など、まったくお構いなしだった。
「スライディールの御使い様の名前だけど、公表されたあれって、お化けの名前なんだって? それでどうして、彼女たちが化け物の名前を名乗ったかっていうとね。自分たちの正体を、しばらくの間隠したかったからなんだって。なんでも自分たちは有名で、名前が知られてるから、名前を公表すると騒がれるかもしれない、って聞いたんだけど、どう? 思い当たる娘、いる?」
問われて咲は息を飲んだ。聞いた瞬間、脳が勝手に像を浮かび上がらせていた。それを打ち消すように、咲は頭を振った。
「いない? 四人は親友で、とっても仲がいいんだってさ。君らとは大違いだね。名前はなんていったかな? 四人とも聞いたけど、その時は、ちょっと僕がそれどころじゃなくてね」
と笑うリファイの前で、咲は力なく首を振る。
「でも、ひとりだけ覚えてるな。二度も三度も聞かされたから。アキラ様――」
リファイがその名を口にした途端、咲の力ないそれが止まった。
咲の様子をじっと見つめていたリファイとラズルが、一瞬だけ視線を交わす。
「知ってるんだね? 玲様を」
「……」
咲は答えなかったが、その必要はなかった。
硬直した身体は直後に震えだし、鼓動の早まりを教えるように、浅く短い呼吸を繰り返している。
その様子を、リファイは冷めた目で眺めた。
「ふうん、そうか。自意識過剰のお嬢さんってわけじゃないんだね? その、玲様は……」
といったが、どういう娘かは、このときリファイは訊ねなかった。
今更それを聞いたところでどうにもならない。ようやくおさまった腹がふたたび煮えるだけだ。ここで言及する必要はない。それより先に、すべきことがあった。
リファイはその仕上げをするために、唇を動かした。
「その様子からすると、スライディールの御使い様は、素晴らしいお嬢さんのようだね? 君、どうするの? このままホレイスの元にいる? 責められると思うから、それはやめた方がいいと思うな。いっとくけど、ハイラル兄上は頼れないよ。知らないと思うけど、兄上はね、君のことが大っ嫌いなんだよ? ただでさえ嫌ってるのに、わが身可愛さに事実を隠していただなんて知ったら、もう大激怒だね。しかもそれだけじゃない。君は、ホレイスと兄上の、野望の邪魔をしたんだよ」
咲の面は蒼白だった。それでもリファイは、追い込むための手を緩めない。
「ホレイスは兄上を時期国王の座につかせたい。ハイラル兄上もそのつもりだ。御使い様の伴侶になれば、王座は確実だ。だから、兄上は我慢して君の相手をしていた。それも、少し前には我慢できなくなったみたいけどね。ま、今はそれはいいかな? それなのに、だ。化け物だと思っていたのは、君らより遥かに上等な娘たちだ。しかも、これが一番厄介なことだけど、彼女たちの伴侶はもう、決まってしまった。それも、選りによって、一番なって欲しくなかった第一王子、ソルジェ兄上にね」
それは、リファイの本心でもあった。
「君が、わが身可愛さで隠したことは、とんでもない結果をもたらした。許してなんてもらえないよ。それは絶対だ。どうする? 腐っても御使い様だから、嬲り殺しにされることはないと思うけど、それに近い状態にはなるだろうね」
咲は抜け殻のように固まっている。
「結衣様とみちる様に謝って、泣いてすがる? それか、スライディールの御使い様、玲様にお願いしてみる? どちらもお奨めはできないな。だって君はさ、彼女たちを見捨てたんだよ? たとえ受け入れられても、その事実は残る。だいたいどんな顔して彼女たちに会うの? さんざん自分ばっかりいい思いをして、困ったことになったら手のひら返して、『助けて、友達でしょ』っていうの? 君ならできそうだけど、周りは許さないんじゃないかな? 大切にはしてもらえないだろうね。ふふ」
と、笑ったリファイは、色を失った咲に、
「君に明るい未来はないよ、咲様」
最後の一語を突きつけた。
◇ ◇ ◇ ◇
「まったく、愚かな娘だ」
廊下を歩きながら、リファイは言葉を吐き捨てる。
「……」
「ラズル?」
反応しないラズルに、リファイは歩を止めた。
「どうしたの?」
「殿下はお優しいですね。あのような愚かな娘、蹴り倒してやればよろしいのに」
咲をいたぶり倒したリファイは、すでに怒りを消化させていたが、怒りまだ新鮮なラズルの琥珀色の瞳は、凶悪なまでに光っていた。
