愛に埋もれる哀樹―①―
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2016年11月10日 英国 スコットランド リリーゲイト 午後10時13分
ジュリア=テイトは、体から熱が消える――否、熱そのものが初めから無いように思った。
足を止めたら、たちまち自分を吹き飛ばさんと荒ぶ風。
風雨が、華奢なジュリアの体を容赦なく打つ。
彼女の身体を覆う黄色のパーカーは、雨に濡れ切っていた。
覆いは捲れ、彼女の髪が風雨に流れる。
――好きだって言ってくれた髪……こんなにして、怒られちゃうかな……?
柔和な笑みと共に、自分のブルネットの髪を掬う大切な人の姿が目に浮かんだ。
その場どころか、これからも会うことのない人の笑顔混じりの叱責を思い出し、ジュリアは苦笑する。
真剣に語るが、何処か安心する"愛しき彼女"の笑顔。
風雨と共に、両手に抱えた“鉄筒”から来る“冷たさ”をジュリアの胸の中で感じた。
その中で、愛しさの温もりが宿り始める。
その人の笑顔と体温の思い出が、凍える風雨を遮った。
だが、思い出に浸った彼女の足元が滑る。
石畳を突き抜けた木の根につんのめったジュリアは、胸に得物を抱えながら受け身を取った。
右肩から背に掛かる慣性の力で、立ち上がろうとした彼女の頬を熱線が撫でる。
熱の軌跡を目で辿ると、夜の暗がりを背に立つ、三人――否、三つに数えられる何か。
暗がりから、突き出た突撃銃から硝煙が立つ。
最早、何かが銃を持っているのか、身体から生えているのかすらも分からない。
発火炎|《・》マズルフラッシュが暗がりを纏う人影を照らした。
生気のない腕から放たれた銃弾が、ジュリアの濡れた衣服を横切る。
雨の冷気の中の温もりと、硝煙の鼻を突く芳香が、彼女に迫る敵意として現れた。
彼らの喉元から生えた木の幹が、脊髄に掛けて蜷局を巻いている。
暗がりで四肢を覆う様は、何処か鎧を連想させた。
ジュリアは、暗がりから放たれる死を呼ぶ熱線に晒されながらも、“冷たい鉄筒”を突き出す。
――三体……何とかなる。
恐怖はおろか、高揚も無い。
“あの夜”と同じ。
言葉の浮かばない脅威と戦うことは、ジュリアにとって初めてではない。
二つの点で、彼女の培った経験と目の前の現実は異なる。
一つは、愛しき人の顔が、引鉄に触れて浮かんだこと。
彼女を奪われた怒りがジュリアの中に宿っていたからだろう。
しかし、もう一つあった。
彼女の眼の前を覆った風雨が、"紅黒色"に変わる。
木の幹や植物の蔦に巻かれた人影が、一つ消えた。
風雨に混じる紅い風。
それが疾風り、人影が二つに裂けた。
「伏せろ!!」
陽気さの中に籠った力強い声に言われるまま、ジュリアは両腕で頭部を覆う。
深紅が視界から消えた一瞬、空間が震えた。
暗がりを覆う人影が、爆轟に変わる。
爆風に運ばれた炎が、ジュリアの前で吹いた紅い風を照らした。
爆炎の中で胎動する紅い外套を纏った男。
彼の右手から、翼の様な剣が伸びる。
紅い外套に包まれた男の金髪は弾ける火花で、その眼は月夜を映す湖の色。
それが映すのは、地面に腰を下ろしたジュリア=テイトの姿だった。
雨と風で濡れたブルネットの髪が、黄色のパーカーのフードから溢れている。
爆轟の運んだ閃光が、紅い外套の男の背後に立つ人影を映した。
「うし――ッ!?」
ジュリアの注意は、突如して苔色に遮られる。
「ロック、生存者を連れて逃げるぞ!!」
ジュリアの目の前に立つ、苔色の外套の男。
狐の毛皮を思わせる小奇麗な髪を認識した瞬間、ジュリアに混乱が訪れた。
地に足を付けた感覚が皆無。
その答えは、彼女の腰と両膝裏に巻き付いた苔色の両腕が語っていた。
「女にシレっと手を回してんじゃねぇよ、ブルース!?」
二人の外套姿の男達。
紅い方はロックで、自分を両腕で抱えている苔色の方はブルースというらしい。
爆轟が唸る中、ロックは屈んだ。
「生存者の保護が最優先」
「テメェが言うと、下心がある様にしか聞こえねぇよ!?」
ジュリアは、ブルースとロックの問答に、別の意味での寒気を覚える。
「……ロック、それを言ったら余計身構える」
ジュリアの目がブルースと合った
翡翠の両眼の映すジュリアの白い肌は冷気に奪われて更に白く、唇は若干青みがかっている。
ロックの舌打ちが聞こえると、ジュリアの周囲に風が一際強く吹いた。
