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告白大会

 みちるは据わった目で前を見つめていた。



 テーブルを飾る鮮やかな花々も、山と積まれたおいしそうなお菓子も、触れることすらためらわれる美しいティーカップも、どれも、みちるの心を浮き立たせてはくれない。


 しかし、ささくれ立たせてくれるものは多かった。


「このお菓子、好きだよね? はい」

「こちらにも、珍しい菓子があるぞ」

「お茶はミルクを入れるんだったかな?」

「……」


 にこやかに話しかけてくる王子たちの間から、咲が憎々しげにこちらを睨み付けてくる。


「……」


 隣を見れば、結衣がため息をついていた。




◇  ◇  ◇  ◇




 なぜこういうことになったかは、ウードから聞いて知っている。


 宰相府からきた軍人、セリカの目を気にしてのことだ。自分たちの扱いは、表沙汰になるとたいへんまずいものらしい。それであわてて以前のような扱いに戻したようだが、みちると結衣にしてみれば、迷惑千万だ。



 どうして今更こんな連中と顔を会わさなければならないのか? セリカの目を欺くという目的は達したはずなのに、どうしていまだにこんな連中と一緒にお茶を飲まねばならないのか?



 そのことも、ウードが『わしの推測でしかないが』といって、思うところを教えてくれた。


『殿下たちは、おぬしらの友人が、自分にふさわしくないと考えたのではないかな。おぬしらの友人は、見目はちょっとばかりいいかもしれんがの、性根がの、あまりよくないということに気付いたのじゃろうな。おぬしらに言うのは酷かもしれんが、あの咲という娘は、侍女らと一緒になって、おぬしらの状況を笑っておる。それを隠そうともせんからな』


 ウードは怒ったような心配するような、複雑な表情でそういった。ウードには、咲と仲違いした経緯を詳細に語ってある。みちると激しく言い合った内容、そして、結衣と咲が幼馴染であることもすでに話していたから、二人の心情を汲み取って、そういってくれたのだろう。


『ホレイス卿はどうかしらんが、殿下たちは、おぬしらの伴侶になりたいと考えておるのではないかな? おぬしらは、見目はさほどでもないが、性根は良いからの』


 一瞬『ん?』と思わせる箇所はあったが、ウードからそういわれたことは素直に嬉しかった。しかし、王子たちの目的を知れば、怒りしか湧かない。


 これまでまったく無関心だったくせに、咲が残念少女だとわかった途端、手のひらを返し、自分たちに擦り寄ってくる。それも平然とだ。後ろめたさも羞恥も微塵もない。自分たちにはそれが許されている――と、いわんばかりの堂々たる変節ぶりだ。


『何様だー!』


 みちるは叫んだ。

 怒りに任せて叫んだそれに、


『王子様だもんね』


 と結衣に返されたときは『あ、そうだったね』と、思わず怒りを飲み込んでしまったが、時間の経過とともに、



 王子だからって、そんなことが許されていいのか? 王子だからこそ、そんなことをしちゃいけないんじゃないのか――



 逆に怒りはつのった。しかも、やり方が汚い。


『おぬしらが茶会に戻らねば、教授する役は他の人間に代えられる。おぬしらの信を得ておらぬ――ということに、なるらしいな』


 人の弱みをいやらしくついてくる。強硬な態度で脅されるのももちろん腹が立つが、持って回った脅しにはそれ以上の怒りを覚えた。しかもそれを、己ではなく、ウードに言わせるという卑劣さだ。



 何が王子だ!――



 数日経とうが怒りは納まらない。

 今なお怒りに満ち満ちているみちるは、怒髪天を衝く形相で、心の中で叫んでいた。


(恥を知れ!!)


 自分たちの都合で態度を変える、姿ばかりはキラキラしいが中味はいやらしい卑怯者たちに向かってそうののしる一方で、自分と結衣を憎々しげに睨み付けてくる咲には、


(目を覚ませ!!)