「はは」
素直な友人を、リファイは笑った。
「そんなことをしたら、僕の脚も無事じゃ済まないじゃない。痛い思いはしたくないよ。それにまだ、利用価値がある。だから、その前に蹴り倒して、使いものにしないでよ? ラズル」
友人を宥めるが、ラズルは収まらない。
「まだあの娘に、関わるおつもりですか?」
「ああ」
リファイは頷く。
「いっただろう? スライディールの御使い様は人だ」
「ええ」
「結衣様とみちる様も、いずれスライディール城に引き取られる。そうなると、僕たちは手出しできなくなる」
「……」
「彼女はその、繋ぎになるかもしれない」
「どうでしょう? それは、あまりに希望的すぎませんか?」
ラズルは秀麗な面を歪める。
「まったくないとはいえないよ。仮にも結衣様とみちる様の元友人だ」
「余計そう思いますけど」
「いうね。でももう、あの娘しかいないんだよ。スライディールの御使い様と接触するためにはね。他に何か有効な手がある? それにまだ、スライディールの御使い様たちがどういう娘たちなのかも詳しく聞いてない」
ラズルは盛大なため息を付き、その後渋々頷いた。
「そうですね」
「手元に置いておく必要がある。ヤーヴェは、結衣様とみちる様の名前しかいわなかったけど、いわないだけで、あの娘も保護の対象になってる可能性がある」
「ヤーヴェ?」
内容より先に、個人名にラズルは驚いた。
「セリカだけじゃなかったんですか?」
「ああ。ヤーヴェがいたんだよ。兄上の部屋にね。ユリアノスは今日、休みだってさ。何も知らない僕は、そこにのこのこ入っていって、あの二人にコケにされたんだよ。まったく、今思い出しても腹が立つよ」
リファイが怒りをぶり返らせる。
「そうでしたか……わたしもご一緒すればよかったですね」
「過ぎたことだよ、ラズル。僕も油断してた。でも、今考えてみると、あれはあれでよかったのかもしれないな。僕を侮って、ヤーヴェ君がそれはもう懇切丁寧に教えてくれたからね。おかげで色々知れた。そのお返しをするよ」
リファイの目が光った。
「後手後手になったけど、ここからは奴らの好きにさせない」
「ああ、それで……」
ラズルはようやく得心した。
「執拗にあの娘を追いつめたのは、そういうわけでしたか」
「もちろん、八つ当たりと怒りもあったよ」
リファイは後ろめたさもなく笑う。
「でもね、本当のところは――」
「向こうに渡さない、そのためですか」
「そうだよ。救いを求めさせない。救いの手を差し伸べられても、払わせる。実際、行かれると困るからね。だから、大急ぎで教えに来たんだよ。君の居場所はどこにもない、どこへも行けない、誰にも受け入れられないよ、ってね」
「なるほど」
「向こうがいつ保護しに来るかわからないから、ほんと焦ったよ。わけのわからない内に、頷いたりしたら困るだろう? なにせ、節操がないからさ、咲様は。サルファ副宰相と、ルゼー将軍が連れ立って来てごらんよ、絶対向こうに行くよ」
「そうですね」
ラズルも笑った。
「しかし、ヤーヴェはいつというのは、いわなかったんですか?」
「ああ」
リファイは面に渋みをのせた。
「訊いたけど、それはいわなかったよ。まったく、勝手だよね? でももう、いつ来てもらっても構わないよ。あれだけ脅しておけば、咲様も自分から助けを求めることはしないだろうし、僕らのいうことも素直に聞いてくれるよ。あんな娘でも、おびき寄せる餌くらいにはなるだろう。それよりラズル」
「はい」
「ローシュを呼んでおいて」
「はい」
頷いたラズルは、そのまま別の懸念を口にした。
「殿下、ホレイス卿と、ハイラル殿下はどうなさいます? スライディールの御使い様のこと、お知らせしますか?」
「ああ、ホレイスはいいよ、別に」
リファイは即答した。
「驚けばいいんじゃない? そのまま憤死してくれればありがたいけど。うーん、でもまだ彼にはひと暴れして欲しいから、事切れないようにだけ、祈っておこうかな?」
「しかし、咲様に怒りが向くのは、避けたほうがよろしいのでは?」
「ふふ。さすがにラズルもそれを心配する? でも大丈夫さ。ホレイスは馬鹿だけど、咲様を潰すことはしないよ。そんなことをすれば極刑になるし、最後の望みの綱だよ? いや、駒かな? それはもう、有効に使うためにお粗末な頭を絞るよ。扱いはかなりぞんざいになるだろうけどね」
