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ほろ酔いインスピレーション

 ライブハウスを出るころには、午後十時になろうとしていた。血みどろリップグロスのこの日のセットリストは、まだ持ち曲が少ないせいもあって、半分近くがカバー曲だった。でも会場も、うちのメンバーも終始大興奮だった。

 加藤はリズム隊の演奏に舌を巻いていたし、三笠はボーカルはもともと熱狂的ファンだったのも手伝って、テンションがおかしくなっていた。オールスタンディングの観客たちは暴れ放題で、俺たちはモッシュに巻き込まれて満身創痍だ。何か所か、身に覚えのない痣ができていたりするのを、街頭の下で笑い合う。手を叩いて笑う癖のある三笠のハンドクラップがビル街で跳ね回った。


「あー、もうっ、ホント最高だった。演奏からボーカル、MCまでキレありすぎ」


 ほんと、HISAMIのあの小柄で華奢な体躯のどこからあんなパワーが生まれてくるのか。まだまだ語り足りない俺たちは、近くの居酒屋へと向かうことにした。繁華街をふらふらと歩いていれば、店の看板掲げた客引きが誘ってくれるだろう。

 思考停止のまま、まるで光に誘われる蛾のように雑居ビルの中へ吸い込まれて行く。しらふなのに、そこから店についてビールジョッキを互いにかち合わせてからんと音を鳴らすまでの記憶がほとんどない。


「私、手売りのアルバム買っちゃったよ」

「それさっきも聞いた。聞いたら貸してくれよ」


 全八曲を収録したミニアルバム。ライブで披露していた曲が全て収録されている。一曲目から最高潮に達した「ひめとよばれて」もそうだが、血みどろリップグロスは、歌詞がすごくいい。コールアンドレスポンスが盛大に沸いた「コスプレテーマ:普通の人」なんて最高だ。これは、うちのメンバーも満場一致の意見。

 三笠が、メンバーの直筆による歌詞カードを取り出す。


“マネキン歩く コピペの繁華街

 雑誌の切り抜き もしくはコラージュ

 昼夜開催コスプレ テーマは普通の人

 とがってないでしょ? 叩きようないでしょ?


 絵が映えたらきっと嬉しいよね

 15秒間はアイドルに誰もがなれる


 私、ウチに帰りたくないの

 だって独りじゃ歌えないよ()

 うろ覚えのコーラスで 周りの顔色伺って

 合わせ鏡と踊ってるみたいだ孤独


 流行のアイスは ほんとは好きじゃない

 脂肪の予防に 全部吐き捨てたい


 右向け左の天邪鬼がこさえる個性

 短絡的過ぎてアイデンティティになんない


 私、うちに帰りたくないの

 きっと独りじゃイタいだけよ()

 四六時中SNSで 表だけつながって

 友達という言葉ググってはため息だけ増える”


 現代的な言葉遣いだけれど、隠喩が豊富に使われていて、俗っぽさと技巧さを両立させている。おしゃれな方向性だけでなくて、ジョークも混じるし、何よりも毒がある。この曲だって、歌われているのは周りと歩幅を合わせてばかりでで主体性のない女性の、根無し草のような心許なさだ。


「この歌詞、全部HISAMIが書いているって、すごいよね」


 気取っているようでそのベールを剥がせば、ぎらぎら光る刃が忍ばせてある。メンバー全員が仮面を身に着けたヴィジュアルと伴って演出される世界観、メジャーデビュー間近なことも納得だ。虜になった俺たちは、自分たちのバンドの打ち上げであるということを完全に忘れてしまっていた。


「うちらもさー、こんな方向性ありかもね」


 早くもほろ酔いの三笠が怪しい呂律で口走る。けれど、あいにく、そんな技量は持ち合わせていない。だいいち、山田がそれを認めないだろう。うちのバンドは山田の独壇場なのだから。


「でもさ。言ってみないと分かんないじゃねえの?」


 そう諦めかけたけれど、加藤のその言葉で提案だけはしてみようということになった。全員いい具合に酔っているので、判断が鈍っているだけかもしれないが。


「いっそさ、ここで一曲作ってみようよ」


 さらに三笠がそう言うものだから、俺たちは俄然乗り気になった。とはいっても、個室でもないオープン席で店員に預けてある楽器を取り出してなんてことは流石にしない。詞を先に組み立てて、後から曲をつける寸法だ。

 とここで、沸き立っていた俺たちの会話が止んだ。――とんと、思いつかない。山田が書く詞のセンスは、どこか古くさくて、ダサいと心の中で思っていたが、いざ自分たちが詞を書くとなると、同じ土俵にすら立てないのだ。小難しいことばかりを考えて、言葉を紙面に浮かべては、それをぐちゃぐちゃに塗りつぶした。

 どん詰まりに墜ちていく俺の頭の中に、いつもけたたましい音量で聞いている歌が流れてきた。誰も入り込めないイヤホンに閉じられた、俺だけの知る世界。俺が夢中なのは、愛を歌うだとか、社会を批判するだとか、そんなものじゃない。多分、主張もへったくれもないんだと思う。


「なんかもう、くっだらない歌でもいいんじゃないかって思えてきた」

「くだらない?」


 加藤と三笠が同時に首をかしげた。


「俺が好きなアーティストだけどさ。演奏も上手いし、音の作り込みもセンスがすごくいい。けれど、歌詞はほんと、くだらないんだよ。たとえばさ、この前出した曲は『風呂、それはアイスを美味しくする儀式』なんてフレーズがさびの冒頭に来て、そこで、メンバー全員が楽器を鳴らしながら、『風呂っ! 風呂っ!』ってコールをするんだ。ライブでもそこは、会場が一斉に『風呂っ! 風呂っ!』とコールをする」

「ぷっ、なにそれどうかしているな」


 うん、加藤が言ったとおり、どうかしてしまっている。しかもこの曲の間奏は、最高にかっこいいギターソロが入る上、シャワーの音をサンプリングしたフレーズが左右のチャンネルから交互に聞こえてくるという常軌を逸したものになっている。多分、泥酔してでもいないと、思いつかないような曲だ。

 酔いに任せて勢いよく語るも、加藤と三笠の笑いが、賞賛なのか嘲笑なのか分からず、酔いがみるみる醒めていった。

 所謂、俺がよく聞いているのは、コミックソングというやつで、好き嫌いが別れるものであることは確かだ。音楽はかっこいいもので、笑いを取りにいくものではない。真面目に歌え。そんな冷ややかな意見を浴びせられることだって、当然あるわけで。受け入れられないんじゃないかという一抹の不安があった。


「でも、なんかかっこいいな」


 けれど、加藤がぼそりと呟いた言葉が、それをかき消してくれた。


「だろ? そういうのならさ、極端な話、日常の中で思ったことを、共感を煽るように書けばいいと思うんだ。作品を評価する尺度として、共感ってのは、誰もがとっつきやすいだろう」


 素人の俺が考えたがばがばの理論だけれど、加藤と三笠は納得してくれた。


「じゃあ、どんな題材にするの?」


 首を縦に振った後の喰い気味の質問。お、これはいけそうだと図に乗る俺は、頭の中に降ってきた何の脈絡もない事実の吐露を三笠に返す。


「タンスの角に小指をぶつけたら痛い、だとか」

「あっはは。それウケる」

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