 念を飛ばしていた。

 咲は今の状況をまったく理解していない。


 このままでは、咲はいつか孤立する。ホレイスやワルト、侍女らに持ち上げられて浮かれているが、それは彼らが、清風の四人が人間ではないと、彼女たちを化け物だと思っているからだ。四人が人間だとわかれば、自分たちのような底辺娘など、彼らは見向きもしなくなるだろう。



『ふむ、そのセーフー女子らは、賢いのか』

『そうですよ。県下でも一番の進学校で、頭が良くないと行けないとこなんです。わたしたちとは頭の作りがぜんぜん違います』

『おぬしらも、そう悪くないと思うがな。知識と集中力が圧倒的にないというだけで、頭自体はそれほど悪くない。そう自分を卑下することはない』

『圧倒的? 今のはむかつきポイントでは?』

『事実じゃろ。しかし、人間性はどうじゃろうな』


 危惧するウードに、


『もう、先生、それは前にいったじゃないですか。いい人ですよ』


 みちるは答えた。


 大丈夫――と、自分たちに声をかけてくれた。その優しい声を覚えている。聞いたときは安堵した。ほっとして顔を上げた瞬間、目だらけの顔が視界いっぱいに飛び込んできて、気を失ってしまったが、それは彼女のせいではない。あれは不幸な事故だ。


 声をかけてくれたひとは、強くて優しいのだと思う。でなければ、あの状況であんな声は他人にかけられない。きつい人なら、我を失い泣きわめいていた自分たちを怒鳴りつけるか放置だろう。優しい人が一人でもいる、というのは事実だ。他の三人はわからないが、それさえも、みちると結衣はもう、心配していなかった。



 咲と喧嘩し、ウードが来るまでの数日間――時間だけはたっぷりあったみちると結衣は、色々なことを考え、話し合った。家のことや学校のこと、こちらのこと、自分たちのこと。中でも一番話題になったのは、やはり気になる四人のことだった。


『はじめはさ、四人とも清風の人だと思ってたけど、あの制服の人だけかもしれないね』

『誰の友達だろ? まさか、彼女?』


 と、どうでもいいようなことも話したが、


『でもあのお化けの格好、気合入ってたよね?』

『うん。わかってても怖かったもん。こっちの人がお化けだって信じちゃうのも無理ないね』

『あれだけ完璧なお化けになるってさ、ある意味すごいよね? お金すごいかかってるんじゃないかな』

『うん。それにあれ、着けるのに相当時間かかるよね? なりきり感もすごかったし……』

『たかが文化祭で、っていったら悪いけど、学校の文化祭で、あそこまでする?』

『だね』


 はじめは、高慢だったり神経質な人たちだったらどうしようと思っていたが、高校の文化祭であれだけ完璧なお化けを演じるには、ノリと、相当のやる気が必要だ。それをしてまうということは、かなり面白い人たちなのではないか? おそらくそうだろう、そうに違いない――という結論に、二人は至った。そしてそれは、ある期待を二人の内によみがえらせたのだった。


『ふむ。おぬしらはその四人が、セーフーの中でもことに有名な女子であると思うておるのか』

『はい。だって、御使い様、神の使いですよ。スペシャルな人が呼ばれるに決まってるじゃないですか!』

『すぺしゃるとはなんじゃ』

『特別ってことです。そのスペシャル女子なんですよ、あのひとたちは』

『最初はうちの高校なんかに来るわけないって、お化け役なんか、あの玲於奈様がするわけないって思ってましたけど、北岸さんだったらやると思うんです。北岸 玲さんっていうんですけど、その玲さんの一声で、清風が動くって言われてるんですよ。すごいひとなんです。それに、四人は親友で、いつも一緒なんです。あのお化けの人たちも四人だったし、四人とも、背、高かったし、ね? ちるちゃん』

『うん。もうホントすごいんですよ! 先生。四人ともすっごい美人で、モデルみたいに背が高いんです。並ぶとすごい迫力で、近くで見たら、たぶん目がつぶれちゃいますよ。おまけに頭は良いし、歌も踊りも、なんだってできるんです! 一般人なのに、追っかけまでいるんですよ。わたしと結衣ちゃんもやってました』

『追いかけとったのか』

『ええ。迷惑になるので、家や学校には行きませんけどね。でも文化祭は、あらゆる高校の文化祭情報を仕入れて、仲間たちと手分けして見に行ってました。徳高の文化祭で見たときは、もう感動して。ケータイ持つ手が震えたよね? 結衣ちゃん。あれはすごかったよね?』