気付いた頃には、蔦に囲まれた人型の銃撃から逃れ、雨の冷たさすら感じない。
彼女を抱えるブルースという男、ロックという少年に意識を向けたが、張り詰めた神経が突如として遮断。
何もない感覚が彼女に抱かれた思い出の微睡となる。
甘くも優しい時が、ジュリアを眠りに誘った。
リリーゲイト 郊外の巨大商業施設 午後11時14分
「手際として、及第点。更なる評価点は、女の子に――」
「本人の目の前で生々しい評価してんじゃねぇ、ブルース!?」
ジュリアの向かいに座っている男二人――ロックとブルース――が言い争っている。
一人の少女と二人の男が挟む樹脂製のテーブル。
水や珈琲ばかりでなく、カフェイン系清涼飲料水と並々に注がれた人数分のスープが陣取っている。
ジュリアの目の前の赤いスープから放たれるトマトの酸味を含んだ香りが、満腹中枢を擽った。
――サンドイッチ屋の"今日のスープ"……ミネストローネだったんだ……。
巨大商業施設は、有名店でひしめいている。
フードコートも例外なく多彩だった。
――……カフェ、行きづらかったからな……。
フードコートから少し離れたところの、アメリカの珈琲専門のフランチャイズカフェがジュリアの眼に留まる。
今年17歳となったジュリアにとっては、入りづらかった。
十代という括りで言うなら、お洒落はしたいというのが本音である。
――でも、あのカフェはお洒落過ぎたな……。
それ故、入った時に緊張し過ぎた。
思い切って誘った"大事な人"も同じ気持ちだったのか、口直しに立ち寄ったフードコートのサンドイッチ屋のメニューを口にして、互いに漸く一息吐けた。
そんな思い出の籠った店が出所と思われるバゲットを半分に切り、無骨に盛られたサンドイッチをロック、丸まる一本で作ったサンドイッチをブルースが齧りつく。
感傷に耽るジュリアの前で、二人の青年が舌禍の応酬に勤しんでいた。
そんな巨大商業施設のフードコートで、彼らのやり取りが空しく木霊する。
尤も、この時間に人がいることが想定されていないのだが、
「やはり、ここも人はいねぇか……」
ジュリアの目の前のロックは、感慨もなく淡々と告げる。
「思ったより活動範囲も広くないし、避難も上手くいったからな……。態勢も整えられるから安心といったところだが……ロック、怖くなったか?」
ブルースの揶揄の視線にロックが、無言で右手の半バゲットのサンドイッチを一噛み。
睨みつけながら、左手の紙杯の珈琲で流し込む。
肯定どころか否定もくだらない。
そう言いたげなロックを、ブルースが苦笑してジュリアに目を向けた。
左手のカフェイン系清涼飲料水を傾ける。
その中に含まれていたタウリンの匂いを醸し出しながら、
「もう安心しても良いんだけどね、ジュリア……さん?」
人好きのする笑顔でブルースが語りかける。
フードコートに入った時に、手短に名前は教えておいた。
ついでに言うなら、その後、ジュリアの目の前の二人の男が、思い人との掛け替えのない思い出の籠ったフードコートのサンドイッチ店の厨房から食料も物色し始めた。
当然、思い出のメニュー――というよりは、客に出すことすら想定していない――からかけ離れたガサツな盛り合わせで、彼らはいきなり食事を始めた。
相当空腹だったのか、本日のスープのミネストローネをプラスチックの黒スプーンで、味を楽しむ時間すら惜しむほどの勢いで喉奥にかき込んだ紅い外套の青年。
目の前の男――ブルース――は上質な狐の毛皮を思わせる、茶色の髪と整った細面である。
ぶっきらぼうな彼とは違い、無骨に作られたサンドイッチの半分を綺麗に食べていた。
一人はガサツだが、若々しく力強い。
もう一人は、細面の繊細さが混じるが、どこか機知的な雰囲気を漂わせる。
この二人から放たれる対照的な魅力に、魅了されない異性はおろか、同性もいないだろう。
ジュリアには、円形のパンで作られたBLTサンド、ミネストローネとホットココア、ミネラルウォーターのボトルが置かれていた。
彼等の善意だろうか。
ジュリアはそれに応えるために、ミネストローネを一口運んだ。
一口入れて、満腹感が訪れる。
それから、食欲が起きることは無かった。
それどころか、一口から時間が経ったのか、ホットココアとミネストローネから熱気が失われている。
加えて、彼らの優雅で、傍から見て愉快なやり取りに頬を緩ませる心の余裕もない。
