風の前触れ
いらっしゃいませ。
作品を開いていただき嬉しい限りです( ᴗˬᴗ)♾
それではこれよりお楽しみください。
「どうしても行かなきゃダメ?」
赤髪の少女が名残惜しそうに問いかけ、黒髪の少女の服をぎゅっと引っ張った。
「……うん、せめてこの謎の──するまでは」
まるで水底に沈んでいるような感覚で、後半の言葉が上手く聞き取れない。
「そっか……でも──ないで!」
「離れてても私達──ずっと──てこと」
「うん、──ない、絶対に」
頬に触れる、温かく優しい感覚。
「必ずまた、シイカの元に帰ってくるから」
「約束……だからね?」
「うん」
「約束」
何でだろう……最後の言葉だけは、耳の奥に焼き付くように響いた。
目を開けると、視界には無意識に伸ばしていた自分の手と、茶色い石造りの天井が広がっていた。調度品が飾られた寝室は、どこか古めかしく、静かな空気を湛えている。
少し大きめの窓からは柔らかな朝の光が差し込んでいた。
ぼんやりとした頭で部屋を見回していると、ようやく思い出した。ここは昨日から借りている宿の一室だということを。
どうやら私は夢を見ていたらしい。
内容はあまり覚えてないけど、頬を伝う一筋の雫がその夢の大切さを教えてくれてる気がした。
「なんの夢……だったんだろう」
頬を拭いながらゆっくりと身を起こす。
夢の余韻を引きずったまま、何気なく壁にかかってある時計へ目を向けた。
数秒後。
「……えっ嘘、やばっ!?」
さっきまであった感傷は一瞬にして霧散した。寝癖のついた髪を振り乱し、少女はベッドから転がり落ちるように飛び起きた。
隣の部屋では。
顔の片側に大きな傷跡を刻んだ男が、アンティークなソファで優雅にブラックコーヒーを味わっていた。
五十代という年齢が醸し出す、落ち着いた佇まい。黒いスーツにロングコートを纏い、新聞を片手に静かな時間を楽しんでいる。
ドタドタドタッ――!
静寂を切り裂くような聞き慣れた足音が近づくと、男はコーヒーカップを口に運びながら、僅かに口元を緩める。
バンと音を立てて扉が開くと、勢いだけで押し切ろうとするような声が飛び込んできた。
「おっはよー、ヴォルドーさーん!」
現れたのは、肩まで揺れる赤髪に、ぴょこんと跳ねたアホ毛がトレードマークのシイカだ。
「少し遅れちゃったかな……はは」
男は新聞を畳み、気まずそうに苦笑する少女へ顔を向けた。表情はにこやかだが、傷跡のせいか妙な圧力がある。
「おはよう、シイカ。今日もよく眠れたかな?」
シイカはその表情を見るなり息を飲んだ。
おっ、怒ってる?どうしよう、ここのところ寝坊続きだし、何か言わないと。最近歩きすぎで疲れてて……いや、それじゃ言い訳になっちゃう。昨夜は食べすぎました!なんてもっと論外。どうしようどうしようどうしよう。なんて返そおぉ!