『うん。でも、あんなぶれぶれ映像になるんだったら、ムービーとらずに見とけばよかったなあって、今、後悔してる』

『ドンマイ! 結衣ちゃん』

『結衣、みちる……熱く語っておるところに水を差すようで悪いがの』

『なんですか? 先生。先生にも見せてあげたかったなあ。電池切れてなかったら、見せてあげられたのに。わたしの待ち受けすごいんですよ、へへ。良子様っていうひとなんですけどね』

『わたしも見たい。振ったら復活しないかな? わたしの待ち受けは――』

『二人とも、聞け。スライディールのお方は、おそらくその四人ではない』

『……どうしてですか?』

『神様の使いですよ、先生。そんじょそこらにいるような――』

『言っておらんかったかの? 『御使い様』と、名は仰々しいがの。特別目立つ容姿はしておらん。市井に混じれば探しようがない、と記述があるほど外見は普通じゃ。おぬしらのいうその四人は、たいそう美しいのじゃろ? 残念じゃが、そのような娘が遣された例はない』

『……』

『……』



 みちると結衣は失望の淵に落とされた。

 意気消沈だ。が、期待する四人でなくても、みちるは、スライディールの四人が自分たち以上の人間であることは確信していた。


 姿は自分たちと、どっこいどっこいかもしれない。が、頭が違う。性根もおそらくいい。ということは、どうなるか――くらいは容易に想像が付く。それなのに、咲は考えもせず、周囲に流されている。

 

 みちるはもとから咲とは仲良くなかったし、感情をぶちまけて決裂したのだから、ウードから咲のことを聞かされても自業自得だと思える。実際、聞いた時はそう思った。でも、『自業自得』だと思ったみちるでさえ、咲の未来を考えると複雑だった。


 みちるでも思うくらいだから、幼馴染の結衣は心配するだろう。

 ときおり咲に目を向ける結衣を見れば、心配しているのがわかる。

 しかし、それを向けられる当の相手は、結衣の気持ちなどまったく気付かず、憎々しげな強い視線をよこしてくる。


 みちるは、咲の顔面に手のひらパンチをくれてやりたかった。

 そんなことをしたって、咲は目を覚まさないだろう。騒ぎをおこすだけで、何もならない。

 四人のことも気になる。助けたいのに、助けられない。己の無力さを痛感する。有効な手段が見つからなくて焦りもする。こんなところで座っている場合じゃない――



 そうしてみちるが焦れ、怒りに燃えているというのに、


「どうしたの? お腹の調子でも悪いのかな?」

「顔色が悪いな」

「医者を呼ぼうか?」


 王子たちは猫なで声で話しかけてくる。


「……」


 手前勝手な王子たちに、


(腹を下せ!!)


 小さな呪いをかけながら、みちるはあることを考えていた。


  



◇  ◇  ◇  ◇





「どう……」


 

 茶会から戻ってきた結衣とみちるを出迎えたウードは、二人の顔を見て声を失った。


 どうじゃった――


 という簡単な言葉が続けられなかった。

 結衣は見るからに疲弊しきっており、みちるは全身に怒りをみなぎらせている。


 ウードは心配しつつ、不安を覚えた。尋常でない怒りを見せるみちるの目に、決意があるのを見てしまった。みちるは素直で前向きだが、ときおり突拍子もないことを言い出す。


 この間も、『わたしが大暴れするっていうのはどうでしょう?』といっていた。



 怒りに任せて何をいうのやら――



 と思っていると、


「先生!」


 案の定、みちるが声をぶつけてきた。


「何じゃ。どうしたのじゃ、みちる」


 怒りのまま何を口走るのか――ウードが心の準備をする前に、みちるはいいはなった。


「もう我慢できません! 先生、わたしの伴侶になってください!!」

「何じゃとっ?!」





◇  ◇  ◇  ◇





 斜めも斜め。想像を突き抜けたみちるの発言に、ウードはうろたえた。 


「みちる、いきなり何を――」

「伴侶が決まればここから出られるんですよね? 先生、結婚しましょう。結婚して、さっさとここから出て行きましょう。先生が『うん』っていってくれたら、その足でホレイスさんに言いに行きます。明日には出て行きましょう。いいですよね? 先生。はい、決まり」