リファイは笑うと、表情を引き締めた。
「それより、ハイラル兄上だよ」
「どうされます?」
「兄上とアブローには、先に知らせておこうと思う」
「激情に駆られて咲様を?」
「それはないと思うけど……可能性は排除しておいたほうがいいかな? ハイラル兄上には、今以上にがんばっていただかないといけないからね。完璧な第二王子様に、傷は困る」
「……」
不思議顔を作るラズルに、リファイは笑って答えた。
「ほんとは御使い様たちをかみ合わせたかったけど、力の差は歴然みたいだから、兄上たちでかみ合ってもらおうかな、って思ってるんだ。ホレイスもその方向――ちょっと違うか。彼は、ソルジェ兄上とサルファ副宰相を引きずり下ろす方向かな? ああ、でもそれ以前に、ホレイス自身が無事でいられるかどうか、そっちの方が問題だよね」
「ええ、ホレイス卿は処罰されるでしょうね」
「うーん。ホレイスはいいんだけど、兄上は困るなあ」
「伯父に相談した方が、よくありませんか?」
「そうだね」
リファイは頷いた。
「とりあえず、ハイラル兄上には事実を伝えて、それから先のことは、ローシュと考えようか」
「それがよろしいですね。それと殿下」
「なんだい?」
「あの老人のことはどうします?」
「老人? ああ、あの教師ね。……今更、どうしようもないよ? ホレイスのことだから――」
といいかけて、リファイは黙り込む。と、すぐに目を上げた。
「ラズル、咲様のこともあるし、兄上を連れて、またここに戻ってくるよ」
と、忙しくいった。表情も厳しくなっている。
リファイの急変にラズルが驚く。
「え? 殿下?」
「いいかい? ラズル。咲様はあの状態だ。様子がおかしいことはすぐに知れる。それは僕らのせいだけど、咲様はその理由をいえない。侍女たちも、僕らのあの剣幕を知ってるから、迂闊なことはいわないよ。となると、ホレイスは老人が……それか、結衣様とみちる様が、咲様に何かしたって思うんじゃないかな? なんせ馬鹿だから」
「……そうなりそうですね」
ラズルは眉をひそめたが、リファイは、
「うん。是非、そうなって欲しいね」
闊達にいって、笑った。
「だってそうじゃない? ホレイスは容赦なく絞めあげるよ、それを僕らが諌めれば、兄上や僕たちの心象が良くなるんじゃない? 手が届かなくなる前に、いくらかでもいい、印象を上げられるなんて、願ったり叶ったりじゃない」
「そうですね。泥をかぶるのは、ホレイス卿だけでしょうし」
ラズルも頷く。
「そうだよ。よし、じゃあ行こうか、こんなところでのんびりしてられないよ。兄上のところに行って話して連れて戻って――」
「忙しいですね」
「それだけじゃないよ、その後、咲様のところへも顔を出すんだからね」
「え?」
「鞭を振るった後は、優しくしてあげないといけないだろ? 習わなかった?」
「なるほど。しかし、急に忙しくなりましたね」
「ほんとだよ。あっちこっち、行ったり来たり、昨日からずっとだよ?」
不平をいうが、リファイの顔は、先の怒りがまるで嘘のように今は生気にあふれ、かがやいていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「どうしましょう?」
「お医者様をお呼びしたほうがいいのではないかしら?」
「そうね。でも……それで治るものなのかしら?」
「……」
部屋に戻った侍女たちは、顔を寄せ合っていた。
部屋の主――咲は今、寝室だ。
がたがたと震えるばかりで、こちらの声にまったく反応しない咲を、三人がかりで運び込んだ。
仔細はわからなくとも、なにやらとんでもない事態にあることはわかる。
「お医者様を呼ぶ前に、リモ様にお伝えした方がよろしいのではなくて?」
その声に、一様の表情を浮かべていた侍女たちは、一様に頷いた。そして、示し合わせたように視線を動かす。
気遣わしげな、それでいて探るようなそれらが向かうのは、閉じられた扉だ。
その扉の向こうに、咲はいた。
天蓋つきの豪奢な寝台――その柔らかな掛け布の下で、咲は小さな身体をさらに小さく折りたたみ、
「嘘、嘘、どうして?……」
答えの出ない問いを、震える声で繰り返していた。