ぐぬぬぬと顔を歪めながら考え事をした末、ようやく言葉を発した。
「……す、すいませんでした!」
「何がかな?」
全く表情を変えない傷顔の男を見て、心の中でうひぃと悲鳴を上げる。
視線を逸らし、胸前で両人差し指を合わせた。
「……あ、あの、気球船の時刻に……寝坊したせいで……」
いつもは元気に立っているアホ毛が、まるでしょんぼりした犬のしっぽのように下がりきっている。
ヴォルドーは数秒固まったあと、きょとんと目を丸くした。
「何を言っているんだい。出発はまだまだ先だよ」
「……へ?」
シイカはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「だって時間は早めに伝えてたもん!」
ヴォルドーは、黒い手袋をつけた大きな手で顎を包み込み、大男らしからぬ愛嬌で首を傾げる。
ようやく騙されたと理解した瞬間、シイカは感情に乗せて声を張り上げた。
「ヴォルドーーさーーん!!!」
その声は建物の壁を突き抜け、都市の中央区画にまで響き渡った。宿の最上階から放たれた怒号に、屋根の上で羽を休めていた鳥たちが、驚いたように一斉に空へと舞い上がる。
「先に言ってよー!」
「いやぁ、騙されてくれて助かったよ」
「ちょっ、逃げるな!」
「君がおじさんを捕まえるなんて、百年早いよ〜」
「ちょっと、二人とも騒がないでください!!」
気球船に乗り込んだ後も、シイカの怒りが収まる気配はなかった。
船体の外では、雲を切り裂いて風が鳴っている。木製の船体が微かに軋み、床下から響くエンジンの振動が、足の裏を絶えず小刻みに揺らしていた。
白い服に灰色がかった上着を羽織った少年――レイヴンが、栗色の前髪を目元に揺らしながら呆れたようにため息をつく。深い青の瞳が、座席の向かいで騒ぐ二人へ向けられた。
「それで、一体何があったんですか」
シイカはアホ毛をピンと逆立て、厳ついおじさんを指差しながら訴えかける。
「聞いてよレイヴン!ヴォルドーさんが私に嘘ついてたんだよ!嘘は許せない」
そう言って、ぷくっと頬を膨らませる。対するヴォルドーは、向かいの席でいかにもご機嫌といった様子でニコニコと微笑んでいた。
「いやぁ面白かったなぁ。あの申し訳なさそうな顔」
強面の顔に、隠しきれない愉悦が滲む。その憎たらしくも余裕そうな振る舞いに堪忍袋の緒が切れたシイカは、机をバン!と叩いて勢いよく立ち上がった。
「もう怒った!あっちについたら決闘ね!決闘!」
「シイカ。どうせまた負けて終わりだよ」
レイヴンの悪意のない正論にむきになって反論する。
「やってみなきゃ分っかんないでしょー?」
「それに僕の知ってる限りでは、確か……0勝97敗はしてると思うんだけど」
グサッ!見えない刃がシイカの心臓を的確に突き刺す。思った以上のダメージに、シイカは「うぐっ」と喉を鳴らし、心臓を押さえながら机にへたり込んだ。それでも何とか体勢を維持しようと踏ん張る。
「かっ……数えてたの……?」
「うん。だってあまりにも諦めないから、気になって」
レイヴンは悪びれる様子もなく言葉を返す。
そのやり取りを見ていたヴォルドーは、耐えきれずに大柄な体を折り曲げるようにして笑い出した。
「こりゃ傑作だ」
「くそぉ、悔しいぃぃ」
「口が汚いよ、シイカ」
当の本人は聞いているのかいないのか、机に顔を埋めたまま悔しげな声を漏らし続けた。
激しく足をばたつかせるシイカを他所に、レイヴンはヴォルドーへ向き直る。
「ヴォルドーさんもからかうのはその辺にして、次の寄港地について情報を共有しておきましょう」
「相変わらず真面目すぎるのではないか?レイヴンよ」
「お褒めに与り光栄ですが、次の寄港先テザーレに女神の使徒が現れたそうです。既に被害も出ているようで、一刻も早く対処すべきかと」
二人の会話を片耳で聞きながら、シイカは窓の外を眺めた。そこにはふわふわとした白い雲海の絨毯が広がっている。
綺麗な眺め〜。
そんな事を思いながら景色を流していると、窓の外を一瞬、黒い何かが過った気がした。だが、それもすぐに雲の向こうへと消える。気のせいか、とシイカは深く追わずに視線を戻した。