「待て!」

「待ちません!」

「待つのじゃ。わしは『うん』といっておらんぞ」

「それじゃあ早く言ってください」

「それは言えん」

「どうしてですか。わたしじゃ駄目だっていうんですか?」

「そんなことはいっとらん」

「じゃ、いいじゃないですか」

「駄目じゃ。そのように自棄になって伴侶を決めてはならん」

「自棄じゃありません。わたしだってそれくらいちゃんと考えてます。でないと先生に失礼じゃないですか。わたしだって好きでもない人と一生を過ごすのは嫌です」


 ウードは怯んだ。

 突拍子もない話だが、支離滅裂ではない。

 実際みちるは、性急且つ盛大に言葉と感情を吐き出したためか、ひどい怒りは鎮まっていた。


「一生のことなのはわかってます。先生だったらいいな、って思ったんです。だからお願いしてるんです。そりゃ、わたしは見た目はイマイチだし、馬鹿ですけど、嘘は付かないし単純だから扱いやすいですよ。一緒にいてて飽きないってよくいわれます。無駄遣いだってしません。貧乏だって平気です。わたしも働きます。体力には自信があるんです。まだまだ若いし健康だし、先生の死に水だって取りますよ。先立たれる覚悟はしてるし、もちろん介護だってやります。心の準備はできてます!」

「ちるちゃん……本気なんだね」


 茶会でくたくたになっていた結衣は、驚きにたたき起こされたのか、面には生気が戻っており、すっかり光を失っていた目は、今はもうかがやきだしていた。


「うん。いいよね? 結衣ちゃん」


 過去、みちるの唐突突飛な数々の提案に、苦言をいわず賛同していた結衣は、


「うん」


 ここでもすんなり頷いた。


「ちるちゃん、いきなりでびっくりしたけど、先生だったらわたしも賛成」

「ありがとう、結衣ちゃん」

「待て!」


 ウードは、そのまま手を取り合って喜ぶ二人を止めた。


「みちる。わしは伴侶にはなれん」

「どうしてですか? また何か変な決まりごとがあるんですか? 高齢者は駄目だとか、そんな勝手なことばっかり――」

「妻がおる」

「……」

「……」


 手をつないだまま、みちると結衣が固まった。


「つま?」

「つまって、妻?」

「先生、妻って奥さんってことですか?」

「そうじゃ。わしには妻がおる。よっておぬしの伴侶にはなれん」

「ええー?!」


 驚きの二重奏が部屋を揺らした。

  




◇  ◇  ◇  ◇





「先生、家族はいないって、自分はひとりだっていってたじゃないですか」


 ひとしきり声を上げた後、結衣とみちるはウードに詰め寄った。


「そうじゃ、確かにそういうた」

「先生、わたしの伴侶になるのが嫌で、妻がいる――なんていってるんじゃないんですか?」

「いや、そうではない。わしは妻帯しておる。子もおる。ついでに言えば孫もおる。孫の顔を見たことはな――」

「奥さんどころか、子供さんとお孫さんまでいるんですか?!」


 驚く結衣の隣で、


「騙されたー!」


 みちるが机に倒れ伏す。


「すまんかったの、みちる」


 ウードは素直に謝罪した。

 それを聞いたみちるは、上半身を倒したまま顔だけを上げた。


「すまんじゃ済みませんよ! わたしの乙女心はズタズタです。初めて男のひとに告白したのに、こんな玉砕の仕方……。人を見る目だけはあると思ってたのに」

「そのような対象になるとは、わしも思わんかったでな」

「その大人の余裕も腹が立ちます。だいたいどうしてそんな嘘つくんですか? 最初にいってくれてたら、こんなことにならなかったのに」

「すまんかった。じゃがの、これだけは信じてくれ。おぬしらを騙すつもりはなかったし、家族がおらんというたのも、まったくの嘘でもないんじゃ」

「え?」


 みちるが固まり、結衣が顔を上げた。


「どういうことですか?」

「他人に聞かせる話ではないが、おぬしらには話さねばならんな」


 ウードが自嘲するような笑みと小さな嘆息を落とした。





◇  ◇  ◇  ◇





「わしは貧乏貴族の三男でな、いずれ市井に出ようかと思うておったのじゃが、縁があっての。家督を継ぐ男子のいない貴族――そこの、一人娘の入り婿になったのじゃ。一人娘じゃから大事にされておっての。面白い娘じゃった。そういえば、少しみちるに似ておるの」