ジュリアは確かに、二人のやり取りを見て安堵していた。
しかし、手に持ったあの“冷たさ”がない。
愛する人を奪われた。
その復讐として手に入れた、得物。
それに生涯寄り添うべきもののない空虚さが、彼女の胸で騒めく。
「探してんのは、これか?」
ロックに映るジュリアの強張った顔。
そんな彼女の前に、ぶっきらぼうな言葉と共にテーブルの上で鈍い音が響いた。
樹脂製の机の上の飲料と食事が、それに潰される。
机に置かれた飲料のボトルと缶が倒れた。
雨の滴りに濡れた鉄の塊が、ショッピングモールの明かりに照らされた。
円筒状に引鉄の付いた散弾銃が置かれたテーブルの上の清涼飲料水が若干零れ、甘い匂いを漂わせる。
その人工的な灯りの下、甘味料の水に濡れて輝く銃身。
その姿は、目にすることは叶わないことを差し引いても、創作で触れるよりも短い。
「ソードオフ……相当、殺意を抱いているな」
ジュリアの前で淡々と語るロックの言葉に、ブルースが右手で頭を抱える。
「遅かれ早かれ、聞くつもりだったんだから良いじゃねぇか」
「お前は気遣いと言うのが、分からんのか!?」
ロックとジュリアの交互に目を配るブルース。
やがて、目のやり場に困った苔色の外套の男が溜息と共に銃身の短い散弾銃に目を向ける。
"ソードオフ"――米国圏では、"ソーンオフ"――は、散弾銃の一種だ。
散弾銃の射程は、概ね――弾丸の種類によるが――50メートル程度である。
弾丸に詰められた多数の小さな弾丸を散開発射。
その時の衝撃は強力で、拳銃と並んで至近距離専門の銃火器だ。
散弾の射程範囲というよりは威力を重視した造形は、ジュリアの秘める殺意を反映している。
ジュリアの目の前のブルースが、場に訪れた沈黙に眉を顰めた。
「見てわかるように、俺たちはこの現状を調査しに来た。政府、スコットランド議会と軍隊からも無論、許可は得て――」
ブルースが言い終わる前に、ジュリアはソードオフ散弾銃を突き付けた。
ロックが構えるが、
「ま、残ることを選ぶよな。せめて……理由くらい話してくれても良いんじゃない?」
ブルースが両手をあげつつ、右手でロックを制する。
「あなた達は、ここの異変を調査しに来たんでしょ? 私はこれを使うのが目的!! 関係ないでしょ!?」
「そのソードオフの標的と俺たちの調査対象……同じと考えたことは?」
決意と敵意を胸に、銃をロックとブルースに突きつけるジュリア。
しかし、彼女はブルースの口から出た言葉に、思わず息を呑む。
「……つまり、あいつらと戦いに来たの?」
ジュリアは、この場を説明できる言葉を持ち合わせていない。
そもそも、話して信じてもらえるかもわからない。
しかし、目の前の男二人は、ジュリアの脳裏を過った最悪の予想を覆す。
そんな期待が彼女の中で芽生え始めた。
彼女は両眼に熱さを覚える。
ロックと言う青年の眼に映るジュリアの剣幕が、和らいでいった。
両眼には、涙が溢れ始める。
「あいつら……すべて……奪った。愛する人も、街の人も――!!」
疲れと涙で、ジュリアの視界が見えなくなる。
彼女が自分を守った、最後の温もり。
復讐心で強張る身体から、力が抜けていく。
同じ標的を追う者達。
彼等と巡り会えた安堵感に、ソードオフ散弾銃を下ろした。
胸に開いた喪失感に抑えてきたジュリアの激情が、込み上がる。
全てを吐き出さんとしたジュリアの慟哭と嗚咽が、無人のフードコートに響いた。
「ロック、奴等が来た!!」
悲しみが収まる間もなく彼女の前を覆う、紅。
ロックという青年が外套を翻し、ジュリアを飛び越える。
向かいで立ち上がる苔色の外套の男――ブルースの翠色の眼が煌めくと、ロックの背を見送るジュリアの前に移動。
ブルースの背と、彼の翻す苔色の外套がジュリアを覆う。
彼が少女を覆い切る前、ロックの右の逆手にあった紅黒の片翼を振り下ろした。
ブルースの言っていた奴等に、紅黒の雷霆が落ちる。
「ジュリア、伏せろ!!」
ブルースの一言と共に、ジュリアの目の前で紅黒の外套が閃光に包まれた。
閃光に焼かれようとしたジュリアの視界が、ブルースの苔色の外套に覆われる。
熱波と衝撃がブルースの身体越しに、ジュリアの華奢な身体を震わせた。
彼等の嗜んでいた清涼飲料水とは明らかに違う、咽るほどの甘い匂いがジュリアの鼻腔を突く。
――この匂いは……?