「女神の使徒、デアラメントが遂にテザーレまで……ふむ、あそこは武器職人の街だからな。このまま奴らの好きにさせておけば厄介なことになりかねん」
ヴォルドーは黒い手袋をはめた手で顎を包み込み、低く呟いた。
「ところで、テザーレの騎士達は何をしているんだい?」
「それが……デアラメントの対応に手一杯で、発生源であるデアラルコアの発見が少々遅れているようでして」
「デアラルコアを壊しちゃえばその現象は止まるんでしょ?だったらあたしにまっかせて〜!それくらいあたしにも出来るから!」
会話に割り込んできたシイカが、身を乗り出して拳を握る。
「一人で?危なすぎる」
「そういえばレイヴン、お前はシイカの戦闘センスを知らないんだったな」
「え?」
「こいつは一度、一人でその現象を止めたことがある。戦闘になった時のこいつは化けるぞ?」
「えっへへ〜」
ヴォルドーの言葉に、シイカは顔を緩めながら片手で後頭部をポリポリと掻いた。
「ヴォルドーさんがそこまで言うなんて……よっぽどですね」
レイヴンはシイカに視線を向けると、その意外な実績に僅かに息を呑んだ。
「ま、その後シイカは、丸二日しっかり気を失ったけどねぇ〜あっはは!」
「笑い事じゃないですよ!それ、一人で行かせたら絶対にダメなやつじゃないですか!」
ヴォルドーの突然の暴露に、レイヴンは勢いよく立ち上がる。当のシイカはバツが悪そうに視線を泳がせていた。
「でも今回はレイヴンがいるし、心配いらないよ、きっと!だからよろしくね?レイヴン!」
「今回はって……」
促されるように再び腰を下ろしたレイヴンは、口元を手で覆い、わずかに顔を背けた。
信頼をストレートにぶつけてくるシイカの無邪気さに、どうにも調子を狂わされる。そんな二人の様子を見て、ヴォルドーは満足そうに深くソファに腰掛け直した。
「おやおやどうしちゃったのかな?照れちゃったのかい?青春だねぇおじさん羨ま──」
不意に、ヴォルドーの言葉が途切れた。
その鋭い眼光が、談話室の分厚いガラス窓の向こう――どこまでも広がる青い雲海へと向けられる。
ゴオオオオオオ……ッ!!
突如、船体を激しく震わせるような重低音が響いた。
ただの風の鳴る音ではない。木製の床下から伝わってくるエンジンの振動が、あきらかに異常なテンポで不規則に暴れ始めている。
「……何だ? 操舵室のトラブルか?」
レイヴンが瞬時に警戒の姿勢に入る。
ヴォルドーは無言で立ち上がり、その傷の入った強面の顔をかつてないほど険しく歪めていた。
「いや、違う。この薄汚いルーンの波動は……デアラメントの奴らじゃない」
「え……?」
シイカも戦闘態勢に入り、体内で精密なルーンを練りながら、ヴォルドーの一言に息を呑んだ。デアラメントではない。けれど、この気球船を丸ごと圧し潰さんばかりに漂ってくる、悍ましく、底冷えするような『別物の闇』の気配。
ド―――ンッ!!!
次の瞬間、鼓膜を突き破るような爆鳴響とともに、気球船の右舷側が大きく跳ね上がった。
「わわっ!?」
「シイカ!」
激しい衝撃に部屋の調度品が吹き飛び、シイカの体が宙に浮く。レイヴンが素早くその腕を掴んで引き寄せ、壁に背を預けて衝撃に耐えた。
「レイヴン、シイカ! 甲板へ出るぞ!」
ヴォルドーの低く地を這うような声が飛ぶ。
三人が乱れる船内を駆け抜けているさ中、前方の大きな窓ガラスが、突如として船内へと激しく粉砕された。
「なになに!?どうなってんの!?」
全く状況が掴めない。
冷静に考えていられない状況で、それでもシイカはやるべき事を探っていた。
その時ーー。
砕け散った無数のガラス片と共に、黒い少女が姿を現す。
シイカはその少女に、一瞬にして目線を奪われた。
風になびくシルクのように艶やかな黒髪。どこか儚げな青い瞳に、白く華奢な体。
綺麗な子……
シイカは心の中で、ぽつりとそう思った。
この子と出会ったこの瞬間、私の中の運命の歯車が動き出した。
そんな気がした。
最後まで読んで頂き有難うございました。
初作品の為、お気に召していただいたか不安ではありますが、これから先も精進して参ります。( .ˬ. )