「なんですか、機嫌をとろうったって、そうは問屋が卸しませんよ」


 といいながら、みちるは気になるのか、


「ちなみに、どこが似てるんですか?」


 小鼻を膨らましながら訊ねる。


「姿はまったく似ておらんが、性格が似ておるな」

「フフ……そうですか」


 満更でもない様子のみちるだった。が、


「陽気で突拍子もないことを言い出すし、また、しでかす。わしもよう振り回された」


 味わう間もなく気分を害された。


「ええー? わたしはまだ、何もしでかしてませんよ!」

「じゃから、少しというたではないか。しかし、危なっかしいところはそっくりじゃ」

「ムカっ」

「先生、それでどうして、ご家族がいるのに帰る家がないってなるんですか? ご家族の皆さんは、その……ご健在なんですよね?」

「ああ、皆息災のようじゃ」


 結衣の問いに答えたウードは、そのまま穏やかな声で続けた。


「わしはの、二十五年、いや、二十六年前になるかの。家と家族を捨てたのじゃ」

「……」

「……」


 ウードの衝撃の告白に、二人は息を飲んだ。




◇  ◇  ◇  ◇




「あれは無理だな」

「まったく。とりつくしまもないというのは、あのことですね」

「時間がたてばどうにかなると思ったが、ひどくなってるぞ」

「今のままじゃ無理そうだね」


 貴賓室を後にした四人は、みちると結衣の『てこでも動かない』というかたたくなな態度に頭を振っていた。


「一筋縄ではいかないな」

「ずいぶん頑固ですよね、見かけと違って」

「でも、面白いよね。僕ら四人の誰にも興味を示さないなんてさ。変わった娘だ。やっぱり御使い様というだけあって、信念みたいなものは強そうだね」

「まあな。しかし、このままでは埒が――」


 ハイラルが声を止めた。

 廊下の先にセリカがいた。

 存在に気付いたのはセリカの方が先だったのか、彼は身体を壁際に寄せていた。


 短い視線を交わしつつ、四人は頭を垂れるセリカに近付いた。


「聖遺物はどうだった?」


 アブローが気安い声をかける。セリカが頭を下げたまま答えた。


「それが……見ることは叶いませんでした」


 という返事に、リファイが反応した。


「何? ワルト君が見つからなかったの?」

「そうなんです」

「ふうん。それは残念だったね。ま、いつでも見られるんだからいいじゃない。落ち込むことないよ」

「それができれば嬉しいのですが……」

「どうしたの?」

「軍に戻りますので」

「え? いつ?」

「こうしてこちらにうかがうのは、今日で終わりになります。こちらの皆様にはたいへんお世話になりましたので、後日またあらためて、きちんとご挨拶にうかがいます」


 というセリカの答えに、四人は表情を動かした。


「へえ、それはまた急だね」

「はい」

「そうか……それは残念だ。で、君の後任は誰が?」


 アブローの問いに、ハイラルたちも目を光らせる。


「後任はございません」


 その答えに、リファイが微笑んだ。


「ふうん、そっか。目的は果たした、役割は全うした、ということかな? で、訊きたいんだけどさ、セリカ君。君の本当の目的は、何だったんだい?」


 このときリファイは、かまをかけたわけでなく、冗談をいっただけだ。いったい何しに来たのやら――という軽い皮肉だったというのに、セリカの肩がわずかに跳ねた。


「……」

「……」


 それを見た四人の面から、笑みが消えた。


「それは俺も興味があるな。良かったら教えてくれないか?」


 先ほどと変わらぬ気安い声だが、アブローの目は笑っていなかった。頭を下げたままのセリカはそれに気付かない。


「はあ……」


 うつむいたままいいよどむセリカに、


「それって、僕らに言いにくいことなのかな?」


 リファイが楽しそうに訊ねる。にこやかに微笑んでいても、こちらも目の奥は笑っていない。


「いえ、そういうわけではないのですが……」

「なら、いえ」


 ハイラルの厳しい声に、セリカはようやく面を上げた。


「実は、キリザ将軍から言い付かっていることがございまして――」



 やはり、軍の犬だったか――



 と端正な面の下で四人が思っていると、驚く言葉が続いた。


「侍女を、二、三人ばかりもらってこいと」

「侍女?」


 聞き返すリファイの声は裏返っていた。もちろん他の三人も、予想だにしない答えに驚いている。そんな中、セリカが気まずそうに頷いた。


「はい。スライディールの御使い様にお仕えする侍女を探しているのですが、御使い様のご要望がたいへん多く、また細かく、わたしどもが知る限りでは見当たりません。わたしどもは男所帯ですから、まず情報集めからはじめなければなりません。王宮にも声はかけているようですが、そちらも芳しくないようで……」