困惑するジュリアの足元に、紅い塊が転がり込む。
「……畜生!!」
煙に包まれる紅い塊――ロックという青年が、ジュリアの前で立ち上がる。
吐き捨てた口から犬歯を剥き出しにするが、
「ちょっと、あなた――」
ジュリアは、ロックを下がらせようと駆け寄る。
だが、怒りに染まる彼の横顔を眼にして、彼女の足元が弾け飛んだ。
ジュリアは、モールの舗装を抉った一撃の出所を探す。
ブルースの言う"奴等"が二体。
その片割れから、発火炎が吠えた。
「ロック、守れ!!」
「言われなくても!!」
ブルースの命令にロックがジュリアの制止を振り切り、前に出た。
紅い外套に包まれた左腕を突き出す。
ジュリアの目の前で、爆発が響いた。
――何が……起きたの!?
ジュリアの戸惑いを他所に、衝撃と爆発がロックの周囲に波紋を作る。
ロックの左腕が不可視の反作用を受けた。
歯を食いしばる様は、伝わる痛みに堪えていた。
「――ッ、痛ェ…!!」
不可視の爆発が止み、ロックが左腕を下げる。
舗装を叩く軽快な音が無人のモールに響いた。
「……銃弾?」
ジュリアはロックの足元に落ちた無数の金属片に思わず、呟いた。
ロックの前方には二人。
黒衣の制服と防具を纏い、右腕に軽機関銃を携帯している。
いずれも顔色から生気が抜け、土気色だった。
二つの銃口がジュリア達を向いている。
しかし、土気色の引き金に掛けた指が動くだけで、発砲はされなかった。
「ロック、ジュリア、下がれ!!」
苔色の外套を翻し、ロックの前に出たブルース。
三日月に反った二振りの剣が、ブルースの両手でモールの蛍光灯の光を反射する。
刹那、何れのモノでもない光がブルースの前で吠えた。
音なく、空間を揺らした電撃が二つ滑走。
土気色の迷彩服を纏った二体の左胸を、一対の雷霆が貫く。
甘い香りを漂わせ、その二体の全身が収縮。
二体が爆散し、ジュリアの全身を甘き暴風雨が撫でた。
「"グリーン・マン"……エチレンの溜まった人工心臓を植え付けられた"ウィッカー・マン"だ。正に歩く爆弾だな……」
突き出した二振りの三日月の剣を下げるブルース。
両手の剣が銃口になっていることに、ジュリアは気づいた。
「ブルース……テメェ、知ってるなら早く話せ!!」
「え……ロック、気づいていると思ったけど……?」
紅い外套の青年が、苔色の外套に詰め寄る。
爆破した時に浴びたであろう煤や塵で染めた顔を引き攣らせるロックに、
「ジュリアを助けた時、爆発してたろ?」
「アイツを助けるのに必死だったから、分かるワケねぇだろ!?」
ブルースが肩を竦めているのに対して、ロックが右人差し指をジュリアに向ける。
ジュリアは、いきなり話題に出され声を失う。
「それに、"ウィッカー・マン"の壊れ方なんて、いちいち――」
「はいはい、『気にしないと痛い目に遭う』ことが勉強できて良かったな、そうじゃないと、『本当に死ぬ』からな……ロック?」
ロックの抗議を、ブルースの視線が止める。
苔色の外套の男の双眸が、二振りの剣よりも鋭い光を孕んでいた。
ブルースの視線から逃れようとしたロックが、ジュリアの眼にも留まり、バツが悪そうに頭を搔きむしる。
「……"ウィッカー・マン"?」
ジュリアは呟く。
その言葉は、2014年に突如としてカナダに現れたモノを指す言葉だった。
ジュリアの胸の中で疼痛を催す。
カナダを筆頭に、世界中で突如として出現したものに、人類は無力感を叩きつけられた。
――でも……?
胸に感じる痛みと共に、彼女の目の前で口論する二人。
彼らから、ジュリアの感じる絶望感から程遠い何かを覚える。
痩せ我慢でもなければ、蛮勇でもない。
純然たる強さ。
紅い外套のロックと苔色の外套のブルース。
ジュリアの心の痛みは、いつしか失った熱に変わる。
「あなたたち……何者?」
ジュリアの口調はたどたどしい。
そうしていたのは、恐怖ではなかった。
「ブルース=バルト、"ブライトン・ロック社"から来た」
ブルースは笑顔だが頼もしさを滲ませる。
「ロック=ハイロウズ……"ブライトン・ロック社"所属、この異変の元凶を倒しに来た」
ロックの無感情な返答。
ジュリアは、彼の声に含まれた強靭な意思を感じ取った。
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