「で、ここに?」

「そうなんです。ホレイス卿が王宮や各家から優秀な侍女を集めていらっしゃることは、誰もが知っています。侍女探しの探る手を、どこに向けていいかもわからない状態の我々に業を煮やした将軍閣下が、『あそこだったら二、三人はいるだろう』とおっしゃられまして……」

「まあ……探す手間は省けますね」

「いいのがいたら、もらってこい、って?」

「そうなんです」

「で、いたのか?」

「いえ、それが……残念ながら、いらっしゃいませんでした。御使い様の出された条件はそれは厳しく、貴賎は問わないということなんですが、心身ともに健やかであるのは当然、からはじまり、美しく教養があり、好奇心と探求心、向学心に富み、世事に通じ博識でありながら、他者と同和する協調性があり、侍女という枠外の仕事――無謀な要求にも応じられる度量と、それらに挑戦しようという前向きさ、ひたむきさ、さらには遊び心を備えていることが必要。ということなんですが……ああ、漏れがあるかもしれません。なにせ美しさも、どういう美しさかまで事細かに指示されておりますので」


 いいながら、懐に手をやり、何かを取り出そうとする。


「まず覚えられませんし、漏れがあってはいけませんから、詳細を書き付けたものを持ち歩いているんです」


 にっこり微笑むセリカに、


「もういいよ!」


 リファイが犬の仔を払うように手を振った。


「今ので十分だよ」

「そうですか……失礼ですが、皆様にはお心当たりはございませんか?」

「ないね」

「ないな」


 即答され、沈むセリカに、


「それで、君は侍女と親しくしていたのか」


 アブローがいった。


「しかし、仮にいたとしても、頷くものはいないと思うがな」


 ハイラルの声に、セリカも頷いた。


「そうなんです。ですが、求められるものが高い分、俸給も高いですし、その……色々な特典も――」

「特典?」

「あやしいな」

「やはりそう思われますか」


 セリカが肩を落とす。


「実は、『いざとなったら、ルゼーに会わせてやる、とでもいっとけ。だまくらかしてでもいいから、連れて来い』とキリザ将軍にいわれまして」

「はは」

「とんでもないな」

「キリザ将軍の横暴は耳にしますけど、ほんとだったんですね」

「君も、たいへんだね」

「はい。良くして頂いた侍女の皆さんを騙すことなく済ませられたのは良かったのですが、『いないんだったらすぐ戻って来い』といわれまして」

「それで、今日で終いなのか」

「はい。皆様にも、お世話になりました」

「いいよ、僕ら、何もしてないし。ま、がんばって侍女を探しなよ」

「ご苦労だったな。これからも苦労だろうが、勤めなら仕方ない。がんばるんだな」


 リファイがいえば、ハイラルまで軽口を投げる。


「はい。ありがとうございます」


 頭を下げるセリカに、「見つかるといいな」「健闘を祈ってるよ」激励の言葉と笑みを投げつつ、四人はあっさり背を向けた。




「……ふっ」


 思わずといった様子でアブローが笑みを漏らす。


「そういうことか」

「しかし、ホレイス卿は、運の強い方ですね。つくづくそれを実感させられましたよ」

「ほんと、そうだよね」

「まったくな」


 気の緩みからか、侮りからか――四人は背後にセリカがいるというのに、声を交わしながら去ってゆく。



「……」


 遠ざかる背中を、セリカは見なかった。

 四人の声や気配が消えてもまだ、礼の姿勢をとっていた。

 セリカが上体を上げたのは、自分の呼気しか聞こえなくなってからだ。



 静まり返った廊下――


 誰もいないその場所で、おもむろに上体をおこす。


 王子たちが姿を消した先に微笑みを向けながら、セリカは独りごちた。



「残念ながら、我らが総大将閣下のご強運には、遠く及びませんよ」





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